校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年04月 アーカイブ

2003年04月01日

ウォーキング

 私が住んでいる平和が丘団地に「山田洋一さん」という人がいます。年齢が今年68歳になりますが、1日平均8万歩のウォーキングを続けているそうです。8万歩を距離に換算すると、約40キロになりますから相当な脚力です。私も朝夕散歩しますし、休日の日は約2時間から3時間かけてウォーキングをしていますが、その山田さんと時々会うことがあります。その場所は、宮崎市内を見下ろす所にあります平和台の裏手の「平和台公園」です。
 ここは周囲約2キロ位の二つの池があり、その周囲には立派な周辺道路が設けられていますし、またグランドもありますので、ウォーキングにはもってこいの場所です。山田さんは私より高齢ですが、歩く早さは早く、とても68歳には見えないほど若さがある人です。山田さんとはウォーキング中、顔をあわせたときは挨拶する程度で、直接話したことはありませんが、話を聞きますと、山田さんがウォーキングを始めたのは、60歳の定年になってからだそうです。それからは盆と正月以外は毎日歩き、時には右足に付けた万歩計の数字が10万歩になっている時もあるということでした。ウォーキングコースはもっぱら平和台公園ですが、これを1日に3回歩かれるそうで、第1回目が朝4時から3時間、第2回目が朝食後の約3時間、そして第3回目が午後の3時間となっているそうです。
 こんな超人的な山田さんにはとても及びませんが、私も約10年位前からウォーキングを続けています。私がウォーキングを始めたきっかけは、やや肥満気味になり、しかも職場での健康診断の結果、中性脂肪等の数値が高くなっており、医師からの勧めでウォーキングを始めたのですが、朝ウォーキングをしないと朝ご飯がおいしく食べられないほど、今ではすっかりウォーキングにはまっています。
 私が「趣味としてウォーキングをしています。」等と話をすると、ウォーキングをした経験がない人からは、「何がそんなに楽しいのですか。」と聞かれることが度々あり、そのつど「これはやった人でないとわかりません。」と返事しております。
 ウォーキングは、他のスポーツのように競争するわけでもありませんし、特に技術を必要とするものでもありません。ウォーキング中は、道端に咲いている花を見たり、新築中の家をのぞいてみたり、あるいは知人と会ったときは世間話をする等様々ですが、それがまた楽しいのです。
 私の場合、普段はせいぜい2時間か3時間のウォーキングですが、年に数回は20キロあるいは30キロ歩く場合もあります。串間市に住んでいるときは、電車で隣町の志布志町に行き、そこから串間市まで約20キロ位を4時間かけて海を見ながら歩いて帰ったこともありました。
 また串間市内の官舎から約30キロ離れた野生馬で有名な都井の岬まで、約6時間かけて歩き、一泊して翌日再び串間市内まで歩いて帰ったこともあります。そのときはさすがに足にマメが出来、2,3日は歩くのが嫌になったこともありました。
 このように今やウォーキングは、私にとって生活の一部となっていますが、これからも体力の続く限り続けていくつもりです。

2003年04月01日

準備運動

 第5回MDSフェスティバルは、平成14年10月20日(日)開催されましたが、都城地方は前日の19日に雨が降り、当日も朝から雨雲が立ち込めるどんよりとした天候という状況で、いつ雨になるかと心配でしたが、どうにか最後まで待ってくれました。
 さて、MDSフェスティバルの司会は、第1回から第4回までUMKの江藤友光子アナウンサーが担当でしたが、江藤さんが会社を退社したため、変わって今年はシティエフエム都城の渡邊優華アナウンサーに担当していただきました。渡邊さんは4年間、MRTラジオのアナウンサーとして活躍した後、2年前にシティエフエム都城に移り、現在は同社のアナウンサーとしてバリバリ活躍している女性です。
 フェスティバルの開始は午前11時からでしたので、私は正面テントの中で、その渡邊さんと簡単な打ち合わせをしたのですが、それが終わると、いつのまにか渡邊さんの姿が見えなくなっていました。もう直ぐフェスティバルが開催される時間なのにと思いながら周囲を見渡したところ、テント裏にある貝塚の木の陰から女性の声が聞こえてきました。
 耳をすませて聞きますと、それは、「アエイウエオアオ」、「カケキクケコカコ」、「サセシスセソサソ」、「タテチツテトタト」のほか、「キャキェキィキュキェキョキャキョ、「ミャミェミィミュミェミョミャミョ」等、まるで鳥がさえずるような声なのです。そうです。渡邊さんはれっきとした現役アナウンサーですから、本番前の準備運動として、発声練習をしていたのです。
 やがて、発声練習が終わったのか、渡邊さんは、私達が待機しているテントの側に来ましたが、そこでも再び大きな口を開けて「アエイウエオアオ」と発声練習を続けました。私はその発声練習の様子を直ぐ側で拝見していたのですが、口が縦と横に感心するほどよく開くのです。
 練習が終わったので、渡邊さんに「本番前にはいつも練習されるんですか?」と尋ねてみたのです。すると渡邊さんは、「本番前には必ず練習します。これはアナウンサーの準備運動ですから」と答えてくれました。さすがは現役アナウンサーであり、今回のように観客数があまり多くないのに、全力で「司会」という仕事を全うしようとする渡邊さんの意気込みに感心したところでした。
 この準備運動が充分なされたせいか、フェスティバルの開幕から、渡邊さんの声は元気でハキハキしており、直ぐ観客をひきつけることが出来、以後の行事もスムーズに進行することが出来たのです。やはり、フェスティバルのようなイベントは、司会者の司会いかんによって成功したり、失敗したりするもののようです。
 なお、赤崎副校長から聞いたところによりますと、私達が普段会話する時の声は「胸式呼吸」といい、胸で息をしますが、渡邊さんがやっていた発声練習は、「腹式呼吸」といい、腹で呼吸を整えるのだそうです。
 何事をするにも、始める前に準備をすることは必要でありますが、今回は、特に準備運動の大切さを痛感したところです。

2003年04月02日

食育のすすめ

 第35回全指連大会は、平成14年11月1日(金)開催されましたが、その前日、特別講演会があり、服部料理学園の服部幸應校長先生の「食を通じての人間教育・・食育のすすめ」と題する話を聞く機会がありました。服部先生の姿はテレビ等で拝見していますが、講演を聞くのはもちろん初めてで、次のような内容の講演がありました。
 現在、日本人の平均寿命は男性で78歳、女性は84歳と世界一位となっていますが、寝たきりや痴呆の状態で寿命を長く保っている人達が多く、その状態が平均6,8年あり、他の国に比べてはるかに長いそうです。
 そのため、介護する人達のご苦労といったら大変なことで、介護する立場からすれば、「ピンピン翌日コロリン」が一番理想だそうです。つまり、寝たきり等になったら短期間で、あの世に行って欲しいというわけです。また、日本人は他の国に比べて規範意識が低く、尊敬できる人としては、塾の先生、スポーツの監督等が上位を占めており、学校の先生は意外と人気がないようです。その中で、自動車教習所の指導員は、50番中第8位と比較的人気のある仕事だそうです。
 さらに日本では、両親を尊敬できる比率が、韓国等と比べて約25%と低く、国の存立そのものが危険な状態にあり、特に、「食に関する教育」を早急にやらないと、大変なことになるということでした。
 「食に関する教育」では、次の三つが大切ということでした。その一つは、「食品は安全でおいしい物を食べさせる。」ということでした。我が家で握った「おむすび」は、2日位で黄色くなりますが、コンビニで買った「おむすび」は、冷蔵庫に入れておけば1週間後でも食べられます。その理由は、コンビニの「おむすび」には、多量の防腐剤が入れてあるからです。これは食品業界では、「食中毒を出してはいけない。」ということが不文律になっており、そのため、食品を食べる国民の健康状態は考えず、防腐剤や食品添加物をたくさん使うからです。
 また、人間の骨は28歳の頃までは成長しますので、若い時に絶対ダイエットをさせてはいけないそうです。特に若い女性の身体はメチャメチャになりますから、十分注意し、子供にはおいしい物を食べさせる配慮が大切ということでした。
 その二つは、「家庭における躾(しつけ)」のことです。最近若い人の中で、箸を正しく使えない人や挨拶をきちんと出来ない人が増えています。核家族になったのもその原因の一つのようですが、学校では出来ませんので、やはり躾は、各家庭でしっかりやるべきではないかということでした。
 その三つは、「食糧問題に関心を持たせる。」ということです。日本におけるカロリーベースの自給率は約40パーセントですが、これは先進国内では最下位だそうです。また、日本人は食に関する関心と危機管理感がなく、これが他の先進国と比べて残飯を出す量が世界一という、不名誉な記録になっているのではないかということでした。
 以上が講演会の要旨ですが、寝たきりや痴呆状態にならないためにも、早急に「食育」をやっておく必要性があると痛感したところです。

