校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

« 2002年10月 | メイン | 2002年12月 »

2002年11月 アーカイブ

2002年11月07日

トウキビ事故

 宮崎駅から都城自動車学校まで電車で通っていますと、車窓から見える風景は季節と共に変化してきます。10月半ば、青井岳を過ぎ山之口駅間近かになると、田圃のあちこちにトウキビが植えられているのが見えてきます。このサトウキビは、家畜の飼料とされるものですが、そのサトウキビについて、私には二つの思い出があります。
 その一つは、子供の時にサトウキビを食べた思い出です。私が育ちましたのは、終戦後の食糧難の時代でしたからいつもひもじい思いをしていました。従いまして、食べられるものは全て口にしていましたが、このサトウキビは案外甘味があってうまいものでした。サトウキビの穂が茶色になったころ、鎌でサトウキビを刈り、節の所を切って口で皮をはぎ、中身を口に入れると、ほのかに砂糖の甘い味がして、それはうまいものでした。このサトウキビは現在は飼料用として栽培されていますが、台湾サトウキビは、黒砂糖として現在も生産されています。
 もう一つは、都城地方に多いトウキビ事故のことです。先日都城東高校に行く途中、高城町の桜木地区を通った時、元吉副校長が「この交差点は、以前しょっちゅう交通事故が発生していました。原因はトウキビです。余りにも事故が多いので、土地の持主がトウキビを植えなくなり、今では発生していません。」ということを教えてくれました。
 それを聞いて20年前のことを思い出しました。昭和50年代の頃でしたが、都城地方では不思議と10月頃になると、郊外で出会い頭に車と車が衝突する重大事故が多発していました。原因は車の双方ともいつも通る道ですが、交通量が少ないのでつい気が緩み、しかもサトウキビが成長して見通しが悪くなっているのに、まさか自動車は来ないだろうと考え徐行せずに進行したための事故でした。
 いつしかこの事故は、トウキビが成長する秋の季節に発生することから「「トウキビ事故」と呼ばれるようになりましたが、都城ならではの事故です。この事故は通い慣れた道路に安心し、サトウキビが成長して見通しが悪くなったに気付かず、安全確認を怠ったものですが、このような事故のようなことは私達の周りでもよく見られます。
 先日リーダー会議が予定されていましたので、私と中澤課長は、いつもの開催場所となっている第2教室で食事をしながら参加者を待っていたのですが、一向に誰も集まる気配がありません。私はリーダー会議はいつも第2教室で行われていますので、その日のリーダー会議も当然そこで行われるだろうと思い込んでいたのです。
 そのうちおかしいとお互い顔を見合わせ、調べてみたところ、会場は2階の初心者教室となっていました。完全に私の思い込み違いであることがわかり、赤恥をかいたところです。
 このように、トウキビ事故も原因を調べてみれば、お互いの人達が「いつも通い慣れた道であり、しかも交通量が少なく、まさか車は通らないであろう。」と思い込んだことが結果的には交通事故につながったのではないかと思われます。このようなことがないよう思い込みを排除していつも新鮮な気持ちで運転することを心がけたいものです。

2002年11月07日

フォロー

 私は自動車学校の管理者としての経験が少ないため、公私を問わず、「人は全て師なり」という気持ちで接し、何かを得たいと考えていますが、最近お会いした人の中で素晴らしい「人生哲学」を持っていられる方がおられました。
 その一人は自動車安全センターの所長竹田理さんです。
ご存知のように自動車安全センターは、「SDカード」の販売拡大という営業の仕事もしていますので、竹田所長さんも自ら県内の会社、自動車学校、官公署等のほか安全運転管理者等協議会加盟の会社等を精力的に回っておられます。
 先日その竹田所長さんからこんな話を聞く機会がありました。毎年訪問して「SDカード」の申し込みをお願いしているある会社に、何らかの都合で訪問できないことがあったそうです。しかし、その会社は毎年「SDカード」の申し込みが100枚以上ありますので、欠略しても大丈夫だろうと思い、訪問されなかったそうです。
 ところが、いつまでたってもその会社から「SDカード」の申し込みがないので、その会社の担当者に電話したところ、「今年は所長が来られないので、申し込みはしなくてもよいのだろうと思っていました。」という回答だったということです。
 竹田所長さんは、「SDカードの取得をお願いする時も苦労しましたが、継続して取ってもらうためには、もっと努力をしないと駄目ですね。営業にはフォローが大切です。」とつくづく述懐されていました。
 もう一人は、平尾出版社南九州営業所の中島所長さんです。
平尾出版社は、「学科教本」、「運転教本」等を出版している会社ですが、中島さんは8年前から担当地域の鹿児島県、宮崎県、熊本県内の各自動車学校を訪問して、営業活動をしていますが、その中島さんからこんな話を伺いました。
 平尾出版社は、本社は東京ですが、会社設立当時、全社員が一丸となって全国の自動車学校を訪問し、学科教本等の売込みをした結果、相当数の自動車学校が平尾出版社の教本を採用し、業績があがったそうです。
 ところが、その後、担当者等の不足から自動車学校に対する訪問等のフォローがうまくなされず、折角獲得した自動車学校も他の出版社に鞍替えしてしまったそうです。
 本社では、そのときになって始めて営業の大切さを痛感して全国各地に営業所を設置したそうです。その頃、中島さんも南九州営業所に就職されたということですが、営業苦労も口に出せないほどたくさんあったということでした。そのような中で中島さんが今でも実行されているのは、「フォローの気持ちを絶対忘れないこと。」ということです。
 苦労した営業活動の結果、教本を変えた自動車学校もその後平尾出版社の教本を再度採用するようになった自動車学校も増えたということでした。
 このように営業マンは、それぞれ努力されているようですが、私達にも何か参考になったような気がしませんか。

2002年11月08日

兆候

 私は、JR山之口駅と都城自動車学校の間を職員の方に送り迎えをしてもらっていますが、その途中で自転車乗りやバイク乗り、歩行者の姿を見かけることがあります。その人達の姿を見ておりますと、手を挙げたりする等の合図こそありませんが、さまざまな動作、つまり「兆候」が見られます。どんな「兆候」が見られるか観察してみました。
 例えば、高齢者が歩行する場合、先ず横断歩道を渡る人は少ないようです。車を運転中、歩いているお年寄りの人が立ち止まり、キョロキョロし始めた時は、道路を横断する意思があることを知らなければなりません。特に、信号機のある交差点や近くに横断歩道があるところでは、車が近づいていても気付かず、急に飛び出してくる場合があります。これは高齢者になってくると、運動能力が劣ってきますので、当然判断力が劣り、車が近づいてくるのが判らないからといわれています。従って、お年寄りの道路を横断する行動の「兆候」は、足が止まった時と考えてよいでしょう。
 次に自転車の場合を考えてみましょう。自転車乗りのペタルが動いている時は、先ず真っ直ぐ進むと考えてもよいと思います。ところが、ペタルが止まった時は要注意です。
 こんなことがありました。前方をお年寄りの自転車が道路の左側を走っている姿が見えました。その動きを見ていたところ、動いていたペタルが止まりました。さあ、どんな動作をするのかなと見ておりますと、急に道路の中央に出てきたかと思うと、斜めに横断したのです。もちろん、手の合図等は全くなく、後方確認なしです。自転車の先を見ると、そこには郵便局がありました。おそらく、そのお年寄りは運転免許を持っていない人と思いますし、交通量も少ないので、今まで交通事故にあわなかったのかもしれません。
 バイク乗りの場合、前方左端を走っていても、運転しながらバックミラーをのぞく動作が見られるときは、左か右に曲がる動作の「兆候」と考えなければなりません。
 以上のような各動作の「兆候」は、案外見逃しがちです。従って、皆さんが自動車を運転中、歩行者、自転車乗り、バイク乗りを見かけた場合は、こんな動作が予想されることを知っておいてください。
 ところが、子供の場合は予想もしない動作に出る場合があります。よくボールが道路に飛んで来た場合は、必ずその後ろには子供の飛び出しがあるといわれていますが、子供は夢中になると、視野が極端に狭くなるそうです。例えば、歩道を数人で帰っている途中、友達から追っかけられた場合、急に飛び出すことがありますが、これは、自分が道路を歩いていることをすっかり忘れてしまい、グランドで遊んでいる感覚になっているからです。また、道路に飛び出たボールを追っかけ、道路に飛び出すのもこの感覚が原因といわれています。
 このようににさまざまな動作の「兆候」がありますので、車を運転する時は、細心の注意を払い、交通事故を未然に防ぎましょう。

