校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年06月 アーカイブ

2003年06月02日

後悔

 スポーツの中でも、「ゴルフ」ほど、プレーヤーから「後悔の言葉」つまり、愚痴の出るスポーツはなく、ゴルフ=たら、ればのスポーツとも言われています。
 例えば、「あのパットが入っていたら・・・」とか、「あの時、OBを打っていなかったら、パーだったのに・・・」という愚痴が出ます。ゴルフをする方ならどなたもこの経験があると思います。私の友達でも、プレーの最初から最後まで、ずっと「たら、れば」をブツブツつぶやく人がいます。傍から見ていると、本人は気付かないようですが、どうも癖になっているようです。
 うっかり、この愚痴に相槌を打とうものなら、さあ、大変です。それまで、割と順調にプレー出来ていたのに、たちまち、OBを打ったり、スリーパットをしたりしますので、なるべく愚痴が聞こえない振りをして、次のプレーをするよう心掛けているところです。
 さて、ゴルフだったら、「たら、れば」の「後悔」の言葉が出たとしても、次のプレーで挽回することが出来ますが、交通事故、特に交通死亡事故を起こしてしまったときは、どんなに「後悔」したとしても奪い取ってしまった尊い命は、もう取り返すことが出来ません。
 東京交通安全協会が発行している資料で、「贖い(あがない)の日々」というのがあります。これは、一寸した不注意から交通死亡事故を起こしてしまい、交通刑務所で罪の償いをしている人が、「後悔」の念で綴った懺悔の記録ですが、現在、当校には、「無謀運転の悲劇」、命を奪った酒飲み運転」、「つもりが招いた悲劇」の資料があります。
 そのうち「無謀運転の悲劇」は、時速100キロの無謀運転により、対向車の女性を即死させた21歳の会社員の手記、「命を奪った酒飲み運転」は、飲酒運転により車に乗り込もうとした人を跳ね、即死させた26歳の会社員の手記、「つもりが招いた悲劇」は、交差点で右側の確認をしたつもりが、全くしておらず自転車乗りの女性を跳ねて死亡させた21歳の運転者の手記です。
 その内容を見ますと、「取り返しのつかないことをしてしまった。」、「謝っても誤りきれない罪を犯してしまった。」、「今回の事故で亡くなられた方とそのご遺族の方々はもちろん、私の家族や親族にまでつらく苦しい思いをさせてしまった。」、「師走の留置場は寒く、自分がやってしまったことの重大さにおびえ、ひたすら被害者が助かることを祈り続けました。しかし、私の祈りは通じませんでした。遺族の方々の私に対する怒りは一生消えるものではないでしょう。。」等一瞬の過ちによって、家族、恋人、友人等親しき人々から隔絶され、自ら犯した罪を反省している様子が、文脈の橋端から伝わってきます。
 交通事故をわざと起こす人は少なく、ほとんどの運転者は事故を起こしてしまってから、事の重大さに気付き、「後悔」するのですが、もうそのときは遅いのです。
 全職員が力を合わせ、この「贖いの日々」を活用して、交通安全意識を持った初心ドライバーを育てましょう。

2003年06月09日

話のつなぎ

 演歌歌手に山本譲二さんという人がいます。この歌手は、ご存知の通り、演歌界の大御所北島三郎さんのお弟子さんですが、これまで「みちのくひとり旅」等数々のヒット曲があり、今では年末恒例の紅白歌合戦には、常連となって出場している売れっ子の歌い手さんです。
 この山本譲二さんが、朝のラジオ番組で「親父を語る」というタイトルで、師匠である北島三郎さんとのやり取りを語っているのを聞く機会がありました。この場合、山本さんにとってタイトルの「親父」とは、もちろん師匠である北島三郎さんのことですが、山本さんが北島さんに弟子入りして、もうかれこれ約30年経っているそうです。
 したがって、山本さんが北島さんと話す機会は、仕事以外にも度々ありますが、その際、特に山本さんが気をつけていることが一つあるということでした。
 それは、「話のつなぎとなる言葉を大切に」ということでした。北島さんは山本さんに「演歌歌手の心構え」等をくり返しくり返し、自分の体験を交えながら話をするそうですが、それこそ30年も付き合っていると、北島さんが気付かないかもしれませんが、同じ話が何回もあり、中には10回位、同じ話を聞く時もあるということでした。そのとき、山本さんとしては、何回も同じことを聞いており、最初の頃は、「またか」という気持ちがあったそうです。
 ところが、「その話は今まで何回も聞きました」と言ってしまうと、永年培われてきた師匠と弟子の関係が崩れ、たちまち話がストップしてしまうのではないかと思うようになったということです。それだけ歌の師匠である北島さんの、山本さん等弟子を思う気持ちが強く、熱弁を振るわせたものと思います。
 このように考えると、北島さんとの会話もスムーズにできるようになり、それからは、北島さんが同じ話を始めると、さも始めて聞くような振りをして、「へえ、そうですか。始めて聞きました。」と相槌を打つと、北島さんは得意になって、「演歌歌手の心構え」等を話してくれるそうです。
 お陰で、北島さんの弟子の中でも山本さんを特に可愛がり、まるで親父が実の息子に言って聞かせるように、くり返し話をしてくれ、途中で話が途絶えるということは全くないということでした。
 この話を聞き、私にもふと思い当たることがありました。私が子供の頃、祖父がよく孫の私達に今でいう「民話」の話をしてくれていました。私は祖父の話を聞いているうち、今まで聞いたような話だったので、「その話は聞いたよ。」と言ってしまったのです。
 すると、それまで優しく孫達に話をしていた祖父の顔が急に悲しそうになり、途中で話を打ち切ってしまったのです。私はその瞬間、「出過ぎたことを言ってしまった。」と思いましたが、もう後の祭りでした。子供とはいえ、言ってはいけない言葉により、折角の話の腰を折ってしまったのです。
 私の性格でしょうか。このようなことは、60歳を過ぎてしまった今になっても時々あり、いつも反省していますが、今後は山本譲二さんを見習い、少しでも減らしたいものだと考えております。