ぬるま湯

 新聞報道によりますと、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルがこのほど平成14年9月の中間決算を発表しましたが、それによりますと、昨年9月開園したディズニーシー(TDS)の効果で、売上高が何と前年比で40,6パーセント増の1,603億円の利益があったということです。宮崎県のシーガイアや長崎県のハウステンポス等全国各地のテーマパークが次々と赤字を出し、会社更生法等の適用を受け、青色吐息の状態にあり、日本全体が不景気というときに、この会社だけは完全に右肩上がりの「勝ち組」になっているようです。
 日本における各企業も、このような「勝ち組」になるため、汗と知恵を出しながら頑張っていますが、先日のNHKの番組で「ぬるま湯から抜け出せ。脱系列企業苦難の1年。競争社会への意識改革。」という放送があり、それを見る機会がありました。
 内容は、カルロス・ゴーン氏の日産自動車社長就任により、日産は大規模な改革を行いましたが、その改革により、日産の子会社で日産車の陸送を担っていた「旧日産陸送」も日産系列から離れ、「ゼロ」という名前に社名を変更して再スタートしました。
 番組は、ゴーン氏の改革が始まった当時、日産から同社に出向していた岩下世志社長が、他の役員や投資ファンドに働きをかけて全株を取得して日産から独立し、これまで親会社の車を運ぶだけで利益が得られていた過去を捨て、従業員の意識改革に乗り出した様子が描かれていました。
 それによりますと、先ず、社長が手をつけたのが、社外コンサルタントによる従業員の「意識改革」でした。従来「日産陸送」は、親会社の日産の車を運ぶだけであり、他の企業と競争することもなく、それでいて給料が他の企業の陸送社員より高かったので、自然と社員は、「ぬるま湯」にどっぷりつかっていたのです。
 そのため、新会社の社員の中から4名の推進事業本部要員を指名し、その人に業績の挙がらない支店を訪問させて、意識改革を図るという方法が行われたのです。推進員がその支店の業績が挙がらない原因を調べたところ、「朝の挨拶がなく、支店全体にやる気がない。」と「書類の整理が行われてなく、部屋全体が汚い。」の二つでした。
 推進員は先ずこの二つを改めるため、支店全員に働きかけて実行に移したところ、半年で見違えるように部屋が綺麗になり、挨拶も活発になり、そして、何よりも社員全体にやる気が出て、かっての「旧日産陸送時代」の「ぬるま湯」から、わずかながら抜け出しつつあるということでした。
 私はこの様子を見て、まだ新会社は完全に「ぬるま湯」から脱却していませんが、このまま努力すれば、きっとこの不況の中で、「勝ち組」になることが出来ると感じました。それにつけても業績の挙がらない支店の弱点を素早く見抜いた推進員の観察力には驚きましたが、意識改革が行われていない会社ほど、社員同士の挨拶がなく、また整理整頓がなされず汚いのは、どこの会社も同じのようです。

2003年04月03日

忘れ物

 忘れ物の中で最も多いのは、おそらく「傘」だろうと思われます。私自身もこれまで数回、傘を置き忘れた経験があり、そのつど新しい傘を買い求めています。
 先日も友達同士の会合があり、雨が降っていたので自宅から傘を持って行ったのですが、見事に買ったばかりの傘を飲み屋に忘れてきました。それも一次会の会場を出るときには、雨が上がっており、傘を忘れないようにと考えていたのですが、誘われて行った二次会の飲み屋を出るときには、酔いが回っていい気分になり、すっかり傘のことは忘れてしまいました。バスに乗った後、何か忘れたような気がして酔いの回った頭を巡らし、一生懸命に考え、思い出したのが傘を忘れたことでした。あれだけ忘れてはいけないと考えていたのですが、酒のせいですかね。それとも年をとっていささかボケたせいかもしれません。
 傘といえば、忘れられている傘を電車の中でよく見かけます。私が通勤に利用しているのは、宮崎駅を出発して西鹿児島駅方面に向かう電車ですが、その電車は、都城方面から宮崎駅に到着し、折り返し西鹿児島駅方面に向かうようになっています。乗客が全員降りたあと、私達が同じ車両に乗り込むわけですが、朝雨が降っていて、丁度電車が宮崎駅に到着する頃に雨が上がっている時には、電車内に数本の傘の忘れ物がある場合があります。終着駅が近づいた時は、あらかじめ、車内放送で、「傘等お忘れ物のないよう所持品をお確かめください。」というアナウンスがあるのですが、早く降車することばかりに気を取られているのか、つい傘をそのまま車内に置き忘れるようです。
 忘れ物といえば、こんなハプニングを見たことがあります。ある日、普段よりも5分位遅れて宮崎駅に着いたところ、既に上りの電車の乗客は降車しており、いつも乗る最後尾の電車に乗ると、中央部あたりの席で、駅員が何かブツブツ言いながら、座席のカバンを開いている姿が目に入りました。
 何事かなと思い近づいてみると、隣りの席に座っていた女性が、「私が電車に乗ったとき、この席から女子高生が降りて行きました。」と駅員に説明していましたので、どうやらそのカバンは忘れ物らしいということでした。そのカバンの持主は女子高生のようで、中には教科書や弁当等も入っているのが見え、間もなくそのカバンは駅員が改札口に持っていったようでした。
 学校へ行くのに、教科書を電車の中に忘れるとはどんな高校生かなと思っていると、数分位したら、カバンがあった座席の所に女子高生が来て、何か探している様子でした。その様子からカバンの持主ではないかと思い、私が、「カバンを探しているのでは?」と尋ねると、「ええ、ここに置いていたのですが」と返事したのです。どうやらそのカバンは忘れられたものではなく、高校生が用を足すため席を外したのを駅員が勘違いしたものと判りました。駅員は私達に対し、くどくどと、「てっきり忘れ物と思ったんですがね。」と語りかけてきましたが、駅員も自分が早とちりしたのがよっぽど照れくさかったものと思います。
 こんな早とちりも困りますが、お互い、忘れ物をしないように注意しましよう。

