校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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白い粉

 アメリカ全土では、同時爆発テロに続き、民主党の上院内に送られてきた「白い粉」入りの手紙が、実は「炭素菌」だったことがわかり、この手紙を取り扱ったとされる郵便局員が数名死亡するという事件が発生し、さらに一連の炭素菌事件はさらに広がりを見せようとしています。アメリカ国民は新たなテロに戦々恐々としていることはもちろんですが、アメリカと同盟国である日本でも対岸の火災視しているわけにもいかず、様々な対策がとられているようです。
 新聞報道によりますと、ある鉄道会社では、こぼした菓子の粉が放置されただけでも不審物になってしまうことから、不審物を発見した場合は、「掃除せず、衣類や紙などで覆う。」、「粉が霧状になったら空調装置を停止する。」等の車内マニュアルを作成したということです。
 さらに、「白い粉」に関する記事としては、厳戒体制に入っている沖縄の海兵隊キャンプ地で、ゲートの中に入ろうとした乗用車の中から正体不明の「白い粉」が発見され、有害物質の担当者が駆けつける等一時は緊張しましたが、中身はただの「食塩」だったそうです。沖縄には「魔除け」として車内に塩を置く習慣があり、多くの県民がそうしていることがわかり、大騒ぎも一件落着しました。
 この「白い粉」では、私も苦いというか誠に恥ずかしい思いをしたことがあります。それは、昭和48年のことでした。この年、日本国内では、田中角栄が唱える「日本列島改造論」の関係で物価が急上昇し、そのあおりで生活物資の「トイレットペーパー」や「砂糖」等が不足し、店頭から消えてしまうという現象が出てきたのです。
 当時私は、家族を日南市に残し、研修のため半年間、福岡市の学校に入校していましたが、休暇で宮崎に帰ろうとしたところ、妻から「日南では砂糖が不足しているので、買ってきてくれ。」との電話を受けたのです。福岡でもその現象がありましたが、かろうじて砂糖を1キロを買い、飛行機に搭乗しようとしたところ、手荷物検査の所で、係員からバッグの中の品物を見せるよう求められたのです。現在では、手荷物はX線検査で簡単に出来ますが、その当時はそのような装置がなく、バッグの中身を全部出して不審物はないか確認していたのです。私の順番になり、バッグの中からお土産等と一緒に「砂糖」を取り出したところ、係員から、「これは何ですか。」という質問を受けたのです。私は中身は「砂糖」ですから、「砂糖ですよ。」と返事すると、「本当に砂糖ですか。一寸待ってください。」と不審がられ、間もなくすると、空港の警察官もかけつけて来たのです。そのころには、手荷物検査を受ける人達が私の後ろにズラリと並び、私と係官や警察官のやり取りを見ており、質問を受ける私は穴があったら入りたいような心境でした。
 ようやく、中身が「砂糖」であることがわかり、無事飛行機に乗ることが出来ましたが、どうやら私が疑われたのは、当時飛行機便で「覚せい剤」を堂々と運搬する事件が頻繁と起こっており、「砂糖」が「白い粉」だったので、「覚せい剤」ではないかと疑われ、その犯人と見られたものでした。
 今でも「白い粉」という記事が出るたびに、このほろ苦い経験を思い出します。

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2003年02月14日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

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