校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2004年03月 アーカイブ

2004年03月01日

傷ついた言葉

 平成12年8月、満60歳になった者が集い、「還暦同窓会」を開きましたが、その際、幹事役の人達が苦労して作成した「同窓会名簿」が、今私の手許にあります。
 その名簿には、同じ中学校を卒業した約300名の同窓生の名前や住所が記載されていますが、なかには病気や交通事故等で既に物故者となった人も数名含まれています。その中で、ただ一人住所の欄がポツンと空欄になった人がいます。その人の名前は「O君」です。「O君」は中学校卒業以来、十数回開催された同窓会には1回も出席したことがなく、彼の消息を知っている同窓生は誰もいないようです。
 「O君」は私の直ぐ近所に住んでいた関係で、小学校に入学する前から一緒に遊んだ友達でしたから、彼が何故、同窓会に出席せず、また現住所も同窓生に明らかにしないのか、その原因を私は知っています。
 それは中学校2年生の時、授業中に先生から「傷ついた言葉」を浴びせられたからです。私達の中学生時代には「職業・家庭」という授業科目があり、6クラスのうち2クラスが一緒になり、男子生徒は「職業」、女子生徒は「家庭」の授業をそれぞれ受けていました。その「職業」の授業時間の中で、「親の職業」という項目があり、先生から指名された生徒は、次々に自分の親の職業を発表していました。私が住む地区は、宮崎市の郊外にある農村地帯でしたから、約8割の親の職業は「農業」でした。
 ところが、「O君」の順番になり、「O君」は立ち上がると、「自分の親の職業は鉄関係の仕事をしています。」と発表したのです。すると先生の口からは「何、鉄関係の仕事?お前の親父はボロ屋じゃねっとか」という、およそ先生らしからぬ言葉が返ってきたのです。その先生はその当時30歳位の男子教諭で、陸上部の顧問をしていましたが、どちらかと言えばぶっきらぼうなものの言い方をする先生でした。
 この先生の言葉には、思わず生徒達の中からドッと笑い声があがりましたが、私には笑えるどころか、「O君」が気の毒になったのです。それは「O君」は在日朝鮮人の二世でしたが、彼のお父さんは、太平洋戦争前、朝鮮から日本に強制連行された人です。
 戦後、私達の住む地区に転入し、掘っ建て小屋みたいな家に家族5人で住み、鉄屑等を集めたり、また買い取る仕事を細々としていたのです。私達も子供時代、このような仕事をする職業のことを「ボロ屋」と呼んでいましたが、「O君」にとり、自分の親の仕事を「ボロ屋」と呼ばれていることが、子供心に「恥ずかしい」と考えたのか、「鉄関係の仕事」と言わしめたものと思います。
 先生からすると、ほんの軽い気持ちで言われたかもしれませんが、「O君」にとり、先生の「ボロ屋だろう」と言われた言葉は、おそらく心にグサッと突き刺さる「傷ついた言葉」であったものと思います。その証拠に「O君」はジッと下を向いたまま顔を上げようとせず、必死に涙が出るのをこらえていたからです。
 「O君」にとり、先生が軽い気持ちで言った「ボロ屋だろう」の言葉は、少年の心を深く傷つけたものと思います。おそらく「O君」の心の中から一生、取り除くことが出来ないでしょう。同窓会名簿を見るたびに、あのシーンが思い出されます。