5分前の精神

 第29回ダンロップフェニックストーナメントは、横尾要選手が並み居る外国の選手を押さえて、日本人プレーヤーとしては、4人目のチャンピオンになりました。これまでもこの大会には、ニクラウス、セベ・バレストロス等世界各国から大物プレーヤーが参加していましたが、今回はメジャー大会を8回制覇しているタイガーウッズ選手が始めて参加した大会であり、これらの強豪選手を破っての優勝ですから、横尾選手にとってもうれしさは格別なものがあったものと思われます。
 私は毎年欠かさずこの大会を観戦していますが、今回は特に、タイガーウッズ選手が参加するということでしたので、早めにチケットを購入し、大会最終日の11月24日(日)観戦することにし、それを楽しみにしていたのです。
 ところが先週の日曜日、地区のソフトボール大会の試合で、不覚にも右足のふくらはぎが「肉離れ」し、病院通いとなったのです。チケットは購入しているし、さりとて、松葉杖姿での観戦では様になりませんので、思案して病院の先生に相談したところ、「無理をしなければ大丈夫」というOKが出ましたので、多少ビッコを引きながら観戦することにしたのです。
 例年、ジャンボ尾崎選手等有名なプレーヤーと一緒18ホールを回るのですが、今回は足の怪我もあって、1番ホールで各選手のティーショットを見ることにしたのです。1番ホールのティーグランドの後ろには、特別観覧席が設けられていましたので、その中央部に座って選手達を見ましたが、テレビでしか見ることが出来ない、あのタイガーウッズ選手も、わずか10メートル離れた所で見ることが出来ましたが、テレビと違って実物はやはりカッコよい選手でした。
 さて、1組3人の選手達は、10分間隔でティーショットを打ってスタートするわけですが、さすがは決勝ラウンドに進出した選手達とあって、どの選手のティーショットもフェアウェーをキープしていました。
 しかしながら、私が見たインでスタートした36選手のうち、ただ一人フェアウェーを外し、松林の中に打ち込んだ選手がいました。その選手は、グレイム・マクドエルという人でした。
 10分間隔でスタートしますので、選手達は大体スタート予定時間の5分前には、練習グランドを出発して1番ティーグランドに集まってきて、それぞれ素振りする等の準備運動をするのです。
 予定時間になり、司会者のアナウンスにより、パートナーの選手達はそれぞれティーショットを打ち終わり、3番目に打つマクドエル選手の名前をコールしましたが、ティーグランドにはマクドエル選手らしき姿は見当たりません。2回目のコールの時、観客をかき分けて一人の選手が走って1番ティーにやって来ました。その選手がマクドエル選手でした。
 十分な準備運動をしないまま、早速ティーアップしてボールを打ちましたが、無常にもそのボールは大きく右に外れ、松林の中に入ってしまったのです。マクドエル選手は、そのホールはダブルボギーをたたいてしまい、終わってみれば5オーバーの散々な結果に終わってしまいました。
 本人もきっと早めに集合してさえいれば、落ち着いてプレーが出来たのではないかと反省しているものと思います。つくづく「5分前の精神」の大切さがわかったプレーでした。

2003年04月07日

ここ一番

 今年の冬季オリンピックは、アメリカのソルテークシティで開催されましたが、この中で日本国民が最も注目し、金メダルが期待されましたスピードスケート男子500メートルの清水宏保選手は、惜しくも0,03秒及ばず、残念ながら銀メダルに終わり、オリンピック2回連続金メダル獲得はなりませんでした。
 レースが終わったあとのインタビューによりますと、清水宏保選手は、昨年(平成13年)10月、友人の運転する車に乗っていて交通事故に合い、それが原因で腰を痛め、今季は全く振るわず、ようやくオリンピック前になってやっと34秒台を出したほど絶不調で、あまりの痛さに立っていることが出来ず、今回のレースでは、痛み止めの注射を打ってレースに出たということでした。
 そんな身体にもかかわらず、弱音を吐かないで銀メダルを獲得したことは、誠に立派で、日本国民に感動を与えてくれました。こんなにも清水宏保選手を奮い立たせたのは、「世界記録保持者」と「長野オリンピックの金メダリスト」というプライドがあったからだそうですが、それにしてもオリンピックという大舞台で、「ここ一番」という大事な時に、実力を充分出し切ったと言えましよう。
 これに対して、優勝候補の一番手であったカナダのウォーザ-スプーン選手のスタート直後の転倒には驚きました。ウォーザースプーン選手は、今季のワールドカップ男子500メートルでは、6戦して4勝という圧倒的な強さの持主で、常に34秒台でしたから、正直言って最終組のウォーザ-スプーン選手がスタートするまで、世界中の誰もが、彼の第一日目のトップは間違いないだろうと思っていたはずです。早朝からテレビを見ていた私もその一人でしたが、心の中でひょっとしたらという思いがありました。それは、その日の前半10組までになんと4選手が転倒していました。テレビに映し出されたウォーザースプーン選手の顔の表情が、極度に緊張しているように見えたからです。
 ところが期待に反し、1回目のピストルでスタートしましたので、「これは駄目だ。」とガッカリした瞬間、インコースでスタートしたばかりのウォーザースプーン選手が前のめりになって氷上に転倒してしまったのです。テレビのアナウンサーの「ああ、なんと言うことでしょう。こんなことがあっていいのでしょうか。」という悲鳴にも似た声が聞こえ、思わず私もハッとして目の前に映し出されているテレビの画面を食い入るように見ましたが、やはり転倒は間違いありませんでした。ビデオで見ますと、スタート直後、5歩目の左足が氷を引っ掛けたため、転倒したものでした。
 画面は転倒したウォーザースプーン選手があわてて立ち上がり、一瞬レースを続けようとしましたが、もはや意味がないことに気付き、速度を落としてうなだれている表情を映していましたが、とても見てはいられませんでした。やはりウォーザースプーン選手にもプレッシャーがあったのでしょうか。それにしても、4年に1回開催されるオリンピックに照準を合わせ、「ここ一番」というときに実力を発揮するのは、とても難しいことであることを痛感したところです。

2003年04月09日

復活

 プロ野球の日本シリーズが終わり、最近の話題はもっぱらFA宣言をし、来シーズンはアメリカでプレーすることになった巨人軍の松井秀喜選手のことで、その去就が注目されているところです。
 一方、そのような華やかな陰で、かってチームのエースとして大活躍した投手が、肩の故障で、今は1軍から離れ、「復活」を目指し、一人黙々とランニング等の練習をしている光景が、テレビで放映されていました。
 そのピッチャーは、パリーグ球団千葉ロッテ・オリオンズの「黒木知宏投手」です。黒木投手は、宮崎県の日向市内の財光寺中学校から延岡学園高校に進み、夏の甲子園大会では、宮崎県代表として出場しましたが、残念ながら一回戦で敗れ、プロのスカウトからは注目されませんでした。
 しかしながら、ノンプロの新王子製紙春日井での活躍が、プリオ野球ロッテオリオンズのスカウトの目にとまり、平成6年のドラフト会議で指名され、同球団に入団した選手です。その後、平成7年から6年連続10勝以上の二桁勝利をあげ、平成13年のオールスターでは、パリーグのファン投票で第1位に選ばれたほど、人気・実力とも日本のプロ野球を代表する選手まで成長した選手です。
 黒木投手といえば、あの甘いマスクと、スピードは145キロ位ですが、鋭い変化球を駆使し、真っ向からバッターに向かい、勝利すると、「俺はあきらめないぞ。」と雄叫びを挙げる仕草がファンをひきつけ、「日本一熱い男」と呼ばれていました。
 ところが、平成13年のオールスター戦後から肩に違和感を覚え、診断の結果、肩の筋肉が断絶状態になっていることが判り、たちまち一軍抹消となったのです。
 それから黒木投手の長い「復活」を目指し、再起をかけての練習が始まったわけですが、ピッチングが出来ないので、ニ軍の埼玉浦和球場横の芝生でランニングを始めたわけです。その芝生は、長さ50メートルの坂になっていますが、黒木投手が毎日50メートルダッシュを30本行いますので、走る所の芝生が禿げ、通路状態になるほどでした。
 このように「復活」を目指して涙ぐましい努力をしているのは、黒木投手の「マウンドで再び投げたい」という強い気持ちがあるからですが、その黒木投手の心の支えになっているのが、家族であり、かってノンプロで一緒に野球をした仲間達の励みだということです。
 黒木投手のポケットには、いつも奥さんがプレゼントしてくれた手製のお守りと、玉砂利が入っているそうですが、マウンドでピンチになると、この「お守り」と「玉砂利」に触り、気を奮い立たせてピンチを凌いできたということでした。「玉砂利」は、今は亡きノンプロ時代の監督のお墓の玉砂利です。その監督は、黒木投手がロッテオリオンズから入団を誘われ、プロ入りを迷っている時、「お前を待っている人がいるんだぞ」と声を掛けてくれた人ですが、黒木投手の活躍を見ないまま、病魔に倒れました。
 黒木投手はシーズン終了後、毎年この監督のお墓を参り、役目が終わった「玉砂利」を墓に返し、新しい「玉砂利」をもらってくるそうです。このほか、かっての野球仲間達も、黒木投手の「復活」を期待し、励ましを続けていますが、来シーズンあの勇姿を再び見たいものです。

