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校長のひとり言ブログ

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2006年5月 アーカイブ

2006年5月15日

稲むらの火

 昨年末のスマトラ沖の大地震とその後に発生した大津波では、被害が発生地のインドネシアのほか、インド洋に面した各国、さらに遠くアフリカ等10数カ国にも及び、犠牲者は、日本人も含め、10数万人に達しており、いまだ身元がわからない遺体が多数あるほか、行方不明の人も相当数あると報道されています。
 今回の災害では、地震より津波による犠牲者が多く出ており、その模様を撮影したビデオがテレビを通して数多く見られました。その中で、地震直後に撮影されたビデオで、浜辺の波が見る見るうちに沖合いに引き始め、そのため、浅瀬になった所で魚がピョンピョン跳ね、その魚を取ろうと浅瀬に走る住民の人達が映し出され、数分後、沖合いの波が急に盛り上がり、大津波が押し寄せる場面が映し出されました。
 その場面を見て、ふと小学生のとき習った国語の教科書を思い出しました。何年生の時だったかやその話のタイトルは何だったかはよく覚えていませんが、その話は、地震のあと、急に引き始めた波を見て「津波が来る」と直感した庄屋が、収穫したばかりの稲束に火をつけ、村人を津波から救ったという内容でした。
 私の妻も私と同世代ですからこの話をしましたが、記憶にないということで題名のことはあきらめていたところ、先日の新聞に「小泉八雲著『稲むらの火』が副読本に・・津波の恐ろしさ伝える」という見出しがついた記事が掲載されているのが目に入りました。
 この物語は、江戸時代(1854年)の安政南海地震のときに、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)の庄屋浜口儀兵衛が、地震後の異様な速さの引き波で津波を察知し、収穫したばかりの自分の稲束に火を放ち、火事と思わせて村人を集め、津波から多くの命を救った実話をモデルにしたものです。
 小泉八雲がこの話をもとに短編小説「生ける神」を書き、この小説を読んだ浜口儀兵衛と同郷の教師中井常蔵が「稲むらの火」を教材用として書き上げ、昭和12年から小学国語読本として全国の小学校に登場し、約1,000万人の児童に感銘を与えたということです。その教科書は終戦直後まで使われたということなので、私の記憶にあるこの物語は、この「稲むらの火」だったのです。
 小泉八雲は、ラフカディオ・ハーン人という英国人で、明治時代来日し、日本人を妻にするとともに、名前も「小泉八雲」と改名したほどの親日家で、熊本の第五高校の先生や東京大学の教授を歴任したほか、小説家としても知られ、「怪談」等の著書があり、多くの著書を外国に紹介し、短編小説「生ける神」も当時外国に紹介されたそうです。
 この「稲むらの火」の教科書は、終戦後の学制改革で国語の教科書から外されていましたが、今回のスマトラ沖の大地震及び津波の災害が発生後、小学校の先生から復活の声が上がり、平成17年度から小学校6年生の道徳副教本に掲載されることが決まったということです。
 もし、インドネシアの人達も、この「稲むらの火」のことを知っていたならば、多くの命が救われたはずですから、今回の副読本採用は、日本の人達にとっても地震が発生した場合、きっと役に立つものと確信しています。