2002年11月11日

厚顔無恥

 元来、日本の女性には、「奥ゆかしさ」「つつましさ」「恥じらい」があり、決してでしゃばった行動をとらないというのが、伝統として受け継がれていると聞いていましたが、この言葉が死語になりつつあるとも言われています。
 最近の女性、特に年輩の方の行動にはしばしば唖然とさせられることがあります。聞くところによりますと、最近、宮崎市内のホテルでディナーショーがあり、有名な女性歌手が花道を通り、舞台に上がろうとしたところ、整理のためロープが張ってあり、ホテルの従業員が立っているにもかかわらず、年輩の女性いわゆるオバタリアンと称せられる人達がどっと押しかけ、整理員を押しのけて歌手に握手を求めることがあったそうです。まさか、この宮崎でこんな女性がいるのかと半信半疑でしたが、先日、実際この目でそのようなオバタリアンを拝見することが出来ました。
 それは、私が自動車学校に出勤する途中の電車内のことです。ある駅で、電車が停止し、数名が乗車して来ましたが、発車すした直後に、車掌の声で「車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください。」というアナウンスがありました。その直後、私達が乗っている車両のドアが開き、「どなたか携帯電話を貸してください。」という女性の声が聞こえてきました。見ると今乗ってきたばかりの客のようで、60歳台の女性で、コートを羽織り、黒ぶちのメガネをかけた一見社長夫人という格好でした。
 その女性は、ツカツカと列車内に入ってくるや携帯電話を操作してメールを打っていた若者の側に近寄り、「すみませんが携帯電話を貸してください。」とお願いしている様子でした。私は、見ず知らずの人によくそんなことが言えるな、なんてずうずうしい女性だと思いましたが、よほどの急用でもあったのだろうと考え、その女性の行動を見ておりますと、若者はその女性の言い方に圧倒されたのか、仕方なさそうに携帯電話を貸している様子でした。
 当然デッキに出てから電話するものと思いきや、その女性は携帯電話を受け取るやその場で操作をし始めたのです。その女性の仕草から見て60才代ながらしょっちゅう使っている感じに受け取られましたが、私がその様子にビックリしたのは勿論のことです。電話の内容も聞こえてきましたが、それは、「○○ちゃね、わたし△△よ。今電車に乗ったけど、時間を間違ったのよ。駅に着いたらまた電話するわね。」というもので、聞いていて何もわざわざ他人の携帯電話を借りてかけるほどの急用でもなさそうでした。
 さらに女性は、、「ありがとう」ではなく、「ありがと」といって携帯電話を若者に返しましたので、代金を支払うのかなとさらに見ていましたが、その素振りは全くなく、その車両には座席が空いていたのに、ツカツカと次の車両に移ってしまいました。若者も一瞬ムッとした様子でしたが、気を取り直して携帯電話の操作を続けているようでしたが、私がもし若者の立場だったら、その女性に文句の一つも言ってやるのだがなと無償に腹が立ってしょうがありませんでした。こんなオバタリアンにならないように気をつけましょう。

自慢の教え子

 都城自動車学校には、私立都城高等学校から毎年100名を超える生徒さんが入校しますので、何回か都城高校を訪れ、理事長である久保武司先生とお会いしたことがありますが、いつも先生の口から出るのは、自慢の教え子であるプロ野球の田中幸雄さんのことです。
 ご存知のように田中選手は、現在パリーグの日本ハムファイターズに所属していますが、シドニーオリンピックに出場してその活躍が認められ、平成12年12月都城市から「ウェルネス都城市民賞」が送られました。
 田中選手は中郷中から都城高校に進み、昭和61年に日本ハムにドラフト3位で入団しましたが、当時の高田監督に才能を認められて活躍し、これまでパリーグのベストナイン4回、月間優秀選手賞3回、打点王等に輝き、今では日本ハムいやパリーグを代表するプロ生活15年目の選手です。
 都城高等学校出身のスポーツ選手は田中選手だけでなく、野球、ラグビー等多くいますし、久保先生の教え子もおそらく1万人以上を軽く超えていると思います。何故田中選手を自慢されるのか、その理由を久保先生にお伺いしたことがあります。
 すると久保先生は、田中選手が高校に入学した当時の野球旧部長でしたが、当時の田中選手は性格が素直で、監督の指導には、「ハイ」と返事し、決して嫌な顔はしなかったそうです。この態度は、高校2年生になって春の甲子園大会に出場してからも変わらず、プロ選手になってからも全く変わらないそうです。今でもシーズンオフになり、宮崎に帰ってきたときは、真っ先に久保先生のところを尋ねてくるということでした。とかくプロ選手となると天狗になりがちですが、田中選手の性格は変わらないそうです。
そう言われて見れば、テレビを見ていると、プロ野球の選手がデッドボールを受ける場面があり、腹を立ててピッチャーに暴行を働く選手がいますが、田中選手が怒る場面を見たことがありません。
 さらに、田中選手は高校3年生の時、運転免許を取るため都城自動車学校に入校しましたが、その当時、当校の指導員であったOBの中西勝さんは、「教習態度は真面目で、指導したことについては素直に聞いてくれ、とても指導しやすかった。キャンプに入る前に自動車学校に来て、『3年たっても芽が出ないときは都城に帰ってきます。』と言ってくれたのが印象的です。」と懐かしそうに話していました。プロ野球選手になってから田中選手は、何回か自動車学校に来てくれましたが、話し方や態度は高校生の時と変わっていなかったそうです。こんなところが、ファンや多くの人に親しまれていますし、久保先生が自慢されるところだと思いました。
 自動車学校の職員室にも、時々、「せんせ~い、ひさしぶり」と言う声と共に、卒業生の訪問があり、指導員と懐かしそうに話をしている姿を見かけることがあり、中には就職のことや結婚等の人生相談もあるようです。これぞ、自動車教習所職員の冥利につきますが、皆さん方も担当した自慢の教習生がいつまでも安全運転をするよう、こまめな連絡をとっていただくよう望んでいます。