2003年04月10日

癒し系

 平成14年のノーベル賞が発表されましたが、日本からは、物理学賞の東京大学名誉教授の小柴昌俊さん、そして科学賞は、島津製作所の田中耕一さんの二人が受賞されることになりました。これまで同時に、二人以上の人がノーベル賞を受賞することはなかったわけですから、今回の受賞は、まさに快挙といってよいでしょう。
 その中でも国民の大半がビックリしたのは、田中さんの受賞でした。田中さんは43歳の若さでの受賞であり、しかも博士でもなく、島津製作所という一企業のヒラ社員であったからです。 そして受賞が決まって初めての田中さんの記者会見がありましたが、田中さんは、普段通りの作業服姿でした。そして記者からの「ノーベル賞の受賞は予想されていましたか。」という質問に対し、「全く予想していませんでした。私のような者が貰ってよいのでしょうか。」と答え、さらに作業服姿で記者会見に応じたことについて、「こんなに沢山の人が来られたのに、作業服姿で出席して申し訳ありませんでした。スーツを着てくればよかったですね。すみません。」とさかんにテレながら謝っている様子が、テレビに映し出されていました。その様子を見ておそらく国民の大部分の人が、田中さんの人柄の良さを感じたことと思います。
 田中さんのこのような話し振りは、その後、文化勲章受賞後の記者会見等いろいろありましたが、全て同じであり、事件・事故が多発し、不景気なこの世の中において、国民の誰をも和ませる場面を提供してくれました。
 田中さんは、島津製作所に入社した同期生の殆どが課長職になっているにもかかわらず、ただ一人研究に没頭するため、これを断わって主任の職にとどまっている人だそうですが、他人を押しのけてまで出世しようとする人が多いこの世の中に、まだこんな純朴な人がいるのかと、一寸ビックリしたところです。
 このような人を「癒し系」の人間というのだそうですが、「癒し系」といえば、最近「癒し系ペット」が都会では話題になっているそうです。そのペットとは、聞いて驚くことなかれ、なんと「ブタ」のことなのです。
 ブタといえば、狭い小屋の中で、「ブー、ブー」とひっきりなしに鳴きながら、残飯を食べる姿を思い出し、「汚い家畜」というイメージが強いのですが、現在、都会のペットショップで売られているのは、大きくならないように品種改良されたミニブタなのです。一匹10万円近い値段がするそうですが、これが飛ぶように売れ、それも飼う人は独身の若い女性が多いということです。
 ペットといえば、これまでは犬や猫と相場が決まっていましたが、犬はうるさいし、また、猫は気位が高い動物なので、若い女性が飼うのには手がかかりますが、品種改良されたこのミニブタは、実際ペットとして飼っている人の話によれば、食糧は1日2回、パンの残りを与えておけば十分ですし、仕草が可愛く、飼う人の心を慰めてくれる動物だそうです。
 つまり、人間の心を癒してくれるには最高のペットだということですが、まだ、宮崎県内のペットショップでは売られていないようです。今後、ブームに乗り飼う人も多くなると思われますが、皆さんも先駆けして飼ってみませんか。

2003年04月15日

対岸の火災

 平成14年9月に民主党代表に選出されたばかりの鳩山由紀夫氏が、民主党幹部との細かな意思統一がないまま、唐突に小沢一郎氏率いる自由党との「野党結集構想」を打ち出したため、わずか2ヶ月あまりで「代表辞任」に追い込まれ、その後任の民主党代表には菅直人氏が選出されました。
 もともと民主党は、自由民主党を離脱した議員や民社党、社会党等に所属していた議員が寄り集まって発足した政党ですから、今回のような結果が出ることは、充分予想されていたわけです。
 このようなドタバタ劇に対して、政府や与党である自由民主党幹部がコメントしていましたが、その中で、山崎拓幹事長は、「民主党の内紛は、対岸の火災だ。我々には全く影響がない。ただ対岸にも民主党支持の国民が住んでいるので、構造改革と景気回復の橋をかけ、その人達の避難道路を作る必要がある。」と記者会見で感想を述べていました。
「対岸の火災」というのは、自分には全く影響がないので、痛みもかゆみもないという諺です。対岸、つまり、向こう岸で火災があっても、こちらに飛び火する心配は全くないので、ゆっくり見物出来るという意味ですが、いかにも民主党を小馬鹿にしたような山崎拓幹事長のコメントには、一寸ビックリさせられたところです。
 さて、先日、「対岸の火災」とばかり、呑気に高見の見物をしているわけにはいかないような事案が発生しました。それは12月9日未明、千葉県松戸市内の市道を歩いていた5人の男女が、前方から来たワゴン車に次々に跳ねられ、病院に運ばれましたが、5人とも死亡するという痛ましい交通事故が発生したのです。
 跳ねられた5人は、子ども会のソフトボールが雨のため中止となり、代わりに開かれた食事会の帰りに事故に遭遇したものですが、5人とも40歳前後のお父さんやお母さんであり、とても他人事とは思えない事故でした。
 ワゴン車を運転していたのは、同じ松戸市内に住む52歳のパチンコ店員でしたが、なんと忘年会帰りの運転であることがわかり、業務上過失致死と道路交通法違反(酒気帯び)の現行犯で逮捕されました。
 警察の調べによりますと、この運転者は、「忘年会に出席して飲酒した。2時間休憩したので、大丈夫だろうと思い運転した。5人を跳ねたのに全く気付かなかった。」と供述しているそうですが、取り返しの効かない事故を起こしたものです。この事故の犠牲者となった主婦のご主人がインタビューに応じ、「運転者が憎い。許されるものなら、私があの男を車で轢き殺したい。」と語っておられましたが、遺族の気持ちが痛いほど良く判りました。
 毎年、12月の忘年会シーズンになると、このような飲酒がらみの痛ましい交通死亡事故が発生していますが、おそらくドライバーの殆どは、たとえニュースで見たり、知ったとしても、「自分には関係ないことだ。」と「対岸の火災」として受け止めているのではないかと考えています。従って、飲酒がらみの事故については、決して「対岸の火災」とせず、同じ轍を踏まないよう心したいものです。

