校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

« 2004年09月 | メイン | 2004年11月 »

2004年10月 アーカイブ

2004年10月05日

スズムシ

 私はJRの電車を利用して通勤していますが、毎年、8月になると楽しみなものがあります。それは、乗車するJR宮崎駅構内に置かれた虫カゴから「リーン、リーン」という、涼し気な「スズムシ」の鳴き声が聞こえてくるからです。
 「スズムシ」が入った虫カゴは、毎年、8月始め頃になりますと、駅の1階にある「みどりの窓口」と改札口の直ぐ横のカウンター上の2箇所に置かれます。虫カゴの中の「スズムシ」が盛んにハネを擦り合わせて「リーン、リーン」と鳴く様は、子供の頃聞いた懐かしい虫の声を思い出させてくれますので、毎年のように8月が来るのを楽しみにしながら電車通勤をしているのです。
 その「スズムシ」は、駅員の人が毎年、卵を孵化させて育てているのだそうですが、今年も8月の始め頃、いつもの所に「スズムシ」の入ったプラスチック製の虫カゴが置かれました。
 そこで、今年はその「スズムシ」がどのようにして素晴らしい音を出すのか、また、「スズムシ」は共食いをする昆虫といわれていますが、本当にそのようなことをするのか興味があり、ジックリその活動の様子を観察することにしたのです。
 私が観察することにしたのは、改札口直ぐ横のカウンター上に置かれた虫カゴですが、箱の中の様子を見ると、深さ約5センチメートルの砂場が作られ、その上には古木が置かれています。古木の上では、ハネをひろげて盛んに鳴いている「スズムシ」がいるほか、ナス、カボチャ、キューリ等のエサを一心不乱に食べている「スズムシ」もいます。
 その中でよく見ると、「リーン、リーン」と涼し気な音を奏でている「スズムシ」はしょっちゅう鳴いているわけではなく、普段はエサを食べていますが、一匹が鳴き始めると、途端にほかの「スズムシ」もエサを食べるのを止め、一斉に鳴き始めるのです。
 このようにハネを擦り合わせて鳴いているのは、「オスのスズムシ」ですが、一方、ハネをひろげず、黙々とエサを食べている「スズムシ」がいます。その「スズムシ」には、身体の長さと同じほどの長い尻尾が付いていますが、その「スズムシ」はメスだったのです。身体はオスの倍近くありますが、それこそ脇目もふらず食べてばかりです。
 その「スズムシ」は、観察を始めた8月の始め頃には、約50匹位いましたが、やがて9月の「秋分の日」頃を過ぎますと、段々とその数が減ってきました。しかも鳴く「オスのスズムシ」は少なくなり、「メスのスズムシ」だけが余計目立つようになったのです。
 そして台風21号が九州に上陸した9月29日を境に、カゴの中には、ハネをひろげて鳴く、「オスのスズムシ」の姿は全く見られなくなり、エサだけを食べる「メスのスズムシ」ばかりになったのです。そして砂場の上には、メスを求め、短い一生を鳴き続けていた「オスのスズムシ」の亡骸が転がり、それを「メスのスズムシ」が数匹群がって食べている姿がありました。やはり、「スズムシの共食い」はあったのです。
 これで今年の「スズムシ」の観察は終わりました。また、来年の8月が来るのを楽しみにすることにしましょう。

