校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2004年01月 アーカイブ

2004年01月07日

自分の仕事を好きになろう

 ここ数年、全国的に不景気の嵐が吹き荒れ、そのため会社が倒産したり、あるいはリストラで職を失う人が多くなってきています。このような人達は新たな仕事を求め、ハローワークに通ったり、知人や会社のツテを頼りに仕事を探しているようですが、なかなか思うような職は見つからないようです。
 先日のテレビで、このように職を失った中高年の人達が集まり、新たに「居酒屋」を起ち上げたものの、数ヶ月で見事に失敗した様子が放映されていました。この中高年の人達は、バブル景気華やかし頃は、肩で風を切るほど羽振りを効かせていた大手建設会社の労働組合の幹部だった人達ですが、会社の倒産で失職し、職を求めて奔走しましたが、中高年というハンディもあってか見つかりませんでした。
 そこで、かっての労働組合の上部団体であるユニオンから融資を受け、数人共同で「居酒屋」を始めたということです。開店間もない頃は、流行の「居酒屋」の商売が受けたのか、元の会社の同僚だった人達が毎日のように押しかけたり、また、マスコミで報道されたこともあって多くの人達が訪れ、店はいつも満員の盛況だったそうです。
 しかし、いかんせん「士族の商法」だったせいか、マンネリ化したため、このような状態は長く続かず、3ヶ月を過ぎる頃は、潮が引くように客足が遠のいて空席が目立つようになり、店舗を縮小したり、従業員を減らしたりする等の対策を講じましたが、一旦去った客を再び取り戻すことが出来ず、多くの借金を抱え、遂に半年で閉店の止むなきに至ったそうです。
 そこで、再度店を開くため、「居酒屋」の専門家に「何故閉店するに至ったか」を検証してもらったところ、「店の場所が悪い」「出される料理が毎回同じで変化がない」「素人経営であり、アイディアがない」「サービスが余り良くない」等辛辣な意見が出されましたが、その中で、閉店に至った最大の原因は、「居酒屋」で働いていた人達の殆どが、「居酒屋という商売があまり好きでなかった」ということだったそうです。
 つまり、リストラで職を失い、やむなく「居酒屋」で働くようになったものの、酔客にサービスしたりする自分の姿が段々惨めになり、仕事をするのが馬鹿らしくなってきたそうです。そういう気持ちになると、自然に客にサービスする意欲も失われ、また、従業員同士の協調性もなくなって経営が悪化の道をたどり、遂に閉店になったということです。
 そのため、再度開店を目指しているスタッフでは、単に失職した元労働組合員を数だけ集めるのではなく、真に「居酒屋」という仕事が好きな者を従業員として採用する方針で、現在その人選中だということです。
 自分がどの仕事に向いているかを即座に判断することは難しいことですので、自分が好きな職業に就くことが出来た人は、極めて稀であり、その人は幸せ者だと言えます。したがって、現在就いている仕事を先ず好きになることが大切であり、それがひいてはその人の幸せにつながると思っいます。