2002年11月12日

思いやり運転

 自転車に乗っていますと、車を運転している時と違い、ゆっくりものごとを観察することが出来る利点があります。次の二つの場面は、私が出勤中に遭遇した出来事です。
 その一つは、渋滞している時に割り込みをさせてくれた運転手さんのやさしさです。
私が住んでいる団地から市街地に向かう県道は一直線ですから、朝の出勤時間帯は信号待ちの車が続き、いつも渋滞状態です。その点、自転車は自転車専用道路がありますので、いつも渋滞状態を横目で見ながらスイスイと進むことが出来ます。
 大きなマンションの前を通りかかったところ、自転車道をふさぐ形で自動車が止まっており、マンションの駐車場から数台の自動車が県道に割り込んで出ようとしていました。
 ところが、県道は一車線ですから数珠繋ぎの状態で、なかなか割り込めない状況でした。自転車も進めませんので、仕方なくしばらくその様子を見ていたところ、やがて県道を通行していた車が停止し、割り込みペースを空けてくれたので、待っていた数台は、無事にその列の中に割り込みすることが出来たようでした。割り込めずにイライラして待っていたマンションのドライバーの表情も心なしか微笑んでいるように見えました。県道を通行中のドライバーも渋滞でイライラしており、早く進みたい心境なので、このように脇道から割り込んでくる車両にスペースを与えることはなかなか出来ないことですから、もし自分だったら譲れるかなと思ったところでした。
 もう一つは、渋滞している時に右折車を優先して通してくれた運転手さんの思いやりです。
自転車を飛ばしていますと、市街地に向かう車線は渋滞でつながっているのに、反対車線には全然車の姿が見えないのに気付きました。どうしてかなと思いながらなおもペタルを踏んでいますと、前方に交差点が見え、その意味がわかりました。反対車線に右折車が1台止っているため、後続の車は進めず渋滞状態となっていたのです。
 その光景を見て、直進車のドライバーが一寸気を効かせて右折車を通してやればいいのになと思っていましたところ、なかなか右折車を通してくれませんでしたが、やがて大型トラックが停止して、右折車を通してくれました。さすがはプロのドライバーだと感心しましたが、右折車のドライバーのニコッとした笑顔と「ありがとう」とつぶやいたと思われる口ぶりが印象的で、見ていた私も朝からいい気持ちになったことはもちろんです。
 運転免許を取得した時には、ほとんどのドライバーがこんなに優しい、思いやりのある運転をしていたのになと考え、こんな気持ちでハンドルを握れば、絶対事故は減ると思ったところでした。

確認

 間違いを指摘され、「俺に限って、そんな筈はない。」とがんと自分の非を認めない人が見られます。こんな時、人間誰でも間違いはあるはずですから、あっさり「確認が足りなかった。俺が悪かった。」と誤りを認めればいいのになと思うことがあります。
 そういう私にも確認が足りなかったばっかりに大きな失敗をしたことがあります。それは、私が都城自動車学校に電車で通い始めたばかりの時のことです。通勤のため、定期券を購入しましたので、改札の時、定期券を駅員に提示した後、財布のカード入れに入れることにしていました。
 ある朝、JR宮崎駅で定期券を駅員に提示しょうと思い、背広のポケットから財布を取り出しましたが、カード入れに入っているはずの定期券が見当たりません。おかしいなと思い、さらに他のポケットを探しましたが、やはりありません。そのとき、前日JR宮崎駅で降車した時、駅員に定期券を提示した後、財布の中には入れるのを忘れ、ポケットの中に入れていたことに気付きました。私は出勤の時、毎朝背広を着替えるようにしていますが、その際、財布と運転免許証、それに合鍵は確認していますが、その朝は財布の中の定期券の確認を怠っていたのです。幸い、財布を持っていましたので、電車に乗ることは出来ましたが、往復の電車代は無駄な出費となりました。
 「確認」と言えば、ゴルフ競技では、スタートの際、プレーヤーがそれぞれ自分のボールを出し、「私はプレー中、このボールを使用します。」と宣言します。これはプレー中、誤って同伴者のボールを打たないよう、また、不正なプレーをしないことを宣言するいわば「確認」のマナーです。
 ところが、プレー中、誤って同伴者のボールを打ってしまう「誤球」があります。テレビを見ておりますと、プロでもこのようなプレーがありますので、アマチュアの競技であっても決して不思議ではありません。
 この「誤球」は、間違って同伴者のボールを打った人には、もちろんペナルティが科せられますが、自分のボールが打たれたことに気付かず、残ったボールを自分のボールと思って打った人にも同じくペナルティが科せられるようになっています。プライベートの時には笑って次のプレーに移れますが、これが真剣なクラブ競技中となりますと、途端にリズムが狂い、特に誤ってボールを打たれた人はブスッとなり、慰めの言葉をかけることが出来ないほど、落ち込む姿を見かけることがあります。
 従って、この「誤球」を防ぐためには、自分のボールかどうかを「確認」することが必要で、これはゴルフをする人のマナーにもなっています。
 また、交通事故の大きな原因になっているのが「確認」の不足、つまり安全不確認ですが、初心運転者の事故を見ましても、大半は安全不確認によるもののようです。自動車学校は、安全なドライバーを育成する機関ですから、指導員の皆さんはこのことを肝に銘じ、安全確認の大事さを徹底的に教習生に教えて下さい。

2002年11月13日

ダンピング

 毎朝届けられる新聞の折込を見ていると、自動車、家、電化製品、玩具用具、パチンコ店の開店、スーパー製品等実にさまざまなチラシがあります。そんな中で、これは安いと思った製品が2点ありました。
 その一つは、パソコン製品です。
10年前はどんなに安くても50万円以上はしており、私達庶民にはとても手に届かないと思っていたのが、今では10万円台になっています。デスクトップ型のパソコンにいたっては、10万円台を切っている製品もあり、誰でも買うことが出来る製品になりつつあります。このように安くなったのは、技術の革新が大きな原因となっているようです。
 もう一つは、衣料品、特に目に付くのが、「UNIQLO]の製品です。
先日、ユニクロの製品を販売している宮崎市内のある店に立ち寄ってみたところ、何とお客さんの多いこと、多いこと。それも若い人だけでなく、私達と同じ年代の男女も多く見られました。値段を見てみますと、1,000円台の製品が多く、一番高い品物が4,000円台でした。セーターやシャツの製品を手にとって見たところ、ユニクロの宣伝をするわけではありませんが、生地も出来上がりもよさそうで、どの製品もデパートで買えば、2~3倍の値段はしそうなものばかりでした。
 何故このような安い製品が出来るのか、ある専門家に聞いたところによりますと、ユニクロでは中国に工場を設立し、労働者は現地で採用していますので、安い賃金で製品が出来るそうです。外国から日本に原料を輸入し、高い賃金の労働者が生産していたのと違い、原料は現地で調達しますし、技術者は日本から派遣していますので、製品そのものは日本で生産するものと全く変わらないわけで、安い値段で売れるわけです。
 以上の二つは、それぞれ技術の革新と生産手段の革命でダンピング出来たのですが、これに比べて裏打ちにないダンピングは、逆に企業そのものを倒産させることになりかねません。
 自動車学校における教習料金のダンピングがそれです。自動車学校が数校重なっているある地区で、一つの学校が教習料金を大幅に値下げを始めたところ、他の学校もこれに習い、いわゆるダンピングを競争が始まったそうです。ところが、どの学校も最初の1~2カ月は、入校者が倍近くになりましたが、その後段々減り始め、1年後の入校者は、前年よりやや多いほどになったそうです。これでは当然教習料金の収入も減るわけですから、自動車学校の経営も成り立たず共倒れになったそうです。少子高齢化の時代を考えず、自分のところさえよければと思ってダンピングすると、裏打ちがないだけに非常に危険な賭けになるわけです。
 また、教習料金のダンピングは、教習期間の回転を早めるため、指導そのものがおろそかになる危険性があり、ひいては安全で確実なドライバーを育てる初心運転者教育機関である自動車学校の使命にも反することになりますから、絶対すべきでないと考えています。

