プロ野球の日本シリーズが終わり、最近の話題はもっぱらFA宣言をし、来シーズンはアメリカでプレーすることになった巨人軍の松井秀喜選手のことで、その去就が注目されているところです。
一方、そのような華やかな陰で、かってチームのエースとして大活躍した投手が、肩の故障で、今は1軍から離れ、「復活」を目指し、一人黙々とランニング等の練習をしている光景が、テレビで放映されていました。
そのピッチャーは、パリーグ球団千葉ロッテ・オリオンズの「黒木知宏投手」です。黒木投手は、宮崎県の日向市内の財光寺中学校から延岡学園高校に進み、夏の甲子園大会では、宮崎県代表として出場しましたが、残念ながら一回戦で敗れ、プロのスカウトからは注目されませんでした。
しかしながら、ノンプロの新王子製紙春日井での活躍が、プリオ野球ロッテオリオンズのスカウトの目にとまり、平成6年のドラフト会議で指名され、同球団に入団した選手です。その後、平成7年から6年連続10勝以上の二桁勝利をあげ、平成13年のオールスターでは、パリーグのファン投票で第1位に選ばれたほど、人気・実力とも日本のプロ野球を代表する選手まで成長した選手です。
黒木投手といえば、あの甘いマスクと、スピードは145キロ位ですが、鋭い変化球を駆使し、真っ向からバッターに向かい、勝利すると、「俺はあきらめないぞ。」と雄叫びを挙げる仕草がファンをひきつけ、「日本一熱い男」と呼ばれていました。
ところが、平成13年のオールスター戦後から肩に違和感を覚え、診断の結果、肩の筋肉が断絶状態になっていることが判り、たちまち一軍抹消となったのです。
それから黒木投手の長い「復活」を目指し、再起をかけての練習が始まったわけですが、ピッチングが出来ないので、ニ軍の埼玉浦和球場横の芝生でランニングを始めたわけです。その芝生は、長さ50メートルの坂になっていますが、黒木投手が毎日50メートルダッシュを30本行いますので、走る所の芝生が禿げ、通路状態になるほどでした。
このように「復活」を目指して涙ぐましい努力をしているのは、黒木投手の「マウンドで再び投げたい」という強い気持ちがあるからですが、その黒木投手の心の支えになっているのが、家族であり、かってノンプロで一緒に野球をした仲間達の励みだということです。
黒木投手のポケットには、いつも奥さんがプレゼントしてくれた手製のお守りと、玉砂利が入っているそうですが、マウンドでピンチになると、この「お守り」と「玉砂利」に触り、気を奮い立たせてピンチを凌いできたということでした。「玉砂利」は、今は亡きノンプロ時代の監督のお墓の玉砂利です。その監督は、黒木投手がロッテオリオンズから入団を誘われ、プロ入りを迷っている時、「お前を待っている人がいるんだぞ」と声を掛けてくれた人ですが、黒木投手の活躍を見ないまま、病魔に倒れました。
黒木投手はシーズン終了後、毎年この監督のお墓を参り、役目が終わった「玉砂利」を墓に返し、新しい「玉砂利」をもらってくるそうです。このほか、かっての野球仲間達も、黒木投手の「復活」を期待し、励ましを続けていますが、来シーズンあの勇姿を再び見たいものです。






