校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2002年12月 アーカイブ

2002年12月09日

恥じらい

 数年前までは、「女性の化粧は、他人の前では行わないもの」という相場がありましたが、最近、バスや電車の中等で、他人が見ていようがいまいが、一向お構いなしに化粧に熱中している若い女性の姿を見かけることがたびたびあります。きっと朝寝坊して化粧の時間がなかったものと思われます。
 その様子を観察していますと、パフで顔をたたいたり、口を横に開いて口紅をひいたり、そしてつけまつ毛を1本、1本、丁寧に伸ばし、最後は手鏡に科を作って終わりのようです。
 また、電車の中では、女子高校生が携帯電話でおしゃべりする姿もたびたび見られます。それも小さな声で遠慮がちにしゃべればいいものを、甲高い声で、しかも「それがよ。」等と、まるで男の子がしゃべるような言葉で話しますので、乗り合わせた客は、聞きたくなくても耳に入り、大変迷惑を被ります。
 さらに、駅の構内では、客が通る通路にスカート姿の女子高生が数人ペタンと座り、アイスクリームをなめたり、携帯電話のメール送信に夢中になっている姿を見かけることもあります。
 最近こんな光景が急に増えましたが、若者はいつから恥を知らなくなったのでしょうか。かって日本人は、「礼節を重んじる民族」と言われ、「恥じらい」は日本女性のの文化であったはずなのに、どうしたのでしょうか。
 このように周囲の状況に全く関心を払わず、自分が周囲からどんな目で見られているかなど考えも及ばない、恥を知らない感覚の持主というのは、一種の脳障害者だそうです。脳科学者の説明によりますと、恥を感知せず、周りが一向に気にならないのは、「一種の脳機能障害」という判定を出しています。
 これは自我や社会的知性等高度な精神活動をつかさどる脳の「前頭連合野(ぜんとうれんごうや)」がダメージを受けている場合が多いそうです。脳の「前頭連合野」は、「連合領」ともいい、動物の中でも人間が最も発達していますが、記憶・判断・意思等の高度な精神活動を営むとされ、25歳頃までは成長するそうです。
 ところが、脳の「前頭連合野」が幼児期の特徴を保ったまま成長すると、脳が慢性的な発達障害を起こし、恥ずかしさを知らない人間になるのだそうです。脳の「前頭連合野」が25歳頃まで成長するのであれば、このような恥ずかしさを知らない人に対しては、教育や躾を行って必要最低限度の「恥じらい」をマスターさせなければ、日本の文化は危うくなるものと心配をしています。
 自動車学校に入校してくる教習生にも、ときどき「恥じらいを忘れた」行為をする若者の姿を見かけることがありますが、そのつど指導を行いましょう。
 もう一度、他人に迷惑をかけることを「恥」とした日本の伝統文化への回帰を真剣に考えてみたいものです。

2002年12月10日

巣立ち

 人間の世界では毎年3月になると、高校や大学等を卒業して、それぞれ社会人や大学生として巣立って行きますが、この時期は人間ばかりでなく鳥達にとっても巣立ちの季節です。
 私方の庭のヤマモモの木に、雉鳩が再度巣作りを始めたことについては、NO49で紹介しておりましたが、4月始め頃、どうやらその巣に卵を産んだようでした。というのは、再度巣作りを始めたころは、私や妻が庭に降りると、巣からあわただしく飛び立っていましたが、ある日、雉鳩が巣に入ったころを見計らってそっと巣に近づいたところ、雉鳩は巣から出ようとする気配を全くしなくなったからです。
 その翌日から私の巣の観察が始まりました。先ず、毎朝、散歩に出かける前にヤマモモの木に近づき、巣を観察するのです。巣を見上げると、必ず雉鳩が巣にしゃがみこんでいる姿が見えますので、驚かせないようにして、「おはよう」と声をかけてやりますと、雉鳩は目をクルクルさせながら、ジッと私の方を見つめているようでしたが、私が危害を加えないことがわかったのか、飛び立つ気配はしません。約1時間の散歩から帰ってみて、再び巣をのぞいてみると、依然として雉鳩はしゃがみこんだままです。
 この後、朝食を済ませ、出勤する前にもう一度巣をのぞいてみると、雉鳩の姿が見えますので、「今から出勤します。」と声をかけ、さらに、自動車学校から帰ったときにも巣を確認する等徹底した観察を続けました。
 観察していたのは私ばかりではありません。妻も観察していたのです。洗濯物を干す時は必ず巣を観察していたそうです。妻の話によると、庭先で、「ク、ク」と雉鳩の鳴き声がするので、部屋の中から庭先を見たところ、一羽の雉鳩がおり、巣の方に向かって「ク、ク」と鳴くと巣の方から雉鳩が飛び出し、入れ替わりに庭先にいた雉鳩が巣の中に入っていったということでした。どうやらこの二羽の雉鳩は夫婦らしく、卵抱きの交代シーンだったようです。
 私達の徹底した観察にかかわらず、巣の中の雉鳩達は一向に嫌な顔をせず、逆に巣の中から私達の家族を見守っている様子でした。
 このような観察が続いた3週間後の4月20日、雉鳩の卵が孵化し、二羽の可愛い雛が誕生した様子でした。さあ、それからの観察が大変です。今度はどんな雛が生まれたのか見たくなり、ある日、雉鳩が餌を求めて飛び立つのを見計らって、ヤマモモの木に登り、巣の中の様子を見たところ、黒っぽいグロテスクな色をした二羽の雛がいました。雛達は私の気配を感じて、親鳩が餌を運んできたと勘違いしたのか、大きな口をパクパクさせながら盛んに餌を求める仕草をするのです。
 こんな熱心な観察も約2週間で終わり、連休最後の5月6日には、二羽とも無事巣立ちをすることが出来ました。私達には何の挨拶もありませんでしたが、巣立った日、隣の家のテレビアンテナと電線に二羽の雉鳩がとまり、私方の家の方をジッと見ていたので、あるいはこれが別れの挨拶だったかも知れません。