2003年06月17日

シートベルト

 シートベルトを締めていて一命を取り止めた例は、これまで数々聞いたり、この目で見ておりますが、身近な例が私の身の回りでもありました。
 それは数年前になりますが、母達がその体験をしたのです。私の実家には、今年88歳になる母がまだ健在で、実家を継いでいる私の弟達家族と一緒に暮らしています。
 久方ぶりに実家に帰省したところ、弟の嫁がいつも乗っている車が違う車に変わっており、買い換えたのかと思って義妹に聞いたところ、「義兄さん、実は私が義母さんを乗せて運転中、車が転落して危うく死にそうだったのですよ。」とそのときの模様を話してくれたのです。
 義妹がそのとき乗っていたのは、ボンゴ型の軽自動車だったのですが、母を乗せて運転しているうち、一瞬脇見をしたところ、車が路肩を逸脱して雑木林に転落してしまったのです。義妹は瞬間何が起こったか判らず、ハッと思って気付いた時には、義妹と助手席に乗っていた母の間に、なんと杉の木が見えたそうです。車が転落した時、路肩の直ぐ近くにあった杉の木に真正面から衝突したのですが、運が良いことに衝突した所が、丁度運転席と助手席の間だったので、崖下までの転落は免れたのです。
 それと何といっても幸いだったのは、二人ともしっかりとシートベルトを締めていたからです。車は大破しましたが、二人ともかすり傷一つなかったということでした。
 義妹の話によりますと、事故を起こしたときは、ボーっとしていたのでそれほど興奮しなかったそうですが、あとで事故のときのことを思い出したら、膝がガクガクして震えが止まらなかったということでした。
 シートベルト着用の必要性が叫ばれてから久しくなり、また、着用が義務付けられ、さらに非着用の人には、「違反点数1点」が付加されるようになってからは、どの車のドライバーもシートベルトを着用するようになりましたが、調査結果によりますと、まだまだ完全ではないようです。
 日本自動車連盟(JAF)が平成14年中、全国のシートベルト着用状況を調査したところ、全国平均の着用率が83,9パーセントだったそうです。都道府県別では、長崎県が94,6%でトップ、最低は山梨県の67,6%、そして宮崎県は90,7%で全国第9位で、全体的にシートベルトに対する運転者の意識が高くなっているようです。
 しかしながら、宮崎県警察本部の交通統計を見ますと、平成14年中のシートベルト非着用による事故のうち、四輪車による交通事故で亡くなった人は39人ですが、何とそのうちの33人が着用してなく、さらに9人の方はシートベルさえしておれば、あるいは助かったのではないかということです。
 シートベルト着用も、最初の頃は、いざシートベルトを締めて運転を始めると、何だか窮屈な感じがしたものですが、段々慣れてくると違和感がなくなり、かえって今では締めていないと、何か忘れ物をしたような感じさえ受けます。全てのドライバーが運転する時にこのような気持ちになれば、交通事故もこれまで以上にウンと少なくなるものと確信しております。

