校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年01月 アーカイブ

2003年01月08日

あごヒゲの男

 電車で通勤していますと、車内や駅構内等でいろんな光景を目撃します。そんな中で紹介するのは、山之口駅で見かける「あごヒゲの男」です。
 私が電車で降りる駅は、都城自動車学校に最も近い山之口駅ですが、、山之口駅では、宮崎駅方面から西鹿児島駅方面に向かう下りの電車と逆に西鹿児島駅方面から宮崎駅方面に向かう上りの電車が、駅構内で交差するようになっています。その際、30秒位、下りの電車の方が先に山之口駅に到着するようにダイヤがなっています。
 したがって、私が電車から下りて階段を約50段上がったところで、「カン、カン」という上りの電車が、ホームに近づいたことを知らせる警告音が聞こえて来るのです。階段の上から都城方面を見ると、3両編成の電車が近づいてくるのが目に入ってきます。そこで、私がいつもする行動は、階段の上で立ち止まり、山之口駅舎周辺を見渡すことなのです。そうです。あの「あごヒゲの男」の姿を探しているのです。
 「あごヒゲの男」の存在に気付いたのは、ダイヤが改正された平成13年3月頃です。私が山之口駅で電車を降り、階段を上がって駅の出口に向かっていると、必ず一人の男がカバンを両手に持ち、息せきながら階段を上ってくるのです。歳は髪の毛に白いものが見えますから40歳代と思われます。ネクタイをしている姿を見たことがなく、いつも柄物のシャツを着ていますので、どんな仕事をしているか判断がつきません。その男の人は、あごに白髪の混じったヒゲを蓄えていますので、私は、その男の人を「あごヒゲの男」と呼んでいるのです。
 その「あごヒゲの男」は、電車が山之口駅に到着した時、ホームで上りの電車を待っていたことは一度もなく、いつも、「カン、カン」という電車が近づいたことを知らせる警告音が鳴ってから駅構内にそれこそ飛び込んできます。
 ある日、いつものようにホームから階段を上がり、階段の上まで来た時、警告音が鳴り始めましたので、駅の周辺を見渡したところ、あの「あごヒゲの男」の姿がありません。今日は休みかなと他人事ながら心配をしていたところ、駅前にある郵便局の陰から、あの「あごヒゲの男」の走る姿が目に入ってきたのです。それこそ100メートル競争みたいで、両手にはいつものようにカバンを持っていました。電車の停車時間は約30秒位なので、「今日はは乗り遅れたかな。」と心配になり、ホームに停まっている上りの電車の方を見たところ、駅員がホームに降り、なんと駅の改札口の方を見ているではありませんか。出発時間は既に過ぎていましたが、こうしたお得意さんを待っていることもあるのです。
 その光景を見てニヤニヤしながら改札口を出ますと、迎えにきてくれた職員も笑っており、「おはようございます。」の次に出てくる言葉は、「今日はゆっくりでしたよ。」とか、「今日は危なかったですね。100メートル競争でしたよ。」等「あごヒゲの男」に関する話題が最初になります。汗びっしょりになって階段を駆け上がる姿を見ながら、後5分早く家を出ればと思いながら、そうなったらこんな光景は見られなくなり残念ですので、今は複雑な心境になっているところです。

2003年01月09日

盲導犬

 ある朝、出勤のため宮崎駅から都城方面の下りの電車に乗ろうと改札口に近づいたところ、反対側の改札口に犬が一匹おり、それも人間が洋服を着るみたいに服が着せてあり、一瞬「あれっ、なんだろう。」と思いました。しかしながらよく見ると、服の上には金具がついていて、その金具を持っている人は黒いサングラスをしていたので、その犬が盲導犬であり、サングラスをかけた若い女性が目の不自由な方であることがすぐわかりました。
 私は、盲導犬の活躍ぶりはテレビや雑誌で見たことはありましたが、実物を見るのは初めてであり、電車の出発時間まで余裕がありましたので、しばらくその盲導犬の様子を見ることにしました。
 盲導犬を連れた若い女性には、母親らしき女性が付き添っていましたが、若い女性と盲導犬だけが改札口に入り、母親らしい女性は改札口の外で「言ってらっしゃい。」と声をかけていましたので、見送りに来ていることがわかりました。若い女性と盲導犬は改札口から入ると、階段横のエスカレーターに乗ろうとしましたが、なかなか乗るタイミングが合わず、ちゅうちょしている様子でした。すると、盲導犬の後から改札口に入ったサラリーマンらしき男の人が若い女性の横に近づき、「はい、今右足を踏み出してください。」と声をかけてくれましたので、若い女性と盲導犬は無事エスカレーターに乗ることが出来ました。その様子は、周りを見てみますと、約10人位が見ており、どの顔も、「良かったな。」という感じで、中にはニッコリされている方もあり、母親らしき女性も何度か誘導してくれたサラリーマン風の男の人にお礼を言っている様子でした。
 私は、盲導犬と反対側の改札口から入り、階段を上りながら、ふと盲導犬を連れた女性の目が見えない不自由さを考えました。というのは私もかって目が見えないときがあったからです。
 今から約38年前の私が22歳の時でした。宮崎市内の魚の冷凍工場が火災になり、アンモニアガスが爆発し、二人の作業員が取り残され、私達がその人たちの救出に向かったのです。今でこそ酸素マスク等の器具がありますが、その頃はそんな器具もなく、私はタオルで顔を覆って火災現場に飛び込み二人を救出しましたが、残念ながら二人とも数時間後に亡くなってしまいました。その際、私もアンモニアガスで目の角膜をやられ、視力ゼロになってしまったのです。幸い先生方の献身的な治療のお陰で、約40日後には視力は元通り回復しましたが、その間は全く何も見えず、トイレに行くとき等はあちこちぶっつかる始末でした。
 そんな体験をしていますので、視力障害者の方を見ると、目の不自由さと不便さは他の誰よりもわかります。視力障害者と盲導犬のことが気になっていましたので、階段を上がるとすぐ反対側のホームを見たところ、ちょうど目の不自由な若い女性がベンチに座るところでした。すると、盲導犬もその足元にピタッと座り、他の犬と違ってその後は微動だにしないのです。
 やがて電車が来ましたので、その後の様子はわかりませんでしたが、盲導犬を信頼しきって自分の身を任せている若い女性のホッとした様子が印象的でした。

