校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2003年12月 アーカイブ

2003年12月01日

先憂後楽

 佐賀県内で農業をしながら作家活動をしている人に「山下惣一さん」という人がいます。山下さんが書いている文章はとてもわかりやすく、しかも題材が私達の身の回りにどこでもある事柄ですので、興味をもって読んでいます。
 その山下さんが、毎週1回、朝日新聞に連載しているのが、「惣一っあんの産地着想」という記事です。その記事の中に「順番」というタイトルで書かれたものがありました。その内容は、
「結婚日だというので、女房と近くの寿司屋に出かけた。夫婦だけの会食は、村の中では極めて異例のことだから、店のおばちゃんが驚いて、それこそ棒を飲み込んだような表情で、マジマジと見つめたのはおかしかった。刺し身の盛り合わせでビール1本と、熱燗2合を二人で飲み、ニギリの特上を奮発した。最後に残った寿司を見て大笑いをしてしまった。女房はウニ、私はアワビを残していたからだ。嫌いなのではない。その逆で大好きなのだ。つまり、好きではないネタから食べ始めて、一番好きな物を最後にするという食べ方しか出来ないのである。大好物を残して二人とももう満腹していた。」
というものでしたが、その記事を見て、思わず私は一人でニンマリとしました。
 それは、私も山下さんと同年代ですから、子供の頃、嫌いな物と好きな物を一緒に食べる時は、必ず嫌いな物を先に食べ、最後に好きな物を食べていた思い出があり、今でもその癖が直らないからです。
 その理由は、好きな物から食べはじめ、次に嫌いな物に移ると、段々食べ物のうまさがまずくなりますし、それよりその逆の方がうれしく、豊かさを感じ、なりよりも食べ終わって「ああ、おいしかった。」と満足感を感じるからです。
 このように苦しみ(嫌いな物を食べること)を先にし、楽しみ(好きな物を食べること)を後にする人生を「先憂後楽」型人生というそうですが、私達の年代の者にとっては、このような考え方が、すっかり身に染め付いてしまっているようです。
 ところが、最近の若者の中には、好きな物から先に食べ、嫌いな物は残すか、あるいは全く手を付けないという「先楽後憂」型の人間が多くなっているそうです。つまり食べ物一つを取ってみても「価値観」の相違があるということです。
 このように「価値観」が逆転したのは昭和40年代以降だそうです。それまでは旅行に行こうと思えば、先ず貯金をし、金が貯まってから旅行していたのが、先ず旅行を楽しんでから、その代金をローンで支払うように変わってきました。旅行だけでなく、車、ファッション等全てがこの方式に変わりました。
 このような「価値観」の逆転と関係があるのかもしれませんが、最近の国の経済政策を見ていますと、財源がなくなれば、直ぐ「国債発行」という具合に、万事その場しのぎになっており、今を生きる者の贅沢のために、莫大な借金を子孫に残そうとしている節があります。
 ここは一つ、国民全体が考え方を「先楽後憂型」から「先憂後楽型」に変え、ある程度、辛抱する時期に来ているのではないかと考えているところです。

