校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2004年05月 アーカイブ

2004年05月10日

仲間意識

 60歳を過ぎた頃からめっきり頭に白い物が目立つようになったせいでしょうか、最近、どう見ても私よりはるかにお年を召された「昔の娘さん」から挨拶をされたり、語り掛けられたりすることが度々あるようです。これが若いお嬢さんからでしたら、胸がときめき、喜んで挨拶を交わしたり、受け答えするのですが、どうも世の中はうまくいかないようです。
 先日もこんなことがありました。所用があり、バスに乗るためバス停留所のベンチでバスを待っていたところ、お年が70歳を少し越えた位のおばあさんがやって来て、私の直ぐ横のベンチに座りました。ベンチに座っていたのは私だけでしたから、私は会釈として一応、そのおばあさんに、「こんにちは」と挨拶をしたのです。
 すると、そのおばあさんは「今日は、5年前に亡くなった主人のお墓参りに行ってきました。」と、私が聞きもしないのにペラペラとしゃべり始めたのです。私は改めてそのおばあさんを見ましたが、始めた見る顔であり、どう見ても私が知っている人ではなさそうでした。それでも私は「ああ、そうですか。」等と話の相槌を打ったところ、そのおばあさんは私を話し易い人間と思われたのか、次々に話を始めたのです。
 その話も「主人は5年前に病気で亡くなったこと」、「現在は50歳になる息子と嫁の3人暮らしであること」、「毎朝亡くなった主人のの仏壇を拝み、念仏を唱えると嫁が『うるさい』と言って嫌がること」等、私には全く関係のない話ばかりでした。そのおばあさんの話を聞きながら、ふと「ああ、このおばあさんは自分の愚痴を聞いてくれる相手がいないのだな」と思い、それで私を選んだのだなと気付いたのです。
 そのときの私の服装は休日でしたから、セーターにズボンというラフな姿でした。おまけに顔は日焼けし、頭には白い物が目立っていましたので、おばあさんから見れば、ひょっとしたら私を同年代の男性と思われたのかもしれません。つまりおばあさんにとっては私を「話を聞いてくれる仲間」と思われたのでしょう。そう考えると、バスの時間にはまだ10分位ありますし、私も急いでいませんでしたので、そのおばあさんの話し相手になることにしたのです。
 更にそのおばあさんは「最近バスに乗ったことがないので、どの方面のバスに乗ればいいのかわからない。」、「今日は久しぶりに歩いたので疲れた。どうすれば疲れが取れるのか。」、「嫁が私に嫌味を言っても、息子は一言も注意しない。」等、このときとばかり日頃思っている愚痴を話し出されました。
 私は、ただ「ああ、そうですか。大変ですね。」等と当り障りのない相槌を打っていましたが、それが良かったのでしょう。間もなくして私が乗るバスが来たので、「それじゃ、おばあさんもお元気でね。」と挨拶して立ち上がったところ、「話を聞いてもらってスッキリしました。何だか元気が出てきたようです。ありがとうございました。」と深々と挨拶されました。
 そのおばあさんにとっては、私を「仲間」と意識されていたようでしたので、愚痴を聞いたりしたことが、何だかいいことをしたのかなと思う反面、同年代に見られたのが非常に残念であり、何だか複雑な気分になったところでした。