2003年01月10日

方言

 ある日、我が家で妻と一緒にテレビを見ていたところ、大相撲名古屋場所11日目の「横綱武蔵丸関」と「小結若の里関」の熱戦の模様が放映されていました。「横綱武蔵丸関」は前日の10日目まで全勝、対する「小結若の里関」も若手の新進気鋭で将来を期待されているお相撲さんで、2敗で横綱を追っている状態でした。
 時間いっぱいになって両力士とも激しくぶつかりましたが、「小結若の里関」の方が、差しが早くて素早く両差しとなり、押された「横綱武蔵丸関」だ出ようとしたところ、「小結若の里関」の左からのすくい投げが物の見事に決まり、「横綱武蔵丸関」がもんどりうって土俵にたたきつけられたのです。
 そのとき、私の隣りでテレビを見ていた妻が、すかさず、「あら、なんこかしたが。」と声を出したのです。タイミングといい、表現といい、その場面は、「なんこかした。」という表現がピッタリだったので、思わず妻の方を見てニヤリと笑いました。妻は私が笑ったのを見て、「笑うけど、この表現がピッタリじゃない。」と言いましたが、なるほど、テレビで見た「小結若の里関」の技の切れ味は、まさに「なんこかした。」でした。
 と言いますのは、私と妻は宮崎市の隣町の国富町の出身ですが、私達の町では、このように相手を投げ飛ばすことを「なんこかす」と表現しているからです。つまり、国富町付近で使われている「方言」ですが、この場合、これが、「あら、投げ飛ばしたが。」では、土俵上に相手をたたき付けた感じがしません。
 このように、その土地、土地に伝わる「方言」は、相手の気持ちを和ませたり、親近感を持たせますが、場合によっては、その言葉の意味が相手にわからずに、逆効果になる場合だってあります。
 それは、都城自動車学校の卒業生のアンケートの中に、ときどき、「教官が話す方言の意味がわからず困った。」という意見が見られるからです。
 都城自動車学校では、7月から8月にかけての夏休み期間中や3月から4月にかけての繁忙期になりますと、関西等や遠くは北海道からも合宿生が入校してきます。したがって、この都城地方に伝わる方言、つまり「さつま弁」は、理解するのに苦労するそうで、ある合宿生に尋ねてみたところ、「教官から方言で指導されたが、意味がわからなかった。しかし、教官に悪いと思ってわかったようにして笑ってごまかした。ちゃんと標準語で話して欲しい。」という返事が返ってきました。
 教習生にとって、自動車学校の指導員は、学校の先生より優しいかもしれませんが、やはり、そこは教える者と教えられる者という立場があり、両者の間にはハードルがあると思われます。気の強い教習生でしたら、方言で指導を受けても「意味が良くわからない。」と言えますが、若い女性や気の小さい教習生だったら、聞き直すことが出来ずに一人で悩んでいるかもしれません。
 自動車学校に入校してくる教習生は、私達にとっては大切な「お客さん」です。お客さんを不愉快にさせないためにも、お互い「方言」の使い方には注意しましょう。

