校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年02月 アーカイブ

2003年02月03日

寝姿

 私が都城自動車学校までの通勤に利用している電車は、JR九州の日豊本線で、宮崎駅から山之口駅間です。普通列車で3両編成となっており、西鹿児島駅方面から来る上りの電車は、毎朝、通勤客で満員となっていますが、私が乗る下りの電車は、宮崎から西鹿児島方面に向かいますので、利用する客も少なく、しかも宮崎駅が始発駅ですので、4人座れる一マスの座席に一人でゆっくり座ることが出来ます。
 また、電車は普通列車ですので、各駅に止まりますし、時には上りの電車を待つため、駅や信号所で数分間止まる等、誠にのんびりしたローカル列車です。おまけに、ゴトゴトという単調なレール音と電車の揺れは朝から眠気を誘います。
 従って、私は朝から眠らないよう電車に乗っている約50分は、大概、県立図書館で借りている本を読むように心がけています。良く読む本は推理小説で、現在は「内田康夫」作品を読んで楽しんでいます。
 ある朝、電車に乗り、さっそく本を取り出し、推理小説の続きを読み始めたところ、通路に話し声が聞こえ、やがて私が座っているすぐ横の座席に若い女性が座ったようでした。女性達は座席に座るなり、「さあ、おにぎりを食べよう。」と言い、大きな声でおしゃべりを始め出しました。その声がうるさかったので、本から目を外し、横の座席を見ると、若い女性達は3人で、服装は3人とも半そでTシャツ、半ズボンという格好であり、上の網棚を見ると、大きな旅行バッグが載っていました。あまり化粧していない様子で、話し振りから関西方面から来た女子大生のようでした。私が小説を読むのを止め、チラッと女性達の方を見たので、それに気付いたのか話し声は小さくなりましたが、食欲とおしゃべりは相変わらず続いている様子でした。
 電車が出発して約10分位経った頃でしょうか。横の座席の方からフラッシュが2,3回たかれるのが見え、クスクス笑う声が聞こえてきましたので、本を読むのを止め、そっと横の座席の方に目を向けてみました。横の座席の座り方は、2人が片方の席に座り、もう1人が反対側の席にという具合でしたが、クスクス笑っていたのは2人の方で、さかんに反対側の席の女性の様子を撮っている様子でした。私はどうして笑うのかと思いながら、反対側の席の女性を見たところ、その子は腕組しながら目を閉じ、口をそれこそポカンと大きく開け、どうやら眠っているみたいでした。先ほどまでおにぎりを食べながら楽しそうにおしゃべりをしていたのに、その変わり身の早さに、ビックリするやら、また若さを羨ましく思ったところでした。それにしても、その寝姿といったら誠に無邪気なもので、まるで幼稚園生が居眠りをしているみたいで、健康的でした。
 再び、本の方に目を移し、ゴトゴトという音と、心地良い電車の揺れに身を任し、小説を読んでいますと、やがて「次は山之口駅です。」というアナウンスが聞こえてきましたので、読みかけの本をたたんで、席から立ち上がったとき、隣の席を見たところ、なんと先ほどまで友達の寝姿を写真に納めていた2人連れの方も、仲良く口をポカンと開けた無邪気な寝姿で、その姿を見て思わずニッコリしたところでした。

2003年02月04日

話術

 毎朝、散歩中に聞くラジオの中で、楽しいというか思わず引き込まれるような話をする人がいます。そのような巧みな話術を持つ者の一人に、「食文化史研究家の長山久夫さん」という人がいます。
 テレビで見る長山さんは、メガネをかけ、ちょび髭をはやし、ズーズー弁でしゃべり、一見して風采の上がらないおじいさんといった感じの男の人です。しかも、食文化史研究家といったあまり聞きなれない肩書きですので、おそらく長山さんを知っている人は少ないと思います。
 この長山さんは、福島県の出身ですからズーズー弁が出るのですが、長山さんの話を聞いた人は、とにかく、また話を聞いてみようかなという気にさせるほど巧みな話術を持った人なのです。
 先日の朝もこの長山さんがラジオに出演し、東北地方の旅に出かけてその地の名物温泉に入り、料理を食べる話の放送がありましたが、次から次へと得意の長山節が出てきました。聞いていて、思わず私もその温泉の湯につかり、出された料理の数々を食べているような情景が目に浮かび、まるで、私も東北地方に旅行した錯覚さえ受けました。
 こんなに巧みに話をする人は、話術にたけた人と言えますが、私達の身の回りでもこのような人がいます。身近な例では、当校の赤崎副校長がその一人ではないかと思います。
 赤崎副校長は、普段私達と交わす会話でも内容が豊富ですが、素晴らしい話をする人だなと思ったのは、都城市内に住んでいる高齢者を対象とした「ウェルネス交通安全教室」を開催した時のことです。
 高齢者講習のためにと、当校独自でビデオを作成しましたが、その場面を見ながらの話は、話すタイミングといい、また、内容も素晴らしく、聞いていて思わず私達もうなずいたほどでした。
 参加者の様子をうかがっていると、どの人もまるで小学生に返ったように目を輝かせ、盛んにうなずいていましたので、余程話がうまかったものと思います。特に、身体の衰えを例える「歯、目、さて次に衰えてくるものは、何でしょうか。・・・」の場面では、参加者からきわどい答えが出て、一瞬私もヒヤッとしましたが、そこは話術の巧みな赤崎副校長が、すかさず「次に衰えてくるのは足ですね。」とすかしましたので、思わず参加者から拍手が出たほどでした。参加者のアンケート結果を見ましても、「これまで何回か、交通安全教室に参加しましたが、今回の教室が一番良かったです。話もわかりやすく、大変参考になりました。」等といった感想が多く見られていました。
 巧みな話術は、その人が持って生まれた才能の場合もありますが、ほとんどは、その人が永年培ってきた努力の成果であると信じています。おそらく赤崎副校長もそれなりの努力をされたものと思います。
 私達も赤崎副校長とまではいきませんが、せめてその足元までは近づきたいと思います。よい見本が身近にいるわけですから、職員の皆様には、教習の合間に赤崎副校長の学科教習の見学をお勧めします。