2006年5月15日

高齢ドライバー

 平成10年の道路交通法一部改正で、75歳以上の人は「高齢者講習」を受講しないと運転免許の更新が出来なくなり、さらに平成14年からは、70歳以上の人も「高齢者講習」が義務付けられました。当校でも「高齢者講習」を実施していますが、年々受講者が増えているようです。特に70歳以上の人が受講するようになった平成15年1月から、急に受講者が増え、どうやら今年の受講者は昨年の1、5倍位になりそうです。
 さて、統計によりますと、その高齢者ドライバーの交通事故も年々増加し、事故の原因としては「安全不確認」、交通事故の場所としては「交差点」が大半を占めているようですが、街の中で見かける高齢者の運転振りや「高齢者講習」に来られた受講者の運転振りを見ていますと、高齢者特有の特徴点があるようです。
 その一つは「合図」で、右左折するときの合図が遅かったり、また中には全く合図をしないで急に曲がる運転振りが見られます。
 先日の朝、職員の方にJR山之口駅に迎えに来てもらい出勤中、高城町役場前の交差点に差しかかったときのことです。私達の車の前方を行く軽トラックが急にスピードを落としたので、曲がるのかなと思いウインカーを見ましたが、左も右もついていません。そのとき、軽トラックを見たところ「シルバーマーク」がついていましたので、運転していた職員の方に「前の車は高齢者運転だ。どちらかに曲がるよ。気をつけて」とアドバイスをしたのです。
 すると、軽トラックは交差点の手前で中央に寄り始めたので、「あ、右に曲がるな」と思った瞬間、急にハンドルを左に切ったのです。もちろん合図は全くありませんでした。私達がいち早く高齢者運転の車と気付き、スピードを落とし、車間距離を取っていましたから追突は避けられましたが、もし、気付いていなければ確実に事故になっていたはずです。
 その二つは、「安全確認が不十分」だということです。場内コースで運転する高齢者の方の運転では、一時停止の標識のある交差点にさしかかったときの動作に共通点があります。
 それは、交差点の数メートル前で早々と安全確認をしますが、車が一時停止した時点では、形式的にチラッと左右を見ただけで、そのまま発進しています。中には、数メートル先に教習車が近づいているのに発進しようとし、あわてて同乗の指導員がブレーキを踏む場面も見られます。
 おそらく本人は交差点の手前で確認したので大丈夫だろうと思ったかも知れませんが、このような運転振りが、高齢者運転の事故として「交差点における出合頭」が最も多いことにつながっているものと思われます。
 私の経験では、60歳を過ぎた頃から、チラッと左右を見た瞬間、若いときと違って瞬時に焦点が合わず、ボンヤリしか物が見えないときがあります。このような視力の衰えが「見落とし」の原因となっているようです。
 このほか、カーブ付近におけるスピードの出し過ぎ等、全て身体能力の衰えを本人が自覚していないがために起こる現象です。「高齢者講習」においてはこの点をしっかり指導するとともに、私達もこのような高齢者運転の特徴を知っておきましょう。

裸の王様

 先日、西武鉄道株のグループ企業による虚偽記載問題で、東京地検特捜部は、中核企業コクドの前会長堤義明容疑者を証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)容疑で逮捕しましたが、その模様がテレビで放映されていました。
 いつもは外車にしか乗らない堤容疑者が地検の国産車に乗せられ、それを直立不動の社員が見送る場面が映し出されており、そこには、かってコクドをはじめ、西武鉄道、プリンスホテル、西武ライオンズ等傘下135社の総帥者として自分の思うがままに君臨した姿はありませんでした。
 堤前会長の逮捕については、小泉首相をはじめ、いろいろな人がコメントを述べていましたが、その中で、ある財界人が「堤さんは、いつの間にか『裸の王様』になっていたのですね。」と述べていたのが印象的でした。
 「裸の王様」とは、三省堂の新明解国語辞典によりますと、「目に見えない服を着せられているのに気付かず、子供から『裸の王様』と言われて始めて自分の本当の姿に気付くというアンデルセンの童話から出た言葉」ですが、この言葉は「いいことだけを知らされていて、本当のことを知らない人の例え」として使われています。
 今回の事件をみると、堤前会長には、そういわれても仕方のない部分があったようです。私はテレビである場面を見て、堤前会長のことを「ワンマン社長だな。こんなリーダーがまだ日本にいたのか」とビックリしたことがあります。
 それは、約10年位前のことになりますが、プロ野球の西武ライオンズの監督であった森さんが、日本シリーズで巨人に勝って日本一となり、その報告を当時のオーナーである堤社長にしたときのことです。森監督としては、日本一となったことであり、当然堤社長からは「よく頑張った。来シーズンも引き続き監督をお願いしますよ。」と労いをこめた言葉があるものと思っていたところ、堤社長は「あなたがやる気があったら、やってみたら」と突き放すような発言をしたのです。
 カメラに囲まれた中での発言であり、それまでニコニコして会話していた森監督の顔が一瞬引きつったようになりました。おそらく、堤社長としては、森監督を傘下グループの社員と同じ者として扱ったのでしょうが、森監督の後ろにいるプロ野球のファンのことを忘れた言動でした。この言動でプライドを傷つけられた森監督は、このシーズンを限りに西武ライオンズのユニフォームを脱ぐことになりましたが、今回の逮捕劇を見て、すぐこのときの堤社長の言動を思い出したわけです。
 堤前会長については、実弟も「あの人(堤前会長)は経営者というより専制君主だ。」と広言しているとおり、傘下のグループの人事を始め、ホテルの廊下のジュータンの色まで自分で決めると言うワンマン振りであったということです。西武グループ内にも優秀な人材がいましたが、意見を具申してもそれが堤会長の気に食わないと左遷されていたということですから、自然と社員も「イエスマン」になり、正しい意見がトップの堤前会長に伝わらず、いつの間にか、堤前会長自身が「裸の王様」になっていたわけです。
 「西武」と言えば、巷では「税金を支払わない会社」として有名であり、リーダーである堤前会長の逮捕で、いったん落ちた信用を回復するためには、余程の努力をしないと「ダイエー」の二の舞になりそうです。