2003年01月14日

ヤル気

 毎朝、都城自動車学校に出勤しますと、事務室の皆さんや各指導員から「おはようございます。」と言う元気な声が次々と聞こえてきます。中には座っていてもわざわざ立ち上がって挨拶する姿や立ち止まって頭を下げ、挨拶する態度に接しますと、いやがおうでも「よし、今日も元気にやるぞ。」と言う気になります。
 これがもし、私が「おはようございます。」と声をかけても返事がなく、たとえあったとしても顔を上げずに口先だけの挨拶だったらどうでしょう。朝からあまりいい気持ちではありませんね。その意味でも朝の挨拶や行動は、その人がやる気があるかどうかのバロメーターになるのではないかと考えています。
 私が出勤のため宮崎駅から乗車する電車は、西鹿児島駅発の電車で宮崎駅に到着後、折り返し再び西鹿児島駅方面に向かう電車となっています。ホームで待っていますとやがて上りの3両編成の電車が到着しますが、いつも通勤のサラリーマンや高校生で一杯の状態です。その人達が下りるのを待って、下りの客が乗り込むようになっていますが、私が乗車するのは、上り電車の1番先頭の車両、すなはち下りになれば最後尾の車両に乗るようにしています。何故そうするのかといいますと、山之口駅に到着した時、最後尾車両の停止位置が階段の上り口付近ですので、降車する時一番近いからです。
 さて、電車に乗って車内を見渡しますと、本来ならば全ての客が降りたはずなのに、いつも車両の真ん中付近に男が一人残っています。それも目を覚ましていればいいのですが、いつも座席に座った状態であり、これもいつも決まったように車掌が回ってきてその男を揺り起こすのです。
 やがて、その男は立ち上がり、大きなあくびをしながらノロノロと出口の方に歩いてきます。歳は40歳前半と思われますが、ネクタイは緩み、目はトロンとしており、全くだらしがなくて冴えません。県庁マンのバッジはしていませんから、県庁職員ではなさそうですが、顔色は白い方なので事務職タイプの仕事をしている感じの男です。いつも椅子に寝たままの状態ですから、宮崎駅から近い駅ではなく、例えば、都城駅付近から通勤しているように思えます。
 その男は出口付近に座っている私の前を通って降車するのですが、ある朝、朝からあまりにもヤル気がない顔をしていますので、「しっかりしてくださいよ。」と言う気持ちで、ジッと男の顔を見ていたところ、私の視線に気付いたのか、スゴスゴとした感じで降車していきました。これで翌日からシャンとしているのかと期待していましたが、結果は残念ながら翌日も車掌から起こされる状態で、これが今でも続いています。
 人間ですから、年から年中、張り切っているわけにはいかず、たまには元気のないときもありますが、それは仕方のないことです。しかしながらそれでもヤル気は出せると思います。私達の自動車学校で、もしこのような指導員がいたとしたら、教習を受ける生徒さんこそいい迷惑です。
 朝から嫌なことがあったとしても、さあ、ヤル気を出して明るく生徒さんの接しましょう。

2003年01月15日

オアシス運動

 都城自動車学校では、毎朝、朝礼の始めには、全員で「おはようございます。」と呼称しています。また、教習のはじめに指導員と教習生が相対して挨拶を交わしている姿を見ると、清々しい気持ちになります。
 この「おはようございます。」という挨拶を含め、躾教育に使われている言葉に」オアシス運動」というのがあります。この「オアすす運動」の語源を図書館等に行き調べてみましたが、残念ながら広辞苑や国語辞典にも掲載されていませんでした。
 私の記憶では、約40年前、既に小学校の入り口付近に「オアシス運動指定校」の立て看板が立っていたのを覚えています。そして、その意味は
   オ・・・・おはようございます。
   ア・・・・ありがとうございます。
   シ・・・・失礼します。
   ス・・・・すみません。
だと聞いています。
 さて、このオアシス運動は、主に小学校を中心に躾教育の一環として行われていますが、この教育に非常に熱心なところがあります。それは串間市です。
 私は、平成11年4月から平成12年8月まで串間市に住んでいましたが、とにかく市民がお互いよく挨拶をするところでした。
 宮崎県民は純朴だといわれていますが、宮崎市内や都城自動車学校がある高城町内で、知らない人から挨拶を受けることはまずありません。小学生に「おはようございます。」と声をかけても半分位は「どこのオジサンだろうか。」という感じで、ろくに返事もしてくれません。
 ところが、串間市に住んで間もなくの頃でした。ある朝出勤中、自転車に乗った福島高校生らしき男の子と出会いました。すると、その高校生は私に向かって、頭をピョコンと下げ、「おはようございます。」と挨拶をしたのです。私はその高校生には全く面識がありませんし、私の後ろの人にでも挨拶をしたのかと思い、後ろ振り返りましたが、誰もいません。そこで、私もあわてて、「おはようございます。」と返事をしたのですが、とてもいい気持ちになり、朝からさわやかな気分になったのはもちろんです。挨拶をするのはこの高校生だけかと思っていましたところ、その後。市内で会う高校生のほか中学生も、そして、もちろん小学生も挨拶をしてくれるのです。
 ある会合の際、福島高校の校長先生と会う機会があり、「男の高校生から挨拶を受け感激した。」ことを話しましたところ、校長先生は、「串間市内は、小学校はもちろん、中学校でもオアシス運動が行われており、高校生になってもこの躾は生きています。私もいいことなので、挨拶は必ずするように勧めています。」と説明してくれました。
 私達も、ごく自然に「オアシス」の言葉が出るよう、日頃から積極的に声を掛け合うことを励行しましょう。

