努力
ある夜、テレビの画面を何気なく見ていると、番組は「家政婦が見ていた」というタイトルであり、どこかで聞いたことのある番組だなと考えていますと、短い白髪頭の俳優が出演しており、その人が落語家であり、俳優でもある「桂小金治さん」だったので、その番組のことを思い出しました。
それは平成13年11月、東京で開催された全国指定自動車学校協会連合会の大会、いわゆる「全指連大会」に参加したときのことです。
羽田空港には、長男夫婦が迎えにきてくれていましたので、羽田空港から宿泊先の品川ホテルの近くにある品川駅までの間は、京浜急行の電車に乗ることにしたのです。当日はウィークデーで、しかも午後でしたから、電車は各車両とも比較的空いており、私達3人は並んで座席に座って話をしていました。
話をしながらふと前の席を見ますと、横並びの座席に5人位が座っており、その中に60歳代後半と思われる男の人がいるのに気付きました。その人は大工の棟梁みたいな髪が短い白髪頭をしていましたが、どことなく上品な感じの人でした。老眼鏡をかけ、本を読んでいるようでしたが、どこかで見たような人であり、誰だったかなと思いながらその人の顔をチラチラ見ていたのです。
そのうち、その人が顔を上げ、私の方を見た瞬間、やっとその人の名前を思い出しました。その人は本職は落語家ですが、20年前頃、テレビのアフタニューンショー等の司会をし、その後はテレビに時々出演している「桂小金治さん」だったのです。
私がチラチラ前の席の方を見ていたので、私の隣りに座っていた長男もその人の方を見ていましたが、私にそっと、「前の席に座っている人は、テレビで見る人じゃない」とささやいたのです。私はそのとき、その人の名前を思い出していましたので、「噺家の桂小金治さんだよ」と小声で返事すると、長男の納得したようでした。
再び長男と話をしながら桂小金治さんの様子を伺っていますと、桂さんはそれまで読んでいた本をカバンの中に入れ、別の分厚い本を取り出した様子でした。しばらくはその本を読んでいるようでしたが、やがてその本を閉じ、目をつぶると、右手で自分の右耳を塞ぎ、左手で口を押さえる格好で、なにやらつぶやく素振りが見られました。
何を始めたのかなと思い、なおも様子を伺っていますと、目を開け、閉じていた本を開いて、中の文字を見ながら口にこそ出しませんが、ブツブツ何かをつぶやき、再び目をつぶると、耳と口を塞いでつぶやき始めたのです。数回その動作を繰り返していましたが、何をしているのか私にはさっぱりわかりませんでした。
ふと桂さんが持っている本を見ると、背表紙には、「家政婦が見ていたーテレビ朝日」と書いてあるのが見えましたで、ようやくその本が台本であることがわかったのです。
つまり、桂さんは、電車の中で寸暇を惜しみ、出演するテレビのセリフを一生懸命覚えていたわけです。60歳代後半と思われる年代ですから、長いセリフを覚えるのも大変でしょうが、こんなにも努力している姿を目の前に見て、とても感動するとともに、人間いくら歳をとっても、努力さえすれば何でも出来るということを痛感したところでした。