フロント・ピラー

 第2段階の項目4では、「死角と運転」の中で死角の事例を学びますが、実際車に乗ってみますと、自動車自体に運転席から見えない、いわゆる「死角」部分がかなりあることがわかります。その「死角」を補うものとして、道路運送車両法の保安基準では、バックミラーやサイドミラー等の取り付けが義務付けられていますが、ドライバーとして前方を遮る物として注意しなければならないのが、「フロント・ピラー」です。
 この「フロント・ピラー」は、別名「前部の柱」と呼ばれています。安全な視界を得るためには「フロント・ピラーのない車」が理想ですが、「安全ボディー」実現のために、逆に太くなっているのが実情です。最新の車では、この「フロント・ピラーの死角」になっている部分を液晶パネルに表示し、死角を低減する機材を取り付けた車が見られますが、まだ大部分の車は従来の型式のようです。
 この「フロント・ピラー」が右左折時や山間路を走るときのドライバーの視界を妨げ、大きな事故になった事例があり、事実、私もその場面に遭遇し、ヒヤッとしたことがありました。
 それは、先日雨の降る夜、宮崎市内の交通量の多い道路を運転していたときのことです。信号機のある交差点を右折するため、交差点の中央部で直進する車両を待っていましたが、やがて車が途絶えましたので、右折を始めたところ、前方の横断歩道を、私から向かって左側から右の方に横断する数台の自転車の姿がライトの中に見えましたので、横断歩道の手前で止まったのです。
 その自転車が私の車の前を通り過ぎましたので、顔を動かして左右の安全を確かめ、人や自転車の姿が見えなかったので発進しようとしたのです。そのとき、右側の横断歩道の中央部付近で何やら黒いものがチラッと動く姿が見えたので、その方向を見たところ、それは右から左に横断する歩行者の姿だったのです。私はその姿にびっくりし、あわててブレーキを踏みましたので、事なきを得ましたが、さっき見たときは、確かに私の目にはその姿は見えなかったのです。
 なぜ歩行者の姿を発見できなかったのかと思い、もう一度右の方を見たところ、その原因がわかりました。それは、右側の「フロント・ピラー」が、ライトの光が届かない横断歩道の中央部に立っていたと思われる歩行者の姿をすっぽり包み込み、私の視界を妨げていたからです。
 私は今まで車を運転中、「フロント・ピラー」については、特に視界を妨げる物とは思っていませんでしたが、このことがあってから、改めて運転席から道路を見ると、「フロント・ピラー」が障害になっていることは確かなようです。これを防ぐためには、左右の安全を確認する際、ただ顔を動かしただけでは、このように光が届かないところにある人や自転車の姿を発見できない場合があることがわかりました。
 そこで、交差点で右左折するときは、この「フロント・ピラーの死角」のことを考え、ただ見るだけでなく、体を左右に動かし「フロント・ピラー」の死角になっているものはないかを必ず確かめるようにしているところです。

オレ流

 「オレ流」といえば、プロ野球中日ドラゴンズの落合博満監督の思想・行動・流儀を指す造語で、中日ドラゴンズの登録商標にもなっている有名な言葉です。落合監督は、ロッテオリオンズに入団した頃から、打撃コーチの指導に従わず、自分流のやり方で打撃技術を会得して一軍選手になり、その後三冠王を獲得した選手ですが、このような「球界の常識・定説に囚われない、普通とは違う独自の変わった考え」をする人のことをマスコミでは「オレ流」と表現しています。
 落合監督のように、たとえ「オレ流」であっても、結果的に打撃王やホームラン王等になりさえすれば、誰も文句の付けようがありませんが、これがスポーツ以外の場合はそういうわけにはいかず、むしろ「迷惑行為」や「マナーに欠けた行為」となり、周りの人のひんしゅくをかう場合があります。
 その例として、「道路におけるオレ流の通行方法」があります。私は、通勤の際、自転車を利用していますが、車を運転している人や自転車乗り、さらには歩行者の中には「オレ流」の考えで道路を利用する人が数多くあり、自転車乗りにとっては、非常に迷惑する場合があります。
 その一つは、「オレ流の歩行者」です。私は、毎朝定時に自転車で自宅を出発しますが、そのコースも同じですから、途中で会う人も大体同じ人が多いようです。その人達の中に、いつも同じ場所で私が追い越す女性達がいます。その女性達は、40代と50代の女性ですが、いつも決まったように横に並んで歩いているのです。
 その道路は、歩行者と自転車が一緒に通れるようになっていますが、道路の幅員が約2メートル位と狭く、二人が横に並ぶと、自転車は通れないのです。私は、その二人連れに近づいたときは、ベルを鳴らしますが、いつも決まったようにチラッと後ろを見て進路を譲ってくれます。しかし、次の日はまた、横に並んで歩いており、なかなか改めてくれそうにもないようです。
 その二つは、「オレ流の自転車」です。それは交通量の多い交差点では、自転車が信号待ちのため、交差点の手前で止まっている場合がありますが、その自転車が多いときは歩道・自転車道を完全に占領して前方を遮り、自転車が通れない場合があるのです。自分がその立場になれば当然わかることですが、このような「オレ流」の行為を改めてはくれそうにもありません。
 その三つは、「オレ流の車」です。それは横合いの小さな道路から出てきた車が、交差点の手前で一時停止せず、いきなり、私が通っている歩道・自転車道まで出て来て停止し、そのため、自転車が通れない場合があるのです。いきなり、横合いから車が出てくるわけですから、びっくりもしますが、それ以上に自転車道の真ん中に止まり、自転車や歩行者の姿を見ても、バックするようなことはせず、全く無視して平然としているときは、腹が立つときもあります。しかし、ここで腹を立てても仕方がありませんので、車が出るまでじっと待つことにしています。
 道路は皆のものですから、このような「オレ流」の利用方法は、迷惑になりますので、ぜひ改めてほしいものです。