2004年01月15日

竹薮の雀

 電車等の交通機関内や公共の建物内で、他人のこと等全く考えず、傍若無人におしゃべりをしたり、騒いでうるさい様子のことを「竹薮の雀」という言葉で表現することがあります。
 夕方、街角の樹に群がった雀が、「チュン、チュン」と鳴いているのを見かけることがありますが、その声は、まさに「竹薮の雀」というところであり、「うるさい」というより「騒音」と表現した方が良いくらいです。雀ならいくらうるさくても「鳥だから仕方だない」といって済まされますが、これが人間で、しかも電車等の公共機関内であった場合は、頭に来ることがあります。
 それは先日の夕方、山之口駅から電車に乗った時のことです。丁度ドアの直ぐ近くの席が一つ空いていましたので、そこに座り、いつものようにカバンの中から小説を取り出し、読み始めようとしたのです。
 すると、直ぐ近くの席から、数人の子供達がおしゃべりする声が私の耳に飛び込んできたのです。子供の声ですから多少キーは高いのですが、それは、「おしゃべり」というより、むしろ「騒音」といった方がピッタリの話し声でした。
 顔を上げ、声のする方を見ると、私の席から数メートル離れた横掛けの席に、男の子3人と女の子3人が座っており、全員学校の帽子を被っていましたので、どうやら小学校高学年の子供達のように見えました。
 6人のうち、男の子一人の声が特に高く、「ワーワー」といった調子で話をし、それに吊られて他の子供達も大声でおしゃべりをしているのです。その横には、50代と思われる男性が目をつぶって座っていますが、子供達を注意しようとする素振りもありません。大声で騒ぐ子供達の直ぐ側に座っているわけですから、うるさいだろうなと思いながら、何故注意しないのかなと不思議に思っていたのです。そのうち子供達は、校歌らしき歌を歌い始め出し、さらにうるさくなりましたが、誰も子供達を注意しようとする人はありませんでした。
 そこで、私も我慢が出来なくなって席を立ち、その子供達の所に近寄り、「ここは電車の中だよ。大きな声を出すと、他の人に迷惑だから、少し静かにしてくれないか。」と注意したのです。
 すると、6人の子供達は、はっとしたような顔つきになり、帽子を取ると、「すみませんでした。」と言い、声が小さくなりました。子供達が素直に謝ってくれましたので、元の席に帰ろうとして、子供たちの直ぐ横に座っている男の人の顔を見たところ、相変わらず目をつぶったままの様子でした。
 その後は子供達も静かになり、ゆっくり小説を読むことが出来ましたが、宮崎駅に到着した時、再びビックリした光景を見たのです。それは子供達も宮崎駅で降車しましたが、その子供達を引率していたのは、なんと大声で騒ぐ子供達の直ぐ横で狸寝入りをしていたあの50代の男性だったのです。その引率の先生らしき男性の顔を見ながら、「ちゃんと子供達の指導をしてくださいよ。」とつぶやき改札口を出ましたが、後味の悪い一日だったことはもちろんのことです。

2004年01月19日

停止線

 幅員が狭い道路と交通量が多い幹線道路が交わっている交差点で、信号機が設置されていない場所では、幅員が狭い道路側に「一時停止」の標識が設置され、路面には「止まれ」という文字と、「停止線」が表示されている箇所を良く見かけることがあります。
 運転免許を取得している人ならば、その標識や道路標示がどのような意味なのか判っているはずですが、交通事故の発生状況を分析した結果を見てみますと、どうも一時停止はもちろんのこと、「停止線の所で一時停止し、左右の安全を確認する」ということが、確実に実行されていないようです。
 私は、自宅から宮崎駅までの約6キロの間を、毎日自転車で往復していますが、自転車道路を走っていると、急に横合いの小さな道路から車が私の目の前に現われ、あわてて自転車の急ブレーキをかけることが度々あります。車が出てきた方の道路を見ますと、道路には「止まれ」の文字と「停止線」があり、ちゃんと標識も立っています。それなのに、「停止線」の所で一時停止しない車が多いのです。こんな光景に会うたびに、交通事故にならなければいいがなと思っていましたが、先日、その事故が私の目の前で発生したのです。
 それは、私が朝出勤中、自宅を出てから約15分走った宮崎市内の県立大宮高校付近まで来た時のことです。そのとき、私は進行方向右側の自転車が通行出来る幅員4メートル位の歩道の車道寄りを走っていましたが、前の方に目をやると、10メートル先には自転車に乗った50歳位の女性の姿がありました。その自転車は私と違い、歩道右側の人家寄りを走っていましたので、もし、右側の狭い道路から車が飛び出してきた時は、危ないがなと思いながらペタルを踏んでいたのです。
 大宮高校前付近に差しかかったとき、約10メートル前方の道路右側に、狭い道路があるのが見えましたが、その狭い道路からいきなり黒っぽい車が飛び出してきたのです。
「アッ危ない」と思わず私は叫びましたが、その瞬間、「キャー」という女性の声と、「ドーン」という衝突音が私の耳に飛び込んできました。車の左前部分と自転車が衝突し、自転車乗りの女性はその場に倒れたのです。
 私は直ぐ自転車を止め、倒れている女性の所に近づき、「大丈夫ですか」と声をかけたところ、「ええ、大丈夫です」という声が返ってきました。そのとき、「すみません、大丈夫ですか」という声が後ろの方から聞こえてきましたので、振り返ると、黒っぽい車を運転していた若い女性でした。幸い自転車に乗っていた女性には怪我はありませんでしたが、自転車は前に取り付けてあるカゴと前タイヤはペシャンコになっていました。
 車が飛び出してきた方の道路を見ると、道路には「止まれ」の表示と「停止線」がしてありましたので、「停止線」の所で止まってさえいれば、こんな事故は起こらなかったのです。
 この事故を目撃してからは、私は事故に遭わないよう、自転車で自転車道を通行する時は、自転車道路の真ん中か、むしろ車道寄りの方を走るよう心がけているところです。