2004年10月13日

慢心

 数年ほど前までは、常に「満員御礼」の垂れ幕が下がっていた「大相撲」も、人気者であった貴乃花や若乃花の兄弟力士が相次いで引退してからは、すっかり下火となり、テレビで見る観客席は空席が目立つようです。
 加えて、最近の幕内の上位力士を見ると、モンゴルを始め、ブルガリア、ロシア等外国出身の力士が目覚しい活躍をし、反面、日本人の力士がその外人力士にコロコロ負けるので、数年前のように胸を躍らせながらテレビにかじりつくということは少なくなりました。それでも、私は元来「大相撲」が好きな方ですから、毎場所のようにテレビで観戦するようにはしています。
 さて、先月の「大相撲秋場所」は、九州福岡県出身の大関魁皇が、堂々の取り口で横綱の朝青龍を破り、5度目の優勝を遂げましたが、本当に久方ぶりの日本人力士の優勝でした。
 その中で、大相撲ファンが最もビックリしたのは、横綱の朝青龍の負け方でしょう。最近の4場所は全て圧倒的な強さで連続して優勝しており、大部分の相撲ファンは、「また、今場所も優勝は横綱の朝青龍か」と予想していたはずですから、終わってみれば9勝6敗の成績には驚いたはずです。それも、朝青龍は昨年春場所に横綱昇進後、皆勤場所では初めての1ケタ勝利であり、おまけに12日目から千秋楽まで4連敗するという惨めな負け方でした。
 それでは、朝青龍はなぜ、今場所このようなふがいない成績に終わったのでしょう。これについては、千秋楽の日、テレビ解説をしていた元横綱は「ハッキリ言って、朝青龍の今場所の成績不振の原因は、横綱自身にあります。それは『慢心』です。本場所に備え、一番稽古をしなければならない時期に、モンゴルに帰国して結婚披露宴をしたりしていたでしょう。私も横綱になったとき、たいした稽古もしないのに優勝したことがあります。それが続くと、自分自身では気付かなかったのですが、心のどこかに『適当に稽古をしていても大丈夫だ』という気持ちがあったようです。しかし、朝青龍のことですから、今場所の不振の原因は自分自身でわかったはずです。今後は稽古に励み、きっと大横綱になるでしょう。その意味では、今場所は良い薬になったと思います。」と解説していました。
 なるほど、そう言われてみれば、朝青龍が「大相撲夏場所」で連続4場所優勝したときの相撲を振り返ってみると、相手の力士を土俵上にたたきつけるような相撲が何番かありました。おそらくそのような圧倒的な勝ち方が、朝青龍自身に「慢心」を植え付けたのではないかと思われます。
 スポーツの世界では、このように「頂点」に立ちながら、一寸した気のゆるみから知らず知らずの間に「慢心」となり、それが大きな失敗につながることがあります。
 この「慢心」は、何もスポーツだけでなく、私達の身の周りでも起こりうることです。仕事に慣れて来たり、あるいは憧れの指導員になって2,3年以内が最も注意する時期です。油断しないよう心して仕事に取り組みたいものです。

2004年10月18日

ゆとり

 先週、宮崎県指定自動車学校協会の一員として三重県の上野自動車学校を視察しましたが、大変参考となりましたので、その内容を皆さんにお知らせします。
 上野自動車学校は、三重県の西部、上野市にある公安委員会指定の自動車学校ですが、上野市は、伊賀忍者発祥の地と松尾芭蕉の生誕地として知られた人口6万人の城下町です。
 学校は、市内の北部の小高い丘の上にあり、直ぐ近くには「JR伊賀上野駅」がある等交通環境に恵まれた所でした。バスが丘の上に上がると、直ぐ目の前に場内コースが見えて来ましたが、先ずビックリしたのは、コースの整備の良さでした。芝生は綺麗に刈られ、中に植えられているツゲの木も整然と剪定されており、その見事さには、一行の中から「わあ、綺麗なコースだな」という声が出たほどでした。
 さて、三重県内には22の指定自動車学校がありますが、同校は昭和37年に公安委員会の指定を受けた学校で、規模は、職員数が設置者以下30名、年間入校者数1,100名ということでした。
 学校概要の説明を受けたあと、校舎内の各部屋を見学しましたが、校舎が実に機能的に造られているということです、校舎は3年前に造られたそうですが、先ずエレベーターの設備があることです。これでしたら、1階の駐車場に車を止め、エレベーターを利用して2階のフロントまで楽に上がれますから、高齢者の人達にとっても便利です。
 2階には受付があり、カウンター上には「予約専用パソコン」が置かれ、教習生が自分の好きな時間に車に乗れるシステムになっていました。そのほか、2階には「喫煙室」、「託児室」「高齢者教室」等があり、さらに3階に上がると、学習機がある「自習室」、「学科教室」、「シュミレータ室」等の部屋がありましたが、建築後間もないせいか、各部屋の机や椅子等が真新しく、眩しい位でした。
 そして、羨ましい施設だなと思ったのは、3階の北側にある「待合室」でした。この部屋には、丸テーブルとその周りには椅子が置かれ、ゆっくりとくつろぐことが出来ますし、それになんといってもそこからコース全体を眺めることが出来、窓際に置かれた椅子に座って勉強している生徒さんの姿を見ていると、思わず勉強意欲が湧いてくるほど素晴らしい環境でした。
 また、会長さんを始め、職員の方々の姿を見ていると、家族的な雰囲気と「ゆとり」が感ぜられました。その「ゆとり」は、三重県内には個人教習所が全くない上、上野市内及び周辺の町にはライバル校がなく、従って、特別募集活動をしなくても良いという説明でしたから、そのせいかなと思ったのです。
 しかし、その「ゆとり」の原因は、そうばかりではありませんでした。それは、開校以来42年の伝統と、そして会長さん自ら、高齢者講習を終えて帰る受講者を見送る等、会長さん以下の経営幹部が率先して日々の雑用をこなし、その結果、学校全体が家族的であるということでした。
 さらに、同校では募集活動は特別していませんが、その裏には「教習生が卒業してから交通事故を起こさないよう、安全で確実なドライバーを育てる」という経営方針があり、これが職員に浸透し、しっかりした教習が行われ、それが口コミで地域に広がり、毎年の入校者数の安定につながり、それが「ゆとり」となって現われてきていたのです。
 今回の視察を終え、上野自動車学校に「今後自動車学校のあるべき姿」を垣間見たのは、どうやら私だけではなさそうでした。

