校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年03月 アーカイブ

2003年03月03日

プロの職業意識

 最近の世の中はどうなっているのでしょうか。国会議員の権力を最大限に悪用したといわれても仕方がないような衆議院議員によるあっせん収賄事件、悪を取り締まるべき立場にある検察官による脱税と収賄事件等、次から次に事件・事故が発生し、お陰でテレビのワイドショーは、ネタがなくなるということは当分なさそうです。確かに今の日本は、どこか狂っているようです。
 そのような中で、またとんでもないことが起こり、テレビや新聞等を賑わしました。それは、大事なお客さんの命を預かっているプロであるはずの高速バスの運転手が、こともあろうに、車を運転中に酒を飲んでバスを運転し、接触事故を起こして酒気帯び運転で検挙されたということです。人によっては、殺人等に比べて刑が軽いという人がいるかもしれませんが、もし、これが転落あるいは衝突でもしておれば、バスには多くの人が乗車していたので、巻き添えになり、大惨事になっていたはずです。
 新聞報道によりますと、この運転手は、JR東海高速バスの50歳になる男性で、運転当日の朝、先ず自宅で焼酎1杯を飲み、車を運転して会社に出勤し、次いでバスを出発させる前と営業所からお客さんが待つ名古屋駅に行く途中に、今度は50ミリリットルの「酎ハイ」を飲み、そのまま高速バスを運転してJR名古屋駅まで行き、そこで新宿駅までのお客さん22名を乗せ出発したということです。
 ところが、高速道路を走行中に路肩にぶつかりそうになったり、蛇行しながら運転するので、不安を感じた乗客が、車内から家族や知人に「運転手が飲酒運転をしているようだ。」と携帯電話やメールを送り、心配した家族がJR東海高速バスに問い合わせ、同社がその運転手に連絡をとると、既にその高速バスは、山梨県の談合坂サービスエリアで駐車中の乗用車にぶっつける物損事故を起こした後だったということでした。
 山梨県高速警察隊で飲酒検知をしたところ、運転手から呼気1リットルにつき0,3ミリグラムのアルコールが検出されたため、近く酒気帯び運転容疑で書類送検するということです。運転手は警察の取り調べに対し、「東京に着いた時、夕食時に飲もうと思い酎ハイを買ったが、暑かったので飲んだ。途中山道が多く、酔ってしまった。」と供述しているそうです。また、警察でその運転手の持ち物を調べると、封を切ってない焼酎ビンを持っていたということですから、ひょっとしたら既にアルコール中毒の状態であったかもしれません。
 この運転手が、高速バス運転経験20年のベテランで、しかも新人の運転手を指導する「指導運転手」の立場にあったということですから、全くあきれた運転手がいたものです。国土交通省では、早速バス会社に対する調査を始めましたが、新聞報道等からすると、この運転手にはお客さんの大事な命を預かっているというプロとしての職業意識が既に失われており、これだチェックできなかったというところに、今回の問題点があると考えています。それにしても大惨事という事態に至らなかったことが、せめてもの救いです。

2003年03月04日

喫煙者のマナー

 最近ラジオを聞いていますと、公共広告機構による「喫煙者のマナー」と題するコマーシャルが二つ出ています。
 その一つは、交差点でタバコを吸わない人が信号を待っていると、風上に立っている男性がタバコを吸い始めたため、そのタバコの煙が風下のタバコを吸えない人の方に流れてきたもので、そのときの会話が、「一寸、あなた。あなたのタバコの煙が、勝手に私の鼻の穴に入ってきましたよ。住居侵入で訴えますよ。どうするのですか。」というものです。
 もう一つは、おばあちゃんがパーマ屋に行き、折角、おめかしをしたところ、その帰りに、男性の吸ったタバコの煙がおばあちゃんの髪にかかったもので、そのときの会話が、「今日、折角パーマをかけて綺麗にしたのに、家に帰ったら、おじいちゃんから『お前の髪はタバコ臭い。すぐ洗いなさい。」』と言われたのですよ。パーマ代が台無しになってしまったのよ。あのタバコを吸った人を恨んでやる。」というおばあちゃんのセリフがあり、続いておじいちゃんの「私も恨んでやる。」というセリフがあるコマーシャルです。
 この二つのコマーシャルは、タバコを吸わない人の気持ちを良く現しており、タバコを吸ったことがない私も、その気持ちが良くわかり、ラジオを聞きながら、よく出来たコマーシャルだなと感心しているところです。
 ところで、今年(平成14年)の6月、東京都の千代田区では、「歩きながらのタバコ喫煙禁止条例」を制定しましたが、その理由は次のようなことでした。千代田区という所は、役所等官公庁が多い所ですが、夜の人口が約5万人なのに、昼間の人口はなんと約80万人にもなるそうです。そのせいでしょうか、歩道や車道のほか、駅等街のいたる所にはタバコの吸殻が投げ捨てられ、その吸殻を清掃するのは並大抵のことではないそうです。そのままにしておくと、さらに汚くなりますし、特に雨が降った後はさらに吸殻を拾い集めるのに、手がかかるということです。
 そして、最も危険なのは、混雑している人ごみの中を歩きながら、平気でタバコを吸う行為で、これまで数多くの人が、タバコの日が腕等に当たりヤケドしたほか、タバコの火が飛んで服を焦がし、買ったばかりのお気に入りの洋服が台無しになった例等、タバコ喫煙者のマナーに関する苦情が100件以上、千代田区役所に寄せられ、千代田区では検討の結果、全国に先駆けて条例を制定したということです。
 医者の説明によりますと、タバコの火は800度以上にもなり、火種が一寸でも腕等に触れただけでもヤケドになるわけですから、歩きながらの喫煙は非常に危険なのです。
 条例では、歩きながらの喫煙はもちろんのこと、立ち止まっての喫煙、そして吸殻入れを携帯しての喫煙等全てを禁止し、これに違反したら2万円以下の罰金が科せられるということです。 このように最近喫煙者に対する風当たりが強くなっていますので、タバコを吸う人は、他人に迷惑をかけないようマナーに心がけましょう。

