毎年5月の第2日曜日は「母の日」となっており、この日が近づいて来ますと、新聞やテレビ、ラジオ等では母の日に関する特集番組を組んでいるようです。今年もその「母の日」が来ましたが、ラジオ番組で印象に残る放送が行われていました。
その番組は「我が母を語る」というもので、各界の著名の方が、それぞれ自分の子供の頃を振り返り、今は亡き母、あるいは現在でも存命している母の思い出を語る内容でした。
その中で、自分の母親のことを語るとき、男の人は殆どが、「私のお袋は」という言い方で話をしていましたが、ご存知のように「お袋」とは、成年男子が自分の母親のことを他人に対して言う時のことばです。その語源に興味がありましたので、図書館に行き調べてみたところ、室町時代、金銭その他大事なものは全て袋の中には入れていましたが、その袋を管理していたのが母親であったことから、母親のことを「お袋」と呼ぶようになったそうです。
さて、「我が母を語る」の中で、特に印象に残っているのが、参議院議員の西川きよしさんの話でした。西川さんは、元漫才等をしておられたタレント出身の方ですが、話によると、子供の頃は相当苦労されたそうです。男だけ5人の兄弟で、育ったのが、終戦直後の食糧難の時代でしたが、いつもひもじい思いをし、食事をする時が一番うれしかったそうです。
それは母親が子供達に「ご飯はたくさんあるから、心配しないで腹一杯食べなさい。」と口癖のように言い、おひつの中に入っているご飯が子供達に見えるように、おひつを傾けたりしていました。おひつの中のご飯を見て、西川さん等子供達は競ってお代わりをしていたそうです。今その当時のことを振り返ってみると、おふくろさんはご飯を全て子供達に食べさせ、自分はイモ等を食べていたのではないかと思う。今思うとお袋さんに対し、誠にすまないことをしたと涙ながらにしみじみ語っていました。
その話を聞き、私も思わず涙が出てきました。私も西川さんと同じように男5人と女1人の6人兄妹でしたが、食事の時はそれこそ戦争でした。ご飯を食べながら、子供達の目はお袋のそばの「おひつ」に集中し、茶碗の中にまだ残っているのに、「ごはん」と言ってお代わりをしていた思い出があります。私のお袋もそのとき、お代わりをする子供達の要求に応じてご飯を注いでいましたが、子供達が競争で3杯も4杯も食べていましたから、今思うと私のお袋も西川さんの母親と同様、イモ等で我慢をしていたものと思います。
私が育ったのも終戦直後でしたが、現在の「飽食の時代」からは想像もつかないほど食糧難でした。今振りかえって見ましても、よく育ったものだなと思うときがあります。その裏には、このような母親の苦労があったわけで、今更ながら母親に感謝しているところです。