2002年12月11日

ことわざの誤解

 言葉づかいには、世間で一般に「正用」と認められているものと、それをはずれた「誤用」というものがあります。「誤用」すると、言葉を知らない、教養が低いと思われて恥をかいたり、伝えたいことが正しく伝わらず、誤解を起こしたりすることがあります。
 何が「正用」で、何が「誤用」かを決める基準は決して固定したものでなく、時代とともに移り変わっていきますが、最近若い人ほど「ことわざ」を間違って覚えている人が多くなっていることが、文化庁の「日本語に関する調査」でわかったと報道されていました。
 調査は、全国の16歳以上の男女約3,000人を対象に、平成13年1月に実施され、約2,200人から回答があったそうです。
 その中で、「情けは人の為ならず」と「一姫二太郎」ということわざが誤解されて覚えられているということでした。
 その一つの「情けは人の為ならず」ということわざですが、広辞苑によりますと、「情けは人の為ならず」とは、「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。」という意味となっています。この意味を正しく理解していたのは、回答全体の約47%で、やはり60歳以上の人の約65パーセントは正解だったそうです。
 ところが若い人になるほど正解率が低くなり、10代から30代までの正解率はなんと32~36%になっています。それではどのように誤解されて覚えられているかといいますと、「他人に情けをかけるのは、その人の為にはならない。」と間違って誤解されており、回答全体の約49パーセントもあったということでした。
 その二つは、「一姫二太郎」ということわざです。「一姫二太郎」というのは、本来子供が生まれる順序の理想をいっているもので、最初に女の子、二番目に男の子が生まれたほうがいいということです。その理由は、女の子は病気をしにくく育てやすいので、母親は先ず女の子を育てて育児に慣れておけば、次に育てにくい男の子が生まれても大丈夫だというのが本来の意味です。
 ところがこの言い慣わしを「女の子一人、男の子二人が子供の男女の組み合わせの理想」と間違って覚えている人が、約34パーセントもあったということでした。
 この「一姫二太郎」については、こんな笑い話もあります。あるサラリーマンの奥さんが、ご主人の上司の子供さんあてにクリスマスプレゼントを送ったそうです。ご主人は常々「部長のところは一姫二太郎だ。」といっていたので、奥さんは、部長の子供は女の子一人、男の子二人の三人だろうと思い、三人分送ったそうです。ところが、ご主人から「部長のところは子供は二人なのに、何故三人分送ったのだ。」と叱られたという話です。
 このように、ことわざが若い人ほど間違えるのが多いのは、日常生活の中でことわざを耳にしたり、使ったりする機会が減り、なじみが薄くなっているのかもしれません。