2003年02月05日

お袋さん

 毎年5月の第2日曜日は「母の日」となっており、この日が近づいて来ますと、新聞やテレビ、ラジオ等では母の日に関する特集番組を組んでいるようです。今年もその「母の日」が来ましたが、ラジオ番組で印象に残る放送が行われていました。
 その番組は「我が母を語る」というもので、各界の著名の方が、それぞれ自分の子供の頃を振り返り、今は亡き母、あるいは現在でも存命している母の思い出を語る内容でした。
 その中で、自分の母親のことを語るとき、男の人は殆どが、「私のお袋は」という言い方で話をしていましたが、ご存知のように「お袋」とは、成年男子が自分の母親のことを他人に対して言う時のことばです。その語源に興味がありましたので、図書館に行き調べてみたところ、室町時代、金銭その他大事なものは全て袋の中には入れていましたが、その袋を管理していたのが母親であったことから、母親のことを「お袋」と呼ぶようになったそうです。
 さて、「我が母を語る」の中で、特に印象に残っているのが、参議院議員の西川きよしさんの話でした。西川さんは、元漫才等をしておられたタレント出身の方ですが、話によると、子供の頃は相当苦労されたそうです。男だけ5人の兄弟で、育ったのが、終戦直後の食糧難の時代でしたが、いつもひもじい思いをし、食事をする時が一番うれしかったそうです。
 それは母親が子供達に「ご飯はたくさんあるから、心配しないで腹一杯食べなさい。」と口癖のように言い、おひつの中に入っているご飯が子供達に見えるように、おひつを傾けたりしていました。おひつの中のご飯を見て、西川さん等子供達は競ってお代わりをしていたそうです。今その当時のことを振り返ってみると、おふくろさんはご飯を全て子供達に食べさせ、自分はイモ等を食べていたのではないかと思う。今思うとお袋さんに対し、誠にすまないことをしたと涙ながらにしみじみ語っていました。
 その話を聞き、私も思わず涙が出てきました。私も西川さんと同じように男5人と女1人の6人兄妹でしたが、食事の時はそれこそ戦争でした。ご飯を食べながら、子供達の目はお袋のそばの「おひつ」に集中し、茶碗の中にまだ残っているのに、「ごはん」と言ってお代わりをしていた思い出があります。私のお袋もそのとき、お代わりをする子供達の要求に応じてご飯を注いでいましたが、子供達が競争で3杯も4杯も食べていましたから、今思うと私のお袋も西川さんの母親と同様、イモ等で我慢をしていたものと思います。
 私が育ったのも終戦直後でしたが、現在の「飽食の時代」からは想像もつかないほど食糧難でした。今振りかえって見ましても、よく育ったものだなと思うときがあります。その裏には、このような母親の苦労があったわけで、今更ながら母親に感謝しているところです。

2003年02月06日

思い込み

 交通事故の原因の一つに「ドライバーの思い込み」があります。つまりドライバーが自分勝手に判断し、思い込んで行動するため、交通事故を起こしてしまうわけです。私も最近この「思い込み」を体験しました。
 私がJR山之口駅に降りると、自動車学校から迎えの車が来てくれますが、先日、職員の幸津さんが迎えに来てくれた時のことです。山之口駅前を出発し、駅前広場を左に曲がろうとしたところ、丁度カーブの所に、山之口町福祉協議会所属の大型マイクロバスが停車し、その周りには、バスに乗ると思われる高齢者の方がウロウロしていました。
 幸津さんはその人達に注意しながらバスの横をゆっくりと通過しましたので、助手席に乗っていた私は「はい、OKです。」と幸津さんに知らせてやり、すぐ前にある駅前の信号を見たところ、信号は「赤」になっていました。
 私達の車は駅前交差点を左に曲がりますので、車を一番左側の車線には入れようとしたところ、その車線には、軽自動車の姿が見えました。しかもその軽自動車は、横断歩道の上に止まっていましたが、すぐバックランプが点灯し、バックしながら角のところに止まっているバスのすぐ前に止まりましたので、そのバスの関係者だろうと思ったのです。
 一番左側の車線には、その軽自動車が止まっており、その前に止めるだけの余地がありませんでしたから、幸津さんは仕方なく中央側の車線に車を止めました。私は並んで横に止まっている軽自動車の運転席を見たところ、運転席には、中年の婦人が乗っていましたが、私達の車には振り向こうとせず、じっと前方の方を見ているようでした。
 いくら交通量が少ないとはいえ、交差点に近いこんな所でバスや軽自動車を止めているのは、あまり誉められたものではなかったので、幸津さんと、「バスと軽自動車は同じ人達だろうか。駅前に広場があるのだから、何も狭いこんな所に止めないでいいのにな。」と話したのです。つまり二人とも、その軽自動車の止め方の様子から、バスと軽自動車を関係者と思い込んでいたわけです。
 やがて、信号が「青」に変わりましたが、横に止まっている軽自動車は、発進する様子はなかったので、幸津さんは、車をゆっくり発進させ、ハンドルを切りながら横断歩道上まで進んだ時、左のバックミラーを見ていた幸津さんが、「アッ」と言って急ブレーキをかけたのです。
 前方の信号機を見ていた私もビックリして、左横を見たところ、なんとさっきまで全く発進の気配のなかった軽自動車が発進し、並んですぐ横まで来ていたのです。軽自動車の運転席を見ると、婦人が不満そうな顔をしており、その表情から「なんで私が進む前を横切ろうとするのよ。」と言う風に読み取れました。
 どうやら軽自動車はバスと全く関係がなく、おそらく横断歩道上で信号が変わった為、邪魔にならないよう、車をバスの前までバックさせていたものと思われます。
 幸津さんが左側の巻き込みを警戒しながら運転していたから、軽自動車と衝突せずにすみましたが、もし、バックミラーを見ていなかったら、当然衝突したところでした。幸津さんが、「思い込みは事故のもとですね。良い教訓になりました。」と言ってくれましたが、私も同感で、こんな所に危険が潜んでいたことを知り、大変勉強になりました。