人工呼吸

 自動車学校における教習の中に「応急救護措置」という項目があります。これは交通事故によって負傷者が出た場合、救急車が到着するまでの間に、事故の当事者または現場に居合わせた者によって応急救護措置が講じられれば、救命率が格段に向上することから、自動車学校の教習項目の中に加えられたものです。
 先日、この応急救護措置の教習状況をのぞいてみたところ、丁度、人工呼吸の実習中でした。応急救護措置の資格を持っている指導員が、人形や絵を見せながら、「気道確保」の大切さを繰り返し教え、教習生が一人づつ「マウスマウス法」や「心臓マッサージ法」の実習をしていましたが、教習生は結構楽しんでいる様子でした。その様子を見ながら、いつか役立つ時が来るかもしれないので、しっかり覚えてくださいと思わず念じました。
 と言いますのは、自動車学校で学んだ「人工呼吸」で、人の命を助けることができるからです。新聞報道によりますと、仙台市のクリニックで発生した点滴に筋弛緩剤を投与した殺人未遂事件に関連し、このクリニックで昨年(平成12年)8月末、肺炎の疑いと診断されていた幼稚園児(5歳の男の子)が、入院5日目に突然ベッドの上に立ち上がって暴れ出したそうです。付き添っていたお母さんが「どうしたの」と声をかけると、「苦しい」とうめき、ベッドに倒れるようにして横になりました。お母さんが我が子の顔に手をやりますと、息をしておらず、子供の目の周りから頬にかけ、見る見る紫色に変わっていったそうです。
 そのときお母さんは、思わず我が子の口に息を吹き込んだそうです。これはお母さんが、かって運転免許を取る時、自動車学校で学んだ講習を思い出し、みよう見真似で咄嗟に行ったものです。
 1分ほどすると、子供は瞬きを始め、息を吹き返し命を取りとめることが出来たということです。もし、お母さんが自動車学校で人工呼吸の講習を受けていなかったら、その子は今頃あの世へ旅立っていたかもしれません。
 こんな経験が私にもありました。昭和52年のことですから、今から23年前のことです。北海道研修旅行の途中、バスで旭川市内を流れる忠別川に架かっている旭川大橋の上を通りかかったところ、川に落ちて流されている子供(当時4歳)を発見し、その当時、私は仕事の関係で「人工呼吸」や「止血法」等の救急法を教えていましたので、マウスマウス法を施し、その子を蘇生させることが出来ました。
 もし、そのとき私に「人工呼吸」の心得がなかったら、子供は発見したとしても蘇生させることまでは出来なかったものと思います。
 さっそく、応急救護指導員には、クリニックの出来事を教習生に教えてもらうようお願いしましたが、職員の皆さんも活用する機会があるかもしれませんので、しっかり覚えておいてください。いつか役立つ時があります。

タバコの臭い

 私は、今までタバコを吸ったことは一度もありません。何故吸わないのかと聞かれることがありますが、特別に吸わない理由はありません。強いて言えば、子供の頃から実家では父を始め誰もタバコを吸っていなかったので、タバコを吸う環境になかったというのが正しいのかも知れません。
 しかしながら私の息子達はどう間違ったのか、二人ともタバコを吸います。従って、私はタバコは全く駄目と言うわけでもなく、隣の席でタバコを吸っていても余り気にはならないのです。
 ところが、タバコの臭いがこれほど嫌なものだったのかと思ったことがありました。
先日、あるゴルフショップに立ち寄り、クラブを眺めていたところ、男性の店員が私の側に近づき、「どんなクラブをお探しですか。」と声を掛けてきました。その瞬間、店員の方から私の鼻に強烈なタバコの臭いが入ってきました。その臭いたるや今まで私が体験したことのない嫌な臭いで、言葉に表現出来ないほどでした。
 顔を上げてその店員を見たところ、20代の若い男性でしたが、唇がどす黒い紫色になっており、一見してヘビースモーカーだとわかるほどでした。それからはクラブを見る気が全くなくなってしまい、早々にその店を出ました。もう二度とその店に行く気はありません。その店員は、見掛けは笑顔を浮かべながらの応対で、さわやかに感じましたが、これほどタバコの臭いが強烈では、接客業としては失格です。
 自動車学校の教習車には、指導員と教習生が乗りますが、特に夏は冷房、冬は暖房のため窓ガラスを完全に閉め切っています。もし、車内でタバコの臭いがしたとしたら、タバコを吸わない教習生にとって、教習どころではないはずです。たちまち、「指導員を変えてください。」と文句が出るものと思います。
 そんな心配をしていたところ、卒業生のアンケートで、「教習車の中で、タバコの臭いがした。」と言う意見が出ていました。調べてみますと、教習車の中で指導員がタバコを吸ったのではなくて、どうやら指導員が、教習と教習との間のインターバル中にタバコを吸い、その臭いが衣服に付いていたものだということが判りました。
 その状況を指導員の皆さんに呼びかけたところ、早速各人が消臭剤を買い、今では教習車に乗車する前、タバコを吸う人も吸わない人も必ずその消臭剤を衣服に吹き付ける姿が見られるようになりました。その後、教習生に聞きましても車内のタバコの臭いについては、全くないと言うことですし、アンケートにも出てきません。
 都城自動車学校は「明るく、清潔で、親切な自動車学校」を目指していますので、教習を受ける生徒さんの気持ちになって、これからも実行していただくよう願っております。

2002年11月14日

恩師の指導員

 自動車学校の職員室にいると、「せんせ~い、免許が取れたよ。」と元気のよい若者の声が聞こえる光景が時々見られます。目ざとく指導員の姿を見つけると、その側に近づき、運転免許証を見せながら「ほら、私の免許証よ。」と指導員に見せていますが、その姿は喜びに溢れています。
 また、指導員も免許証を見て、「よかったね。」とニコニコしながら話し合っている姿は、いつ見ても気持ちがいいものです。
 指導員と卒業生とは、親子ほどの年齢差がありますが、二人の話し合う姿はまるで真の親子のような感じです。いや、親子だってこんなに親しくは話はしないだろうと思います。
 それもそうでしょう。教習生が自動車学校に入校してから卒業するまで、早い人で17日間、中には2ヶ月以上かかる人も見られます。その間、教習生は指導員からそれこそ手取り足取りで、自動車の運転技術を習うわけですから、それこそスキンシップが生まれてくるのかも知れません。
 また、教習生の中には、仮免の技能試験に落ち、職員室の指導員のところに来て、「せんせ~い、失敗した。」と泣きながら報告する姿も見られます。指導員もそのところは心得ており、教習生が泣き止むのを待って、「どこを失敗したのね。」と優しく尋ね、落ち込むのを防いでいるようです。
 このようにして、苦労を重ねてから運転免許を取得するわけですから、合格した時のうれしさは格別なもので、指導員の恩は一生忘れないものと思います。
 さて、私が運転免許を取ったのは、40年も前のことですが、運転技術を教えてもらった恩師の指導員がいます。その人の名前は「金丸先生」と言います。
 私の場合、自動車学校に入校したのではなく、「宮崎県自動車専門学校(現在の宮崎県自動車学校)」に行き、昼休みの時間を利用して、見よう見まねで練習を繰り返していました。おそらく運転が下手だったのでしょう。当時自動車専門学校の指導員であった金丸先生が、見るに見かねて練習している私の車に乗り込み、カーブの切り方だとか、縦列駐車の仕方等をそれこそ手取り足取りで教えてくれたのです。もちろん教習代金なしのボランティアでした。お陰で、運転技術は直ぐうまくなり、間もなくして1回で合格することが出来たのです。
 その金丸先生のことは、恩師として忘れたことはありませんが、先日、宮崎市の運転免許センターに行ったとき、年輩の男性から、「谷口さんじゃないですか。」と声をかけられました。よく見ますと、メガネをかけていますが、まぎれもなく恩師の指導員「金丸先生」でした。
 金丸先生は、自動車学校をやめ、現在は個人で自動車教習の仕事をしているということでしたが、私が自動車学校に勤務していることを告げると、とても喜んでくれました。その笑顔は40年前と同じで、やはり「金丸先生」は、私にとっては恩師の指導員であり、一生忘れることは出来ない人です。