2003年01月16日

エアバッグの代用品

 最近の自動車には、エアバッグの装置が施してある車両が多くなっていますが、この装置によって命が助かった事例をたくさん聞いておりますし、また、交通事故現場でエアバッグが作動した状態を見たことが何回もあります。
 私の次男も新車を買ってから1ヶ月もしないうちでしたが、雨が降る夜、会社から自宅に帰る途中、道路の右側から飛び出してきた老女を避けようとして左に急ハンドルを切ったところ、街路樹に車が正面衝突したことがありました。新車は大破しましたが、幸いエアバッグが作動して、かすり傷一つ負いませんでした。もし、エアバッグの装置がなかったら、間違いなく死亡事故になってもおかしくないほどの車の損壊ぶりでした。次男は、「買ったばかりの車なのに・・・・」とぼやいていましたが、命が助かっただけでも良かったじゃないかと慰めたところでした。
 それまでエアバッグの効用については、話に聞いたり、実験結果をビデオ等で見ていましたが、このときほどエアバッグの有難さを痛感したことはありませんでした。
 ほとんどのドライバーは、エアバッグを正しく使用していますが、中にはこんなドライバーもいます。
 ある朝、自転車で出勤途中、信号が「赤」に変わりましたので、自転車を止め、左右に流れる車の動きを眺めていましたところ、右側から進行してくる1台の車に目がとまりました。それは、その車は若い女性の運転する車でしたが、普通のドライバーでしたら視線を正面に向けているのに、その女性は視線をやや下の方に向け、しかもニコニコしながら何かつぶやいているみたいなのです。私は一瞬その女性が何をしているのかわからず、女性が見ている先を何気なく見たところ、ビックリ仰天する光景がそこにありました。
 なんと、若い女性はハンドルと自分の間に赤ちゃんを乗せ、その赤ちゃんをあやしながら運転していたのです。その車は信号待ちしている私の前を右から左に過ぎ去っていきましたが、微笑ましい姿どころではなく、なんと無神経な母親だろうと開いた口が塞がらないほどでした。
 もし、その車が衝突したとしたら、母親は助かるかもしれませんが、赤ちゃんは母親とハンドルの間に挟まれ、母親の犠牲になることは間違いありません。運転している母親は、そんな認識は全くないようで、おそらく赤ちゃんがむずかるのでチャイルドシートに座らせずに、このような格好で乗せたものと思いますが、可愛い我が子をエアバッグの代用品にしている母親の安全意識を疑った場面でした。
 その後、注意をしながら特に若い母親らしき女性が運転している車を見ていますが、1ヶ月の間に2回も同じような場面を見ました。そのほか、スクーターの運転席とハンドルの間に子供を立たせて乗せている母親の姿もありました。もし、転倒したり、衝突したらどうするのでしょうか。考えただけでもゾッとします。決して可愛い我が子をエアバッグの代用品にしないようお願いします。

2003年01月17日

少年ソフトの監督

 私の趣味の一つとして「サイクリング」がありますが、休みの日、気が向いた時にはぶらりとサイクリングに出かけています。
 先日、都城までサイクリングの途中、田野町を通りかかったところ、町営のグランドで少年ソフトの試合が行われているのが目に入りました。自宅を出てから約1時間位走った頃で、休憩しようかなと思っていた時間でしたので、しばらく子供達のソフトの試合を見学することにしました。
 試合は小学校のチームによるソフトで、対戦していたのは、郊外にある小学校のチームと市内にある小学校のチームのようでした。一見したところ、郊外にある小学校のチームの選手達は、全員が真っ黒に日焼けし、選手は5、6年生でチームを構成しているらしく、いかにも強そうな感じを受けました。一方、市内にある小学校のチームの方は、全員が小柄で顔も色白であり、しかも女子選手が2名も入っているチームでした。
 両チームの監督を見比べてみますと、郊外にある小学校のチームの監督は、顔が真っ黒に日焼けしており、ユニフォーム姿も良く似合う専属の監督という印象でした。市内にある小学校のチームの方は、一見サラリーマン風で色も白く、休日なのでピンチヒッターで監督になったような感じの人でした。
 これでは郊外にある小学校のチームの一方的な試合になるなと予想していましたところ、どうしてどうして試合は1点を争う好試合になっていました。
 市内にある小学校のチームの攻撃になり、先頭の女子選手がショートゴロを打ったところがイレギュラーし、ヒットになったのです。すると、すかさず次の選手がバントで2塁に送り、さらに次の選手もバントで3塁に送り、2アウト3塁の状態になったのです。打順は下位になり、チャンスは少なくなりますから、こんな攻撃は高校野球でも滅多に見られない攻め方ですが、市内にある小学校のチームの監督の様子を見ると、迷わずサインを出していましたので、味なことをする監督だなと考えたのです。それは、私がもし監督であれば同じ作戦を取るのだがなと思ったのです。
 というのは、郊外にある小学校のチームの監督は、自分のチームの選手がエラーや凡退をするたびに、「ダメじゃな。」「バカが。」等と、大きな声で罵声をあびせるので、選手はすっかりおびえ切っている様子でしたので、ピッチャーが暴投する可能性があったのです。
 ランナーが3塁になり、監督からの指示も、「相手が下位打線だから、真ん中に投げろ。」というものでした。これではピッチャーもビビルかなと思っていたところ、案の定、ストライクが入らず、スリーボールとなってしまいました。
 するとすかさず、「俺が言うとおりせんかいじゃが。バカが。」と大声をあげたので、ピッチャーは腕が縮こまり、次のボールはとんでもない高い暴投になり、難なく1点が入ってしまい、これが結局、決勝点になってしまったのです。
 子供達は純真なので、監督の言うことは素直に聞きますが、反面怒鳴り過ぎると萎縮してしまい、大事なところで失敗するところを目の前で見て、つくづく少年ソフトの監督の難しさを知ったところでした。