2003年03月06日

日本人のプロ野球離れ

 私は兄達の影響で、小学校の時から野球が好きになり、暇があるとキャッチボールをしたりしていましたし、また、「野球年鑑」という分厚い本をよんでいました。
 この「野球年鑑」という本は、いわば野球の百科事典というべきもので、日本における野球の歴史や大学野球、そして高校野球、プロ野球等野球に関する全てのことが書いてあり、昭和10年ごろの夏の高校野球のデータが載っていました。学校の教科書を熱心に読んだ記憶はありませんが、この「野球年鑑」は私にとっては宝物で、先生から勉強のことについては、1回も褒められたことはありませんでしたが、こと野球のことに関しては、「クラス一の物知りだ」とほめられたことがあり、今でもそのときの情景を思い出すことがあります。
 昭和30年代から40年にかけてのプロ野球全盛時代には、テレビで巨人戦が放映されると、私だけでなく国民の大多数が固唾をのみ、テレビ見入ったものです。巨人ファンばかりでなく、国民の誰でもが、「ここでホームランを打ってくれ。」というときに、見事にその期待に応えてくれる王選手や長嶋選手の活躍が、子供達に夢と希望を持たせ、そして何よりも大人達の明日への大きなエネルギー源となっていたのです。
 ところが、今年のプロ野球巨人戦のテレビ視聴率が、遂に10パーセントを切ったと報道されていました。このことは数年前から言われ続けてきたことで、「遂に来たか。」という感じで、特別驚くようなことではありません。というのは、今の子供達がスポーツしている姿を見ていると、野球やソフトボールのほか、サッカー、卓球、バレーボール、テニス、ミニバスケットボール等実に様々なクラブがあるようです。
 私達が子供時代は、先ず運動神経の発達した子供達は、キャッチボールから始まり、そして野球選手へと育っていきましたので、自然と野球に興味を持つようになっていましたが、最近はどうやらそうではなさそうです。また、昔はどの子供達も一応キャッチボールは出来ていましたが、最近の子供達がどうでしょう。満足にボールを投げることやグローブで捕球することが出来ない子すら見られる有様です。
 このほか、日本人のプロ野球離れの大きな原因といえば、何といってもイチローや佐々木、新庄等日本人選手の活躍による大リーグ人気ではないでしょうか。特にイチロー選手の活躍には驚かされましたが、これに刺激され、今後日本のプロ野球界からもアメリカのプロ野球に移籍する選手が増えそうで、これでは日本の野球の魅力が益々薄れ、日本人のプロ野球離れが激しくなりそうです。
 このように、自然と日本人のプロ野球離れが進んでいるのに、これに気付かないというか、気付こうとしなかったプロ野球関係者の怠慢もあったのではないかと思われます。只一つの楽しみとしては、万年最下位の阪神タイガース監督に「燃える男、星野仙一氏」が就任し、前半阪神タイガースが活躍しましたので、後半のセリーグ内の巨人戦を楽しみにしているところです。

2003年03月07日

原点

 私達の勤務する指定自動車教習所が、国民の間からどのように見られているかは、興味ある問題ですが、先日の朝日新聞の「天声人語」欄に、現在の指定自動車教習所のあり方に関するこんな記事が掲載されていました。
『街角のカフェのようなシャレた待合室。乗るのはドイツ車。隣に座る教官の指名だって歓迎だ。
 自動車教習所のサービス競争が熱を帯びている。雑然とした中で口やかましい指導員にしかられながら、どうにか免許までたどりつく。そんな体験をした時代には、別世界に映るだろう。
 変身を迫っているのは、少子化の大波だ。去年、公安委員会が指定する教習所の卒業者は全国で197万人。ピークだった90年の4分の3である。2001年の出生総数は117万人で、将来の市場の規模も想像がつく。閉鎖する教習所は出てきたが、それでも1400強がひしめいている。
 各校が学割等の値引きとともに力を入れているのが、イメージの向上策。携帯電話を使いこなす若者の間では、評判は良くても悪くてもすぐ伝わるからだ。
 設備を一新し、ホームページで「快適空間」「女性教官を充実」等とうたうのは当たり前。教官向けマナー集も作られている。悪い例を挙げ、どう改めるかを考えさせる。例えば、「ブレーキ遅いよ」は「もう少し早めに踏みましょう」に言い換えるという調子だ。
 先輩ドライバーの一人としては、新米を甘やかさないか心配したくなる。警察では、教習所ごとに卒業者の1年以内の事故率を公表するところが増えている。周辺の交通事情や学生の質等教えている側にも言い分があるようだが、手綱を締めさせる効用はありそうだ。
教習にとっての最大サービスは安全運転を叩き込むこと。生徒集めを競うにしてもこの原点だけは失わないでもらいたい。』
 この文面を読まれた感想はいかがですか。私はこの「天声人語」を読み、さすがは一流新聞の論説委員が書いただけあって、現在の指定教習所のあり方について鋭い突込みをしており、まさに「目から鱗が落ちる」思いがしました。
 現在どの教習所においても、大なり小なり少子化の影響を受け、この文面にあるように自動車教習の生き残りをかけ、若者が好むように施設を整備したり、「優しい教習」を心掛ける等イメージ向上策をとっているのが事実です。また、どこの自動車教習所でも口やかましい指導員はあまり見当たりませんし、どちらかというと教習生に優しく教える指導員の方が多くなっています。
 しかしながら、指定自動車教習所が出来たそもそもの原点は、「安全で確実なダライバーの育成」にあったはずです。事故を起こさないドライバを育てるためには、いつも優しいだけでなく、時には厳しく、「命の尊さ」を教えることも大事なことです。私達も、この原点だけは、見失わないよう心がけましょう。

