コメ
新聞報道によると、このほど農林水産省が平成15年度の国民一人当たりの「コメ年間消費量」を発表しましたが、それによりますと、年間1俵(60キロ)を割ったということです。農林水産省の調査は、昭和40年から始まったのですが、年間1俵(60キロ)を割ったのは調査以来初めてのことで、消費量最大の頃に比べて約半分にまで落ち込んでいるということです。
この調査は、毎月、コメを作っている生産世帯1,690戸と一般の消費世帯6,650戸を対象に、1ヶ月間に家庭や外食で食べたコメの量を聞き取るものですが、平成15年度の調査では、前年度に比べ0,9%減の1ヶ月当たり4,96キロで、年換算で59,6キロに減っていました。消費量が最も多かったのは調査を開始した昭和40年で、この年の年間消費量は2俵に近い112,2キロもあったそうです。
農林水産省では、この原因について「女性の社会進出に伴い、炊飯に比べて手のかからないパンや麺類を多く食べる世帯が多くなったため」と分析しています。
そう言われて見れば、私自身の食生活を見てみますと、朝食はしっかりとコメのご飯を食べますが、それでも茶碗に軽く1杯だけです。昼食はパンと牛乳、そして夜は週に5日は晩酌をしますので、そのときはおかずだけですから、ご飯を食べるのは週に2日位です。
従って私のコメの年間消費量を計算しますと、農林水産省が発表した国民一人当たりの年間消費量の1俵よりうんと少ないようです。私自身が年間この程度のコメしか食べていないわけですから、この調査結果については一応納得できるようです。
さて、私にはそのコメについてこんな思い出があります。それは小学校の6年生のときですから昭和27年頃のことです。その当時、私が通っていた小学校では、修学旅行は鹿児島市内への1泊2日と決まっており、その旅行が近づくと、先生から旅行に準備するものの一覧表が渡されました。その中で、「各人コメを1合準備すること」というのがありました。
当時は、戦後の食糧難の時代であり、コメは貴重な食料品の一つだったのです。幸い私の実家には田圃があり、両親がコメを作っていましたから、コメはすぐ調達出来ましたが、農家ではない家では、おそらく買ったコメを子供に持たせていたものと思います。そのコメは当時、現在のようなビニール袋みたいな物はありませんでしたから、私は親父の靴下の片方にコメを入れ、鹿児島まで持っていった記憶があります。
ところが、鹿児島の旅館で出されたご飯を見て、私を含め全員ビックリしたのです。それもそのはずです。ご飯のコメは私達が日頃見慣れているものと違い、今まで見たことのない細長いコメだったのです。
ビックリする子供達を見て、引率の先生は、「このコメは東南アジアのタイで収穫された外米です。」と説明がありましたが、食べてみると、パサパサしていて粘りがなく、全然うまくありませんでした。
それでも子供達は不平一つ言わず黙々と食べましたが、私達が持って行ったのはおいしいコメでしたから、今考えてみると、何だか旅館の人にだまされたような気もします。コメにはこんな思い出がありますので、もっと多く食べようと心がけているところです。