自費出版の本

 私は自動車学校の行き帰りの電車の中で、本を読むように心がけていますが、その本は、県立図書館で借りています。大体10日に1回の割で図書館を利用していますが、本を借りに行くほかに、私にとっては特別、図書館に行く楽しみがあります。
 それは、私が自費出版した本が県立図書館に寄贈されているからです。その本の名前は、「串間市の手引き」です。
 図書館を訪れ、先ず私が行くところは、パソコンの検索機が置いている場所です。その検索機の前に座り、「執務資料」のボードに「くしましのてびき」と打ち込みますと、「串間市の手引き」の貸し出し状態が一目でわかるようになっています。検索結果が貸し出し中になっていますと、「どんな人が借りたのかな。」「読まれた感想はどうかな。」と色々思いを巡らします。
 ところが、貸し出しゼロになっていますと、わざわざ本が置いてある「地方史資料」のところに行き、本を確かめていますが、貸し出しがなく、その本が本棚に残っている時は、ちょっぴり残念です。
 私がこの本を編集するようになったきっかけは、平成11年3月、串間警察署長として勤務するようになってからです。
 ある朝、串間市内を散策中、「西林院」というお寺の境内をのぞいたところ、そこには歴史書で読んだことのある「秋月藩主累代の墓」があり、墓標や案内書を読んでいくうちに、串間市の歴史に興味をもちました。
「秋月藩」といえば、江戸時代、現在の高鍋町にあった藩ということで知られていますが、そのルーツは今の串間市なのです。「秋月藩」は、もともと戦国時代、今の福岡県甘木市にありましたが、豊臣秀吉軍に敗れ、いわば左遷されて串間に藩を移したのが、宮崎における「秋月藩」の始まりなのです。
 その後、暇を見つけて市内を散策してみますと、古墳、文化財、史跡等がたくさんあり、さっそく、署員の教養資料とするため、録音機とカメラを持って取材を始め出し、記録化するようになったのです。文字だけでは署員が興味をしてくれないと思い、ふと考えたのが写真を入れ、やさしい言葉で説明し、しかもA4判1枚にまとめる方法でした。
 この方法で、約1年半の間に200点の資料を集めましたが、その内容は、串間市の沿革、文化財、観光施設、名産品、伝説、記念碑、神社仏閣、人物等に及び、一目で串間市のことがわかるようにしました。これを編集して1冊の本にまとめ、知り合いの写真屋さんに頼み、カラーコピーにしてみたところ、意外にも出来栄えがよかったのです。
 そこで、知人の勧めにより、この本を県立図書館に持っていき、「寄贈したい」と申し出ましたところ、担当の方も内容を見て寄贈を喜んで受け入れていただいたものです。ここ2ヶ月あまりは貸し出し中が続いていますが、ずっとこの状態が続いてくれることを願っています。

3K+1S

 私は今年の2月27日で60歳になりました。若い時の印象では、60歳といえば随分年寄りだなと思っていましたが、いざ自分がその年代になってみると、いささか複雑です。
 自分では、「まだまだ体が動く。若いもんには負けるものか。」と思っていますが、若い人達から見れば、「いい年をして」と思われているのかもしれませんね。
 ある日、自宅でテレビを見ていると、妻が、「お父さん、背中が曲がっている。年寄りくさいよ。」とアドバイスしてくれました。さっそく鏡の中の自分の姿を見てみますと、なるほど背中が少し曲がっています。それに頭髪も最近は白いものが増えたようで、どう見ても60歳代の身体つきになっています。気をつけなければいけないと思いながら、それからは時々鏡の前に立ち、顎を引いて胸をそらし、腹を引っ込めたりして気をつけていますが、すぐ元の猫背姿にならないようです。
 そのようなおり、新聞の投書に「私の目指す3Kとは」というのがありました。投書者は56歳の女性ですが、その内容は、「年老いた母は何事にもものぐさになっており、そのうえ周りの人の言葉に耳を傾けない。機会あるごとに、着るものやら持ち物やら買って身に付けるように言うと、『なんぼでもある。』『もったいない。』等の理由をつけて、古いものばかり使っている。お年寄りは、『汚い』『臭い』『聞き分けがない』といわれているが、自分はそのような年寄りにはなりたくない。年老いた母を見ながら自分は、『可愛く』『かっこよく』年をとりたいものだと思っている。」というものでした。
 なるほど、そういう年のとり方もあるものかと感心していたところ、ある会合で、今年70歳になったある先輩から、「私はこれからの人生を『3K+1S』の精神で生き抜きます。」ということを聞きました。
 私は上記の投書を読んでいましたので、興味があり詳しく伺いますと、「今年の年賀状で、友達からこれからの人生は『小奇麗にする』『こまめに動く』『好奇心を持つ』の3kを目指すとありましたが、私はこれに1Sを付け加えます。」という説明でした。1Sの「S]とは、背筋を伸ばすということだそうです。
 確かに、毎日同じ服を着て、髪の毛はボサボサに伸ばし放題のヒゲ、それも白髪混じりでは、間違いなく汚いイメージが先行します。それに悠々自適の生活とは聞こえはよいのですが、テレビを見ながら、奥さんに「おい、お茶」といっている姿は、まさに「濡れ落ち葉」であり、こんな年寄りにはなりたくないものです。
 また、最近IT時代と呼ばれ、都城自動車学校でも、職員の皆さんが全員携帯電話を持ち、卒業生とメール交信している姿を見ていますと、何事にも好奇心を持つことが、ボケ防止になるのかもしれません。
 そう思いますと、私が目指す人生も先輩に習って「3K+1S]の精神を持ちたいものだと考えている今日この頃です。

2002年11月15日

見切り発車

 自転車に乗っていると、車の動きがよくわかります。その中で、車を運転する人は何故あんなに急ぐのかと不思議に思うことがあります。
 それは信号機のある交差点で、信号が青になるのを待っていたときのことです。運転者の行動を見ていますと、車はもちろんバイクの運転者も、まるで運動会のスタートの時のように、目は信号機の方をジッと凝視しています。そうして信号機の色が青になるや否や脱兎のごとく飛び出していきます。中には、完全に青になっていないのに飛び出していく車を見かけることもあります。いわゆる「見切り発車」といわれる発進方法ですが、このような光景を時々見かけることがあります。こうして乗用車とバイクが同時にスタートして交差点を競争して走り去る姿を見ながら、もし反対側の車両が信号を無視してきたらと思うと、ゾットすることがあります。小さな交差点でしたら、左右から進行してくる車の動きはよくわかりますが、これが大きな交差点になりますと、よくわからず大きな事故になるからです。
 私がかって取り扱った交通死亡事故の中に、見切り発車の事故がありました。30歳代の主婦の方でしたが、早朝、魚市場に勤めるご主人を勤務先まで送り、自宅に帰る途中、ある交差点に差し掛かり、信号が赤のため一旦停止しました。
 その交差点は、国道10号線と交差する道路で、日中は交通量の多いところですが、主婦の運転する車の後方を走っている人の話によると、その時間帯は早朝のため、国道10号線の南北の信号が黄色になった途端、主婦の運転する車がまだ赤信号なのに、ゆっくりスタートし始めたそうです。いわゆる「見切り発車」ですが、後方の人が見ていたところ、その車が交差点を3分の1位入った位置で、東西の信号が青になったので、後方の人もスタートした直後、向かって左側の方からキィーという物凄いブレーキの音がしたので見たところ、1台の車が横滑りしながら交差点に入ってくるのが見えたそうです。その車は、あっという間もなく前を走っていた車の助手席付近に衝突し、そのショックで前の車は横転し、右前方の街路樹に衝突しましたが、主婦はほぼ即死の状態でした。
 この事故は、北進していた車の信号無視が主な原因でしたが、主婦の方も東西の信号が完全に青になってからスタートし、しかも左右の安全を確かめていれば、あるいは衝突を防げたかもしれません。
 宮崎市内の「江平五さ路」は、変形の交差点すが、この交差点では、歩行者の巻き込み事故を防ぐため、歩行者・自転車用の信号機が、「早出し」となっています。つまり、車両の信号より約3秒位早く、歩行者・自転車用信号機が青に変わるようになっています。ところがこのことを知っている歩行者が、まだ信号が青になっていないのに、「見切り発進」して歩き出す光景を見ることがあります。このとき注意しなければならないのは、この交差点は広いため、まだ交差店内に車が残っている場合があり、危うく歩行者がひかれそうになったことがありました。車も歩行者も「見切り発車(発進)」しないようお互いに気をつけましょう。