2003年03月11日

基本動作

 先日の修了検定は、警察本部交通部運転免許課員の立会いで行われましたが、検定終了後、指導官以下の係官から次のような運転に関する基本動作について、数点の指導がありました。
 その一つは、「ハンドルの回し方」のことです。ハンドルの回し方を見ていると、一部の人ですが、たぐりハンドルになっていたり、連続してハンドルをたくさん回すときに、手を持ち替えることが出来ず、手が交差したままハンドルを持ち続けていた受検生があったそうです。特に手を交差したままハンドルを持ち続ける癖がつくと、急ハンドルが切れず、事故につながりますので、運転教本にある通り、基本をしっかり教えて下さいということでした。
 その二つは、「坂道発進の要領」のことです。受検生のなかに、坂道で停止し、サイドブレーキをかけたところまでは良かったのですが、いざ発進しようとした際、アクセルをふかし過ぎ、ものすごいエンジン音になったそうです。その受検生は、まだ半クラッチの要領が未熟な様子でしたが、坂道発進は誰でも不安感がありあわてるので、半クラッチの要領が良くわからないないときは、平坦な所で練習させるのも、一つの方法だということでした。
 その三つは、「ギアチェンジの際の脇見」のことです。運転中、ギアを入れ替えるたびに、チェンジレバーの方に目をやる受検生があったそうです。初心者の場合、ギアが入ったかどうか不安で、ついチェンジレバーの方に目をやりがちですが、これは「脇見」の原因となりますので、第1段階の時、しっかり指導してくださいということでした。
 その四つは、「ハンドブレーキの使い方」のことです。ハンドブレーキをかけるとき、あまりにも力一杯に引いたために、レバーが動かなくなったり、戻し方の要領が悪く、両手を使ってもレバーが戻らなかった受検生があったそうです。ハンドブレーキの「かけ方」、「戻し方」は基本中の基本ですから、しっかり指導してくださいということでした。
 以上の指導内容は、全ての受検生がこのような運転をしていたというわけではないようですが、指摘された上記四つの内容は、いずれも第1段階の教習において、教習生が学ぶ基本的な動作であり、指定教習所としては、考えさせられた指導内容でした。
 私も時々、各教習指導員の車に同乗させてもらい、教習振りを拝見させてもらっていますが、どの指導員も熱心に基本動作を繰り返し指導しているようです。
 しかしながら、修了検定において、受検生が指摘されるような運転動作をしていたということについては、教習指導員としては、今一度反省すべきことなのかも知れません。教習生は、年齢、男女の別、運動神経の善し悪し等千差万別ですが、指定教習所は「初心運転者の教育機関」ですので、各指導員がこれら運転の基本動作をしっかり指導して欲しいと願っているところです。