2003年01月20日

出船の形の駐車

 都城自動車学校では、場内コースの数箇所に駐車スペースが設けられ、教習終了後、教習生がその駐車場にバックで駐車する姿を良く見かけます。その姿を見て、バックが苦手な教習生にとっては、生きた勉強になり、駐車スペースの設置が効果的だったなと感心しているところです。
 車のバックについては、どちらかといえば女性ドライバーが苦手にしている操作といわれていますが、これを裏付けるような場面を見かけることがありました。
 それは駐車場における駐車方法です。私は、時々妻といっしょに近くのショッピングセンターに買い物に行くことがあります。ある日、買い物に行った時、妻が買い物をする間、時間がありましたので、車で買い物に来る客がどんな駐車方法をするか調べてみることにしました。
 そのショッピングセンターの駐車場は、約200台位駐車できるスペースがあり、夕方ともなると、ひっきりなしに車が出入りしています。その中で、駐車スペースがあるところに頭から突っ込む車と、尻からつまりバックして駐車する車がありますが、頭から突っ込んで駐車する車のドライバーの約8割は、なんと女性ドライバーでした。
 そして、頭から突っ込んで駐車した車が、バックで出ようとする光景を見ていたところ、後方が良く見えませんので、ゆっくりバックしようとすると、通路を通行中の車からクラクションが鳴らされ、なかなか思うようには出られず、苦労している様子でした。そばで見ていても他人事ながらハラハラする状態でした。一方バックで駐車した車は、左右の安全確認が容易に出来ますからスムーズに駐車場から出られます。
 こんな光景はショッピングセンターだけでなく、図書館、銀行、役所等あらゆる駐車場で見かけることが出来ますし、間近な場所では、都城自動車学校玄関前の来客駐車場でも見られます。
頭から突っ込んで駐車する方法は、出るときには後方確認が出来ませんので、交通事故の原因になりますから、教習中に教えているわけですが、なかなか実行されていません。
 交通事故の原因を調べて見ますと、多いのは、「安全不確認」と「脇見」ですが、この二つで、物損事故を含めた全事故の約7割を占めているといわれています。そして、バックで後退中に事故を起こした場合の原因は、「安全不確認」の中に含まれているのです。
 バックで後退中の事故は、死亡事故等大きな事故につながる場合が少なく、ドライバー自身特に気を配っていないようですが、ワンボックスカーのように最近の車両は大きくなり、それだけ死角が多くなっています。このような車両は、道路の半分近くまでバックしないといけませんので、その間、もし、歩道を高齢者の方が差し掛かったらと思うと、ゾッとすることがあります。
 事故防止のため、出船の形の駐車をしましょう。

2003年01月21日

黒いフイルム

 自転車に乗っていると、車の様々な動きが良くわかりますが、最近不安なのは運転席の窓に黒い着色フイルムを張り、車内が見えないようにしてある車が多くなったことです。
 運転席の顔が見えないと、運転者が自分の方を見ているかどうかわからず、自転車乗りとしては、進んでいいものかどうか判断に苦しむ時があります。このような車は自転車乗りも、また歩行者にとっても不気味なものです。
 着色フイルムを張り、車内を見えなくすることは、道路運送車両法で禁止されているのに、こうもはびこっているのは何故でしょうか。真っ黒の窓は、人が覆面をして歩いているようなものです。そこには、他人が迷惑するということは全く考えない、いわば自己中心的な感じがします。
 これは笑い話ですが、交差点で真っ黒な車同士がお互いに道を譲らず、クラクションを鳴らしていたそうです。ところが、窓を開けたら知り合い同士でお互い気まずそうだったということです。ハンドルを握ると性格が変わるといわれていますが、窓を黒くすると凶暴になる人もいるようです。
 私の経験ですが、こんなことがありました。ある朝、出勤する途中、道路左側の自転車道を進行し、信号機にある交差点に差し掛かったところ、信号が「青」でしたのでそのまま交差点に入りました。
 交差点に入るとすぐ右側の方を見ると、対向車線から進行してきた黒っぽい車が右折し、私の右前方約5メートル位のところに近づいてきていることがわかったのです。
 私の自転車は「青」信号に従って進行しているわけですから、当然その車が自転車道の前で停止し、私の自転車を先に通してくれるものとばかり考えました。
 ところが、その車を見るとフロントガラスはもちろん、助手席側の窓にも黒いフィルムが張られ、全く運転者の顔と表情はわからないのです。車のスピードは余りありませんが、止まる様子はありません。私は不安になり、その車をやり過ごそうと考え、交差点を3分の1まで進んだところで、自転車を止めたのです。
 すると、窓が真っ黒な車は自転車道の前で止まりましたが、今度は果してその前を横切っていいものかどうか迷ってしまいました。それは運転者の顔が全く見えないからです。そこで、前を横切るのをあきらめ、そのままの状態で止まり、窓が真っ黒な車の方をジッと凝視していたのです。私が不満そうに車の方を見ていたのが相手の車のドライバーにわかったのか、やがて助手席側の窓が開き、運転者の顔が見えました。運転者は、若い茶髪の青年でしたが、私の方を見て、手で先に渡れと合図をしてくれましたので、片手を挙げて会釈をし、無事渡ることが出来たのです。
 このように黒い窓の車が増えたということは、ある意味では社会を拒絶している人が増えているといっても過言ではないでしょう。これは決してよい兆候とは言えない状態なので、一寸心配しているところです。