2003年02月07日

相槌(あいづち)

 「相槌を打つ」と言う言葉があります。これは人の話に調子を合わせるという意味ですが、私達の身の回りでも人の話を良く聞き、うまく話をつないでくれる人がいます。いくら話がうまい人でも、話を聞いている相手の人が何の返事もせず、かといって全く気のない返事をしたとしたら、しゃべる人も話す意欲がなくなってくるのではないでしょうか。それだけ話の腰を折らず、相手と会話を続けるためには、適当な「相槌」が必要になってくるわけですが、その「相槌」も打つところを間違えると、お互い気まずくなることがあります。
 これは、ゴルフ場内のサウナの中の出来事です。ゴルフが好きな私達20数人の仲間は、毎月1回ゴルフを楽しんでいますが、ある日、プレーした後、いつものようにゴルフ場内の浴室で汗を流すことにしました。その浴室には、サウナ室がありますので、軽く身体を洗ったあと、そのサウナ室に入ったところ、10人位の人達が既に入っていましたが、その人達の全ては私達の仲間でしたから、すぐお互いに話を始め出しました。話の内容は、その日のゴルフのプレーが殆どで、身振り手振りで結構話が弾んでいました。サウナ室の中は、100度位の温度になりますから、1回10分位がせいぜい関の山で、汗が出て身体が熱くなったら、外の冷水風呂で身体を冷やし、またサウナ室に入るということを繰り返すわけです。
 私が2回目にサウナ室に入ったところ、座るところが空いていたのは部屋の中央部分で、そこにはたまたま頭の禿げた3人が揃って座っていました。その3人はいずれも50歳代ですが、若い時から頭の毛が薄く、頭のてっぺんがツルツル光り輝いており、最近ではますますその光に磨きがかかっているようです。
 私はその3人のすぐ横に座りましたが、3人は笑い転げながら話をしており、面白そうでしたので、聞いてみると、その話の内容はゴルフではなく、どうやら「禿げ」にまつわるものでした。3人のうちの1人が、「さっき、浴室で○○さんが頭を洗っており、手にはシャンプーを一杯つけていたので、『毛が少ないのにそんなにシャンプーをつけるのか。』と言ったら、 ○○さんが『毛が少なくてもシャンプーの量は一緒よ。』と返事をしたが、俺はいつもその半分位しか使っていない。頭の毛が少ないと髪を洗うのが簡単だ。」と笑いながら話をするので、その周りにいた人達も思わず、つられて笑ってしまいました。しかしながら、3人以外は笑いはしましたが、誰も口に出して「相槌」を打とうとはしませんでした。
 それは、私にも経験がありますが、「若禿げ」の人達は、自分から「禿げ」にまつわる話を平気でしますが、逆に他人から先に話題にされると、途端に不機嫌になり、そのことをいつまでも根に持つ人がいるからです。従って、「若禿げ」の人達が「禿げ」の話を始めた時は、「相槌」を打たない方が得策なのです。
 私達が「相槌」を打たないので、やがて3人とも「禿げ」の話から、もとのゴルフの話題に変わりましたが、それからは、私達も3人の話に積極的に「相槌」を打つようになったのは勿論のことです。

2003年02月12日

公衆道徳

 最近、「公衆道徳」に欠ける行為を見かけることが度々あります。例を挙げますと、私は通勤の際、JR山之口駅を利用していますが、ご存知のとおり、この駅は無人駅となっています。そのせいでしょうか、駅の構内はいつ利用してもタバコの吸殻や紙くずが散らばっています。駅の改札口の上の方には、「山之口の玄関口です。綺麗にしましょう。皆が気持ちよくいられるように。」という看板がかかっており、しかもタバコの吸殻入れがちゃんと構内に設置してあるというのに、どうしてその中に入れないのだろうなと思うほど散らかっています。
 朝、山之口駅に到着した時、送迎担当の江口さんが時々構内を綺麗に掃除してくれていますが、夕方学校からの帰り、駅に着いてみると、タバコの吸殻やお菓子の包み紙、紙切れといった物が、構内のコンクリートの上に散らばっており、あまりにも汚い時や電車の到着時間に余裕があるときは、私も時々トイレ内にあるホーキと塵取を握り、構内を掃除することにしております。
 また、こんなこともありました。朝、山之口駅に到着した時、構内にガラスの破片が散らばっており、どうしたのかと思い、構内を見渡したところ、なんと構内と事務所の間にある大きな窓ガラスが1枚叩き割られていました。そのガラスの割られ方からすると、事務所内に盗みに入るため割ったのではなく、イタズラ半分で割ったような感じがしました。なんてひどいイタズラをするものだろうとビックリするやら、情けないやら複雑な思いをしました。おそらく、夜、若者達がこの駅にたむろし、遊んでいるうち、面白半分にこのような行為をしたのでしょう。
 さらに、改札口を通ってプラットホームに上がってみると、ホームには、樹脂製の6個のベンチが置いてありますが、その中の一つは背もたれが壊されたままで、とても座れる状態ではありませんから、おそらく鉄棒や石等の硬い物で壊したものと思われます。
 そのベンチの全てには、黒のマジックペンで所狭しと、見るに耐えないような卑猥な言葉が書いてあります。従って、電車を待つ間、とても座る気にもなりません。内容からすると、高校生位の男性が書いたもののようですが、それにしてもひど過ぎます。どんな気持ちで書いたのか想像もつきません。
 ベンチが壊されてからもう半年も過ぎましたが、ベンチは壊されたままですし、いたずら書きもそのままで、駅員の人達も当然見えているはずですが、見て見ぬ振りをしているような感じさえします。
 日本人は小さい時から「道徳」を学んでいますので、確かに一人ひとりの「公衆道徳」はあるのですが、これが数人になると、つい羽目を外し、イタズラに走る結果になるのでしょうか。誠に残念ですね。
 自動車学校に入校してくる生徒さんの中には、茶髪の人もいれば、ダボダボのズボンを着た人等もおり、実に様々ですが、話をしてみると、素直な人ばかりなので、まさかこのような「公衆道徳」を外れたような行為をする人はいないものと信じています。