2004年05月17日

視線

 最近、車を運転していると、シルバーマークを付けた車が走っている姿を見かけることが多くなってきました。それだけ我が国が高齢化社会になり、車を運転する高齢者が多くなったといえますが、やはり怖いのは交通事故です。交通事故の統計を見ましても、交通事故の死者の約40パーセントは高齢者が占めていますし、年々車を運転中の高齢者が関連する事故も増えているようです。
 では、どうして高齢者は事故を起こしやすいのか、その原因についていろいろ調査されているようですが、その中でも「動体視力の低下」が最大の原因のようです。これに関連し、高齢者が車を運転中に「視線」がどのように動いているかをアイカメラを使って実験したビデオを見る機会がありました。
 それを見ますと、高齢者の「視線」は、車の前方の一部だけに限られており、しかもその動きは停止している時間帯が多く、これでは道路標識や信号機、あるいは自転車歩行者等の動きをキャッチすることが出来ないことが一見してわかりました。
 一方、30歳代の人が運転中の「視線」を見てみますと、前方はもちろんのこと、周りの動きを良くとらえており、絶えず「視線」が動いています。これでしたら標識等を早期に把握することが出来ますし、子供の飛び出し等があっても素早く対応できるようです。
 このように運転中の「視線」は、交通事故を防ぐためには大事な要素の一つですが、ベテランドライバーと初心運転者の「視線」はどう違うのでしょうか。
 都城自動車学校の送迎係をしている木場さんは、以前タクシーの運転手をしていたベテランドライバーですが、その木場さんの車に乗る機会がありましたので、どのように木場さんの「視線」が動くかを観察してみることにしました。
 木場さんの場合、先ず車を発進させる前に、ドアミラーやサイドミラーを見て車の周りに子供等がいないか、あるいは障害物がないかを確認しています。更に後部座席からバックミラーに写る木場さんの「視線」を見ていると、一時も静止していないのです。運転中は前方はもちろんのこと、1分間に1回は必ずドアミラーやサイドミラーを見る等、周りの車等の動きに気を配り、とにかく「視線」が良く動いていることがわかりました。
 これに比べて初心運転者の「視線」はどうなっているのでしょうか。朝、山之口駅から都城自動車学校に出勤途中、時々、高城町役場付近で当校の教習車と交差することがあります。そのとき、教習車を運転している教習生の眼の動きを見ていますと、慣れない路上運転で緊張しているせいもあるのでしょうが、顔は前方を向いているものの、「視線」は全く動いていないのです。教習生にアイカメラを取り付けて実験したら、おそらくビデオで見た高齢者と同じ眼の動きをしていることと思います。
 こうしてみると、車を運転する場合、絶えず「視線」を動かして周りの車や人の動き等の情報を素早くキャッチすることが大切でありますが、そこまでに至るまでには、初心運転者にとってはある程度の運転経験が必要のようです。

2004年05月25日

危険予測

 車を運転する場合、常に考えておかなければならないものに「危険予測」があります。これを怠ると、交通事故につながる可能性が高くなりますが、先日「危険予測」を全くしていないドライバーに遭遇しました。
 それは、朝、都城自動車学校に出勤中のことでした。山之口駅に迎えに来てくれた串間さん運転のワゴン車の後部座席に乗り、高城町役場付近に差し掛かったところ、約50メートル先の横断歩道の左端に、手押し車につかまり、車の切れ目を待っているおばあさんの姿が私の眼に入りました。
 そこで私は、「横断歩道に歩行者」と声を出したところ、串間さんもそのおばあさんの姿に気付いており、軽くブレーキを踏んで徐行を始めました。そのとき対向車線には車の姿は全く見えませんでしたので、ワゴン車の後続車両はどんな具合かなと思い、後部座席から運転席のバックミラーをのぞいてみたところ、約20メートル後方に黒色の軽自動車賀の姿が写っていました。串間さんの眼もバックミラーを見ている様子だったので、後続車両があることはわかっているなと思ったのです。
 おばあさんが立っている横断歩道は、ワゴン車から見れば二つある横断歩道のうち向こう側、つまり西側の横断歩道でしたので、串間さんは東側の横断歩道の手前でワゴン車を停止させたのです。串間さんはチラッとバックミラーをのぞき、後続車両の姿を確認したあと、横断歩道の脇に立っているおばあさんに向かい、手で「どうぞ渡って下さい」という合図をしたのです。
 すると、おばあさんは、私達が乗ったワゴン車が横断歩道の手前で停止したことに気付き、横断歩道を渡ろうと歩き始めたそのときでした。私は何気なくバックミラーをのぞいたところ、そこには信じられない光景があったのです。
 それは、ワゴン車の後ろに続いていたはずの軽自動車が速度をあげ、なんとワゴン車の直ぐ横を追い越そうとしていたのです。私達の乗ったワゴン車の先の横断歩道では、おばあさんが渡り始めているのです。私はもちろんのこと、串間さんも思わず「あっ、危ない」と声をあげましたが、どうすることも出来ず、あっという間に、その軽自動車はワゴン車の直ぐ横を追い越して行きました。ワゴン車の直ぐ横を追い越す時、軽自動車の運転席をチラッと見たところ、そこには若い女性の姿がありました。
 私はこのままではおばあさんが跳ねられると思い、追い越して行った軽自動車の後姿を追うと同時に、眼を横断歩道に向けたところ、おばあさんが腰を曲げ、手押し車を押してノロノロ歩いており、まだ横断歩道の真ん中までしか進んでいませんでした。
 そのおばあさんの直ぐ前を、軽自動車は徐行することなくスピードをあげて通り過ぎて行きましたが、下を見て横断歩道を渡っていたおばあさんは、耳が遠いのか全く気付かないようでした。
 私達は「危なかったね。」と言いながらホッと胸をなでおろしましたが、この出来事は「危険予測」の大切さを身をもって体験したものとなったことは間違いないようです。