2004年03月08日

初動の大事さ

 強い毒性を持つ高病原性鳥インフルエンザは、本年1月頃から中国やベトナム等アジア各国で発生していましたが、日本国内でも2月に入り、山口県内の養鶏場で数千羽の鶏、そして大分県内の一般家庭では、飼育しているチャボが次々と死亡し、検査の結果、いずれも高病原性鳥インフルエンザであることが判明しました。
 幸い、双方とも養鶏場の経営者や飼育者が異変に気付き、直ちに家畜保健衛生所等に届けたため、早期に家畜伝染病予防法に基づく専門家の立ち入りや消毒、そして飼っている鶏や卵の処分及び移動禁止措置が取られ、インフルエンザの拡大を防ぐことが出来ました。
 高病原性鳥インフルエンザの感染源は、渡り鳥説等があるようですが、現在のところハッキリせず、そのため農林水産省等では、再発防止対策として異変に気付いた時は早期に届けるよう呼び掛けを行っていましたが、2月末になり京都府内の養鶏場で鶏が大量死する事案が発生しました。
 報道によりますと、「鶏がバタバタ死んでいる」という匿名の電話が京都府にあり、直ちに立ち入りして死んだ鶏を検査した結果、高病原性鳥インフルエンザであることが判明したということです。この会社の社長は「腸炎だと思った。鳥インフルエンザだとは思わなかった」と説明していますが、京都府等の調べによりますと、その養鶏場では、2月20日頃から鶏が大量に死に始め、28日までに6万7,500羽余りが死んだということで、残った鶏の処分が進められているようです。
 鳥インフルエンザのことがこれほど話題になっていますから、養鶏場経営者としては、鶏の大量死が続けば、先ず「鳥インフルエンザ」を疑うはずなのに、京都府に届けてなく、そのうえ、千羽単位で鶏が死んでいる時に、食肉用のの鶏の出荷を早めたということで、家畜伝染病予防法の届出義務違反の疑いもあるようです。
 この養鶏場は兵庫県に本社があり、兵庫県内や京都府内に五つの養鶏場を持ち、約175万羽の鶏を飼育している西日本最大の規模を誇る会社ですが、この会社の会長は、日本養鶏協会の副会長や兵庫県養鶏協会の会長の要職にあり、1月に中国等で鳥インフルエンザが発生した際は、兵庫県内の養鶏業者に対し、「異変に気付いた時は早期に届けるように」と指示していたということですから、この会社は一体どうなっているのかと疑いたくもなります。
 その後の記者会見等で、社長は「もっと早く連絡していればよかったが、鳥インフルエンザであってほしくないという希望的観測があった」と述べています。自分のところで鳥インフルエンザが発生したとなれば、養鶏業者は打撃を受けますが、それをおそれて隠したり、通報をちゅうちょしたりすれば、信用の失墜を含めて損失は膨れ上がり、今回のように多くの人や鶏等が迷惑を被ることになるわけです。
 この会社では、鳥インフルエンザが発生した養鶏場を閉鎖すると発表していますが、それだけでは済まされず、おそらく、あの「雪印」と同じ運命をたどることになるでしょう。
 その意味でも今回の事案は、企業の幹部等が「初動の大事さ」を知るには格好の材料となり、生きた教訓になったものと思います。