2003年01月22日

看板

 自動車学校の職員室にいると、外部からいろんな電話がかかってきます。そのほとんどは学校入校に関するものですが、中には自動車学校の車の運転方法等について、注意というかお叱りを受けることがあります。
 どんなお叱りかと言いますと、例えば次のようなものです。「今日午後7時ごろ、都城市上水流町の○○商店付近で、私の車の前を走っていた都城自動車学校の教習車が制限速度が50キロなのに10キロくらいオーバーしていた。制限速度を守らないでいいのか。どんな教習をしているのか。教習車のナンバーは『○○ー○○』だ。」とか、あるいは「今日午前11時ごろ、山田町の県道で都城自動車学校のマイクロバスが前を行く車を追い越していったが、車線を変更する時、方向指示器をつけなかった。こんな運転でいいのか。」といった内容のものです。
 そのつど、電話の応対をする元吉副校長等が平謝りをしていますが、私もこれまで何回かそのような電話を受けたことがあります。電話の相手方には、車に都城自動車学校の文字があったことやナンバーを言われ、そのナンバーの車がその時間帯に指摘された場所付近を通行していますから、確かにお叱りを受けるような運転をしていたものと思います。
 それにしても、一般のドライバーの方は、自動車学校の車の運転方法についてよく観察しておられます。まるで、自動車学校の車は、パトロールカー等警察車両と同一に見られていますが、反面よくよく考えてみると、わざわざ自動車学校まで電話し、自動車学校の車の運転方法について注意されるということは、それだけ自動車学校の車は、模範運転をしてもらいたという期待感、あるいは、当然模範運転をすべきだという使命感の現われではないかと思います。こんな電話をされる方の中には、「私も都城自動車学校の卒業生です。その自動車学校の車が、模範運転をしていないと恥ずかしい。模範運転をするよう伝えてください。」とはっきり自分の住所と名前を名乗られる人もいます。
 誠に有難いというかお叱りですが、ここで私達都城自動車学校の職員が考えなければならないことは、私達は「交通事故を起こさない。安全で確実な初心ドライバーを育てる」ことを使命感にしているということです。これは当たり前だという人がいるかもしれませんが、人間はともすると経験を積み重ねると、ついマンネリ化してしまい、原点を忘れてしまいがちです。
 このように、自動車学校の車の運転方法について電話をいただくことは、それだけ一般のドライバーの方が、自動車学校の職員の運転方法に注目しているということではないかと思います。
 私達は公私を問わず、いつも「都城自動車学校」という看板を背負って生活をしているのだという自覚を忘れないようにしなければいけないと考えています。自分一人だけならいいだろうという考えの方がいると、組織全体が崩れます。この機会に全職員が心を一つにして模範運転に努めるようにしましょう。

2003年01月23日

脇見

 平成12年中の宮崎県内における初心運転者の交通事故発生状況を見てみますと、全部で535件発生していますが、事故の原因別で一番多いのが「脇見」で218件となっており、なんと約4割を占めています。そして、次は「安全不確認」、「ハンドル・ブレーキ操作不適」、「一時停止」等が主な原因となっているようです。
 それでは、「脇見」にも色々とありますが、何が原因で脇見したのでしょうか。それを分析したものがあります。
 その分析結果によりますと、「脇見」の原因には、「車内」と「車外」があるようです。まず、「車内」の原因としては
  ○ 助手席の人との会話
  ○ ラジオのチャンネル合わせ、カセットテープの操作
  ○ 携帯電話の取り出し、及び使用
  ○ 運転席及び助手席のマットに物が落ち、それを拾おうとして
等があります。
 また、「車外」の原因としては
  ○ 看板等道路外の物に対する見とれ
  ○ 異性特に男性の女性に対する見とれ
等があるようです。
 さて、「脇見」について、私には苦い思い出がありますので紹介します。もう20年前のことですが、私が宮崎市内の繁華街である橘通りの歩道を歩いていましたところ、車道の方から「プップー」というクラクションの音が聞こえてきました。私は最初の時は気にもかけませんでしたが、また、「プップー」というクラクションが聞こえてきましたので、その音の方を見たところ、道路中央部の第二車線を白っぽい車が通行しており、その運転者が私の方を見ながら手を振って会釈をしているところでした。「誰かな」と思い、良く見ると、中学校の時の同級生でした。私もその同級生と合うのは何年か振りでしたので、片手を挙げ、軽く会釈をしたのです。
 ところが、その同級生は、なおも私の方を見ながら運転しており、何気なくその車の前の方を見たところ、数メートル先に車が止まっているではありませんか。前方の交差点の信号が変わり、前を走っていた車が次々に停車していたのです。その光景を見て、私は危ないと思い、同級生の車に向かって、「前に車があるぞ。」と叫びながら、手で合図しました。すると同級生は、私のあわてた様子がわかったのか、顔を前の方に向けましたが、そのときには間に合わず、「ガチャン」という音とともに停止していた前の車に衝突してしまいました。
 私も同級生に合図した手前、脇見の責任の一端がありますので、そのまま立ち去るわけにはいかず、実況見分が終わるまでその場でしばらく同級生を待ったのはもちろんです。中学校の同窓会があるたび、その話が出ますが、今では昔々の思い出話になっています。