李下の冠

 「李下に冠を整(ただ)さず」という言葉がありますが、これは、中国の「文選」楽府四首の中にある「君子は未然に防ぐ、嫌疑の問に処らず。瓜田(かでん)に履(くつ)を納れず、李下に冠を整さず」から引用したもので、その意味は、スモモの木の下で冠に手をやって直したりすれば、その実を盗んでいるように見られる。全て他人に疑われるようなことは避けよという戒めの言葉です。
 最近、この戒めの言葉を改めて思い出させる出来事がありました。それは衆議院の厚生労働委員会において、帝京大学の裏口入学に関して、議員から「調査したところによると、厚生労働副大臣は選挙区内の受験者の親から頼まれ、合格発表の前に、受験生の受検番号を大学の総長に通報したということですが、その事実はありますか。」という質問に対し、答弁に立った厚生労働副大臣は、「そのようなことはありました。代議士をしていれば、このようなことはしょっちゅうあることです。」と答えてしまったのです。
 これには質問をした議員も唖然とし、答弁席に座っていた厚生労働大臣も思わず苦笑いをしたほどでした。誠に「正直」な答弁というか、いつもやっていることなので、つい「本音」が出たものと思いますが、この答弁を聞いて国民の誰もが、「合格発表の前に、受験生の受検番号を大学の総長に連絡をするということは、暗に裏口入学をお願いしたもの」という風に受け止めたに違いありません。
 案の定、この答弁は委員会でも問題となり、新聞やテレビ等のマスコミも一斉に報道しましたが、当の副大臣は、委員会終了後、記者のインタビューに対し、「受験生の父親が私の後援会の幹部で、頼まれたから秘書を通じて受検番号を連絡しただけだ。受験生の親から一切金は受け取っていない。」と答えていましたが、その模様をテレビで見ていると、少しも悪びれた様子ではありませんでした。しかしながら、一般的に考えると、「受検番号を合否の権限を持つ総長に知らせる」ということは、裏口入学を頼むことで、当然その裏には金が動く、つまり、「副大臣は受験生の親から金をもらっている」と考えるのが当然でしょう。副大臣はこの点について「天に誓ってもない」と弁明していましたが、遂には任期半ばで「辞職」をせざるを得ない結果になってしまいました。
 このように本人は気付きませんが、他人から見たら疑われるような行動をしていることがあります。私の知っている人で、若い女性と話すとき、さも親しそうに肩に手をやったり、頬を近づけんばかりにして小声で話かける癖のある人がいましたが、このような仕草は、傍から見ていても余り良い光景ではありませんでした。
 これと同じようなことが、私達の身の回りでも起こり得ます。例えば、もし指導員が女性の教習生に対し、教習終了後、肩に手をやったり、腕を握ったりして話をしたとしましょう。指導員は教習生の出来が良かったので、褒めるために親しみをこめてそうしたのだといくら弁解しても、他人から見たらセクハラに映る場合があります。
 特に我が国では、男性が妻以外の女性の身体に触れること自体、セクハラだといらぬ疑いをかけられますので、男性職員の皆さん、くれぐれも用心しましょう。

2003年03月12日

平常心

 あるテレビのクイズ番組を見ていたところ、回答者にマルチタレントの「乙武さん」が出演していました。乙武さんはご承知のように、不幸にも生まれながらにして両手が肘から先がなく、また足も両膝から先がない障害者ですが、ハンディにもめげず早稲田大学を卒業し、今では本を書いたり、テレビ番組にも出演する等目覚しい活躍をしている人です。
 乙武さんの博識ぶりについては、かねがねテレビを見たりしたりして知っていましたので、クイズなんか簡単に全問回答するだろうと軽く考えながら見ていたのです。出題された問題は、4問目までは私も回答できる位の問題であり、もちろん乙武さんは簡単に答え、全問正解で5問目になったのです。
 ところが、5問目の問題に入るとき、司会者が「緊張していますか。」と聞きましたところ、「緊張しています。うちでこのクイズ番組を見ていると、簡単に全問正解できますが、この席に座ると上がりますね。頭の中が真っ白です。平常心が出せるよう集中しています。」と答えていました。それを聞き、こんな頭のいい人でもやはり上がるのかなと思いながら、次の問題を待っていたところ、こんな問題が出題されました。
 その問題は、「芭蕉の『五月雨を集めて早し・・・』という俳句の・・・の川はなんと言う川でしょう。」というもので、その答えは、「隅田川」「最上川」「石狩川」「信濃川」のいずれでしょうというものでした。それを見て私は直ぐ「最上川」だとわかり、「なんだ。500万円の問題にしてはやさしすぎる。」と思ってテレビを見ていたところ、なんと乙武さんは即答できず、頭をひねっていました。結果的には、その問題も応援席の支援で正解を回答することが出来ましたが、これが尾を引いて7問目で見事失敗に終わったのです。
 このテレビを見てつくづく「平常心」を発揮することの困難さを目の当たりにしたのですが、わが都城自動車学校でもこのような場面を見ることがあります。
 それは、修了検定や卒業検定のときの教習生の様子です。普段の練習ではうまくいき、みきわめもパスしたのに、いざ検定になったら、頭の中が真っ白になったのか、「コースは間違う」「脱輪する」等の連続で、数回検定に失敗した教習生がありました。
 この教習生に対しては、そのつど補修が行われましたが、補修の時はスムーズに走行するのに、何故本番で失敗するのかと不思議がるほどでした。落ち込む教習生に対し、あるベテランの指導員が、「緊張する人は、検定前日に豚肉とネギを食べると、本番で落ち着くらしいよ。」とアドバイスしたところ、見事次の検定には合格することが出来たということです。
 このように普段の練習通り、本番の検定において「平常心」を発揮することは、教習生の性格等にもより実に様々で難しいことですが、そのためには、みきわめの段階で教習生に「自信」を持たせることが必要であるし、また、指導員のこのような何気ない「ひとこと」が、案外教習生を落ち着かせることになるのかも知れないと思ったところでした。