2004年03月15日

視力障害者

 10年位前までは、一人で電車やバス等の交通機関を利用する視力障害者の姿は全く見られませんでしたが、最近、電車内で見かけることが度々あります。その姿を見ていると、一番大変なのは階段の上り下りのようです。視力に障害のない人にとっては、駅のホームの階段は大して苦になりませんが、これが視力障害者になると大変なようです。
 私が都城自動車学校からの帰り、山之口駅から電車に乗ると、電車の先頭車両の運転席の直ぐ後ろの席に、視力障害者の男性が乗っていることが時々あります。その男性は年齢が35歳位で、黒いメガネをかけ、手には白い杖を持っていますので、一見して視力障害者であることがわかります。私が山之口駅から電車に乗る時は、既にその電車に乗っていますので、おそらく都城駅あたりから乗っているものと思われます。
 私がその男性と乗り合わせ始めたのは、JRのダイヤが改正になった平成15年の10月頃からです。ダイヤが改正になり、日豊本線の電車も新しくなり、ワンマンカーが増えてきましたが、私が乗る電車もそのワンマンカーです。その電車はいつ乗っても運転席の後ろ付近が空席になっており、必然的に私もその席に座りますので、運転席の直ぐ後ろの席に座っている視力障害者の男性の存在に気付いたのです。
 その男性は、山之口駅から二つ目の「田野駅」で降車しますが、「田野駅」の約1キロ手前の所に鉄橋があり、その場所に来るといつも決まったようにリュックを背負い、手に白い杖を持って電車から降りる準備をします。やがて「田野駅」に電車が到着すると、立ち上がって運転席の横に歩み寄り、乗車券を運転士に渡して降車するパターンです。
 「田野駅」では、宮崎方面からの下りの電車の都合で約5分位停車しますので、ある日、その視力障害者の方が電車を降りて、どんな行動をするのか、観察してみることにしました。
 先ず、電車から降りる行動ですが、見ているとこれがなかなか難しいようです。それは、電車とプラットホームの間には、約10センチメートル位の隙間があるからです。その方は、白い杖を使ってその隙間を確認し、無事ホームに降りることが出来ました。それから、杖を頼りに約50メートル進まれましたが、今度は難関の「跨線橋」の50段の階段が待っています。杖で階段の上りの位置を確かめると、左手で階段の手すりを握り、右手に握った杖を巧みに使い、ゆっくり、ゆっくりと階段を上って行きます。
 やがて階段を上りつめると、疲れたのかしばらく休んだあと、またゆっくりと歩を進め、階段を降りる場所に到着します。杖を使って降りる場所を確かめると、また手すりと杖を使い、一歩、一歩、階段の位置を確かめながら降りて行きますが、その姿を見ていると、上りより下りの方が大変なようです。
 ようやく階段を降り、最後の一歩がホームにたどり着いたときは、見ている私の方がホッとする位でした。この間約5分位でしたが、視力障害者にとっては「階段」が一番大変であり、つくづく健常者であることの有難さを感じたところでした。

2004年03月23日

苦渋の決断

 15日に発表されたアテネ五輪マラソン代表メンバーの中に、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子選手の名前はありませんでした。この発表には国民の誰もが驚いたようで、小泉首相も「ええっ、選ばれなかったの。それは残念だな。特別にもう一人追加するというわけにはいかないの。」とコメントしていましたが、この言葉が、発表を聞いた瞬間の国民の感想の全てを物語っているようです。
 「国民的ヒロイン」のQちゃんは、なぜ代表から漏れたのか、選考に当たった日本陸上連盟の沢木啓祐強化委員長は、「事前に公表した基準に従い、実績より客観性を重視した。苦渋の決断だった。」と選考から決定に至るまでの経過を発表しました。
 それによりますと、今回の選考に当たっては、事前に日本陸連から「各選考会の日本人上位の競技者からアテネ大会でメダルを獲得、または入賞が期待される競技者を選考する」と選考基準が示されていました。各選考会とは、世界選手権、東京国際、大阪国際、名古屋の四つのマラソン大会を指しています。
 会議には、陸連の幹部や旭化成の宗茂監督等の強化担当者ら10人が出席して選考が行われましたが、既に世界陸上選手権で銀メダルに輝き、内定していた野口みずき選手が代表選手に決定し、次いで、四つの選考会レース中、最もいい記録を出した土佐礼子選手がスンナリ代表に選ばれました。
 そして、最後の1枠を大阪国際マラソン大会で優勝した坂本直子選手と、東京国際マラソン大会で2位となった高橋尚子選手のどちらを選ぶかに約2時間が費やされたそうです。
 会議では、「メダル獲得、または入賞の可能性」が論議され、シドニー五輪を始め、過去7回のマラソン大会に出場し、うち6回優勝している高橋尚子選手の実績や、国民栄誉賞を受賞したほどの存在感や注目度を重んじる意見が出たそうです。
 しかしながら、坂本直子選手は、大阪国際マラソン大会で後半一気ににペースアップし、30キロからの5キロは男性並みの15分46秒と、これまでの女子では殆ど例のない高速で駆け抜けて優勝し、終盤に疲れて急失速した高橋尚子選手を順位も記録も上回っており、坂本直子選手の優位が明らかになりました。
 それでも陸連関係者としては、過去のオリンピック大会で実績を重視して選ばれ、バルセロナとアトランタの両大会でメダルを獲得した有森裕子選手の例もあり、高橋尚子選手を強力に推しましたが、坂本直子選手の優位を覆す要素は見あたらなかったということです。
 この点につき、自らもロサンゼルス五輪大会に出場し、この会議に出席した増田明美さんは、「高橋さんが五輪で強いのはわかっている。それでも高橋さんを落とさなければならないほど、坂本さんや土佐さんが申し分なかった。」と今回の決定には納得しています。
 もし、陸連が過去の実績を重視して高橋選手を選んだとしたら、当然坂本選手は落選となりますので、陸連に対する批判は相当なものになっていたと予想されます。その意味でも、今回の決定は「苦渋の決断」ではありましたが、客観性を重視した妥当性のある決定であったと思われます。