2003年02月13日

指回し

 朝、散歩中にラジオを聞いていると、ある医者が、「指回しの運動は、脳を活発に働かせ、ひいては老化防止には非常に効果的である。」という内容の話をされていました。その話の中で、日本では昔から子供、特に女の子は小さい時から「あや取り」という遊びをしていたが、これは子供の脳の働きを活発にさせるためには、最高の訓練であるということも紹介されていました。
 また、ピアニストや画家は、常に指先を動かしているので、脳の働きが活発になり、長生きする人が多いということでした。そういえば、有名な演奏家や画家が亡くなったとき、新聞に掲載されていますが、いずれも死亡した時の年齢が80歳を超え、中には100歳に近い人も見受けますので、満更この説もウソではなさそうです。
 その後、アナウンサーが「指回し」の要領を説明していたので、早速やってみることにしたのです。
 そのやり方は、先ず両手を広げ、右手の「親指」と左手の「親指」をくっつけ、次に右の「人指し指」と左手の」人指し指」をくっつけ、さらに同じ要領で、右手と左手の「中指」、「薬指」、「小指」同士をくっつけ、丁度半ドームの形を作るのです。そして、先ず右手の「親指」を時計回りと同じ方向に回し、逆に左手の「親指」は時計回りと反対方向にグルグル回していくのです。その間、他の指同士はくっつけたままにしておくわけです。その回数は大体20回位が適当だということでした。
 「親指」の指回しがすんだら、次は、「人指し指」、「中指」、「薬指」「小指」と順にやっていくわけです。ところがいざその通りにやってみると、そう簡単にはいかないのです。最初の「親指」は、まあ楽に指回しをすることが出来、「なんだ、このくらい」と思い、次に「人指し指」に移り、この指回しも比較的簡単に回すことが出来ました。
 次は「中指」に移ったところが、うまく回りません。「中指」同士がうまく回れないどころか、隣りの「人指し指」と「薬指」が邪魔するのです。指同士が当たり、うまく回せないので少しイライラ状態になったところで、まるで私が苦労しているのを見透かしたように、アナウンサーの「最初は指同士が当たりますが、慣れてくると上手に出来ます。焦らずにゆっくりやりましょう。」という声が聞こえてきました。その声を聞いてホッとし、それからはゆっくりながら少しづつ出来るようになったのです。
 この要領を覚えてからは、自転車で出勤中の信号待ちの時間を利用して、両手の指を合わせて「指回し」をしたり、電車に乗ったとき、小説を読む前に頭の体操として「指回し」をしています。お陰で小説を読む時、すぐ集中出来そうな感じがします。
 中央研修所では、教習の前にこの「指回し」が必ず行われるそうですが、確かに集中した仕事をする前には、効果があるようです。最初はぎこちなかった「指回し」も慣れてくるに従って、最近では少しづつ上達しているようです。「ボケ防止」のためにも、これからも続けていきたいと考えているところです。