 先日テレビを見ていたところ、「にんげんドキュメント」という番組で、沖縄のゴルフ3兄妹を題材にした「心優しき挑戦者」が放映されていました。日本のゴルフ界で、今注目されているのが沖縄県出身の宮里3兄妹です。長男の聖志さん(25)、二男の優作さん(22)、妹の藍さん(17)がその3兄妹ですが、将来の日本のゴルフ界を担う者として期待されている若者です。
 番組は、3兄妹がゴルフを始めてから現在に至るまでの経過と、この宮里3兄妹を育てた父母の姿を通して一家の絆を描いたものでした。
 3兄妹のうち、長男の聖志さんは、プロゴルファーとなって今年が2年目です。まだ優勝こそありませんが、今年の活躍ぶりは目覚しく、全英オープンにも日本代表として出場しました。二男の優作さんは、現在、東北福祉大学の4年生ですが、大学1年生の頃からアマチュアゴルファーとして数々の大会に出場し、むしろ兄の聖志さんより名前が知られており、来年はいよいよプロゴルファーとしての活躍が期待されています。妹の藍さんは、中学生の時から女子の日本オープンゴルフに出場しており、今年韓国の釜山で開催されたアジア大会では、女子ゴルフの個人の部で金メダルを獲得した実力の持主です。
 この3人の父宮里優さんは、村役場に勤めていた公務員で、約10年前、村長選挙に出馬するため、役場を辞めて立候補したのですが、惜しくも敗れてしまい、たちまち失業してしまいました。
 その当時、宮里家には育ち盛りの子供達が3人がおり、思案した挙句、趣味で始めていたゴルフを活かすことにし、プロのゴルフ指導員つまりインストラクターの資格を取って、ゴルフ練習場を開設したのです。宮里家では、お母さんが一番早くゴルフを始めており、3人の子供達も小さい時から見よう見まねで、クラブを振り回していたそうですが、プロインストラクターである父の指導を受け、ここ10年の間に、3人兄妹の腕前はメキメキ上がり、今日のような素晴らしい結果をもたらしているわけです。
 番組では、各大会に出場する3人兄妹のプレーの様子や、それを家族全員で応援している場面が映し出されていましたが、その中で、妹の藍さんの言葉が特に印象的でした。
 それは、「私が小学校1年生の時、父が村長選挙に立候補して落選しましたが、そのときの父の落ち込みようは激しく、私は父が自殺するのはないかと思ったほどでした。しかし父は、『人間、夢を持っていれば、どん底から這い上がることが出来る。』と口癖のように私達家族に言って聞かせ、ゴルフ練習場を始めるとともに、私達兄妹にもゴルフを教えてくれたのです。この父の言葉は、ゴルフプレーでうまくいかない時の私の精神的な支えになっています。私も夢を持ち続けます。」というものでした。
 両親は、3人の兄妹について、「3人とも次の目標へ旅立ってもらいたいが、いつまでも心優しいチャレンジャーであって欲しいと願っている。」と語っていました。
 こんな素晴らしい両親と固い絆に結ばれた兄妹が、いつまでも『夢』を持ち続ければ、きっと大輪の花を咲かせることが出来るものと信じています。

2003年04月16日

薩摩守

 電車やバス等の乗り物に只(ただ)で乗ること、つまり無賃乗車することを、隠語では「薩摩守」と言います。これは平安時代末期の武将「平薩摩守忠度(たいらさつまのかみただのり)」の名前が「忠度」、つまり「ただのり」であったことから、「忠度」と「ただのり」をひっかけ、交通機関にただ乗りすることを「薩摩守」と表現しているのです。
 「薩摩守」については、狂言の曲名としても使われていますが、江戸時代の頃から船や駕籠等にただ乗りすることを、「薩摩守」と呼んでいたものと思われます。
 さて、この「薩摩守」を最近偶然見かける機会がありました。ある朝、自転車で宮崎駅に到着し、電車に乗るため改札口に入ろうとしたところ、丁度宮崎駅に到着した電車があり、その乗客が降りてくるところでしたので、降りる客のためしばらく改札口の外で待つことにしました。
 宮崎駅は自動改札ではなく、2名の駅員が乗降客の切符を受け取ったり、また、定期券を確認する改札をしています。その時間帯の電車は、通勤や通学の人達が多く、ラッシュ状態といったところで、これらの人達をさばく駅員の人達も結構忙しそうです。
 その降りてくる乗客達の様子を何気なく見ていたところ、改札口から5,6メートル位離れた所に、制服を着た2人連れの高校生と思われる女の子が立っているのが目に入りました。その女の子達は、電車から降りてきたのに、改札口には向かおうとせず、おまけに通学生ですから当然持っているはずのカバンを手にしていなかったので、おかしな子達だなと思ったのです。
 しばらくその子達の様子を見ていますと、2人は改札口の方をジッと見て、なにやらヒソヒソ話をしていましたが、やがて降りてくる客が一番多くなった頃、意を決したように改札口に近づいて来る様子でした。
 ところが、その女の子達の手元を見たところ、定期券や切符を持っているようではなく、全くの手ぶらでした。それを見た瞬間、この子達は「無賃乗車」をする気だなと直感したのです。2箇所の改札口では、2名の駅員が降りてくる乗客の切符を受け取ったり、差し出す定期券を確認していましたが、見ていますと、駅員の視線がお客さんの手元に集中していますので、これでは無賃乗車されても気付かないだろうと思ったのです。
 女の子達は、案の定、切符等を持っていないようで、他の客達に混じって平然と改札口を通り過ぎ、私が立っている前まで来ましたので、やはり駅員は気付かなかったかなと思った瞬間、改札をしていた駅員のうち50歳位の駅員が、「一寸待ってください。定期券を見せてください。」と女の子達を呼び止めたのです。
 さすがは駅員で、お客さんの手元ばかり見ているかと思っていましたが、改札口を通るお客さんの姿は全て目の中には入れていたのです。駅員から呼び止められた女の子達は、やはり定期券や切符は持っておらず、無賃乗車のようで、駅員から乗車区間の3倍の料金を請求されているようでした。
 いつの世でも、このような「薩摩守」は絶えないようですが、これを瞬時に見破る駅員の観察力も、職業柄とはいえさすがだなと感服したところでした。

2003年04月17日

天気予報

 私は週末にゴルフをする機会が時々ありますが、木曜日あたりから週末の天気が気にかかり、テレビや新聞等は欠かさず見るようにしています。ところが、金曜日までは晴れており、天気予報でも先ず雨が降る様子はなかったのに、土曜日の朝、目が覚めてみると、外がシトシトと雨になっている時は、空を眺めて恨めしくなる時があります。昔に比べ、人工衛星等の打ち上げにより、随分天気予報が当たる確率は高くなっておりますが、それでも100パーセントとは言えないでしょう。
 最近のように気象学が発達していない頃、人々はどんな風にして天気予報をしていたのか興味があり、県立図書館に行き調べてみましたが、これといった資料を見つけることは出来ませんでした。
 ところが、最近、自宅近くの「平和台公園」を散歩していたところ、「天気を当てよう」という看板がかかっているのを見つけました。その内容を見たところ、自然現象によって天気を当てることが出来ることが書いてあり、職員の皆さんにも参考になると思い、書き留めてきました。
 それによりますと、次のような現象が見られると、天気が下り坂、つまり雨になる確率が高くなるそうです。
 その一つは、「アマガエルが鳴くと、雨になる」ということです。このことは私達が子供の時から言われていますが、この現象は間違いなさそうです。それは、都城自動車学校の職員室の北側にもアマガエルが住みついているようですが、このアマガエルが鳴いた時は、いくらその日が晴れていても翌日は必ず雨が降り、その確率はどの気象士より高いようです。皆さん方もこのアマガエルの鳴き声には、興味を持って聞き耳をたてて下さい。
 その二つは、早朝、「飛行機雲が出た時は、天気は下り坂」になります。私は毎朝、1時間位自宅近くを散歩していますが、青空に飛行機雲がくっきりと、それも長くいつまでも残っている時があります。この現象があると、翌日は天気が下り坂になります。これは、空気中の水分が多い証拠で、このような気象の時、飛行機が通ると、飛行機雲は長く、いつまでも残る理屈だそうです。
 次は晴れるときの自然現象もありました。
 その一つは、「クモの巣に朝霧がついた時」は天気は晴れるそうです。これは昼と夜の温度差が大きいと晴れる確率は高くなりますが、この温度差が大きい時は、朝霧が出来やすく、従って早朝、雲の巣に朝霧が出来ているのを見かけたときは、その日は晴れると考えてもよさそうです。
 その二つは、「夏、入道雲が見えた時」は、晴れの良い天気になるそうです。入道雲は夏に良く出来る雲ですが、これは空気の対流が盛んな時に発生しますので、この雲が見えたときは、天気が良くなるそうです。
 まだまだ、このほかにも自然現象によって天気を予報することが出来るようですが、気象士に頼らず、こうして自然現象を見て予報するのも結構楽しいものですね。