国歌斉唱

 大相撲春場所は、横綱の朝青龍関が14勝1敗の好成績で、3場所連続、11回目の優勝を遂げ閉幕しました。圧倒的な勝ち方で見事な優勝と言わざるを得ませんが、日本の国技である相撲で、外国人の朝青龍関が優勝したわけですから、日本人としては、手放しで喜んでいるわけにもいかないようです。
 私が子供のときは相撲の全盛時代でしたから、今でも「そのときのお相撲さんの名前を言いなさい」と聞かれれば、たちどころに「吉葉山、千代の山、鏡里、照国、栃錦、若乃花」等と名前が出て来るほどですから、余計、最近の相撲を見て、外国人の力士の活躍は快く思っていませんでした。特に、朝青龍関の相撲は憎らしいほど強いので、私にとってはあまり好きな力士ではなく、優勝がかかった13日目の栃東戦で、取り直し後の相撲で栃東が勝ったときは、思わず拍手して喜び、溜飲の下がる思いがしました。
 ところが、千秋楽の日の表彰式で見せた朝青龍関の行動にはすっかり魅せられ、あんなに嫌いであった朝青龍関がたちまち大好きになったのです。
 それは表彰式のときに行われる「国歌斉唱」のときでした。その表彰式をテレビで見ていたところ、「国歌斉唱を行いますので、ご起立ください。ご唱和をお願いします。」というアナウンスがあり、場内に国歌が流れますと、会場にいた人達は伴奏に合わせて「国歌」を唱和し始めましたが、途中からその映像が朝青龍関のアップ姿になりました。よく見ると、なんと朝青龍関の口が動き、「国歌」を斉唱していたのです。カメラはその朝青龍関の口の動きを捉えていましたが、「君が代は」に始まり、最後の「苔のむすまで」と正確に唱和していました。国歌の演奏が終わったあと、アナウンサーは「朝青龍関はよく日本の国歌を覚えましたね」とコメントしていましたが、私も朝青龍関のその態度にはすっかり感心させられました。日本には「郷に入れば郷に従え」という諺がありますが、モンゴルから言葉も風習も異なる日本にやってきて、相撲だけでなく、流暢な日本語も話すことが出来るようになり、しかも日本の「国歌」も正確に唄えるということですから、日本人以上に日本を知る人間になったようです。
さて、「国歌斉唱」といえば、いつも歯がゆい思いをするときがあります。それは、外国のチームとサッカーの試合をするときのことです。サッカーの試合では、試合に先立ち両チームの「国歌」が演奏されますが、その模様がテレビ映し出されますと、外国のチームの選手は自国の「国歌」を誇らしげに声高らかに唄います。先日イランで行われたワールドカップの予選の試合でも、イランの選手の口は全員動いていましたが、日本チームは選手達の半分しか口が動いていませんでした。動いていたのは、中田、小野、中村等ヨーロッパで活躍している選手達だけでした。おそらく、外国のチームで活躍しているこれらの選手達は、自国の「国歌」を誇らしげに唄っているチームメイトを見て、自然と「愛国心」に目覚め、唱和の習慣が身についたものと思います。
とかく日本人は「国歌斉唱」については、恥ずかしいのか、あるいは抵抗があるのか知りませんが、唱和をする人は少ないようです。次回のレバノン戦で日本チームが勝つためには、全員の選手が口を大きく開け、声高らかに「国歌斉唱」を唄い、士気を高めてほしいと願っているところです。