2003年12月08日

エチケット

 最近の若い人達の行動を見ていると、電車やバス等交通機関の中で、エチケットが守られていない光景を度々見かけることがあります。
 例えば、秋の行楽シーズン時には、鹿児島まで修学旅行と思われる小学生の子供達の一行と、同じ電車に乗り合わせることがあります。そのときは、さあ大変です。子供達は電車に乗り込んで来た途端、先ず席を取るため通路を我先と走り回り、自分の席が決まると、「○○さん、ここが空いてるよ。」と友達の名前を大声で呼び、それが一段落すると、気の合った友達と大きな声で話す始末です。
 中には、小学校の運動場と勘違いしているのではないかと疑いたくなる位、通路を走り回る子供もいます。引率の先生はいないのかと思い、車内を見渡すと、電車の隅っこの方にそれらしき男性と女性がいますが、騒いでいる子供達を全く注意しようとはしないのです。これでは本を読むどころではありません。
 私も小学校6年生の時、鹿児島に修学旅行した体験がありますが、旅行前に先生から色々注意がありました。その中でも電車やバスの中では、他のお客さんの迷惑になるので、大きな声を出したり、又、通路を走り回らないよう厳しく言われたものです。先生の言われたことですから、殆どの同級生は忠実に守っていましたが、中には、元気のよい同級生がおり、通路を走り回ったところ、早速先生から叱られ、ゲンコツをもらった人もいました。それほど、大人達、特に親や先生から交通機関内におけるエチケットを教えてもらったものです。
 「エチケット」といえば、先日こんなことがありました。電車に乗ったところ、椅子が二人掛けになった席で、席の真ん中に木製の肘掛が付いておりました。私は電車に乗り込むと窓際の席に座り、早速本を読み始めたのですが、何気なく肘掛においていた左手を挙げようとしたのですが、背広に何かが引っかかったような感じを受けました。
 どうしたのかと不思議に思い、左手の背広の下を見たところ、なんと肘掛けの上にはガムがあったのです。しかも単に捨てられたものが置いてあるだけではなく、ガムが肘掛になすりつけてあったのです。これは明らかにイタズラです。幸い私の場合、直ぐ気付いてガムを取り除きましたので、クリーニングに出すほどまでには至りませんでしたが、朝からいい気持ちはしませんでした。
 座席を移動し、ガムのことをたまたま通りかかった車掌さんに告げたところ、車掌さんは金具を持って来て、そのガムを取り除こうとしたのですが、なかなか取れませんでした。あきらめたのか車掌さんは、今度はチラシ紙で肘掛をくるみ、私に、「ガムが取り除けませんので、この電車が終着駅に到着後、清掃します。それにしても困ったことです。こんなことは初めてです。」と告げ、立ち去って行きました。
 おそらく、このガムを捨てた人も若い人と思われますが、本人も一寸したイタズラ気分で、このような行為をしたものと思います。不特定多数の客が乗り込む電車内で、このようなエチケットに反する行為は大迷惑であり、今後、絶対してほしくないと思ったところでした。

2003年12月15日

再挑戦

 先日の夕方、テレビを見ていたところ、「あの人は今」というタイトルの番組があり、そこに登場していたのは「元沖電気陸上部の川上優子選手」でした。
 ご存知のように「川上優子選手」といえば、沖電気陸上部のエースランナーとして活躍した選手です。主な成績としては、アトランタ五輪女子1万メートル第7位入賞、バンコクアジア大会女子1万メートル金メダル獲得、シドニー五輪女子1万メートル第10位のほか、全日本実業団女子駅伝全国制覇3回のエースランナーとして、チームに貢献した選手ですが、持病の坐骨神経雄通が悪化し、平成14年9月、県民を始め多くの人に惜しまれて現役引退を表明した人です。その後風の便りによりますと、陸上部を退部したあと、沖電気会社も辞め、郷里の熊本に帰ったということでした。
 その」川上優子選手」の名前を聞いた途端、今駅伝シーズンですから「ひょっとしたら、どこかの実業団女子駅伝チームの監督になったのでは」と思ったのです。
 ところが、テレビの画面に現れたのは、ゴルフバッグを担いだ「川上優子さん」の姿でした。全く予想だにしなかった川上さんの姿だったので、これには私もビックリしました。
 川上さんの話によりますと、病気のため競技生活が出来なくなり、引退を決意した時、「オリンピックに出場するだけが、私の人生ではない。他に私が出来るスポーツがあるはずだ。」と考え、「再挑戦」したのが、全く経験のなかった「ゴルフ」というスポーツだったそうです。それはゴルフは陸上競技と比べ、競技生活の長いスポーツであり、努力次第ではプロゴルファーになれるのではないかと考えたからです。
 そこで、知人の紹介で、男子プロゴルファーの中島常幸さんのレッスンを担当している加納プロの門下生となり、毎日猛練習に励んでいるということでした。川上さんが練習しているのは熊本県内のゴルフ練習場ですが、川上さんは毎日この練習場に通い、加納プロのメニューにそった練習を行い、時々東京から訪れる加納プロからフォームのチェックをしてもらっているそうです。
 画面では、プロゴルファーを目指す川上さんの練習光景が映し出されていましたが、現役女子ゴルファーのような「切れ」はもちろんありませんでしたが、それでも約1年の経験とは思えないほどの素直なフォームでした。
 指導している加納プロは、「プロゴルファ-となる最大の条件は『足腰がしっかりしていること』ですが、川上さんは陸上の経験があり、その条件はクリアーしていますし、私の予想以上に上達しています。それに何といってもメンタル面では素晴らしいものを持っていますので、プロゴルファーになる素質は十分あります。」と太鼓判を押していました。
 川上さんは、「陸上競技に未練はありませんか」という質問に対し、「陸上競技は、私にとってもはや過去のものです。今更過去を振り返っても仕方のないことなので、1日でも早く世界に通用するようなプロゴルファーを目指します。」と堂々とした態度で、その決意のほどを話してくれました。その川上さんの「再挑戦」の日が、1日でも早く実現することを願っています。ガンバレ、川上優子選手

