国民の支持率が10パーセント以下になった森内閣に変わり、平成13年4月、小泉内閣が誕生しましたが、小泉首相の歯に着せぬハッキリしたものの言い方が国民の共感をよび、今や空前の「小泉ブーム」となっています。
小泉純一郎首相は、初めての所信表明演説の中で、「米百俵の精神」の逸話を折り込み、国民一人一人に対し、改革に立ち向かう志と決意を持とうと呼びかけました。
その内容は、
「明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のため米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として生かすため、明日の人作りのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることになったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。」
というものでした。
この「米百俵の精神」は、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公となった小林虎三郎が説いた言葉ですが、長岡藩が所在していた新潟県は、現在でも幼稚園生から高校生に至るまで郷土の偉人小林虎三郎の「米百俵の精神」が語り継がれているそうです。
江戸時代、七万四千石の禄高があった越後・長岡藩は、戊辰の戦いに敗れて、わずか二万四千石に減らされ、領民は食うや食わず、士族も1日に3回のおかゆもままならない生活となりました。
1870年(明治3年)5月、分家の三根山藩から、米百俵が届けられました。このとき藩の誰もが米の配給を待っていましたが、このとき藩の参事だった小林虎三郎は、米を配らず、二百十両で売って学校建設の資金に充てたそうです。藩の中からは、「どうして分けないのか」という反対の声が高まりましたが、小林虎三郎は、「米を食べたら数日でなくなってしまう。食えない今こそ人材を育てたい。」と説き、これが「米百俵の精神」として今に引き継がれることになったものです。
小泉首相が、初めての所信表明の中で、わざわざ「米百俵の精神」のことを持ち出したのは、持論の構造改革を行おうとした場合、多数の失業者が出る等多少の痛みがあることを強調するためと、財政出動による景気対策を優先した小渕・森内閣からの変革を鮮明に打ち出すためといわれています。
小泉首相は、ことあるごとに「恐れず」、「ひるまず」、「とらわれず」等とわかりやすい言葉で、国民との連携による政権運営を目指す小泉内閣の姿勢を述べ、これが小泉内閣支持80%につながっているようです。
改革にはいつの場合でも多くの障害と抵抗が待ち受けております。小林虎三郎は多くの反対がある中で改革を実行したということですが、小泉内閣にも強靭な指導力を発揮し、「新世紀維新」の峠越えをしてもらいたいものだと期待しているところです。
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