2004年01月26日

譲り合い

 各市町村とも、交通死亡事故ゼロの期間を1年続けるのに四苦八苦しているというのに、交通死亡事故ゼロを、それも「2万日」も続けている村があります。
 「交通死亡事故ゼロ2万日」を達成したのは、鹿児島県薩摩半島にある川内市の西、約30キロの沖合いにある甑(こしき)島列島の真ん中に位置する「鹿島村」です。
 甑島列島は上甑島と下甑島からなっていますが、「鹿島村」は、その下甑島の一番北側に位置する村で、人口約830人の小さな漁村だそうです。下甑島には、「鹿島村」と「下甑村」の二つの村がありますが、この島には航空自衛隊のレーダー基地がある関係か、両村とも村内には舗装された立派な道路が通っているそうです。事実、新聞報道によると、鹿島村には信号機こそありませんが、車は、ニ輪、四輪を含め約360台があり、道路が狭いうえにカーブが多く、転落事故が発生してもおかしくない箇所が数ヶ所あるそうです。
 「交通死亡事故ゼロ2万日」がいかに偉大な記録であるかは、全国第二位の市町村の記録を見れば明らかです。警察庁などの外郭団体である交通事故総合分析センターの調査によると、現在、交通死亡事故ゼロ市町村の第二位は、長崎県大島村の「1万8,700日」ですから、この記録を約1,300日も上回っていることになります。
 「交通死亡事故ゼロ2万日」といえば、約55年間、交通死亡事故が全く発生していないわけですが、何故このようにゼロが続いているかについて、鹿島村企画課では「村内にはカーブや車が交差出来ない箇所が数多くありますが、カーブミラーに対向車両の姿が見えたときは、必ず手前の安全な場所で待機するとか、交差点では、運転者がお互いに進路を譲る等、村民全員が『譲り合い』の精神を持って、ハンドルを握っていることです」と分析しています。
 さて、車を運転する場合、いかに「譲り合い」が大切であるか、身をもって体験していることがあります。それは私がよく利用している郊外のスーパー駐車場出入り口におけるドライバーの「譲り合い」です。そのスーパーの駐車場は約200台収容できるスペースがありますが、夕方ともなると出入りする車が多く、駐車する場所を探すのに一苦労します。
 また、買い物を済ませていざ駐車場を出ようとしても、駐車場出入り口は県道に面しており、夕方はその県道がラッシュ状態ですから、運転に慣れないドライバーにとっては、あまり好きではない場所です。
 ところが、このスーパーが開店してから約4年の間、この駐車場出入り口の交差点で、交通事故が発生したの見たことが一度もありません。それは、その交差点を通行するドライバーがお互いに「進路を譲る」からです。県道を通行している車のドライバーは、駐車出入り口付近がラッシュ状態になっても、必ず出入り口付近を空けてくれますので、駐車場に出入りする車は安心して通行できます。
 時々、スーパーのガードマンが駐車場は入り口で車の誘導をしている時がありますが、かえって交差点が混雑しています。やはり、この交差点では、ドライバーがお互いに「進路を譲る」方式の方が良さそうです。

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