2003年04月18日

姿勢

 私は男5人、女1人の兄妹ですが、今でも全員健在です。住まいこそ宮崎県、福岡県、岐阜県と違っておりますが、2年に1回位は、一緒に集まる機会があります。その際、男の兄弟のうち4人はゴルフの趣味があり、しかも腕前は同じレベルですから兄弟が集まった歳は、必ずゴルフをして楽しんでいます。
 先日もその機会がありゴルフをしたのですが、そのとき撮影したスナップ写真が、福岡県に住んでいる弟から送られてきました。その写真を見た瞬間、「これが60歳を過ぎた今のわが姿か。」とビックリするやら情けない思いをし、改めて写真を見直したのです。
 それは、ドライバーを打っているところ等プレーしている姿は、自分のイメージ通りでしたが、何気なく立っている姿を見ると、背中が少し曲がっており、いかにも老人といった姿の感じがしました。どうしても納得がいかず、妻にその写真を見せ、「いつもこんなに背中が丸くなっているか。?」と聞きますと、妻は当然という顔で、「お父さんは、いつもこうよ。」と言われ、愕然としたのです。鏡で自分の顔を見てみると、顔はゴルフ焼けしておりますが、まだ肌には艶があり、かろうじて若さが残っているようです。しかし、身体の全身を鏡に映してみると、やや背中が丸くなっており、老化現象が現れています。やはり写真は間違いなかったようです。
 この写真を見てからは、散歩する時はもちろんのこと、ゴルフをする時、自転車に乗っている時はあごを引き、努めて背中が丸くならないよう心がけているところです。
 ところで、姿勢といえば、最近、若者が運転している姿を見て、唖然としたことがありました。それは、自転車で出勤中、信号待ちのため交差点の手前で待っていたところ、右後ろの方から高いエンジンの音とともに、「ボン、ボン」というステレオの音が近づいてきて、私の直ぐ横に止まったようでした。
 その車の方を見たところ、黒色の国産車で、助手席の方の窓ガラスが開いており、そこからステレオの音が聞こえていたのです。その車には茶髪姿の若い男の子が一人乗っており、その運転する姿を見た瞬間、一瞬、我が眼を疑いました。なんとその若者は、身体を前の方に向けず、助手席側の方に向けていたのです。しかも身体をずらして深々と座っているため、その車を前の方から見たときは、運転手がいないのではないかと思うほど姿勢を低くしているのです。これではとっさの場合、ブレーキを踏むことが出来ませんし、安全確認も出来ないはずです。もちろんシートベルトも締めていませんでした。
 その若者が運転する車は、信号がまだ完全に青に変わらないうちに猛然とスタートして、アッという間に見えなくなりましたが、事故を起こさなければいいがなと老婆心ながら心配したところでした。
 この若者も自動車学校で学んだ時は、こんな運転姿勢ではなかったはずですが、いつから変わったのでしょうか。おそらく格好をつけるために、わざとこんな運転姿勢になったものと思いますが、果して本人達はどう思っているでしょうか。
 それにしても初心運転者を育てる自動車学校としては、卒業生がこんな運転姿勢になって欲しくないし、またさせてはいけないと痛感したところでした。

2003年04月21日

アナウンス

 朝散歩中に、ラジオの「おはよう一直線」の中で、アナウンサーの生島ヒロシさんが、珍しく強い口調で「新横浜駅の駅員のアナウンスはなっていない。」と言っているのが耳に入りました。何のことかなと思いよく聞いてみると、次のようなことでした。
 それは、生島さんは新横浜駅を利用しているそうですが、ある日、新横浜駅から電車に乗ろうとして駅に着いた途端、駅員のアナウンスがマイクから流れてきたそうです。その声たるやまるで怒鳴り散らすような大きな声で、しかも口をマイクにくっつけているのか、声が割れて何をアナウンスしているのかさっぱり判らなかったそうです。
 生島さんはたまたま駅に着いた時、友達と出会って話をしていたのですが、このアナウンスの声のため、友達と話が出来ないほどであり、とても憤慨し、「この駅員のアナウンスは以前聞いたことがあるが、いつもこの調子です。自分のアナウンスに酔っているような気がします。」ともコメントしていました。日頃感情を表わさない生島さんが、公共放送であるラジオを通して、駅の実名を出したところを見ると、余程、腹に据えかねた出来事だったのだと思ったのです。
 この放送を聞き、私も電車を利用していますので、思い当たることがありました。それは、私は毎朝、宮崎駅始発の電車に乗っていますが、電車が始発したら直ぐ車内放送があります。駅員は全て男性ですから致し方ないのですが、中には大きな声で、しかも生島さんの話と同じように、口をマイクにピッタリくっつけてアナウンスする駅員がいるのです。アナウンスの内容も、まるで教科書を読んでいるみたいで、区切りがなく、この駅員の声を聞くと、さわやかな朝の気分もいっぺんに吹っ飛んでしまうほどです。
 また、逆に声が小さくて何をしゃべっているのか、さっぱり判らないアナウンスがなされる時もあります。その時は、車内のマイクのせいだろうと思っていたのですが、そうではありませんでした。同じ電車で別の駅員による車内放送がありましたが、その際はマイクの声は良く聞き取れましたから、おそらく最初の駅員の声そのものが小さかったものと思います。
 昔、今のJRが「国鉄」と呼ばれていた頃、東京で電車に乗ったことがありましたが、駅員のアナウンスには特徴があり、何を放送しているのかさっぱり判らず、次の駅がどこなのかアナウンスを聞き取るのに苦労した思い出があります。こうした「国鉄」のアナウンスは、国鉄独自のものだったようで、よくラジオの物真似番組に出ていた記憶があります。現在、日本のどこへいっても外国人の姿を見かけますが、外国の人にとっても、こんな判りにくいアナウンスをされたらとても困り、ひいてはこれが日本に対する悪い印象になるのではないかと思います。
 都城自動車学校では、路線バスの案内や生徒さんあるいは職員の呼び出し等の際、マイク放送をしていますが、誰でも仕事に慣れてくると、自分のアナウンスが一番うまいと錯覚しがちですので、常に初心に返って判りやすいアナウンスを心がけていただくことを望んでいます。

2003年04月22日

信号無視

 宮崎県の県民として、県民のマナーは、他の都道府県に比べ大変良いだろうと思っていましたが、どうしてどうして他の都道府県の人達から見れば、はなはだ悪いようです。その中でも最も目に付くのが、交差点のマナーの悪さ、とりわけ「信号無視」をする車が多いということです。
 私は毎朝、自宅から宮崎駅まで自転車で通っていますが、その間の交差点で、赤信号なのに平気で「信号無視」をして交差点を駆け抜けていく車を見かける場合があります。たまたまそのとき、反対車線を車や歩行者等が通っていなかったから良かったものの、もし通行車両があれば、たちまち大きな事故が発生するに違いありません。
 私が体験した交通死亡事故の中で、信号無視により発生したこんな悲惨な死亡事故がありました。それは今から約10年前のことですが、早朝5時ごろ、宮崎市内の国道10号線の交差点で、車同士が衝突するという交通事故が発生したことがありました。
 重傷事故の知らせを受け、現場に駆けつけてみますと、交差点の一角にある街路樹が数本なぎ倒され、そこには2台の車が原型を見ることが出来ないほどメチャメチャに壊れ、まるで鉄くずのように転がり、付近の道路にはシート等が散乱しており、一見して重大事故だとわかりました。
 既に2台の車に乗っていたと思われる2人は、救急車によって病院に運ばれており、早速応召してきた交通課員を指揮し、現場の検証と交通事故の目撃者探しを開始したのです。早朝の事故であり、目撃者の発見は難しいのではないかと危惧していましたが、現場付近の聞き込みの結果、たまたまその現場をバイクで通りかかり、交通事故を目撃した新聞配達員を見つけることが出来ました。
 その目撃者の話によると、事故現場は信号機のある交差点ですが、新聞を配達しながら南側の方から北に向けて進行していたところ、前方の交差点の信号が「赤」になったので、交差点の前で停止したそうです。
 ところがバイクが停止して間もなく、後方から進行してきた1台の車が停止するどころか、速度を上げてその交差点を突っ切ろうとしたのです。新聞配達員は、横を通り過ぎていく車を見やりながら、なんて無茶な運転をするのだろうと思い、何気なく右前方の交差点を見たところ、そこには右の方から「青」の信号に従って進行してくる1台の車が見えたそうです。その車は既に交差点の中央付近まで進んでおり、このままでは衝突すると思い、「アッ危ない」と叫んだそうですが間に合わず、バイクの後ろから進行してきた信号無視の車が、右側から進行してきた車の左ドア付近に衝突し、2台の車はまるでもつれ合うようにして、交差点左の街路樹に飛び込んで行ったということでした。
 この事故により、「青」の信号に従って運転していた主婦は即死し、信号無視をした車の運転手は軽傷ということでしたが、信号無視の原因は飲酒で、信号機の色は何だったか良く覚えていないという有様で、被害者の家族にとっては、悔やんでも悔やみきれない事故でした。
 今でも、そのときの被害者の家族の悔しそうな顔を思い出すことがあります。

