校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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コーチ

 昭和40年代、巨人軍が日本シリーズに9年連続勝ったことがありますが、その連覇の初期に、巨人軍がリードして終盤戦になると、まるでハンを押したように、連日マウンドにあがるピッチャーがいました。
 その時間帯が丁度8時半頃になることから、このピッチャーを「8時半の男」と呼んでいましたが、このピッチャーこそ「宮田征典さん」です。
 この宮田投手がマウンドにあがると、相手チームのバッターは全く打つことが出来ず、8割方巨人軍が勝ちを納めていました。大リーグで活躍している佐々木投手は横浜ベイスターズ時代、リリーフエースとして勝利に貢献していましたが、この佐々木投手と同様、宮田さんはプロ野球史上に残る素晴らしいピッチャーです。
 宮田さんは、現役生活はわずか8年で引退し、約5年位、実家の鉄工業の仕事をしていましたが、巨人軍の監督となった長嶋監督から請われて投手コーチを引き受け、以来20年間、巨人軍、日本ハム、中日等のコーチをした人です。巨人軍のコーチをしていた頃、現在も活躍している桑田、工藤のほかかって活躍した斎藤、槙原等数々の名投手を育てています。
 その宮田さんが、ラジオ番組で「コーチ生活20年を振り返って」と題し、若いピッチャーを育てる苦労話をされているのを聞いたことがあります。
 その中で、日本ハムのコーチをしていた時、「岡部」と言う投手を育てた時の話がありました。その岡部投手は大柄で素質は十分あるのですが、動きに機敏さがなく、そのため勝ち星を挙げることが出来なかったそうです。
 そこで宮田さんは、岡部投手に機敏性を出させるため、茶碗一杯の米粒を左手で一粒づつつかませ、それを茶碗の中に入れるトレーニングをさせたところ、約3ヶ月でその効果が現われ、半年過ぎた頃には敏捷性が生まれ、コントロールが安定し、そしてスピードが出てきて、その翌年には12勝2敗という成績を残し、日本ハムのエースとして活躍することが出来たそうです。
 宮田さんのコーチとしての基本理念は、「一つ叱って、三つほめる」ことだそうです。他のコーチの人と違うところは、単に叱ったり、ほめるだけでなく、なぜ叱ったのか、また何処が良くてほめたのか、必ず相手が納得するまで、根気よく説明するよう心がけたということでした。
 そうすることによって、コーチと選手の間に信頼関係が生まれてきて、若い選手は自信を付け、それぞれチームのエースとして活躍するようになったということでした。
 このようにして育てたのが、その後巨人軍のサースポーとして活躍した「新浦寿夫投手」です。新浦投手は、ブルペンでは素晴らしいボールを投げますが、いざマウンドに立つと、実力の半分も力を出すことが出来ず、出ればノックアウトの状態で、本人もすっかり自身をなくしたそうです。
 それでも宮田さんは、根気よく新浦投手に「お前のボールは打たれないんだ。自信を持て。」と言って自信をつけさせ、遂に巨人軍のエースに育てたということですが、こんなコーチの仕事と自動車学校の指導員には、何か共通点があるように感じられます。

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2003年06月30日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

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