2002年11月18日

高齢者と階段

 私の妻の母は、今年で82歳になりました。記憶力も衰えず、新聞も良く読みますので、政治のことやニュースのことはよく知っています。しかしながら、若い頃から痩せ型で、しかも胃腸があまり丈夫でなかったせいか、数年前から骨粗鬆症にかかり、最近では腰が半分ほど曲がった状態で、手押し車につかまって歩いており、時々帰省してその状態を見ていると、可哀想に思えます。時々、近所の方から温泉に誘われますが、迷惑を掛けるからと言って、断わっている様子です。
 先日、その母を連れて温泉に行きましたところ、駐車場から温泉場に行くまでに、高齢者、特に、身体の不自由な人には、さまざまな障害物があることに気付きました。
 まず、駐車場と温泉場の間には段差があり、階段を5段位上がらなくてはなりません。私達健康な者にとっては造作もない階段ですが、腰の曲がった母にとってはきついらしく、娘である妻の手に引かれて一段一段ゆっくりと上がる状態でした。
 次に温泉場の入り口にも5段の階段があり、ここでもため息を吐きながらようやく上がっていましたが、まだまだ、身体の不自由な人にとっては、障害物となるものがたくさんあるようです。
 その一つが。駅の階段です。私は宮崎駅から電車に乗って都城自動車学校まで通っていますが、時々途中の青井岳駅から一組の老夫婦が乗ってくることがあります。年齢は80歳位と思われ、二人とも腰が曲がっており、電車に乗るにも、出入り口には高さ30センチくらいの階段が二段あるため、手すりをつかまってようやく車内に乗り込む状態です。どうやら二人とも運転免許を持っておられないらしく、話し振りから山之口の病院に治療に行かれている様子でした。
 約10分位で山之口駅に到着しますが、二人に続いて私もホームに降りたところ、二人の会話が聞こえてきました。それは、「また、階段か。大変だな。」という言葉でした。山之口駅には、ホームから駅外に出るためには階段がありますが、この階段が上りが30段、そして駅に降りる階段が同じく30段あり、角度が急なため、私達でも急いで上り下りする時には、息があがるほどです。手すりこそありますが、これでは身体の不自由な人にとっては苦痛の階段に思えました。
 大きな駅では、エスカレーターがあり、車椅子の人も安心して電車に乗ることが出来ますが、まだまだ、このような小さい駅では予算がないのか、あるいはJR の人が気付かないのか、改善されていないようです。早くこのような身体の不自由な人の苦労が、わかってもらえる改善策が取れないものかと期待しているところです。
 都城自動車学校では、毎週木曜日「高齢者講習」を行っていますが、この駅の階段の話をしたところ、ほとんどの人がうなずいておられ、駅の階段のほか、2階建てになっているところでは、階段を上り下りすることが苦痛になっているということでした。
 その意味では、現在「高齢者講習」をトレーチャーの関係で2階で行っていますが、1階に移すことも考えなければと思っているところです。

話の切り出し

 たまの休みの日、自宅にいるといろんな人の訪問を受けることがあります。住宅会社や車のセールスマンであったり、庭木の害虫駆除請負業、野菜の販売等のほか、新興宗教への誘い等さまざまです。
 そのほとんどは初めての人ですが、その人達の私に対する第一声を聞きますと、ベテランか新米かがよくわかります。その判断を私は、「第一声の話の切り出し」と決めています。新米の人だったら直ぐ、「車を買い換えられませんか。」とか、「そろそろ家を建て替えられませんか。」等と、話を本題に持っていきますが、初対面でいきなり本題を切り出されると、人間の心理としては、「結構です。」と断わりたくなるものではないでしょうか。これがベテランのセールスでしたら、「今日はいい天気ですね。どこかお出かけの予定はないですか。」と先ず相手の緊張感をほぐしてくれます。こう切り出されると思わず、セールスの話を聞いてみようかなという気になります。
 ある本に、この「話の切り出し」について面白いことが書いてありました。セールスマンのように初対面の相手に会って話すときは、先ず相手の緊張感を解きほぐし、しゃべりやすくすることが大切だそうです。それには、「話の切り出し」に最も神経を使いますが、その心得として「木戸に立てかけせし衣食住」ということをマスターしなさいということでした。
 その意味は、次の通りです。
  ○ 木~気候(梅雨、異常乾燥、春夏秋冬)
  ○ 戸~道楽(骨とう品、掛け軸、茶器)
  ○ に~ニュース(ラジオ、テレビ、新聞、雑誌記事等)
  ○ 戸~土地(歴史、土地の英雄、旧所名跡)
  ○ を~女、(美人、スタイル、化粧品)
  ○ 立~旅(旅情、風情、風習)
  ○ て~天候(天気の具合)
  ○ か~賭け事(花札、マージャン、パチンコ、競馬、競輪)
  ○ け~景気(株価、倒産)
  ○ せ~セックス((但し表現を工夫しないと逆効果)
  ○ し~趣味(つり、スポーツ、庭木、盆栽)
  ○ 衣~衣類(流行、スタイル)
  ○ 食~食べ物(カロリ、献立、栄養)
  ○ 住~住宅(土地・建物の入手、アパート生活)
 これらをマスターしておれば、あらゆる職業、階層の人を相手にスムーズな会話が出来るということです。
 自動車学校の職員の皆さんの大切な仕事の一つとして、「入校生の募集」という営業活動がありますが、この「話の切り出し」を活用して見られませんか。

2002年11月19日

サービスのはき違え

 私はつい先月までは、自宅近くの理髪店で散髪をしていました。その店は50歳代の夫婦二人で経営しており、従業員はいません。その店を選んだのは、自宅から近いせいもありますが、予約なしに飛び込んでもいつも直ぐに散髪できるからです。
 私は今までどこの理髪店に行っても、「このような髪型にしてください。」と髪型を言った後は、椅子に座り、コックリ、コックリ居眠りすることにしています。目をつむり、チョキン、チョキンというあの単調なハサミの音を聞いていますと、ものの5分もしないうちにいい気持ちになり、眠くなります。このような経験をされた方も多分多いと思いますが、とてもいい気持ちです。
 ところが、この店では私が椅子に座った途端、「今どんな仕事をしているのですか。」とか、「どんな趣味がありますか。」等夫婦からまるで機関銃みたいに、質問が飛んでくるのです。最初は適当に答えていましたが、答えるのが面倒くさくなり黙っていますと、私が返事するまで、まるで念を押すように話し掛けてくる始末です。こんな状態が1時間も続くわけですから、折角居眠りを楽しみにしている私にとっては、たまったものではありませんから、今では別の理髪店に変えました。
 しかし、どの理髪店を見ても店の親父さんは、大体話し好きの方が多いようですから、ひょっとしたら客に話し掛けることが、客に対するサービスと思っていられるのかもしれません。
 また、理髪店における一人当たりにかかる時間は、大体1時間と相場が決まっているようですが、もう少しおしゃべりを控えていただければ、40分位で出来るのではないかと思います。これが次に散髪を待っている客に対するサービスではないかと思っていますが、皆さんのご意見はどうでしょうか。
 毎年11月、全国の自動車学校では、「サービス向上月間」が設定され、どの自動車学校でもいろんな施策がとられていますので、ことサービスに関しては、全指導員に徹底しています。その現われとしてアンケートを見ていますと、「指導員が優しかった。」「丁寧に教えてくれた。」等の意見が多いようです。かって自動車学校といえば教官から怒られ、怖い思いをしたという印象が多かったころに比べれば、現在は雲泥の差があります。
 しかしながら、中には、「丁寧しすぎて気持ちが悪かった。」という感想もありましたが、これは何故でしょう。おそらく指導員がサービスの意味を取り違えていたのではないかと思います。
 私は、常々指導員の皆さんには、「教習生をほめてください。」と言っております。これは始めてハンドルを握る教習生にとって、指導員からほめられることが、教習生にやる気を起こさせると思うからです。その意味でも、もう一度「自動車教習所の真のサービスとは何か」を考え直し、教習生に役立つサービスをしてもらいたいと願っているところです。