2003年03月13日

ラジオ

 私は自宅にいる間は、テレビを見ているよりラジオを聴いている時間の方が多いようです、
先ず、朝6時から約1時間散歩する時は、ラジオは欠かせませんし、自動車学校に出勤するため、8時前に自宅を出るまで、ずっとラジオを聴いています。聴く内容は音楽番組、ニュース等様々ですが、テレビより集中して聴くことが出来ますので、今や私にとってラジオは必要不可欠なものになっています。
 私のラジオ好きは今に始まったものではなく、子供の時から好きでした。私が子供の時は、現在のようにテレビがありませんでしたから、唯一の娯楽はラジオでした。夕方の子供向けのラジオ番組に、「紅孔雀」「笛吹き童子」「オテナの塔」というのがありましたが、ラジオから流れてくるセリフや音楽を聴きながら、その情景を想像していたものです。
 また、こんなことがありました。私の実家は、茶の栽培のほか、自宅周辺に約500本のミカンの木が植えられており、夏休み期間中、私達兄弟は親父からそのミカンの樹の下に生える雑草の草取りを命じられていました。1日5本のノルマを果せないと、水泳等遊びに行くことが出来ませんので、私にとってこの作業がとても苦痛でした。何とか早く、しかも楽に作業する方法はないものかと考えたのが、ラジオを聞きながらの作業だったのです。その当時、携帯ラジオはありませんでしたので、離れたところでラジオを聴くためには延長コードが必要です。何とかそのコードを準備し、ラジオから流れてくるスポーツ番組を聴きながら作業していると、親父がやって来て、「こんなことで作業がうまくいくか。」と怒鳴られ、挙句の果てに親父がそのラジオを地面に投げつけたため、ラジオは壊れてしまいました。ちなみにそのラジオは親父が自分で買ってきたばかりであり、後年、親父が、「あのラジオは買ったばかりで惜しかった。」と述懐したことがありました。
 そのラジオ番組で、最近よく聴いているのが、NHKの深夜番組です。ゴルフのある朝は、前日どんなに早く休んでも午前3時か4時ごろには決まって目が覚めます。まるで子供の時の遠足の朝みたいですが、不思議と遅れる夢を見てハッとして目が覚めるのです。そのようなとき、時間を確認して再び眠ると、寝過ごすか、あるいは二度寝入るするため、かえって頭がスッキリしません。
 このようなとき、時間を確認するため、ふと枕元の携帯ラジオのスイッチを入れたところ、午前3時の深夜番組で、橋幸夫や吉永小百合等の懐かしい歌手達の歌が流れていました。それを聴いていると、青春時代を思い出し、思わず歌詞をくちずさむほどでしたが、この気持ちは私だけではなかったようです。
 それは、そのコーナーで「お便り」というのがありますが、65歳の女性からの「私は午前3時ごろ目が覚めることがあります。直ぐラジオのスイッチを入れると、懐かしい歌が流れており、それを聴いていると、この放送を聴いているのは自分だけではない。日本だけでなく、世界の人々が聴いていると思うと、なんだか元気が出ます。」という内容の便りでした。
 この便りを聴いてから、益々私のラジオを聴く時間が増えてきております。

2003年03月14日

自転車の交通マナー

 私は通勤用として自転車を使っていますし、また休みの日はサイクリングをする機会が多いので、ことのほか自転車に興味があり、自転車が大好きです。自転車に乗っていると、人の動きや新しい店の開店等、車に乗っているときには見えない部分を見ることが出来ますし、どこでも自由に止めることが出来るので、自転車は大変便利な交通手段です。
 その自転車による交通事故が、最近増えているという記事が新聞に掲載されていました。それによりますと、自転車は道路交通法では、「車両」と定められています。昔は車道を通行していたのですが、交通機関の発達による交通量の増加と我が国の道路が狭いため、やむなく「自転車通行可」と標識で表示されているところでは、自転車も歩道を通行することが出来るようになったということです。
 そこで道路交通法では、自転車が歩道を通行する時は、「車道を通ること」「徐行すること」「歩行者の妨げになる場合は一時停止すること」等を定めており、これに違反した自転車乗りには、2万円以下の罰金が科せられるようになっています。
 新聞報道等を見ましても、坂道を猛スピードで下ってきた自転車が、歩道を通行中の老人と衝突し、老人が大怪我をした事例がありますし、無灯火で走る自転車や歩行者の肩をかすめて走る自転車も多くなったと言う投書が見られる等歩道上のトラブルが続出しており、「自転車の交通マナー」が悪くなったような感じがします。
 そういえば、私も次のような自転車乗りをときどき街で見かけることがあります。
その一つは、信号機の信号を守らない自転車乗りです。これは若い人に多く見られますが、中には交通量が少ない時、誰も見ていないだろうと、年輩の紳士が堂々と信号を無視して横断する場合もあります。
 その二つは、自転車の二人乗りです。狭い歩道をフラフラしながら走行する自転車の二人乗りは、歩行者にとってはいつぶっつけられるかと心配で、とても迷惑です。
 その三つは、携帯電話で話をしながら自転車に乗っている姿です。大きな声で、「はははっ、そうなんだ。うんうん。」と言いながら自転車に乗っている姿を見ると、電話に神経が集中しており、信号機はおろか歩行者の姿は眼中にはないようなので、事故になるのではないかと心配しているところです。
 その四つは、お年寄りが歩道を歩いている時、後方から近づいてきた自転車からいきなりベルを鳴らされると、大概のお年寄りは、後ろを振り返りながらビックリした様子で、どちらに避けようかと右往左往する姿です。そのようなせきたてている自転車の姿を見ると、歩行者はもちろんのこと、見ている私まで腹立たしくなることがあります。
 このほか、いろんな交通マナーの欠けた自転車乗りを見かけることがありますが、このような自転車乗りにならないよう、常に「歩道を走らせてもらっている」という気持ちで走り、歩行者を追い越すときには、ベルの代わりに「おはようございます」「こんにちは」と声をかけているところです。