2003年01月28日

少子化

 私の母校は、国富町立本庄小学校ですが、先日小学校に今年の入学者数を問い合わせてみましたところ、ピッカピカの1年生が90名だったということでした。そして、1年生のクラスは3クラスしかないそうです。
 私が小学校に通ったのは、終戦直後の昭和22年から昭和27年までで、「産めよ増やせよ。」の特殊な時代に生まれた子供達でしたから、クラスも「松」「竹」「梅」「桃」「桜」の5組(250名)があり、それこそ教室内はすし詰めの状態でした。それが、今や日本中どこへ行ってもこの有様で、いずこも同じ少子高齢化の状態となっています。
 先日もテレビを見ていましたところ、明治7年に開校した福岡県甘木市の山間部にある小学校が、127年の歴史を閉じて閉校する様子が放映されていました。この学校の卒業生が、涙を流して残念がっていましたが、過疎化と少子化はどうしようもないようです。
 この少子化の原因はハッキリしています。若い人達が「結婚しない。」「子供を産まない。」からです。
 女性が一生の間に産む子供の数は、昭和22年から24年までは4人以上でしたが、これをピークに減り始め、昭和32年には2,04人に、そして現在は1,34人になっているそうです。このまま推移しますと、6年後から人口減少が始まり50年後には約1億人、数百年後には日本人はゼロとなる勘定になるということです。
 先日、あるスイミングクラブの経営者から聞いた話ですが、既にスイミングクラブでは、数年前から少子化の影響が出ており、クラブ入所者数が年々減少しているそうで、入所者層の狙いを児童から高齢者に的を変えているということでした。
 この少子化の影響は、スイミングクラブだけでなく、塾経営にも及んでいますが、数年後には間違いなく自動車学校の入校者にも影響が出てきます。
 統計によりますと、宮崎県内の自動車学校入所者数は2万人台を確保していましたが、平成3年をピークに減り始め、今では2万人を切っている状態です。都城地域に18歳になる年齢状況を調べてみましても、少子化の影響が出ており、18年後には約3割が減少するというデータになっています。
 都城自動車学校が開校したのは、今から27年前の昭和49年5月ですが、その当時この都城地区には、現在と同じく3校の自動車学校がありましたが、折からの「カーブーム」と「日本列島改造ブーム」の影響で、免許取得希望者が多く、どの自動車学校もすぐには入校できず、順番待ちの状態だったということですが、今やこの話は「神話」となりつつあります。
 私達は、いつまでもこのような夢を見ているわけにもいきません。間違いなく「少子化」の時代はやって来るわけですから、そのときになってあわてて対策を講じても手遅れです。このような時代に乗り遅れないよう、今こそ職員一人一人がこの問題に真剣に取り組み、営業活動はもちろんのことですが、「運転免許を取るなら都城自動車学校へ」といわれる位、信頼される自動車学校を築き上げようではありませんか。

2003年01月29日

名前の呼び方

 都城自動車学校では、卒業式の際、原則として運転免許の種別ごとに卒業生の名前を呼び上げ、一人づつ壇上の前まで出てもらい、校長が卒業証明書を手渡しています。
 これは、一生に一度、そして大部分の方は、最初であり、最後かもしれない運転免許証を苦労して獲得したことについて称賛するとともに、安全運転意識を高めてもらうために実施しているものです。
 卒業証明書を受け取る時、「ありがとうございました。」と言って両手を差し出す人もいれば、中には片手で受け取る人もいる等様々ですが、私はいつもその人達の目を見ながら「絶対交通事故を起こしてくれるなよ。」と念じながら手渡しています。
 さて、卒業証明書を読み上げる時、中には何て読むのかわからないような名前があります。あらかじめ、卒業証明書に振りカナをつけておけばよいわけですが、折角の卒業式ですから振りカナはつけず、担当の女子職員が読み上げる名前をしっかり聞いておき、卒業証明書を読み上げることにしています。
 人の名前の呼び方については、こんな笑い話もあります。
ある病院の待合教室での出来事です。待合室には、若い女性、中年の男性、50年輩の女性、そして70歳位の老人の4名が、診察が始まるのを待っていました、
 やがて診察が始まり、若い看護婦さんが待合室に出てきて、カルテを見ながら先ず、「シンダさん」と患者さんの名前を呼び上げたそうです。病院で「シンダ」とは縁起が良くありませんので、その声を聞いた途端、待合室の4名は変な顔つきになり、誰も返事しなかったそうです。看護婦さんはなおも「シンダさん」と読み上げましたが、返事がないので、カルテを再度見て、頭をひねりながら今度は、「マダさん」と呼びかけましたが、今度も誰も返事しません。
 すると、カルテで患者さんの生年月日を確認したのか、老人の方を見て、「マダさん」と呼びかけました。老人はそれでも返事をしないので、看護婦さんは老人が耳が遠いと思ったのか、指を指しながら再度「マダさん」と呼びかけたのです。
 老人は呼ばれたのが自分とわかったのか、その場に立ち上がり、「私は、シンダでもマダでもない。サナダというものだ。眞田幸村の眞田だ。そんな名前を知らないのか。」とそれこそ、カンカンになって怒りましたが、看護婦さんはどこ吹く風とばかり、あら、サナダユキムラって知らないわ。この名前はサナダって読むんですか。」と言いながら、笑顔で「それではお待たせいたしました。サナダさんどうぞ。」と促しましたので、老人もそれ以上腹を立てるわけにもいかず、診察室に入ったということです。
 こんな話は、笑い話で済みますが、自分の名前を正しく呼ばれないと、腹を立てる人もいますし、余りいい気持ちではありません。本当に日本語は難しいですね。
 名前を付けるときは、字の画を調べたり、あるいは、その人の生まれた時代の有名人にあやかって付けたりする等、それぞれ名前には由来があるわけですから、今後とも正しく読むようにしたいと思っています、