2003年04月23日

誕生日

 朝の散歩中、ラジオを聞いていたところ、生島ヒロシさんの「おはよう一直線」という番組の中で、作詞家の永六輔さんが、「誕生日」のことについて興味ある話をしていました。
 永六輔さんはご存知の通り、作曲家の中村八大さんと組んで、「上を向いて歩こう」等数々のヒット曲を出した人で、ラジオでも活躍されている人です。
 その話というのは、永さんは、映画解説者の淀川長治さんと懇意にしていたそうですが、たまたま、永さん、淀川さん、そして歌手の「さだまさし」さんが会合で合い、話をしているうちに、偶然にも3人の誕生日が4月1日であることがわかったそうです。
 そこで4月1日が近づいた時に、永さんが「さだまさし」さんに呼びかけ、淀川さんの誕生祝をしようということになり、永さんが淀川さんに、「誕生祝にご馳走します」と誘ったところ、淀川さんから丁重に断わられ、さらに「誕生日」のことについてお叱りを受けたということでした。
 それは、淀川さんが子供の時、父親が妻、つまり淀川さんのお母さんという人がいながら、同じ家にお妾さんを引き入れ、こともあろうにそのお妾さんの世話をお母さんにさせていたということです。お母さんはその仕打ちにじっと耐えながら、淀川さん達子供を育てていたということですが、まるで地獄を目の前に見ているようで、淀川さんにとっては、父親を憎むというよりか、お母さんが可愛そうでたまらなかったそうです。
 このような家庭であったので、淀川さんは子供の時から、お母さんに対する感謝の気持ちを強く持っており、特に自分が誕生した時に最も苦労したのは、お母さんであると思うようになり、成長してからは、自分の誕生日の時は、必ずお母さんに対し、「お母さん、私を産んでくれてありがとう」と感謝の気持ちを込めたお礼を言い続けたということです。
 また、淀川さんは、一生独身でしたが、その理由について、「自分を産んでくれたお母さんに寂しい思いをさせないため、お母さんを看取ってから結婚しようと思っているうち、お母さんが長生きしたので、そのチャンスを逃した。しかし、悔いはない。」とも言われていたそうです。
 さらに、淀川さんは、「誕生日は自分以外の人から祝ってもらうものと、勘違いしている人が多い。誕生の時、一番苦労したのはお母さんであることを多くの人に知って欲しい。このことをラジオ等を通じて多くの日本人に訴えてください。」と永さんに託したということでした。
 その話を聞いて、なんて薀蓄(うんちく)のある話であると感心したところでした。淀川さんは、テレビの洋画解説には欠かせない人で、黒くて太い眉毛に黒打ちのメガネをかけ、「サヨナラ、サヨナラ」と言いながら、画面から消えていく様は、今でもはっきり覚えています。
 私もこれまで、自分の誕生日には母親に対し、感謝の気持ちを込めたお礼を言っていませんでしたが、これからは母親が生きている限り、お礼を言い続けるつもりです。

2003年04月25日

老犬

 私は毎朝散歩をしていますが、犬と一緒に散歩している人の姿を見かけることがあります。人間の散歩というよりどちらかといえば、犬のために運動させられているといった方が適切かもしれませんが、見ていると、犬の動きはとにかく忙しいようです。片足を上げてオシッコをしたかと思えば、その臭いをかぎ、数メートル進んでは、また、オシッコという状態です。
 その中で、私の知人が飼っている犬は、人間の年齢でいえば80歳位の老犬ですが、若い犬と違って、あまりオシッコはしません。飼い主に合わせ、ノロノロとただ歩く状態ですが、いつ見ても柔和な顔をしており、今までその犬から吠えられたことは一度もありません。
 それもそのはずです。知人は既に悠々自適の生活で、時間もありますから老犬と一緒に、朝、昼、そして夕方と1日に3回散歩しているようですが、犬も満足しているのかもしれません。つまり、飼い主の愛情が十分犬に伝わっているのではないかと思います。
 こんなに飼い主に大事にされる犬は幸せなのですが、時々街の中で、車に轢かれて死んだ犬の死骸を見かけることがあります。こんな犬を見ると、どうして飼い主がロープにつないでで置かなかったのかなと、腹立たしく思うことがあります。
 ある日、こんなことがありました。妻の実家に帰省した時のことです。時間は午後4時ごろでした。宮崎市の我が家に帰る途中、車を走らせていると、急に前方を走っている車のストップランプがつき、速度を落とし始めたので、私もブレーキを踏み徐行をしました。
 その車の前には数台の車が走っており、最初は交通事故が発生したのかと思いましたが、どうもその様子ではありません。前の車が徐行しながら中央線を避け、左側に寄りながらゆっくりと進みますので、空いた中央線の方を見ると、白っぽい毛の犬が一匹、それこそヨタヨタと歩いている姿が目に入ってきました。
 私の車も、その犬の10メートル位の所まで近づきましたので見たところ、お尻の毛は抜け、その上、足取りはおぼつかず、真っ直ぐ歩けない状態でしたから、直ぐ老犬であることがわかりました。その犬はなおも中央線を進もうとしますが、フラフラしていますので、危険を感じた対向車が、クラクションを鳴らしたところ、今度は、私の車が走っている車線の方に寄って来ましたので、やむを得ずその場に停止したのです。
 犬は顔を上げて前の方を見ていましたが、思い直したように、再び中央線の方に歩き出したので、その横を通り抜けましたが、助手席に乗っていた妻が、「あら、あの犬は首輪をしているが。」とつぶやきました。見ると、なるほど首輪をしており、野良犬ではないことがわかりましたが、おそらく、飼い主はその犬が老犬だから、人には噛み付かないものと思い、放し飼いにしたのかもしれません。
 まだ明るい時間でしたから、車も犬の姿を発見することが出来ましたが、もう少し暗くなっていれば、間違いなく車からはねられていたものと思います。飼い主としては、老犬だからといって放し飼いにせず、大切に最後まで飼って欲しいと念じたところでした。