2003年02月14日

白い粉

 アメリカ全土では、同時爆発テロに続き、民主党の上院内に送られてきた「白い粉」入りの手紙が、実は「炭素菌」だったことがわかり、この手紙を取り扱ったとされる郵便局員が数名死亡するという事件が発生し、さらに一連の炭素菌事件はさらに広がりを見せようとしています。アメリカ国民は新たなテロに戦々恐々としていることはもちろんですが、アメリカと同盟国である日本でも対岸の火災視しているわけにもいかず、様々な対策がとられているようです。
 新聞報道によりますと、ある鉄道会社では、こぼした菓子の粉が放置されただけでも不審物になってしまうことから、不審物を発見した場合は、「掃除せず、衣類や紙などで覆う。」、「粉が霧状になったら空調装置を停止する。」等の車内マニュアルを作成したということです。
 さらに、「白い粉」に関する記事としては、厳戒体制に入っている沖縄の海兵隊キャンプ地で、ゲートの中に入ろうとした乗用車の中から正体不明の「白い粉」が発見され、有害物質の担当者が駆けつける等一時は緊張しましたが、中身はただの「食塩」だったそうです。沖縄には「魔除け」として車内に塩を置く習慣があり、多くの県民がそうしていることがわかり、大騒ぎも一件落着しました。
 この「白い粉」では、私も苦いというか誠に恥ずかしい思いをしたことがあります。それは、昭和48年のことでした。この年、日本国内では、田中角栄が唱える「日本列島改造論」の関係で物価が急上昇し、そのあおりで生活物資の「トイレットペーパー」や「砂糖」等が不足し、店頭から消えてしまうという現象が出てきたのです。
 当時私は、家族を日南市に残し、研修のため半年間、福岡市の学校に入校していましたが、休暇で宮崎に帰ろうとしたところ、妻から「日南では砂糖が不足しているので、買ってきてくれ。」との電話を受けたのです。福岡でもその現象がありましたが、かろうじて砂糖を1キロを買い、飛行機に搭乗しようとしたところ、手荷物検査の所で、係員からバッグの中の品物を見せるよう求められたのです。現在では、手荷物はX線検査で簡単に出来ますが、その当時はそのような装置がなく、バッグの中身を全部出して不審物はないか確認していたのです。私の順番になり、バッグの中からお土産等と一緒に「砂糖」を取り出したところ、係員から、「これは何ですか。」という質問を受けたのです。私は中身は「砂糖」ですから、「砂糖ですよ。」と返事すると、「本当に砂糖ですか。一寸待ってください。」と不審がられ、間もなくすると、空港の警察官もかけつけて来たのです。そのころには、手荷物検査を受ける人達が私の後ろにズラリと並び、私と係官や警察官のやり取りを見ており、質問を受ける私は穴があったら入りたいような心境でした。
 ようやく、中身が「砂糖」であることがわかり、無事飛行機に乗ることが出来ましたが、どうやら私が疑われたのは、当時飛行機便で「覚せい剤」を堂々と運搬する事件が頻繁と起こっており、「砂糖」が「白い粉」だったので、「覚せい剤」ではないかと疑われ、その犯人と見られたものでした。
 今でも「白い粉」という記事が出るたびに、このほろ苦い経験を思い出します。

2003年02月18日

不屈魂

 ある日、宮崎日々新聞を広げたところ、社会面のトップに「事故で全身まひの元警察官-絵手紙に生きる気力」というタイトルが大きく掲載されている記事が目に入りました。写真もあり、誰のことだろうと思いよく見ると、その人物は私が警察官時代の同期生「鎌田忠男君」でした。
 私達は就職難であった昭和34年、宮崎県警察官を拝命しましたが、そのときの同期生は30名でした。鎌田君はその中でも高校時代、宮崎県内での柔道チャンピオンの実績が認められ、特別採用されたほどの柔道マンで、私達同期生の面々は、警察学校時代の1年間、彼から柔道場であった「武徳殿」の青畳に、何十回いや何百回、嫌というほどまるでボロ雑巾のように投げられました。身長は178センチ位でしたが、体重は100キロを超え、目がぎょろりとしていましたから、まるで「西郷さん」のようで、若い頃は機動隊に所属し、柔道六段として活躍した人物です。
 そのようにスーパーマンであった彼が、平成7年7月、交通事故に遭遇し、それが原因で下半身が麻痺して車椅子生活を余儀なくされたのです。おまけに約1年間上半身も麻痺して指一本動かすことが出来ず、寝たきりの生活という状態でした。
 それからは、あんなに元気な時は、自ら進んで出席していた同期生会の会合にも、いくら誘っても出席しようとはせず、いつしか音信が途絶えていたのです。
 その彼が、不自由な身体に鞭打って、努力しながら「絵手紙」を学んでいたのです。平成13年10月30日から11月9日までの間、彼の「絵手紙展」が宮崎市内の九州電力宮崎支店のギャラリーで開催されましたので、初日に顔を出してみました。
 生憎、鎌田君の姿は見えませんでしたが、世話をしてくださった方から、彼が「絵手紙」を書くようになったいきさつについて教えてもらいました。
 寝たきりの生活をしていた平成10年の冬、テレビの絵手紙講座が目に飛び込み、それを見て、「これならリハビリを兼ねて出来るかも」と直感したそうです。絵は趣味も鑑賞したこともなく、手紙もあまり出したこともなかったのですが、車椅子に座り、殆ど動かない手で筆を握り、練習するうちに描くことの面白さが出てきたそうです。初めは絵にも文字にもならない状態でしたが、花や果物、魚等四季折々の物を素朴に描き、自分の体調や最近の出来事等を書き添え、それを知人に出すようになったということでした。
 以来ほぼ毎日5~10枚描き続けた絵葉書は約3,000枚になり、その一部の「絵手紙」がギャラリーに展示されていました。字も最初のころは、おそらく手が不自由だったからでしょう、字にもなっていませんが、最近書いた字を見ると、まるで書道家が書いたような見事な字になっていました。そして、手紙の内容も少しも気取ったところがなく、素直な気持ちが現されていました。私は絵心がないので、彼の絵が上手なのか下手なのか良くわかりませんが、色彩感に溢れ、花は花らしく、果物は果物らしく描かれており、私の目にはどの画家が描いたものより一段うまく描かれているように見えました。
 鎌田君の「不屈魂」が、こんな立派な「絵手紙」を描かせたものと思いますが、すっかり感動しました。やはり鎌田君は、私達同期生の誇りです。