2003年01月30日

十人十色

 都城自動車学校では、教習生の皆さんが卒業する際、教習期間中における技能指導方法、学科指導方法、窓口事務員の応対状況、送迎にあり方等について、感じたことをアンケートに書いてもらっています。
 いたずら書きといったものはほとんどなく、教習生の本音が出ており、今後の自動車学校のあり方について大変参考になります。その内容については、校内パソコンの「回覧」で職員の皆さんに概略紹介していますし、見られたとおりです。
 アンケートのほとんどは、「○○先生には大変お世話になりました。」、「楽しい合宿生活で、おまけに運転免許を取れて最高でした。」、「運転免許を取れてありがとう。MDS最高」等都城自動車学校で、早期にしかも苦労して運転免許の資格が取れた喜びが率直に記されており、担当指導員としても、それまでの苦労が報われる瞬間でもあります。
 その反面、「○○先生の教え方は厳しかった。」、「○○先生の言葉づかいが荒かった。」等の意見も時々見ることが出来ます。名指しされた指導員は、そのアンケートを見てどんな感じを受けるでしょうか。
 私が、もし名指しされた指導員の立場だったらどう思うかを考え、その指導員の教習する車に同乗してみることにしました。その結果、どの指導員の指導方法も、また言葉づかいもそのアンケートに書いてあるようにそれほど厳しくもなく、荒い言葉もありませんでした。私が同乗したから、指導方法や言葉づかいを変えたわけではありません。
 何故なんだろうかと考えてみますと、思い当たることが一つありました。それは指導員の指導方法を見ておりますと、どの教習生に対しても同じペースというか、同じ指導をしているのです。もちろん、指導員も永年培ってきたその人なりの指導方法があり、信念を持ってやってきているわけですからそれで良い訳ですが、ここで一歩下がって教習生に立場になり、教えられる気持ちになってみることも必要ではないでしょうか。つまり、指導員は毎日、毎日生まれて始めてハンドルを握る初心者を教えるわけですが、その時間はおそらく、経験の長い指導員では、何千時間、ひょっとしたら万時間に近い時間数かもしれません。
 ところが、教習生は、それこそ生まれて始めてハンドルを握る人もいれば、運転する前の晩等眠れない人もいるのではないかと思います。事実、無線教習の時間、一人で運転していることに不安を感じ、パニック状態になる教習生も見られます。
 このように、教習生には男性もいれば女性もいる。また度胸が座った生徒さんもいれば、何をやらせても下手な教習生もいるわけで、教習生は実に様々で「十人十色」といってよいでしょう。
 従って、ベテランの指導員も新人の皆さんも、教習生の立場に立ち、一人一人指導方法を変えてみるのも一つの方法ではないでしょうか。

2003年01月31日

捨てられた自転車

 私は現在3台の自転車を持っています。ロード用の自転車1台と通勤用の自転車2台です。そのうち、ロード用の自転車は、約10年前、知り合いの自転車店から購入したものですが、重さが約10キロ位と普通の自転車の半分位で非常に軽く、また前後合わせて21段切り替えとなっていますので、大体の坂道は自転車を降りなくてもこいで上ることが出来、私にとっては大事な自転車となっています。
 今までこの自転車で行った一番遠いところは、県北の椎葉村で、5年前、日向市内に勤務していた時、片道約120キロのデコボコ道をあえぎあえぎ上った思い出があります。時間があるときは、サイクリングロードを通って綾町まで行きますし、都城方面に足を伸ばすこともあります。
 また、2台の自転車は、自宅から宮崎駅までの通勤用に使っていますが、何故2台もあるのかといいますと、実は昨年(平成12年)の11月、私が住んでいる団地内を散歩中、鍵のかかっていない自転車が、数日間放置されており、まだ乗れそうでしたので、拾得物として近くの交番に届けておいたのです。
 ところが登録されていない自転車で持主がわからず、6ヶ月経過した今年の4月になって、持ち主が現れないため、権利が私の物となったという次第です。それまで通勤用に1台の自転車を使っていましたが、2台あると雨が降ったとき等大変便利になりますので、今年の4月からは2台を交代に乗っているわけです。もちろん、どの自転車にも愛着がありますから、手入れは平等にやっています。
 さて、私はこのように自転車を大事に取り扱っていますが、朝夕の散歩中や、通勤中に道端に転がっている捨てられた自転車を度々見かけることがあります。まだ乗れそうな自転車もありますが、雨に打たれ、強い日差しにさらされたままになっていますと、いつのまにか錆が出て来たり、中には雑草が絡みついたものもあり、見るも哀れな姿になってしまいます。そんな哀れな自転車の姿を見るたび、こんな姿はどこかで見たような光景だがなと思いましたが、どうしても思い出せませんでした。
 ところがある日、テレビを見ていたところ、動物の番組で砂漠の中で死んでしまった動物の骨の姿が出ていました。猛獣の襲われて肉はちぎられ、さらにハイエナ等に食べられ、そしてハゲタカ等に食われて骨だけになった姿は、まさに捨てられた自転車とそっくりで、見た瞬間、ハッとしました。持主から捨てられた自転車を見ていますと、「まだ乗れるのに、どうして私を捨てたのか。」と訴えているみたいです。
 こんな光景は、私達が若かった40年前には見られませんでした。自転車は必需品で、値段も中古の自転車で約7,000円位していました。私の初任給が約7,000円位でしたから、いかに自転車が貴重品であったかがわかると思います。
 いつからこんな世の中になったのでしょう。こんなに簡単に使い捨てをしていると、今にその跳ね返りが来るのではないかと大変心配しているところです。

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