2002年12月12日

自己チュー人間

 現在の若者が益々自己中心的、つまり「自己チュ-」になっていることは、誰の目にも明らかなことでしょう。そして今や「自己チュー」という言葉は、ごく日常レベルのものになっています。
 ある朝、散歩中にラジオを聞いていますと、こんな「自己チュ-」があることが放送されていました。
 先ずは、「横並びチュ-」です。これは自転車乗りや歩行中の若者が、数台あるいは数人が歩道一杯に広がり、通行している時の様子を表現したものですが、この様子は私が出勤中、良く見かける光景です。朝の出勤中、中学生の自転車乗り、それも女生徒の集団と一緒になったときは大変です。女生徒は2名以上のときは、必ずといっていいほど2台が横に並び、おしゃべりをしながらゆっくりした通行で、しかも自転車道兼歩道が幅2メートル位ですからなかなか追い越すことが出来ません。たまりかねて自転車のベルを鳴らしても気付かないのか、進路を譲ってくれません。また、進路を譲っても「何よ、このオジサン」といった覚めた感じで、私の姿を横目でチラッと見ますので、朝からあまりいい気持ちではありません。
 次の「自己チュ-」は、「見続けチュ-」です。これは鏡に映る自分の顔を見続ける若い女性の様子を表わしたものですが、この光景は駅のトイレでよく見かけます。
 私が時々利用している宮崎駅1階の公衆トイレは、通路を入ると右側が女性、左側が男性のトイレになっていますが、朝は右側の女性トイレが一杯になり、通路まで女性の姿が溢れていることがあります。その原因はどうやら、鏡の前で自分の顔を見続ける女性が鏡を占領し、後から利用する人が手を洗ったり、化粧を直すことが出来ないからです。
 こんな「自己チュ-」もあります。それは「股開きチュ-」です。満員電車でよく見かける光景ですが、若者が股を大きく開いて数人座っている姿です。乗客は座ろうとしても座ることが出来ず、さりとて、若者に「席を詰めてください」と言おうものなら、若者から睨まれますので、仕方なく立ったままの人が案外多いということです。
 私達が子供の時も「自己チュ-」の子供はいました。しかし私の経験からしますと、子供同士遊んでいるうちに、自己チュ-であれば、グループから外され、その仲間の一因にはなれません。従って、子供もやがて皆から遊んでもらえなくなるのを恐れ、多少我慢をしてでも自分の意見を出さず、皆のするとおり行動したものです。これが、いわゆる自己チュ-の是正の始まりだといわれています。
 また、現在、さまざまな企業・銀行の倒産、各官庁の不祥事が話題になりますが、これらは、いずれも「自分さえよければ」といった、まさに自己チュ-が引き起こした問題だといえます。
 このように、私達日本人は、益々モラルを失いつつあり、考えれば考えるほど日本の将来が心配になってきますが、皆さん方はいかがでしょうか。

子育てに完璧なんてないよ

 住友生命が毎月発行している「PHP」という冊子の中に、感動して思わず涙が出た文が掲載されていましたので紹介します。題は「子育てに完璧なんてないよ」という34歳の主婦が書いた作品です。
「私は、6歳の娘と4歳の息子を持つ母親です。ある日、子育ての先輩である私の姉の家に遊びに行ったときのことです。コタツの上に娘の大好きなキャラクターのシールが置いてありました。姉の小学校3年生になる子供のものでした。うちの娘はすかさずシールを手に取ると、しばらく眺めて遊んでいました。私も姉もおしゃべりに夢中で、子供達のことをたいして気にとめていませんでした。
 そこに小学校から帰ってきた姉の子供が、大騒ぎを始めたのです。『シールがない。もっとたくさん入っていたのに』。そのとき私はシールに飽きて別のおもちゃで遊んでいた娘を呼びました。『さっきまで遊んでいたシールが少し足りないんだけれども、知らない?』と私が尋ねると、娘は首を横に振って、自らコタツの中や戸棚の上等を探し始めました。姉は、『あんたがだらしがないから、なくしたんじゃないの?、はじめから少ししか入ってなかったのに、人のせいになんかするんじゃないよ。』と自分の子供に言いました。
 『人のせい』という言葉で、始めてうちの子供が疑われているのだと気付きました。もし本当にシールを取ってしまっていたらどうしょう。・・・という気持ちと母親の私が信じてあげなくて誰が信じるのか。・・・・という気持ちが頭の中で行ったり来たりしていました。半信半疑のまま、娘の様子を見ていると動きが変です。スカートのポケットを時折押さえたり、私と目があうとニコリと笑いかけてくるのです。娘を6年間育てていて、はじめてみる表情に戸惑いました。娘はウソをついている。半信半疑だったものが一気に確信めいたものに変わりました。そのときでした。コタツに深々と潜り、探していた娘が、シールを手にして『あったよ、ほら。この中にあったんだよ。』と大声を張り上げました。一瞬静まり返った空気の中で姉は、『すごいね。よく見つけたね。』と娘をほめたのです。私はどう言葉にしてよいかわからず、姉に目配せして帰りました。
 車の中で、娘は黙ったままです。そんな娘に向かって私が吐き出した言葉は、『ドロボーしたね。』でした。娘は『ウン』と一言だけ言ったきり、家に着くまで下を向いて泣いていました。 家に着いてから姉に電話をかけました。私は後悔で胸が一杯だったのです。娘に投げかけた言葉は、私も娘も一生消えないからです。電話の向こうで、姉は『子育てに完璧なんてないよ。二人きりの時お膝に座らせて、後ろから抱きしめてあげなよ。そして、よく思い切ってポケットの中からシールを出せたねって、ホメてあげなよ。とても勇気がいることをしたねって、手を握ってあげなよ。そうすれば、その手は二度と悪いことをしなくなるから。』と、とても優しい口調で言ってくれたのです。
 私は、そのときまで反抗をせずにおとなしい子が、『良い子』だと決め付けていたのです。でも私が完璧な親でないように、子供に完璧を求めるのは間違いだと気付きました。姉からもらったありがたい言葉を、私は一生大切にしていきたいと思います。」