2003年04月28日

凡事徹底

 私は毎朝、JR宮崎駅まで自転車で通っていますが、駅に到着して先ず私がすることは、プラットホームで、私が乗る電車が来るまでの約10分間、JR職員の動作をつぶさに見るようにしています。
 それは、JRは、今から約18年前に「日本国有鉄道」から民営化され、現在に至っているわけですが、旧国鉄時代から、こと事故防止に関しては、「指さし安全呼称」という方法が、末端の職員の一人ひとりまで徹底しており、これが伝統となって続けられているからです。
 宮崎駅に到着して3番・4番のホームに上がった頃、丁度赤色をした下りの「さわやかライナー号」の車両がホームに入ってくるのが見えて来ます。その「さわやかライナー号」が4番ホームに到着すると同時に、今度は目を1番ホームに停車している「特急にちりん」の運転士に向けるようにしています。
 白手袋をした運転士は、前方に見える1番線の信号機の色が「青」に変わると、右手の指を伸ばして信号機の方を指さしています。声は聞こえませんが、おそらく「前方の信号青ヨーシ」と呼称しているものと思われます。
 次に運転士は、目の前の「計器」の方を指さしますと、電車のドアが閉まります。さらに、1番線の信号機の方を再び指さしますと、やがて電車は滑るようにして出発していきます。この「特急にちりん」の運転士の行動は、毎朝見ていますが、運転士は変わっても「指さし安全呼称」の動作と順序は全く変わりません。つまり指さしして安全を呼称するという「凡事徹底」がなされています。
 「特急にちりん」が出発すると、今度は目を4番ホームに停車した「さわやかライナー号」の車掌の行動に向けるようにしています。それは、車掌も運転士と同じように「指さし安全呼称」をするかどうかを確かめるためです。
 「さわやかライナー号」は3両編成で、車掌は1番最後の車両に乗っていますが、車掌は電車が停止するとホームに降り、乗降客の乗り降りの様子をジッと見ています。私は電車から約5メートル位離れた所からその様子を見ているわけですが、やがて3両とも乗降客がなくなると、車掌は、白手袋をした右手の人指し指を前方に差し出し、ドアが確実に閉まったのを確認すると、「ドア、ヨーシ」という安全呼称をして、電車に乗り込みますと、電車はゆっくりスタートしていくのです。
 このように、毎朝「特急」の運転士と、「急行」の車掌の動作をつぶさに見ているわけですが、「特急」の運転士は、「凡事徹底」が行き届き、省略する人はありませんが、「急行」の車掌のうち、残念なことに10人に1人の割合で、「指さし安全呼称」を省略する人が見受けられるのです。
 「指さし安全呼称」を省略した車掌は、いつも行っている動作であるし、まさか失敗することはないだろうと軽く考えて省略したものと思いますが、この「まさか」が大きな失敗につながりますので、車掌には決められたとおり、「指さし安全呼称」を確実に実行して欲しいと願っているところです。

2003年04月30日

居眠り

 先日、韓国の地下鉄内で発生した火災事故は、その後の遺体収容作業の状況から、200名を超える死者になるのではないかと予想されていますが、こんな大惨事が隣国で発生したばかりというのに、我が国では、平成15年2月26日、時速270キロで走行する新幹線の運転士が、こともあろうに数分間とはいえ、「居眠り」するという常識では考えられないような出来事が発生しました。
 テレビ等の報道によりますと、岡山市のJR山陽線岡山駅で、広島発東京行きの「ひかり128号」が所定の位置より約100メートル手前で止まり、3両ほどがホームからはみ出したままになりました。
 車掌が運転席に駆けつけると、男性運転士(33歳)が腰掛けたまま眠っていたということです。JR西日本の調べに対し、この運転士は、岡山駅の約26キロ西の新倉敷駅付近から「記憶がない」と言っているそうですが、この区間は通常270キロで走行する区間であり、約8分間は、「居眠り」をしていたということになります。
 さらに驚くべきことは、この運転士は、車掌から起こされてからも、引き続き運転を続けていたということですが、何をかいわんやと言うところです。
 また、岡山駅の手前で停車したあと、出発する際、「駅の手前に停車してしまい、止め直す処理に手間を要した」と車内放送で陳謝しましたが、運転士が居眠りをしていたということや、岡山以降もそのまま運転を続けるということは一切伝えなかったということです。この点について、その後、JR西日本の広報室は、「放送した車掌は、運転士を起こした車掌と別で、状況を詳しく掌握していなかった。いたずらに乗客の不安をあおるまいという判断もあったと思う。居眠りを隠そうとしたわけでない。」と弁解しています。
 居眠りをしていた運転士は、JR西日本の事情聴取に対し、「前日は公休で十分に睡眠を取った。何故眠くなったのか自分でもわからない。」と話しているそうですが、まだその裏付けが取れていない現在の段階では、真意のほどは定かではないようです。
 このニュースを聞いて一番ビックリしたのは、おそらくその新幹線に乗車していた人達ではなかったかと思います。今回は幸い、自動列車制御装置(ATC)が作動したので、停車駅の手前で停車することが出来ましたが、他の車両との追突や衝突は充分予想されることですから、今思い出してもゾッとするような事案でした。
 さて、「居眠り」といえば、今回の出来事は、私達も「対岸の火災」で済ますわけにはいかないようです。それは、自動車学校の教習においても、指導員の「居眠り」が充分予想されるからです。時にこれからの春先、ポカポカ陽気が続くわけですが、指導員も生身の人間ですから、ともするといい気持ちになり、ついウトウトするとも限りません。特に路上教習の場合、指導員が「居眠り」をしていたために、交通事故が発生したとするならば、一自動車学校の問題だけでなく、全国の指定自動車学校に大きな影響を及ぼします。従って、「教習中は絶対眠りはしないぞ。」という強い緊張感を持って教習していただくことを望みます。

早とちり

 人の性格というものは、歳をとっても変わらないものといわれていますが、実は私もそう思っているところです。私は男五人、女一人の六人兄弟の三男に育ったせいか、母親からは、今でも「お前は、小さい時から早とちりする子供だった。」と言われ続けています。
 それというのも、私は、太平洋戦争中から戦後にかけての最も食糧難の時代に育ちましたから、食べ物を食べる時は、それこそ競争でした。食事中テレッとしていますと、たとえ兄弟であっても、直ぐ目の前の食べ物を奪われてしまうほどの状態でしたから、とにかく、「他人より早く行動を」という気持ちが、他の兄弟よりも強かったように記憶しています。
 小学校に入学してからもその性格は直らず、度々失敗していました。例えば、先生が生徒から回答を求めようとして問題を出そうとすると、まだ問題が終わらないうちに、「ハイ、ハイ」と手を挙げ、指されると「わかりません」と素直に認めたことが度々あり、随分先生を困らせたようです。
 私のこの「早とちり」は、どうやら私の子供にも遺伝したようで、長男が小学生の時、授業参観に行ったところ、先生が問題を出し、まだ全部が終わらないうちに、元気よく手を挙げ、指されても答えることが出来ず、見事に失敗したことがありましたが、その光景を見て昔の私を見る思いがしました。このような失敗はザラで、このほか、カルタ取りは「早とちり」によるオテツキが多く、いつも負けてばかりました。
 その中でも、今でもはっきりと覚えている大失敗事例があります。それは小学3年生の時のことでした。算数のテスト問題が出され、それを見た瞬間、すっかり足し算の問題だとばかり思い込み、他の誰よりも早くその問題を解き、意気揚揚と教室を出たのです。もちろん、私の性格から回答内容を見直すということは、しませんでした。私としては、回答に手応えがあり、満点だろうとすっかり信じていたのです。
 ところが、テストの結果が返って来ましたが、なんとその点数は、見事「0点」でした。無理もありません。私が足し算とばかり信じ込んでいた問題は、実は引き算だったのです。これですっかり算数が嫌いになり、今でも引き算は苦手です。
 私の「早とちり」の性格は、60歳を過ぎた今でも変わらないようで、先日も失敗をやらかし、都城自動車学校に大きな迷惑をおかけしました。
 それは、年末に県の自動車学校協会から「年末年始の休暇予定表」の調査書類が来た時のことです。管理者宛になっており、内容をザッと見た瞬間、いつもの私の悪い「早とちり」の癖が出てきまして、その調査書類を「管理者の年末年始の休暇予定表」と即断してしまったのです。
 そこで、私が自動車学校に出社する日だけ○をし、協会に回答したのです。当然私は土曜日、日曜日は出社しませんので、調査票の○印は少なくなります。ファックスでこの調査結果を見た協会の職員が、一目で記入間違いであることを見抜き、コッソリ再調査の電話があったということでした。それを聞いた瞬間、まさに穴があったら入りたい心境でした。
 こんな性格は直したいと考えていますが、先が短く、どうも無理なようです。