2004年10月25日

しり取り

 NHKテレビで「その時歴史が動いた」という番組がありますが、先日の夜、夕食を済ませ、テレビを見ていたところ、その番組が始まりました。
 その日のテーマは「日露戦争」でしたが、その中で「バルチック艦隊」という字幕が出た時、私と一緒にテレビを見ていた妻が、突然「スズメ、メジロ・・」とつぶやき始めたのです。私は何事かなと思いながら、妻の方を見て「どうしたのか」と聞きますと、それには返事せず、引き続きブツブツつぶやきながら、「ああ、やはり『バルチック艦隊全滅す』のバルチック艦隊だった」と言い、やっと返事をしたのです。そうです。妻はテレビの画面に出た「バルチック艦隊」の字幕を見た瞬間、子供の時覚えた「しり取り」を思い出していたのです。
 この「しり取り」は今でもハッキリ覚えていますが、「日本の→乃木さんが→ 凱旋す」で始まり、「スズメ→メジロ→ロシヤ→野蛮国→黒バタキ→金の玉→負けて逃げるはチャンチャンボ→棒で叩くは犬殺し→シベリア鉄道長けれど→土瓶の口から飛び出せば→バルチック艦隊全滅す」と続き、次は元に戻って「スズメ→メジロ・・」と繰り返す遊びなのです。
 今でこそ、「乃木さん」と言えば、「日露戦争の時の日本軍の大将」だとわかりますが、この「しり取り」を覚えたのは、小学校に入学する前の頃で、実はその字はもちろん、意味も知らなかったのです。
 私と妻は学年こそ違いますが、同じ昭和16年生まれで、しかも同じ町内で育ちましたから、子供の時の遊びも男女の差こそあれ、大体同じものだったようです。その頃は終戦間もない頃で、現在のように幼稚園や保育所といったものはなく、従って「読み書き」を覚えるのは小学生になってからという時代でした。
 そのような時代に、この「しり取り」は子供達の間に流行していたのです。当時はどこの家庭でも子沢山でしたから、数人がグループで空き地に集まり遊んでいましたが、仲間外れにならないためには、どうしてもこの「しり取り」を覚えなければならなかったのです。私は直ぐ上の兄達から特訓を受け、言葉も意味もわからない、難しい、この「しり取り」を覚えることが出来ましたが、覚えることが出来ない友達が、泣きながら必死で練習していた光景を今でもふと思い出すことがあります。
 さて、職員の人達に、この「しり取り」について聞いてみますと、30代から40代の人達からは、「リンゴ→ゴリラ→ラクダ→ダルマ→マリ→リス→スイカ→カメ→メダカ→カラス→スズメ→メガネ→ネコ・・」という答えがあり、20代の人達は「リンゴ→ゴリラ」までは一緒ですが、それからは、例えば「ラクダ」ではなく、「ラッパ」という具合に自分勝手に言葉を選んで「しり取り」をしていたという答えが返ってきましたが、いずれも簡単なもので、聞いていていささか拍子抜けした感がしました。
 時代が代わると、遊びの内容はもちろん、同じ名前の遊びでもこうも違ってくるものですね。改めて年代の相違をつくづく感じたところですが、仲間外れにされたくないため、必死で覚えたこの「しり取り」は、おそらく永遠に忘れはしないでしょう。

About 2004年10月

2004年10月にブログ「校長のひとり言ブログ|都城自動車学校」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年09月です。

次のアーカイブは2004年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。