2002年12月13日

米百俵の精神

 国民の支持率が10パーセント以下になった森内閣に変わり、平成13年4月、小泉内閣が誕生しましたが、小泉首相の歯に着せぬハッキリしたものの言い方が国民の共感をよび、今や空前の「小泉ブーム」となっています。
 小泉純一郎首相は、初めての所信表明演説の中で、「米百俵の精神」の逸話を折り込み、国民一人一人に対し、改革に立ち向かう志と決意を持とうと呼びかけました。
その内容は、
「明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のため米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として生かすため、明日の人作りのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることになったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。」
というものでした。
 この「米百俵の精神」は、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公となった小林虎三郎が説いた言葉ですが、長岡藩が所在していた新潟県は、現在でも幼稚園生から高校生に至るまで郷土の偉人小林虎三郎の「米百俵の精神」が語り継がれているそうです。
 江戸時代、七万四千石の禄高があった越後・長岡藩は、戊辰の戦いに敗れて、わずか二万四千石に減らされ、領民は食うや食わず、士族も1日に3回のおかゆもままならない生活となりました。
 1870年(明治3年)5月、分家の三根山藩から、米百俵が届けられました。このとき藩の誰もが米の配給を待っていましたが、このとき藩の参事だった小林虎三郎は、米を配らず、二百十両で売って学校建設の資金に充てたそうです。藩の中からは、「どうして分けないのか」という反対の声が高まりましたが、小林虎三郎は、「米を食べたら数日でなくなってしまう。食えない今こそ人材を育てたい。」と説き、これが「米百俵の精神」として今に引き継がれることになったものです。
 小泉首相が、初めての所信表明の中で、わざわざ「米百俵の精神」のことを持ち出したのは、持論の構造改革を行おうとした場合、多数の失業者が出る等多少の痛みがあることを強調するためと、財政出動による景気対策を優先した小渕・森内閣からの変革を鮮明に打ち出すためといわれています。
 小泉首相は、ことあるごとに「恐れず」、「ひるまず」、「とらわれず」等とわかりやすい言葉で、国民との連携による政権運営を目指す小泉内閣の姿勢を述べ、これが小泉内閣支持80%につながっているようです。
 改革にはいつの場合でも多くの障害と抵抗が待ち受けております。小林虎三郎は多くの反対がある中で改革を実行したということですが、小泉内閣にも強靭な指導力を発揮し、「新世紀維新」の峠越えをしてもらいたいものだと期待しているところです。