2004年05月31日

意識改革

 「福助の足袋」と言えば、裃(かみしも)を付けた人形がお辞儀をしている姿の商標を思い浮かべ、現在50歳以上の国民であれば、誰でもが知っている老舗の衣料品メーカーです。
 ところが、明治時代に会社が発足し、創業以来120年の伝統を誇るその「福助の足袋」会社が、平成15年にあえなく倒産してしまったのです。
 先日、その会社の再生をかけての奮闘ぶりが、「カリスマバイヤーが老舗を再建」というタイトルで放映されていました。「福助の足袋」の新会社は、前会社の従業員600人のうち、約半数の300人を6ヶ月間という期限付きで再採用し、平成15年10月1日に発足しましたが、社長として外部から採用されたのが、「藤巻幸夫さん」という人です。
 藤巻さんはもともと、大手デパートのバイヤーとして有能なデザイナーを育て、数々の新しい商品を開発した人ですが、「福助の足袋」会社の会長である川島隆明さんからその才能ぶりを見込まれ、全く未経験の衣料品メーカーの社長となったのです。
 藤巻さんが新しく社長となり先ず驚いたことは、倒産を経験したせいか、社員がすっかり萎縮しており、会社全体に明るさが感じられなかったことです。藤巻さんは精力的に会社内を動き回って一人ひとりの社員に声をかけ、元気付けを行ったところ、ようやく社員がやる気を起こすようになりました。
 また、新会社の企画、生産、営業各部門のリーダーを集め、経営会議を開催したところ、どの幹部もリーダーシップを取ろうとせず、責任の所在を他の部門に押し付ける等、問題解消の意欲が全く見られず、幹部を含め全社員の「意識改革」の必要性を痛感したということです。
 そこで、藤巻さんが手がけたのは、若者に人気のある靴下を販売している会社に若手社員を派遣し、研修させたのです。自社の製品しか見たことがなかった社員にはこれが大きな刺激となり、やがて若手社員が中心となって「新商品開発プロジェクト」を立上げ、消費者が望んでいる新製品の開発に力を注ぐようになったということです。
 しかし、思うようには新しい商品が売れず、新社長に対する手腕が問われましたが、それでも藤巻さんは「消費者の目を意識しろ」と社員にハッパをかけ続けたたところ、若手社員の目色が変わり、次々と新しい製品の開発をするようになったのです。
 若手社員が開発した新製品のサンプルは、平成15年12月に開催された各メーカー共催の「新商品発表会」に提出されましたが、その発表会では、開発に携わった社員が参加者に熱っぽく商品の説明をした結果、おおむね好意的に受け取られ、寄せられた評価も良かったということです。
 今後の課題として藤巻さんは、「消費者が求めている製品をいくら開発しても、これが売れなければ駄目です。そこで、営業部門、企業等全社員が協力体制を取ることが大切です。」と述べていましたが、「意識改革」が着々と進んでいる新会社のことですから、そう遠くない時期には、老舗の「福助の足袋」が復活した姿が見られそうです。

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