2003年02月19日

ちょボラ

 日本人は、文を簡略して表現することが実にうまい民族だと感心することがあります。例えば、アメリカで発生した同時爆発テロに対処するために「テロ対策特別措置法」という法律が制定されましたが、マスコミでは早速この法律を「テロ特措法」という読み方で表現していますし、長ったらしい名前の法律が出来ても、すぐ簡略化した呼び方が堂々とまかり通っています。また、パーソナルコンピュータのことは「パソコン」と言いますし、デジタルカメラのことは「デジカメ」等と呼ばれています。
 日曜日の朝、放送されているラジオの「新語紹介」を聞いていますと、あまりも簡略すぎて、どんな意味かわからない場合もあります。
 先日ラジオを聞いていましたところ、「ちょボラ」という新語を紹介していましたが、最初その言葉を聞いた瞬間、「ズボラ」のことかと一瞬思ったほどでした。ところが、その意味は、「ちょっとしたボランティア」だということを聞いて、思わずニヤッと笑ったほど、この言葉は実にうまく表現されています。
 テレビでは、ゴミを「燃えるゴミ」、「燃えないごみ」、「資源ゴミ」といった具合に分別している男の姿が放映され、スポンサーが「公共広告機構」となっていますので、職員の皆さんも知っている方が多いと思います。
 私も最近「ちょボラ」の体験をしたことがあります。それは自動車学校から山之口駅まで送ってもらう途中、運転していた段さんに「ちょボラという意味を知っている。?」と聞いたところ、「ちょっとしたボランティアのことでしょう。」という答えが返ってきましたから、若い人はさすがだなと感心したところです。
 そういう話をしていて、ふと右側の歩道を見たところ、男の人らしき人がうつぶせに倒れている姿が目に入ってきました。歩道上ですから交通事故ではなさそうですが、動こうとしませんので、瞬間「病人では?」と考えたのです。段さんもその姿に気付き、すぐさま車を道路端に止め、「様子を見てきます。」と走って行きましたので、私もその後ろからついていってみました。歩道上に倒れていたのは、男の老人で、顔や手足には擦り傷があちこちついていました。声をかけると、その老人は「足がいうことを効かず、転んでしまった。」と答えましたので、交通事故ではなかったと一安心はしましたが、靴は脱げたままで靴をはこうとしてもままならない様子で、とても自分で立ち上がれそうにありませんでした。そこで、その老人の自宅を聞いたところ、すぐ近くであることがわかり、学校の自動車に乗せて送ってやったのです。
 「ボランティア」というと、介護士のように何か資格が必要な感じがしますが、その必要は全くないようです。人が困っている姿を見たら、何かお手伝いをするのが、ちょっとしたボランティア、「ちょボラ」ではないでしょうか。
 この言葉を覚えてからは、自動車学校からの帰り、山之口駅構内の掃除をしたり、道路上に投げ捨てられた空き缶を拾うことや道路を横断するのに困っているお年寄りを見かけたとき、横断しやすいように誘導することも自然と出来るようになり、心にゆとりが出来たようです。

2003年02月21日

問題意識

 宮崎県内では、平成13年10月1日から「午後5時早めの点灯、こまめな切り替え運動」が展開されています。
 これは、県内で発生した交通事故を分析した結果、毎年10月から12月にかけ、薄暮時間帯に重大事故が多く発生してるほか、対向車がないのにライトを下向きにしたまま走行するため、歩行者等の発見が遅れて重大事故につながっていることから、この運動が始められたそうです。九州管内では、長崎県が3年前からこの運動に取り組んでいるそうですが、交通死亡事故が減り、運動の効果が上がっているそうです。
 都城自動車学校では、平成13年8月からこの運動のことを知り、職員の皆さんに図ったところ、全員の協力が得られましたので、他の自動車学校に先駆け、8月から夜間教習の第1時限目の午後6時20分からライトの点灯を試験的に実施することにしました。
 当初、試験的に始めた8月始め頃の日没時間は、午後7時過ぎでありましたから、自動車学校の教習車が約1時間前にライトをつけていれば、対向車からパッシングを受けるのではないかと危惧されましたが、試験的に実験を始めてみると、そんな心配もなく、スムーズに教習をすることが出来ました。これも全職員の皆さんが、少しでも交通事故を減らそうと、問題意識を持ち、この運動に取り組んだお陰ではないかと思います。
 ところが、この運動が県下一斉に始まって間もない10月10日のことでした。私は社長の車に同乗していて、高速道路の宮崎インター出口の料金所に差し掛かったときのことです。時間は午後5時10分頃でした。料金の精算を終え、社長が車を出発させようとしたところ、ゲートの男性職員が社長の車のヘッドライトのところを指さし、「ライトが点灯したままですよ。」とさも親切そうに教えてくれました。それを聞いた瞬間、私は、「えっ?」と自分の耳を疑いました。若い人達に言わせれば、「えっ?うそー」とか、「まじで?」といった表現です。
 社長は10月1日から「午後5時点灯、こまめな切り替え運動」が展開されていましたから、もちろん午後5時にはライトを点灯しましたので、前照灯は当然点いているわけです。当時の日没は午後5時50分頃でしたから、午後5時10分頃はまだ明るい状態でした。職員の言い方からすると、社長の車が天神トンネルを通ってきたので、消し忘れと判断し、親切に教えた様子でした。
 社長も職員の意外な言葉に一瞬、「うむ?}と何か言いたそうでしたが、そそまま黙って車を発進させました。後ろの席からその様子を見て、社長はおそらく、「今、午後5時点灯運動を実施中ではないのですか。」と言いたかったのではないかと思いました。
 料金所の出口を出るとき、ゲートの上を見ると、「午後5時点灯、こまめな切り替え」の横断幕が取り付けられており、さらに電光掲示板にも同じ文字が表示されていましたので、この運動が高速道路の職員にも伝えられていたと考えられますが、問題意識のない職員がいたばかりに、こんなピンボケな言葉になったのです。

