校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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老婆心

 平成16年度の西部ブロックの法定講習は、先日、都城市内のメインホテルで開催されましたが、今回の特別講師は、曹洞宗安楽寺の住職佐々木芳磨先生で、「人・心・いのち」というテーマでした。
 その中で、私が今まで理解していた言葉の意味と若干異なった話がありました。それは「老婆心」という言葉です。辞典には「必要以上の親切心」と書いてあり、「老婆心から言わせてもらえば・・・」という風に自分の気持ちをへりくだって言うときに使うものとばかり理解していたのです。
 ところが、佐々木先生が話された道元禅師がその弟子と会話された中に出てくる「老婆心」は、もっと幅の広い、そして奥の深い意味があったのです。
 道元禅師は、今から約800年前、曹洞宗を開き、永平寺の開祖となった人ですが、多くの優秀な弟子を育てたことでも有名なお坊さんです。その道元禅師に死期が近づいた時、弟子達の多くは当然、弟子の中から才知技能に優れた「義介」が選ばれるものとばかり思っていたところ、後継者に弧雲懐奘(こうんえじょう)禅師を指名され、亡くなられました。なぜ、「義介」が選ばれなかったかはナゾでしたが、永平寺2代目の住職となった弧雲懐奘禅師が書いた「正法眼蔵随聞記」には、そのいきさつが次のように記されているということでした。
 それは、ある時、弟子である弧雲懐奘禅師が道元禅師に「なぜお師匠様は、義介に印可(悟りを開いたという証明)をお与えにならなかったのですか?」と聞かれたそうです。すると、道元禅師は、「あれは才知技能に優れているけれど、『老婆心』が足りない。」と言われ、弧雲懐奘禅師にも「これから先も、常に老婆心を心がけるよう」と申されたそうです。このとき道元禅師が言われた「老婆心」とは、次のような意味だったのです。
 「老婆心」は、老いたおばあさんと書きますが、おばあさんは長い人生経験を持っており、とても良く気が付くのです。時にはうるさがれる程の思いやりですが、お節介ではないのです。その人が人間らしく生き抜くためにさしのべる「思いやり」の手であり、「言葉」なのです。その「老婆心」が「義介」には足りないとおっしゃったのです。
 「義介」とは、「徹通義介(てっつうぎかい)禅師」のことですが、道元禅師没後、3代目の永平寺住職となり、教団の維持・運営に尽力しましたが、結果的には教団をまとめることが出来ず、永平寺を去ることになったわけですから、道元禅師にはやはり「先見の目」があったわけです。
 佐々木先生は、「老若男女を問わず、誰でも『老婆心』、つまり『思いやりの心』を持って接すれば、例えば、お嫁さんとお姑さんの間だってうまくいきます。ドライバーがこの気持ちを持って運転すれば、交通事故は少なくなります。自動車学校の指導員の皆さんは、『老婆心』を持ったドライバーの育成に努めて下さい。」と締めくくられました。
 私は含蓄のある言葉だと受け取りましたが、講習を受けた皆さんの感想はいかがだったでしょうか。

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2004年11月02日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

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