2003年03月18日

超高齢社会

 9月15日は「敬老の日」でしたが、これに先立ち、県内の最高齢者である宮崎市平和が丘町の川野マツエさん(109歳)方を県の福祉保健部長が訪れ、お祝いの賞状や記念品を手渡している模様がテレビで放映されていました。
 川野マツエさんは、私の自宅近くに住んでいるおばあちゃんですが、川野さんの娘さんが習字の先生をしておられた関係で、私の息子達も小学生の頃、習字を習いに通っており、その頃から川野さんのことは知っています。川野さんは今年109歳になられたそうですが、多少耳は不自由なものの、顔色にはまだ若さが残っており、それに何といっても高齢者にありがちな老人臭さがなく、とても上品なおばあちゃんです。
 その川野さんに、県の福祉保健部長が「長寿の秘訣は何ですか。」と質問していましたが、これに対し、川野さんは、「色々ありますよ。しかし人には教えられません。」と茶目っ気たっぷりに返事されるのを見て、案外、長寿の秘訣は「シャレッ気を持つこと」ではないかと思いました。
 それは10数年前に、鹿児島県の奄美大島に「泉重千代さん」という日本では最高齢者のおじいちゃんがいましたが、その泉さんに、「どんな女性が好みですか。」という質問があったそうです。すかさず泉さんは、「私は年上の女性が好きだ。」と答えられたということです。当時、泉さんが日本の最高齢者でしたから、泉さんより年上の女性がこの世に存在するはずがありません。それを承知で平然と答えたわけですから、シャレッ気があるおじいちゃんだなと当時感心したことがあったからです。
 ところで新聞報道によりますと、今年県内で100歳以上になった人は、今までの最多の338人に達し、さらに全人口に占める65歳以上の人の割合は、21,3パーセントになったということです。
 宮崎県では、今から約40年前に65歳以上の人が占める割合が7%を超え、他の都道府県よりいち早く「高齢化社会」に突入しましたが、さらに、平成2年には20パーセントを超え、遂に「超高齢社会」となってしまいました。数年後には、この比率も30パーセントを超えるのではないかと予想されています。
 この「超高齢社会」は、どうやら宮崎県内の高齢者ドライバーの増加にも大きな影響を与えているようです。現在、県内の70歳以上の方の35パーセントは何らかの運転免許を保有し、その方達が「高齢者講習」を受講することになるわけですが、その数が、今年の12月から来年の4月にかけては、毎月約2,000人になるそうです。各校ともこの時期が繁忙期と重なることから、今からその対策に躍起となっているところです。
 これからは年々、少子化の影響で県内の各自動車学校とも、入校生は暫時減少し、逆に「高齢者講習」を受講する高齢者ドライバーが増加することが予想されますが、高齢者ドライバーが運転中に交通事故によって死亡した件数は、昨年、若者ドライバーの死亡数を上回ったということが報告されており、事故防止のため、指定自動車学校における「高齢者講習」も充実が重要になってきたようです。

身障者ドライバー

 先日のテレビで、ベストセラーの「五体不満足」で知られるスポーツライターの「乙武洋匡さん」が、運転免許を取ろうと思い立ち、乙武さんだけが乗れる自動車を作ってもらい、その自動車を使って待望の運転居を取得するまでの過程を綴った「俺は車の運転がしたい。汗と涙の750日」」が放映されているのを見ることが出来ました。
 乙武さんは、生まれつき手足のないハンディを背負ってこの世に生を受けましたが、家族、特にお母さんの手厚い愛情と、持ち前の明るさと負けん気を発揮して早稲田大学を卒業し、食事等生活面でもなんら健常者と変わらない、いや健常者以上の立ち振る舞いをしている人です。
 乙武さんが、手足がない不自由な身体ながら、自分で自動車を運転してみたいと思い立ったのは、今から2年前だそうです。それは、乙武さんが学校に通ったりするため、家を数回引っ越していましたので、自分のためにこれ以上家族に迷惑をかけたくないという気持ちがあったからだということでした。
 そこで、身障者用の自動車メーカーであるアメリカのアナフィールド社に行き、身障者ながら運転したい思いを伝えましたが、当初、会社側も手足のない乙武さんの姿を見て、専用自動車の製作を渋っていました。しかし、乙武産の熱心さと器用さに促され、運転に必要なアクセル、ブレーキ、ハンドル等に相当するレバーを備えた乙武さん専用の専用ワゴン車を製作したのです。
 ところが、日本では、道路交通法で「運転免許の欠格事由」が定められ、乙武さんのように手足のない人は、受検資格そのものがありません。それを知った乙武さんは一時、運転免許を取得することを断念しましたが、持ち前の頑張りで各方面に働きをかけ、これがきっかけとなり、平成14年6月、道路交通法の一部が改正され、「障害者の知的、身体能力が的確と確認できれば免許試験を受けることが可能」となったのです。これで生まれつき手足のない「先天性四肢切断」の乙武さんにも門戸が開放されたのです。
 早速自動車学校に入校しての練習風景が映し出されていましたが、練習する車は、教習車より一回り大きい乙武さん専用のワゴン車でしたから、特に、左折、クランクコース、S字コースでは何回挑戦しても脱輪の連続の様子でした。その映像を見ながら、健常者でもワゴン車より小さな教習車で失敗するのですから、乙武さんの奮闘振りに感動したのは勿論のことです。健常者の倍以上の努力の結果、乙武さんは仮免許、本免許とも1回で合格し、8月末には待望の免許証の交付を受け、その翌日には、東京から仙台までドライブもしたそうです。
 乙武さんは「運転が出来るようになったという事実以上に、プロジェクトを成し遂げた充実感の方が大きい。障害者の代表というつもりはないけど、自覚と責任を持って運転していきたい。」と話していましたが、これから運転免許を受けたいという人にとって、勇気を与える言葉になったことでしょう。