2003年02月24日

サービス精神

 私が通勤に利用しているJR日豊本線は、1年に数回ダイヤが乱れることがあります。この1年間の例を見ますと、大雨の影響、電車機器の故障等があります。特に日豊本線は雨に弱く、鹿児島地方や宮崎県南部地方に「大雨洪水注意報」が発令された時は、先ず電車が不通になると考えた方が得策のようです。
 朝出勤する時、都城地方が大雨の様子だったので、JR宮崎駅に電話で問い合わせしたことがありますが、電話帳に掲載されてある電話番号のところに何回電話しても応答がなく、仕方がありませんので、それからは台風が接近している時とか、テレビ等で日豊本線が不通と報道された時以外は、とりあえず宮崎駅まで行くことにしています。
 ところが、宮崎駅に到着した時、電光掲示板に「次の西鹿児島駅行きの電車は、南宮崎駅が始発です。」と表示されている時は、注意しなければいけません。というのは、この1年間でこのような時、南宮崎駅始発の電車に乗ったことが3回ありますが、そのうち2回は1時間の遅れ、そして1回は30分遅れで南宮崎駅を出発したものの、2つ目の清武駅で電車が止まり、その駅で3時間、缶詰状態にされたことがあります。原因は県南地方が大雨のため、清武駅と次の田野駅との間にある川が増水したためということでした。このときは大雨ということでしたから、一応不通も納得できましたが、電車が遅れたとき、不通の原因のアナウンスがなく、頭に来たことがあります。
 それは、平成13年11月の勤労感謝の日に伴う連休明けの日でした。前日までのポカポカした天候とうって変わって、冷たい寒波が押し寄せた日でした。それでも青空でしたから、いつものように宮崎駅に着いたところ、「西鹿児島駅方面の電車は、南宮崎駅は始発となりますので、次の電車に乗り、南宮崎駅でお乗換え変え下さい。」とアナウンスしていました。それを聞いて天気は良いし、電車の遅れの原因は何だろうかと思いながら、とりあえず次の電車で南宮崎駅まで向かったのです。
 車内アナウンスでは、「西鹿児島駅方面は2番ホームでお待ち下さい。」とあり、ホームで待つことにしましたが、いくら待ってもそれらしい電車はやってくる気配はありません。その間、電車の遅れの原因のマイク放送は全くありませんし、近くの駅員に聞いても「さあ、わかりません。」という返事でらちがあきません。それでもいつも同じ電車に乗る約100人は、じっと冷たい風が吹き抜けるホームに立って電車を待っていましたが、約30分が過ぎた頃、たまりかねた乗客の一人が、駅員に、「いつ電車は来るのか。」と語気荒々しく詰め寄ったところ、ようやく、「電車は約50分遅れになっています。お急ぎのところ申し訳ありません。」というマイク放送があり、やがて乗客の乗る電車が来て、約1時間の遅れで自動車学校に到着することが出来たのです。落ち葉がレール上に溜まったのが不通の原因でした。
 JRには、列車指令室があり、ここから各駅には情報が提供出来るようになっていますので、間を置かずに現状を放送してもらうと、待っている乗客にもイライラがなくなりますので、JRにもっとサービス精神を持ってもらいたいと感じたところです。

2003年02月26日

あいさつ3点セット

 ある朝、散歩中にラジオを聞いていたところ、「あいさつ3点セット」のことが話題になっていました。話をしていたのは、マルちゃんこと丸山先生でした。丸山先生は、NHK教育テレビの手話を指導している方ですが、時々ラジオ番組にも出演しています。
 その日の話は、丸山先生が日頃から心がけている「コミュニケーションの取り方」でした。丸山先生は、日常生活で接する様々な人とトラブルを起こさず、しかも相手側に不愉快な思いをさせないために、次の「あいさつ3点セット」を常に考え、実行しているということでした。その挨拶とは、「失礼します。」、「お世話になります。」、「ありがとうございました。」の3つです。
 それは、丸山先生は仕事の関係上、よくタクシーを利用しているそうですが、先ずタクシーに乗るときに、「失礼します。」と言い、席に座ったら運転手に、「お世話になります。」と挨拶をします。これは、タクシーに乗ったら自分の命の保証を一時的にせよ運転手に預けるわけですから、その気持ちを込めて声をかけるということでした。さらに、代金を支払って降車する時、「ありがとうございました。」と挨拶をすると、どの運転手さんからも「気をつけてください。ありがとうございました。」と感謝のこもった答えが返ってくるそうです。
 余談ですが、丸山先生がタクシーに乗車した時、「失礼します。」「お世話になります。」「ありがとうございました。」の挨拶をしたところ、運転手から「失礼ですが、組関係の方ですか。」と尋ねられたそうです。つまり、ヤクザ関係者と間違えられたということもあったそうです。
 また、英語でこの「あいさつ3点セット」を例えるならば、「エクスキューズミー」「プリーズ」「サンキュー」ですが、アメリカ人は自分の子供には、「アイアムソーリー」という言葉はあまり教えないそうです。なぜならば、「アイアムソーリ-」とは、「私が悪うございました。」と自分の非を全面的に認める意味になり、かえってトラブルになることが多いからだそうです。
 この「挨拶3点セット」を聞きながら、なるほどと思うことがありました。それは、先日山陰のある温泉旅館で、旅行に来ていた客同士が数人で喧嘩になり、そのうち一人が殴られて死亡し、数人が怪我をするという事件が発生しました。その喧嘩の原因は、酒に酔った二つのグループが旅館の廊下ですれ違う時、たまたま肩が触れ合い、「謝れ。」、「そちらこそ謝れ。」ということが発端だということです。しかも両グループとも60歳代の分別をわきまえた人達であり、事件後に関係者が何人か逮捕され、ことの重大さを知った時は時既に遅しという状態だったようです。
 もし、このような時、「あいさつ3点セット」のことを知っていたならば、肩が触れ合った時、「失礼しました。」とすかさず挨拶しておれば、こんなトラブルにならなかったものと思います。

