後悔
スポーツの中でも、「ゴルフ」ほど、プレーヤーから「後悔の言葉」つまり、愚痴の出るスポーツはなく、ゴルフ=たら、ればのスポーツとも言われています。
例えば、「あのパットが入っていたら・・・」とか、「あの時、OBを打っていなかったら、パーだったのに・・・」という愚痴が出ます。ゴルフをする方ならどなたもこの経験があると思います。私の友達でも、プレーの最初から最後まで、ずっと「たら、れば」をブツブツつぶやく人がいます。傍から見ていると、本人は気付かないようですが、どうも癖になっているようです。
うっかり、この愚痴に相槌を打とうものなら、さあ、大変です。それまで、割と順調にプレー出来ていたのに、たちまち、OBを打ったり、スリーパットをしたりしますので、なるべく愚痴が聞こえない振りをして、次のプレーをするよう心掛けているところです。
さて、ゴルフだったら、「たら、れば」の「後悔」の言葉が出たとしても、次のプレーで挽回することが出来ますが、交通事故、特に交通死亡事故を起こしてしまったときは、どんなに「後悔」したとしても奪い取ってしまった尊い命は、もう取り返すことが出来ません。
東京交通安全協会が発行している資料で、「贖い(あがない)の日々」というのがあります。これは、一寸した不注意から交通死亡事故を起こしてしまい、交通刑務所で罪の償いをしている人が、「後悔」の念で綴った懺悔の記録ですが、現在、当校には、「無謀運転の悲劇」、命を奪った酒飲み運転」、「つもりが招いた悲劇」の資料があります。
そのうち「無謀運転の悲劇」は、時速100キロの無謀運転により、対向車の女性を即死させた21歳の会社員の手記、「命を奪った酒飲み運転」は、飲酒運転により車に乗り込もうとした人を跳ね、即死させた26歳の会社員の手記、「つもりが招いた悲劇」は、交差点で右側の確認をしたつもりが、全くしておらず自転車乗りの女性を跳ねて死亡させた21歳の運転者の手記です。
その内容を見ますと、「取り返しのつかないことをしてしまった。」、「謝っても誤りきれない罪を犯してしまった。」、「今回の事故で亡くなられた方とそのご遺族の方々はもちろん、私の家族や親族にまでつらく苦しい思いをさせてしまった。」、「師走の留置場は寒く、自分がやってしまったことの重大さにおびえ、ひたすら被害者が助かることを祈り続けました。しかし、私の祈りは通じませんでした。遺族の方々の私に対する怒りは一生消えるものではないでしょう。。」等一瞬の過ちによって、家族、恋人、友人等親しき人々から隔絶され、自ら犯した罪を反省している様子が、文脈の橋端から伝わってきます。
交通事故をわざと起こす人は少なく、ほとんどの運転者は事故を起こしてしまってから、事の重大さに気付き、「後悔」するのですが、もうそのときは遅いのです。
全職員が力を合わせ、この「贖いの日々」を活用して、交通安全意識を持った初心ドライバーを育てましょう。