2004年03月29日

緊張感

 社会保険庁がポスターやテレビのCMで国民年金の啓発広告に起用している女優の江角マキコさんが、実は、国民年金に加入していないことがわかり、新聞やテレビ等の話題になりました。国会でも小泉首相が「もう少し注意していれば、こんなことにならなかったものと思います。少しお粗末です。」と社会保険庁に猛省を促す発言があったほど、今回の社会保険庁の大チョンボについては、国民の間からも様々な批判が出ているようです。
 現在、国民の間では、「将来の生活保障はどうなるのか」、「年金だけで生活出来るのか」といった将来に対する不安感が漂い、年金制度関連法の改正が問題になっていますが、財源となる国民年金の保険料は、約四割近くが未納となっているのが実情です。
 そこで社会保険庁では、保険料の未納率を解消するため、ポスターを作製することにし、「明快なメッセージを伝えるのにふさわしい個性を持った女優」を理由に選考した結果、江角マキコさんに白羽の矢を当てたそうです。
 広告は「将来泣いてもいいわけ?」「納めないともらえない国民年金」等で、昨年(平成15年)11月からテレビコマーシャルのほか、新聞や雑誌等に掲載され、さらにポスターも約3万枚作製し、市町村や社会保険事務所等に張り出したということです。こうした広告費はこれまでに約6億2千万円かかりましたが、全てそのお金は国民年金保険料から賄われているということです。
 社会保険庁では、江角マキコさんを起用するに当たり、契約時に江角さんが所属する広告会社が提出した「国民年金に加入している」との書面を全面的に信用したということですが、この処置は誠にお粗末だったといえます。
 それは、成人に達した国民年金未納者に対しては、毎年、社会保険事務所から「催促状」や「督促状」」が送付されるのが通常であり、江角マキコさんが住んでいる地区の社会保険事務所で調査すれば、たちどころに国民年金加入者かどうかがわかるシステムになっているからです。こうした赤子でもわかるような調査を手抜きした結果が、今回のような大チョンボにつながったものと思われます。
 今回の社会保険庁の大失態について坂口厚生労働大臣は、閣議後の記者会見で「最近の社会保険庁には緊張感がない。もっとしっかりしてもらわないといけない」とコメントしていましたが、私も同感でした。
 それは、日本の年金の積立金は、本来ならば約150兆円もあって、先進諸国の中ではダントツの蓄えがあるはずなのに、社会保険庁は国民になんの断わりなしに勝手にグリーンピア事業につぎ込み、それがどれもが大失敗して国民の批判を浴びているからです。
 このようなときですから社会保険庁としては、全職員が一丸となって汚名挽回をすべきなのに、「緊張感」を欠き、手抜きしたばかりにこんな結果になってしまいました。
 どの仕事においても「いつもやっていることだから」という軽い気持ちで仕事を進めると、必ず大きな失敗につながりますので、その意味でも今回の社会保険庁の大失敗は、「緊張感を持って仕事をせよ」という警鐘だと受け止めているところです。

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