2003年02月27日

マドンナ

 60歳を過ぎたら途端に、やれ中学生時代の同窓会だとか、還暦同窓会等が多くなってきましたが、特に忙しい身ではありませんので、誘われた同窓会には殆ど出席し、懐かしい友と旧友を温めています。
 その中には、中学校を卒業して以来会ってなく、45年ぶりに顔を会わせた同級生もいました。男性は名前を忘れた人もいましたが、話をするうちに昔にタイムスリップして、あだ名で呼びかけることが出来ましたが、女性の中には、「私を覚えているでしょう。」と言われ、名前はおろか、顔を見るのも初めてのようで、即座に返答に困ったことがありました。女性も60歳を過ぎると、髪に白いものが目立つようになり、若い時の顔とすると随分変わりますので、話しながら思い出そうとしましたが、どうしても思い出しません。
 このときは、咄嗟に「覚えているよ。」と言いながら、トイレに行く振りをして、離れた所のグループに加わりながら、女性の同級生にそれとなく「あの人は何と言う人だったかな。」と名前を聞き、教えてもらってからもとのグループの所に戻り、先程の女性にさも昔の名前を覚えている振りをして、「○○ちゃん」と姓でなく、名前で呼びかけたところ、とても喜んでくれましたが、それ以上話していると、ウソがばれそうなので、再びその席を外した思い出があります。中学時代のアルバムを見ましたが、名前を見てもどうしても思い出すことが出来ません。今でもその女性には全く記憶がなく、次の同窓会の時、もしその女性に話し掛けられたらどうしようかと思案しているところです。
 ところで、同窓会に出席する理由は何でしょうか。ラジオで聞いたところによりますと、ある生命保険会社がアンケート調査したところ、圧倒的に多かったのが、「マドンナに会えるかもしれない。」だったそうです。それを聞いて私もその口かなと納得したところです。
 私の憧れの女性、つまり「マドンナ」は、小学生、中学生、高校生の時と色々変わりましたが、いずれのマドンナに対しても思い出があり、懐かしく、今でも心がときめく時があります。しかしながら、変な意味の恋心とは一寸違いますので、誤解のないようにしてください。
 このようなマドンナですが、いざ同窓会に行って会いますと、どのマドンナも60歳を過ぎて顔のシワが増えており、老眼鏡をかけて同窓会名簿を見る姿は、どう見ても只のおばちゃんのようです。かく言う私も女性側から見たら、頭に白いものが目立つ只のおじちゃんに過ぎないのかもしれません。
 ところが、アルコールが入って話を始め出すとすぐ昔に戻り、只のおばちゃんの姿が、マドンナに変身するから不思議でたまりません。マドンナと話をしたくても、する勇気がなかった男どもは、この機会を利用してマドンナの周りを囲み、昔話に花を咲かせており、これが唯一の楽しみになっています。毎回このような同窓会ですが、次回誘われたらまたいそいそと出かけることでしょう。

2003年02月28日

モラル

 平成14年5月31日から約1ヶ月間にわたり、日本と韓国内で開催された2002年のワールドカップサッカーは、強豪のブラジルがドイツを2対0で破り、5回目の優勝を遂げました。 この1ヶ月の間は、日本国内は明けても暮れてもお年寄りの人達までが、テレビの前やグランドで日本チームだけでなく、ひいきの国のチームを応援し、それこそサッカー一色になりましたが、これほど日本国中の人々が同じスポーツに熱中し、国民が一体となったことはなかったでしょう。4年に1度行われる夏季と冬季のオリンピックでもこんなことはありませんでした。日本は今回2回目のワールドカップサッカーへの出場で、初勝ち点だけでなく、強豪ロシア等を破って予選リーグの第1位となり、決勝リーグへ勝ち進んだわけですから、若い人達だけでなく、全国民がフィバーしたのも無理ないことと思います。
 ところで、今回の優勝戦は、日本の横浜市で開催され、」ブラジルとドイツの両チームはそれぞれ横浜市のホテルに宿泊して優勝戦に臨んだわけですが、戦いが終わって両チームの選手達が日本を離れて母国に帰ったあと、こんな記事が新聞に掲載されていました。
 それは、ブラジルの選手が宿泊したホテルの壁に、選手達のサインが残されているというもので、選手達のサインが写真入で載っていたのです。新聞の見出しを見ただけでは選手達が壁にイタズラ書きしたものとばかり思ってその記事を読んでいたところ、ホテル側のヤラセであることがわかりました。ホテル側としては、ワールドカップのサッカーが次、何年後に開催されるかわからないことだし、その優勝戦に勝ち進んだチームが宿泊したことは、ホテル側にとっては大変名誉なことであり、今後の営業活動を考え、わざわざ選手達にサインを頼んだということでした。まさに商魂逞しいというところです。
 ところが、さらに記事を読んでいくと、ドイツチームが宿泊したホテルもブラジルチームが宿泊したホテルと同じことを考え、選手達にフェルトペンを渡し、宿泊した部屋の壁に選手のサインをしてくれるよう頼んだそうです。
 しかしながら、選手達がホテルを出たあと、部屋を見ると、てっきり今回最高殊勲選手に選ばれたゴールキーパーのカーン選手達のサインが、壁一杯に書かれているものとばかり思っていたところが、全く書いてなかったそうです。それもそのはずです。何の本だったか忘れましたが、ドイツ国民は世界の中でも、最もモラルの高い国民だそうです。ドイツ国民は、モラルつまり日本語で言えば「道徳」について、小さい時から学んでおり、例え、ホテル側から壁にサインをしてくれと頼んだとしても書かないはずです。むしろ、そのようなドイツ国民のモラルの高さを知らずにサインを頼んだ、ホテル側の無神経さを同じ日本人として恥ずかしく感じたところでした。
 もし、日本のチームがブラジルチームと同じ立場だったら、日本チームの選手達はどうするでしょうか。どうするかは皆さんの想像にお任せします。

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