2003年03月26日

定位置

 私は都城自動車学校まで通勤するため、毎朝、JR宮崎駅から西鹿児島駅方面行きの普通列車に乗車しています。その列車は、日豊本線上りの特急「にちりん」が、宮崎駅を出発してから入れ違いに宮崎駅に到着する下りの回送列車です。その列車に乗車する人達は、4番ホームで待つわけですが、私が乗車するのは、いつも最後尾の車両です。
 毎朝、その3両編成の回送列車がホームに入ってくる様子を見ていますが、停止位置はいつもビックリする位正確です。その位置は、ホームに長さ1メートルの黄色いテープが貼付してありますが、そのテープの所で、ピタリと止まるのです。従って、その位置で待っていると、列車が止まり、乗降口のドアが私の目の前にありますので、間違いなく1番最初に列車に乗ることが出来るのです。黄色い線の位置は、列車にとっては停止位置ですが、私にとっては乗車する「定位置」になるわけです。
 自動車学校では、教習生の皆さんが車を停止線の位置に止めるに一苦労していますが、それに比べれば、いくらプロとはいえ、列車の運転士さんの停止動作は、まさに名人芸といってよいでしょう。
 さて、その「停止位置」で、約5分位回送列車が来るのを待っていますと、やがて私の立っている左側の方から「カン、カン」という音がし、マイクで「4番ホームに下り西鹿児島駅行き普通列車が入ってきます。」という放送があると、列車がホームに近づいてくるのが見えて来ます。すると、それまで「定位置」で列車を待っていたのは私だけでしたが、いつのまにかベンチに座っていた人達が、私の周りに数人集まって来るのです。その人達のメンバーは、毎朝変わりますが、ただ一人だけいつも私と一緒にその列車に乗る女性がいます。年齢は30歳代のようですが、いつもスラックスを履いており、あまり化粧はしていないようです。
 その女性は列車がホームに入ってくると、いつのまにか私の直ぐ右側に立っており、ドアが開いて私が乗る動作が一寸でも遅いと、私より先に列車の乗ろうとするのです。レディーファーストという言葉がありますので、その女性に先を譲っても良いのですが、私も良い席を取ろうとして猛暑の中で列車を待っていたわけですから、そう簡単に順番を譲るわけにはいきません。そこで、列車の真ん中付近が私の前を通り過ぎた瞬間、右足を一歩、その女性の前に出すようにしています。つまり、「私の方が先に乗る」という意思表示をするわけです。
 すると、その女性はあきらめたのか、しばらくは私より先に乗ろうとする動作を見せませんでしたが、最近また、私より先に割り込んで乗ろうとする動作が見られるようになりましたから、緊張感を高めているところです。
 ところで、「定位置」といえば、プロ野球では、今年阪神タイガースが闘将星野監督を迎え、前半戦首位を突っ走り、大いにプロ野球を盛り上げましたが、主力メンバーの故障等で7月頃から息切れし、遂に後半は、「定位置」である5位に甘んじています。巨人と比べ、選手の駒不足という点も否めませんが、万年最下位チームに所属していると、選手達の意識が、自然と安住の「定位置」を求めているのかも知れません。