2002年11月20日

基本の順守

 自動車学校からの帰り、日豊本線山之口駅のプラットホームで椅子に座り、電車を待っているときこんな光景を見ました。それは私が乗る上りではなく、下りの電車が駅のホームに入ってきたときのことです。
 「カン、カン、カン」という警報の音がしたので、宮崎方面から来る電車の方を何気なく見ていたところ、駅構内の線路脇で作業をしていた4、5人が仕事の手を止めて立ち上がり、電車に向かって一斉に右手を斜め上に挙げたのです。その姿はまるでヒットラー将軍に対するドイツ国民の敬礼のように感じました。作業の人達は、駅の乗降は橋及び跨線橋の工事をしている人達でしたが、電車が駅のホームに入るまでその姿勢をとり、電車が止まると、再び現場監督のような人の指示によって作業を始め出しました。
 私は右手の挙げ方が奇異に感じましたので、その作業員の人達の側まで近寄り、その理由を聞いてみたのです。現場監督のような人は、腕章に「列車見張り員」と書かれており、その人が、「手を挙げたのは、電車の運転士に対し、電車が近づいたのがわかったので、作業を中断しているという合図です。これは駅構内や線路周辺で作業する場合の運転士と作業員相互の合図です。いわば事故を防ぐための基本で、これを怠りますと大きな事故につながります。この合図は、旧国鉄時代から続いています。」と説明してくれました。
 数分後、都城方面から私が乗る上りの電車が駅構内に近づき、「カン、カン、カン」という音が鳴り出すと、その作業員の人達は作業を止め、今度は左手を挙げ、電車の運転士に合図をしました。
 その後、電車の窓から気をつけて外を見ていますと、線路の脇で工事中の場合は、ほとんどこのような光景が見られました。おそらく旧国鉄時代から数々の事故の教訓を経て、このような方法が考えられたものと思いますが、いかに、「基本の順守」が大切かがわかりました。
 国鉄といえば、昭和62年4月に民営化されて現在のJRが誕生したわけですが、旧国鉄時代から事故を防ぐために、素晴らしい伝統が今も残されています。それは「指差点呼」というものです。駅員が線路を横断する際は、右を見て列車が来ないかどうかを指を差し出して確かめ、来ていない時は、「右ヨーシ」と声を出し、左も同じ要領で指を差し出して確認する方法です。
 この方法は、JR社員にも確実に引き継がれていますが、ある駅員にこの「指差点呼」のことを聞いてみましたところ、「指差点呼は事故防止のための基本です。これが守れない社員は失格です。」と胸を張って答えてくれました。
 このように、事故防止のためばかりでなく、仕事をしていくためには、どの職場にも基本というものがあります。この基本も、おそらく数々の失敗の教訓から出来上がったものと思います。しかしながらこの基本を守らなければ、再び失敗することになるわけですから、基本は愚直なまでにこれを守るようにしましょう。

動体視力の低下

 都城自動車学校では、毎週木曜日に「高齢者講習」を行っていますが、この朝には、講習を受ける75歳以上の方の元気な姿が見られます。
 私は、この講習に先立ち、「校長あいさつ」を行っていますが、この方達の元気さにはいつも感心させられます。中には90歳を超えた方も講習を受けられますが、日頃から運転をしているせいか、顔色もツヤツヤですし、もちろん腰も曲がってなく、シャンとしています。ひょっとしたら運転するということは、ボケ防止になっているのかも知れません。
 あいさつのなかで、私がいつもしているのが、「高齢化と動体視力の低下」のことです。高齢者が交通事故の被害者となったり、あるいは、逆に加害者になることの原因の一つとして挙げられるのが、「動体視力の低下」であるからです。
 動体視力とは、動いているものに対する視力、つまり距離感のことをいいますが、年をとるに従って段々衰えてくるそうです。
 例えば、高齢者が道路を横断する時、車が近づいてくることはわかっていますが、まだまだ遠くだろうと思って横断を始めたところ、意外にも車は直ぐ近くに来ており、間に合わずに高齢者がはねられるという例です。
 また、夜間近視のことも話をします。これは、昼間に比べて視力が劣り、例えば昼間視力が1,0の人が、夜間になると、視力が0,1つまり10分の1になるということです。従って、高齢運転者の方は、夜間の運転はなるべく遠慮してくださいとお願いしているところです。
 ところで、最近になり、私自身、動体視力が低下しているのではないかと思っていることがあります。それはゴルフをしている時、時々パー-トナーが打ったボールの行方を失うことがあるのです。
 2~3年前までは、パートナーの打ったボールについては、打つ瞬間を見ていなくても、音を聞いただけで、ボールが飛んでいく様子は、十分捕らえることは出来ていたからです。それが最近では、パートナーが打つ瞬間をじっと見ていないと、ボールの行方を見失うことがあるのです。それも真っ青に晴れているときはよいのですが、曇っている時は、見えづらくなるようです。最初の頃は、気のせいかなと思っていましたが、どうもそうではなさそうなので、同年代の人に聞いてみたところ、その人も見づらいということでした。そういえば、年輩のキャディがついたとき、プレイヤーの打ったボールの行方がわからず、「今のボールはどっちに行きましたか?」と逆にお客さんに聞いている様子を見たことがありました。今思えば、そのキャディさんも、動体視力が低下していたのかもしれません。
 私も60歳になり、あと5年後の免許更新のときは、「ねんりん講習」を受けなければなりませんので、最近では、特に夜間に運転する時は慎重になっているところです。

2002年11月21日

躾(しつけ)