2003年06月23日

幼児言葉

 テレビ番組に「ここが変だよ。日本人」というのがあります。これは日本に住んでいる外国人をスタジオに招待し、外国人から見た日本人の考え方とか、行動等を痛烈に批判する番組で、多少やらせ的なところもありますが、見ていても肩の凝らないものです。
 出演者は、世界各国から日本に来ている人達ですが、どの外国人も日本語を上手に使っています。むしろ今の日本人より日本語を理解している人達かも知れません。
 ときどきその番組を見ることがありますが、先日こんな光景がありました。そのときのテーマは「セクハラ」で、女性から見た男性のセクハラ的言動が話題になっていました。
 その中で、20歳位の女性が、「上司の男性が、さも親しそうに私の『おべべ』の上から肩をたたく時があります。これは私にとって耐えがたいセクハラです。」と発言していました。この発言の中で「おべべ」という言葉が出たとき、日本人である私は、直ぐ「着物=服」であることがわかりましたが、出席していた外国人も、さすがにこの言葉が理解できないのか、「おべべって何のこと?」と頭をひねっており、直ぐ外国人から質問がありました。
 すかさず、コメンターの日本人が、「おべべとは服のことです。この言葉は日本では幼児言葉として使われています。」と解説してくれましたので、出席していた外国人もほぼ納得したようでした。
 この模様を見ていた私は、同じ日本人として何だか恥ずかしい思いをしました。それは確かに日本には「幼児言葉」があり、私も子供の時使った経験がありますが、小学生位になりますと、人の前では使ってはいけない、つまり恥ずかしい言葉だとして理解していました。従ってそれまで成長した日本人が、このような「幼児言葉」を聞いたことがありませんでしたから、ビックリしたところでした。
 ところが、またまたビックリしたのは、自動車学校の教習生に中にも「幼児言葉」で話をする女の子がいたのです。
 その女の子は当時高校3年生でしたが、身体も小柄で、しゃべり方がまるで子供のようでした。しかも、声が頭のてっぺんから出るみたいで、本当に高校生かなと思ったほどでした。
 その女の子が話す言葉の中に、「幼児言葉」がありました。自分のことを言うのに、普通だったら女の子ですから、「私は」というところを、その女の子は自分の名前を言って話すのです。 つまり、「○○(自分の名前)、わかんな~い」と甘ったるい声で話すのです。職員室でも担当の指導員とこの調子で話しますので、職員室の学習機で勉強している他の教習生も思わず声のする方を振り返るほどでした。
 また、教習中は、この女の子からは「幼児言葉」が連発して出たそうです。教習した赤崎副校長から聞いたところによりますと、一時停止をして左右の安全を確認するよう指導しますと、安全を確認したあと、「車が来ていませ~ん。○○(自分の名前)、左に曲がりま~す。」と言いながらハンドルを切ったそうです。その言葉を聞いた瞬間、赤崎副校長は思わず吹き出しそうになったということです。
 大人になっても、このような「幼児言葉」を使っているのは、やはり家庭のしつけに問題があると思いますが、自分達が親になった時、どんな教育をするのかと思うと、ゾットするような気持ちになり、また、心配の種が増えたところです。

2003年06月30日

コーチ

 昭和40年代、巨人軍が日本シリーズに9年連続勝ったことがありますが、その連覇の初期に、巨人軍がリードして終盤戦になると、まるでハンを押したように、連日マウンドにあがるピッチャーがいました。
 その時間帯が丁度8時半頃になることから、このピッチャーを「8時半の男」と呼んでいましたが、このピッチャーこそ「宮田征典さん」です。
 この宮田投手がマウンドにあがると、相手チームのバッターは全く打つことが出来ず、8割方巨人軍が勝ちを納めていました。大リーグで活躍している佐々木投手は横浜ベイスターズ時代、リリーフエースとして勝利に貢献していましたが、この佐々木投手と同様、宮田さんはプロ野球史上に残る素晴らしいピッチャーです。
 宮田さんは、現役生活はわずか8年で引退し、約5年位、実家の鉄工業の仕事をしていましたが、巨人軍の監督となった長嶋監督から請われて投手コーチを引き受け、以来20年間、巨人軍、日本ハム、中日等のコーチをした人です。巨人軍のコーチをしていた頃、現在も活躍している桑田、工藤のほかかって活躍した斎藤、槙原等数々の名投手を育てています。
 その宮田さんが、ラジオ番組で「コーチ生活20年を振り返って」と題し、若いピッチャーを育てる苦労話をされているのを聞いたことがあります。
 その中で、日本ハムのコーチをしていた時、「岡部」と言う投手を育てた時の話がありました。その岡部投手は大柄で素質は十分あるのですが、動きに機敏さがなく、そのため勝ち星を挙げることが出来なかったそうです。
 そこで宮田さんは、岡部投手に機敏性を出させるため、茶碗一杯の米粒を左手で一粒づつつかませ、それを茶碗の中に入れるトレーニングをさせたところ、約3ヶ月でその効果が現われ、半年過ぎた頃には敏捷性が生まれ、コントロールが安定し、そしてスピードが出てきて、その翌年には12勝2敗という成績を残し、日本ハムのエースとして活躍することが出来たそうです。
 宮田さんのコーチとしての基本理念は、「一つ叱って、三つほめる」ことだそうです。他のコーチの人と違うところは、単に叱ったり、ほめるだけでなく、なぜ叱ったのか、また何処が良くてほめたのか、必ず相手が納得するまで、根気よく説明するよう心がけたということでした。
 そうすることによって、コーチと選手の間に信頼関係が生まれてきて、若い選手は自信を付け、それぞれチームのエースとして活躍するようになったということでした。
 このようにして育てたのが、その後巨人軍のサースポーとして活躍した「新浦寿夫投手」です。新浦投手は、ブルペンでは素晴らしいボールを投げますが、いざマウンドに立つと、実力の半分も力を出すことが出来ず、出ればノックアウトの状態で、本人もすっかり自身をなくしたそうです。
 それでも宮田さんは、根気よく新浦投手に「お前のボールは打たれないんだ。自信を持て。」と言って自信をつけさせ、遂に巨人軍のエースに育てたということですが、こんなコーチの仕事と自動車学校の指導員には、何か共通点があるように感じられます。

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