2003年03月28日

プラス・アルファー

 先日、県西地区の検定員・指導員の法定講習会が開催され、都城高等学校竹之内校長先生の「若者の心理とその指導方法」というタイトルの話がありました。
 先生は、県立高校の校長先生等を歴任して7年前に定年退職したあと、現在、都城高校の校長をされている方です。先生の話の中で、自動車学校の指導員は、運転に必要な「技能」と「知識」を教えているが、このほかプラス・アルファーとして是非、教えてもらいたいものがあるという話がありました。
 それは、先生の自宅は、都城西高校の裏側付近ですが、ここは昔、杉や松が生い茂っていた所で、その名残で、今でも近道をするための「ウサギ道」が、先生の自宅前にあるそうです。以前は人が一人通れる位の小さな道だったのが、段々人が通り、やがて自転車やバイクが通るようになり、今では道幅も広くなりましたが、それでも車がやっと1台通れる位の狭い道路だそうです。
 その道路で先生がよく見かける光景があります。それは、朝、中・高生がその道路を自転車で通行する時、反対側から自動車が来る場合があるそうです。当然道の途中で交差できませんから、中・高生は自転車を降り、人家の軒先等に身を寄せるようにして避け、自動車に道を譲るわけですが、その際、運転者の様子を見ていると、殆どのドライバーが道を譲ってくれた中・高生等に、片手を挙げて会釈するとか、クラクションを鳴らすとかの動作がなく、当然のようにして通り過ぎ去って行くのだそうです。
 その様子を見て先生は、「何故、道を譲ってくれた自転車乗りに、頭を下げて会釈する等の感謝の気持ちを表わすことが出来ないだろうか」といつも思われるということでした。そこで、自動車学校で教習する場合、教習生は運転免許を取得するというハッキリした目的を持っており、何でも吸収したいという意欲があるので、運転技能や交通法規の指導のほか、人間として当然行うべきこと、つまり挨拶等のほか、人に対する思いやり等をプラス・アルファーとしてしっかり指導して欲しいということでした。この話を聞き、さすがは教育者らしい考え方だなと感銘を受けたところでした。
 さて、その日は教習が早く終わり、学校からJR山之口駅までの約4キロを散歩がてら歩いて帰ることにしました。稲穂が実った田圃道を歩いていると、約100メートル先から軽トラックがやって来るのが見えました。田圃道は車がやっと1台通れる位の広さしかありませんので、私の方が手前の交差点で車が来るのを待つことにしたのです。そのとき、ふとこの日の先生の講話のことが頭に浮かび、私が道を譲ってくれたことに対し、運転者が果してどんな表情をするのだろうかと興味が湧きました。
 そこで、近づいて来る車の運転者を見ていたところ、高齢者の男性のようで、私の直ぐ前を通るとき、道を譲ってくれた私に頭を下げるとかの会釈をするのかなと期待しながらジッと見ていたのですが、チラッと私の方を見ただけで、会釈するどころか、全く無表情のままで、私の前を通り過ぎ去ってしまったのです。会釈を期待した私の考えが見事に裏切られたわけですが、そのとき、先生の気持ちが痛いほどわかったのはもちろんのことでした。

2003年03月31日

チャレンジ精神

 韓国の釜山(プサン)で開催されたアジア大会の柔道の無差別級では、井上康生選手が見事優勝し、金メダルを獲得しました。ご存知のように井上康生選手は、平成12年に開催されたシドニーオリンピック大会において、100キロ級に出場して金メダルに輝いた選手ですが、今回の大会においても、シドニーオリンピック大会と同じく、全て一本勝ちという快挙を成し遂げてくれました。井上康生選手の試合の様子については、テレビで全試合を見ましたが、技の切れが素晴らしく、何回その試合の模様を見てもスカッとした気分にしてくれました。
 先ず1回戦のカザフスタンのイハサンガリエフ選手との対戦では、試合開始1分38秒で「内股」により投げ飛ばすと、続く2回戦では、ミャンマーのヤン選手をわずか17秒で、これも「内股」で投げましたが、あまりにも技が切れ過ぎて相手の選手が1回半ぐらい宙に舞ったほどでした。
 次の準決勝の韓国蒋選手との試合では、事実上の決勝戦でしたので、井上康生選手の戦いぶりが心配されましたが、終始、蒋選手を攻め続けて試合開始3分10秒で、「大外刈り」により一本勝ちしました。さらに、最後のイズベキスタンのタンブリエフ選手との試合でも、開始3分2秒で得意の「内股」により相手の選手を豪快ににマット上に投げ、国際大会で始めて無差別級に挑戦し、初の栄冠を獲得したのです。
 次の日曜日のテレビ番組「サンデーモーニング」を見ていたところ、球界ご意見番の元プロ野球監督の大沢啓二さんが、この番組の名物である「あっぱれ」を提示し、『シドニーオリンピックで井上康生選手の試合振りを見たが、勝ち方が素晴らしく、そして、何よりもポイントを先にとっても決してそれを守ろうとせず、あくまでも一本勝ちにこだわり、終始相手の選手を攻め続けた。男が男に惚れる選手だ。こんな選手がプロ野球にも出てきて欲しい。』と井上康生選手の戦い振りを絶賛していました。
 井上康生選手にとって、無差別級の試合に出るのが夢だったそうで、試合後のインタビューでも『柔道を始めた頃、父から「弱い者いじめをするな。強い奴にはどんどん立ち向かえ。」と言われた。だからずっと「大きい人や強い選手を投げたい。」と思い続けていた。』と語っていました。
 そして、『来年は世界選手権、次はアテネオリンピックですが、どんな気持ちでこれらの試合に臨みますか。』と言う記者の質問に対し、『シドニーオリンピックと世界選手権では100キロ級のチャンピオンになりましたが、これを守ろうという気持ちはありません。私はあくまでもチャレンジャーですから、100キロ級のほか、夢であった無差別級にも挑戦します。』と「チャレンジ精神」を力強く語ってくれました。
 私の手元には、20年前、都城市内のホテルで職員家族の食事会をしたときの写真があり、そこにはまだ幼稚園生であった「井上康生」の幼き姿も映っています。ニコニコ笑っていますが、この子がまさかオリンピック選手になろうとは思ってもいませんでした。今後も「チャレンジ精神」を持って、戦い続けることを期待しているところです。

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