 毎朝の散歩にはラジオは欠かせませんが、その中でも良く聞いているのは、生島ヒロシさんの「おはよう一直線」という番組です。
 生島ヒロシさんの軽快な話し振りは歯切れが良く、ときたま、宮城県の浅野知事も飛び入りで出演し、政治問題を判りやすく説明してくれますので、大変参考になります。
 ある朝、その番組に全盲の女子高校生「井上美由紀さん」が、お母さんと一緒に出演しているのを聞く機会がありました。ご存知のように井上美由紀さんは、福岡県久留米市に住む女子高生ですが、体重500グラムの極小未熟児として生まれ、生後5ヶ月で未熟網膜症のため、全盲と診断されました。父親は、美由紀さんがまだおなかの中にいる時に、交通事故で亡くなりました。
 その美由紀さんを女手一つで育て、ハンディをいかに乗り越えるかを教えてくれた母、美智代さんへの感謝の気持ちを綴ったのが、「生きています。15歳」という本ですが、その本が今では33万部を超えるベストセラーになっています。
 出演した母子とも声が明るく、特に美由紀さんは、とても全盲のハンディを全く感じさせませんでした。
 ラジオの中で、母の美智代さんは、山あり谷ありの美由紀さんの15年間について、「私は心を鬼にしてこの子(美由紀さんのこと)を育ててきました。私がどうせ先に死ぬでしょう。そのとき、この子が生きていくためには、自立させなければいけないと思い、可哀想だと思いましたが、厳しく育て、躾もしてきました。」と淡々と話をされていました。
 母の美智代さんは、時には、「鬼母」になり、自宅の階段から美由紀さんが転げ落ちると、美智代さんが口にした言葉は、たった一言、「ごくろうさん」だったということです。美由紀さんが目が見えない代わりに、色々な経験を通して自ら身を守る方法を覚えるのが大事と考えたからです。
 そんな母親に、美由紀さんは、「鬼婆」と悪態をついていたのですが、ある日、母の美智代さんが高熱で寝込んだときに、体温計の数字が見えず、初めて「くやしい」と泣き、、それから素直に母の厳しい躾を受け入れるようになったということとでした。
 生島ヒロシさんの、「美由紀さんは15歳になりました。これで自立できるでしょう。」という質問に対し、母の美智代さんは、「まだまだです。これからも節目、節目で厳しく育て、人様に負けないだけの躾をするつもりです。」と答えていました。
 美由紀さんもこれに負けじと、「母には感謝しています。どれだけ厳しい躾であったても、私のためになるのですから、もう二度と鬼婆といいません。」と明るく語ってくれたのが、印象的でした。
 「挨拶も満足に出来ない。」「ありがとうも言えない。」「道路でもどこでも構わず座り込む」等私達の身の回りでは、躾がなされずに育てられた若者を数多く見かけます。このような世の中で、この井上母子の会話はとてもさわやかに感じました。この後、清々しい気持ちで、楽しく散歩することが出来たのは、勿論のことです。

飲料水

 都城自動車学校に勤務するようになって気付いたのは、職員のほとんどが水道水を飲まずに、ペットボトルの水を飲んでいる姿でした。最初の頃は、教習時限と次の教習時限の間、いわゆるインターバルの時にそのような姿が見られましたが、若い指導員でしたので、いまどきの若い者は、水道水よりペットボトルの水の方が飲みやすいのかなと思っていました。
 ところが、職員室で昼食時間の様子を見ておりますと、若い職員だけでなく、かなり年輩の指導員もペットボトルの水やお茶を飲んでいます。
 そこで、ある日、指導員の一人に何故ペットボトルの水やお茶を飲むのかと聞いてみたのです。すると、その指導員は、「水道の水は薬品臭くて飲めません。」と答えてくれましたので、試しに炊事場の水を飲んでみたのです。指導員が言ったとおり、水道水は一寸薬品の匂いがし、お世辞にもおいしいとは思えない味でした。このように、最近の水道水は、どこの市町村でも評判が良くないようです。
 この「水」について、最近、朝日新聞が世論調査をして、国民の「水道離れ」が進んでいることを明らかにしていましたので、興味をもって読んで見ました。
 それによりますと、水道の水をそのまま飲まない人が国民の半数近くにのぼり、女性、若者、東京や大阪等都市生活者ほど、その割合が高くなっているということでした。ただ単に水道水がおいしくないというのではなく、水道の水は、水質そのものが安全かどうか不安だというのもその理由だそうです。
 水道の水をそのまま飲まない人は、どうしているのでしょうか。沸かして飲んでいるのか、それともお茶やコーヒーにする人も多いと推測されますが、調査結果では、約30パーセントが「家庭浄水器を使っている。」という答えだったそうです。かくいう私も、実は10年前から浄水器を使ってイオン水を飲んでいます。
 また、約40パーセントの人が、ペットボトルやガラス瓶で売られている水、いわゆるミネラルウォーターを買っているということであり、浄水器と同様、都市部になるほどこの傾向は高くなっているようです。
 水道水をそのまま安心して飲めるのは、日本、アメリカ、シンガポール等10数カ国しかないそうで、欧州の水道関係者が、「生水を飲むのは日本人とアメリカ人とカエルだけだ。」と言ったという笑い話もある位、もともと日本人は水を良く飲む国民です。
 水道関係者の話によりますと、1960年ごろまでは、日本にも安全でおいしい水がふんだんにあり、どんなに貧しい人でも水は十分飲めていました。
 ところが高度成長期以降は、水源が汚れ、飲める水にするのに金も手間もかかるようになったのに、日本人はまだ水はタダだという感覚でいました。だから平気で水源を汚すのです。従って、水質の安全性を確保するために、薬品を使わざるを得ないようになったということです。
高くて、貴重な水をケチケチ使う時代が、すぐそこに来ているのかもしれません。

2002年11月22日

再度の巣作り

 平成12年11月、我が家の庭のヤマモモの木に、鳩が巣作りを始めましたが、妻が鳩に触ったため、見事失敗したことについては、「校長のひとり言~NO12」で紹介した通りです。
 その後、ひょっとしたら再び鳩が巣作りを始めるかもしれないと考え、ヤマモモの木を剪定せず様子を見ていましたが、一向にその気配がありません。ときどきヤマモモの木を覗き見していましたが、相変わらず、巣は中途半端の状態です。完成していないので、まるで枯れ木が積み重なったような形になっており、あきらめて、そろそろヤマモモの木の枝を切り落とそうと思っていた、平成13年の3月末のことでした。
 私が自宅に帰ると、妻が「今日、あの鳩が来て、また巣作りを始めたよ。」とうれしそうに教えてくれました。さっそく、窓越しに庭を見ると、1羽の鳩が芝生の上を歩いている姿が目に入りました。鳩を驚かしてはいけないと思い、カーテンの間からそっと鳩の様子を観察することにしました。鳩はあたりをキョロキョロしながら、素早く木切れを口にくわえると、ヤマモモの木に潜りこむようにして入り、しばらくすると、再び庭に降りてきて木切れを探しており、見つけるとまた木の中に入るといった行動を数回繰り返していました。
 その鳩を間近かに観察していますと、普段、自動車学校や駅構内等で見かけている鳩と、どうも姿・形が違うようです。再度の巣作りに挑戦している鳩は、やや小形で、しかも普通見かける鳩は、足が赤色をしているのに、その鳩の足は、どちらかといえば黒っぽい色をしていました。
 さっそく、自動車学校の物知り屋である江口博康さんに聞いてみたところ、なんとその鳩は、「雉鳩」という種類の鳩でした。そう言われて見れば、鳩の羽の色は、メス雉とそっくりの色をしていました。
 私は、雉鳩がせっせと再度の巣作りを始めたので、そのお手伝いをと考え、庭の枯れ枝を約10センチ位に折り、それを約10本位ヤマモモの木の下に並べて置いて見ました。すると、雉鳩は、私の折角の善意を全く無視し、1本の枝も口にくわえようとせず、どこから見つけてきたのか、他の木切れをくわえて巣作りを続行し、やがて数日後に、鳥の巣らしきものが出来上がりました。鳥の巣といったら、スズメの巣のように球を半分に割った形をし、底から巣の中の様子は見えないものといったイメージを描いていたのに、雉鳩の巣は、枯れ枝を積み重ねただけで、下から巣の中が丸見えなのです。まあ、カラスの巣よりましかなと一人で納得した有様でした。
 4月初め頃になると、その巣に雉鳩が常駐するようになり、しばらくすると卵を産んだ様子でした。朝夕数回、雉鳩の様子を見ていますと、1メートルの距離まで近づいても雉鳩は飛び立とうとはしません。ジッと巣をのぞいている私の方を見ているだけですので、はたしてどんな風に見えているのかと思い、私の方があきらめて巣から離れている状態です。今はただ、雉鳩の雛が無事に誕生してくれることを心待ちにしているところです。