2003年12月26日

チェックミス

 教科書出版大手の「東京書籍」が、昨年に引き続き、またまた大きな失敗をやらかしたようです。
 新聞報道によりますと、同社が出版した中学社会の教科書3種類(歴史、地理、公民)の中で、次のような誤りがあったということです。「歴史」で、武家時代、将軍の一門や譜代でない大名のことを「外様大名」と言っていましたが、この内容について、正しくは「外様大名は、関ヶ原の戦い以降、徳川氏に従っていた」と記述するところを「外様大名は豊臣氏に従っていた」と記述していたり、イタリアの旅行家で、父や叔父達とシナ(現在の中国)に旅行して、そこで見聞きした内容を記録し、「東方見聞録」として世に紹介した「マルコポーロ」の、イタリアからシナまでの旅行行程が全く逆の方向だったりする等合計40箇所の誤りが見つかったそうです。
 誤りはこの他「地理」で、西アフリカに「モーリタニア」という国がありますが、同社の教科書によりますと、これが「モーリタリア」と記述されており、さらに「公民」では、「介護保険審査会」のことが「介護認定審査会」と誤った記述がされていたということです。
 この「東京書籍」については、昨年度の中学用教科書でも、「公民」で新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」のことを「雪国はつらいよ条例」と誤記したほか、「地理」で3200を超す全国の市町村の数を「1230」とする等初歩的なミスが続いている出版会社です。
 同社は、平成14年の教科書のミスで、約112万部を刷り直したばかりであり、今年度のミスについて、同社の広報課は「当社の教科書を使っている学校や教育委員会に訂正表を配る等対応している。現在、チェック態勢の見直しを進めているところだが、結果的にチェックが甘かったと言わざるを得ない。」とコメントしています。
 いくら訂正表が配られたとしても、この教科書を使っている中学生としては、「教科書に書いてある内容は正しいもの」と信じて勉強しているわけですから、今後の勉強に支障が出てくるものと思われます。
 また全国の中学校としても、「東京書籍」の中学社会教科書が、2年続けてミスが発生したわけですから、来年この教科書を使うことについて二の足を踏むことが予想され、そうなると、いくら王手の教科書出版会社としても、死活問題につながるものと思われます。
 こうしたチェックミスは教科書出版会社だけでなく、私達の身の回りでも発生しており、「対岸の火災」として見ているわけにはいかないようです。例えば、警察本部交通部運転免許課から送付されてくる「発禁処分通報」を見ると、チェックミスによるものが大半を占めています。傍から見ると、どうしてミスに気付かなかったのだろうかと不思議に思える事例もあるようです。
 同じ仕事続けていると、どうしてもそこに「慣れ」が生じ、ミスに気付かないことがあるようですので、今後は「どこかに間違いがあるはずだ」という気持ちで仕事を進め、チェックミスを防ぎたいと考えているところです。

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