密室の中でのマナー

 自動車学校において行われる教習車を使っての教習は、無線教習を除いて指導員と教習生が同じ車に乗り、つまり車という密室の中で行われています。
 そんな教習車の走る姿を見ながら、もし私が教習生であったとしたら、教習車の中では、指導員に是非次のようなマナーを守って欲しいと考えたことがあります。
 その一つは、タバコの臭いです。
このことについては、校長のひとり言NO37で書いたことがありますが、タバコを吸わない者にとって、あのムッとするようなタバコの臭いは嫌なものです。ましてや窓を締め切った教習車の中でタバコの臭いがしたら、教習生は教習どころか苦痛の50分を過ごすことになるわけですから、くれぐれも教習車の中では、絶対にタバコを吸わないようにしてください。
 また、教習車は、教習が終わったら教習生の送迎用に使っていますが、たとえ窓を開けていたとしても、タバコの臭いは車内に残っています。今や電車、飛行機、バス等の公共交通機関の全てが、「喫煙禁止」となっています。タバコを吸う人には酷ですが、ご協力をお願いします。
また、インターバル等の時間にタバコを吸った場合は、必ず消臭剤を使っていただくようにしていますが、忘れないようにしてください。
 二つ目は、口臭です。
歯が黄色く、見るからに口臭がありそうな人もいますが、ほとんどの人は、自分の口臭がどんなものか気付かないと思います。虫歯の人は口臭が強くなると言われていますので、毎食後歯磨きをするほか、もし虫歯になったとしたら、早めに治療して口臭が出ないように配慮してください。
 三つ目は、食べ物の臭いです。
その中で、特にニンニクやニラの臭いは強烈です。ニンニクを食べた人は、自分でその臭いには気付きませんが、食べていない人にとって、あのカーバイトにも似たニンニクの臭いは、それこそ百年の恋も覚める位嫌なものです。密室の中でその臭いがしたら、いくら親切な指導でも興ざめするはずです。ニンニクは嗜好品だから、食べる食べないはその人の勝手だと考えている人もいるかもしれません。
 しかし、教習生は自動車学校にとってはお客さんに当たるわけですから、そのお客さんに不愉快な思いをさせることは、プロである指導員としては失格だと考えています。決して嗜好品まで制限しているわけではありませんが、ニンニクやニラ等臭いが残る食べ物は、休日の前に食べていただくようにお願いします。
 四つ目は、体臭です。
特に腋臭や水虫等の臭いは強烈です。東京の有名ホテルでは、「腋臭等体臭がないこと」が採用条件の中に入っており、もし採用になってから腋臭等体臭があることがわかった場合は、ホテルが全額を出して手術を行わせる等、体臭には気を使っているそうです。接客業としては、当然といえば当然ですが、一流のホテルほどプロ意識に徹しているわけです。
 その他、ポマード等の整髪品や化粧品も嫌な臭いがする場合がありますので、使用する時は、「もし自分が教習生だったらどんな思いがするか」ということを考えていただくようお願いいたします。

2002年12月16日

指差点呼

 福井県の電鉄では、1年間に2回、それもいずれも信号を無視したためによる電車の正面衝突事故が発生し、多くのけが人が出ましたが、単線では信号を見落とすことは絶対にあってはならないことで、その責任は厳しく追及されることと思います。
 私が通勤の際、利用しているのは、宮崎駅から西鹿児島駅方面に向かう電車で、日豊本線といいますが、単線なので、途中小さな駅や信号所で交差のためお互い停まり、相手の電車を待っていることがあります。
 その際、電車の運転士の動きを見ていますと、出発する時は右手の指で信号機を指差し、そして「信号青、ヨーシ」と声を出し、さらに計器を指差し、「出発ヨーシ」」と声を出してから静かにそれこそ滑るように電車は出発していきます。
 この動作と呼称はどの運転士も同じで、さすがは元国鉄、今はJRの電車の運転士だなと感心したところです。おそらく福井県の電鉄の運転士は、この基本中の「基」を怠ったために、信号を確認しないまま電車を走らせ、対向の電車と正面衝突したものと思います。
 私達の身の回りでも、この指差点呼を怠ったために大きな失敗をすることがあります。
先日、私は近くのガソリンスタンドに燃料入れに行きました。朝早かったために、スタンドの店員は一人でしたが、お客さんは結構多く、てんてこ舞いの状態でした。待つこと約10分くらいしてようやく私の順番になり、男の店員が燃料を入れてくれました。
 ところが、代金支払いで店員が、「代金は3,800円です。」と言いますので、財布から1万円札を取り出して渡したところ、店員はお釣りとして1,200円しか私に返してくれなかったのです。私は一瞬「おかしいな。確か1万円札を渡したはずだが。」と思い、財布を確認したところ、やはり1万円札を店員に渡していることがわかりました。
 そこで、店員に「さっき、1万円札を渡したはずですが。」と問いただしますと、「ああ、そうでしたね。私の間違いでした。すみません。」といって5、000円札を返してくれました。
その際、店員が私が1万円札を出した時、どこの店員でも「1万円をお預かりします。」と言うのに、その店員が言わなかったので、もしかしたら燃料入れのコックは閉めてくれたのかなと不安になってきたのです。
 それは数年前のことですが、私の次男が県北のガソリンスタンドで給油したところ、店員が燃料入れのコックを閉め忘れ、大きな迷惑を被ったことがあったのです。
 そこで、車から降りて、、車の燃料コックを見たところ、案の定コックは燃料タンクの上に乗ったままになっていました。もし、あのままコックを確認しないまま出発しておれば、あるいは事故になっていたかもしれません。
 もちろん、そのとき店員にはきつく注意しましたが、つくづく指差点呼の大切さを痛感するとともに、私達の身の回りでも安全確認を怠ったため、事故につながることがよくありますので、心を引き締めたところでした。

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