現在の若者が益々自己中心的、つまり「自己チュ-」になっていることは、誰の目にも明らかなことでしょう。そして今や「自己チュー」という言葉は、ごく日常レベルのものになっています。
ある朝、散歩中にラジオを聞いていますと、こんな「自己チュ-」があることが放送されていました。
先ずは、「横並びチュ-」です。これは自転車乗りや歩行中の若者が、数台あるいは数人が歩道一杯に広がり、通行している時の様子を表現したものですが、この様子は私が出勤中、良く見かける光景です。朝の出勤中、中学生の自転車乗り、それも女生徒の集団と一緒になったときは大変です。女生徒は2名以上のときは、必ずといっていいほど2台が横に並び、おしゃべりをしながらゆっくりした通行で、しかも自転車道兼歩道が幅2メートル位ですからなかなか追い越すことが出来ません。たまりかねて自転車のベルを鳴らしても気付かないのか、進路を譲ってくれません。また、進路を譲っても「何よ、このオジサン」といった覚めた感じで、私の姿を横目でチラッと見ますので、朝からあまりいい気持ちではありません。
次の「自己チュ-」は、「見続けチュ-」です。これは鏡に映る自分の顔を見続ける若い女性の様子を表わしたものですが、この光景は駅のトイレでよく見かけます。
私が時々利用している宮崎駅1階の公衆トイレは、通路を入ると右側が女性、左側が男性のトイレになっていますが、朝は右側の女性トイレが一杯になり、通路まで女性の姿が溢れていることがあります。その原因はどうやら、鏡の前で自分の顔を見続ける女性が鏡を占領し、後から利用する人が手を洗ったり、化粧を直すことが出来ないからです。
こんな「自己チュ-」もあります。それは「股開きチュ-」です。満員電車でよく見かける光景ですが、若者が股を大きく開いて数人座っている姿です。乗客は座ろうとしても座ることが出来ず、さりとて、若者に「席を詰めてください」と言おうものなら、若者から睨まれますので、仕方なく立ったままの人が案外多いということです。
私達が子供の時も「自己チュ-」の子供はいました。しかし私の経験からしますと、子供同士遊んでいるうちに、自己チュ-であれば、グループから外され、その仲間の一因にはなれません。従って、子供もやがて皆から遊んでもらえなくなるのを恐れ、多少我慢をしてでも自分の意見を出さず、皆のするとおり行動したものです。これが、いわゆる自己チュ-の是正の始まりだといわれています。
また、現在、さまざまな企業・銀行の倒産、各官庁の不祥事が話題になりますが、これらは、いずれも「自分さえよければ」といった、まさに自己チュ-が引き起こした問題だといえます。
このように、私達日本人は、益々モラルを失いつつあり、考えれば考えるほど日本の将来が心配になってきますが、皆さん方はいかがでしょうか。
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