お茶飲み友達

 今回の「福岡県西方沖地震」では、震度6弱の大地震であったにもかかわらず、昼間発生したことや、火災、津波等の二次災害が発生しなかったこともあり、地震発生に伴う犠牲者はわずか1名でしたが、震源地に近い玄界島では、島の約80パーセントの家屋が全壊か、それに近い被害を受けたようです。余震が続くことから、その日のうちに一部の自治役員を残し、大部分の島民は船で対岸の福岡市の体育館に避難しましたが、その模様がテレビで映し出されていました。それを見ていると、高齢者の姿が多く、腰を曲げながら船に乗り込む様子を見て、ふと、数日前に見た「老人孤独死、遺体数日後に発見」の新聞記事を思い出しました。
 その老人は、平成7年に発生した「阪神・淡路大震災」で家族全員を失い、その後仮設住宅での生活を経て、市営住宅に住んでいた80歳を超えた男の方でした。身内は誰もいなかったということですが、誰にも看取られず、ひっそりと寂しく息を引き取られる姿を想像すると、他人事ながら、とても不憫に感ぜられました。市営住宅ですから、当然隣近所の部屋には誰か住んでおられたはずですが、その方達との交流、つまり「お茶飲み友達」はいなかったのかと思いました。
 最近、全国的にこのような「老人の孤独死」が増えてきましたが、実は私の妻の母も現在86歳で、一人住まいをしていますので、この問題については、他人事だと傍観しているわけにはいかないのです。それは一昨年、妻の父が亡くなり、義母だけの生活が始まったのですが、隣り近所があるとはいえ、骨粗鬆のため腰が曲がり、買い物に行くにも運転免許は持っていないので不便であり、果たして一人住まいは出来るだろうかと心配したのです。
 すると、義母は「隣り近所は知った人ばかりで話し相手もおり、それにここは私が生まれ育った所だから、心配は要らない。」と言い、一人住まいをすることを宣言したのです。隣り近所には、義母の血縁者は住んでいませんが、義母と年代が近い女性達が2,3名おり、その人達は、義父が生存中も私達が帰省すると、義母達と話をしている姿を何度か見ていましたので、義母の言い分を聞き、私達夫婦が、週末に実家に帰り、義母の様子を見ることにしたのです。
 その後、約束通り、私達夫婦は週末になると実家に帰り、義母を近くのスーパーに連れて行きますが、義母は必ずお菓子を買うのです。それも一人では食べきれないほどのお菓子を買いますので、不思議に思って聞いてみると、「AさんやBさんと一緒に食べる」ということでした。義母の話によると、近所に住んでいる二人は、私達夫婦が帰省する週末を除いては、毎日のように代わる代わる義母方を訪れ、お茶を飲みながら、世間話をするということでした。
 私達が週末帰省したとき、義母と妻の会話を聞いていると、話題はもっぱら「お茶飲み友達」との会話の内容です。それも近所での出来事が手に取るようにわかりますので、私達や義母にとっても、まことに有難い「お茶飲み友達」です。いつまで続くかわかりませんが、出来得るならば、この状態がいつまでも続くことを願っているところです。

過信

 先週、秋田県と岩手県にまたがる標高1、487メートルの乳頭山に登山したグループが、吹雪で下山ルートを大きく間違え、下山口と思っていた場所と全く反対の岩手県側に下山し、危うく全員が遭難しそうになる事案が発生しましたが、幸い、軽い凍傷者はあったものの、全員無事に救助され、ホッとしました。
 救助されたグループのリーダーは「乳頭山には学生時代から数十回登っており、山のことは熟知していたつもりが、逆に仇となった。自尊心が間違いを起こした。」と自分自身の『過信』を認める謝罪の記者会見をしていましたが、今回の遭難騒ぎは、あまりにも自信過剰になると、思わぬ失敗を起こすということを如実に示した事案でした。
 テレビや新聞等の報道によりますと、このグループは、秋田市内の年金受給者とその家族で結成する「山楽会」の会員で、年間を通して各地の山に登山しており、今回の「乳頭山登山」も例年、この時期に行っている、いわば恒例の登山だったようです。従って、今年の登山に参加したメンバーも50代から70代までの男女43名で、ピクニック気分の人達も多かったということです。
 ところが、例年、3月末の乳頭山は、山頂の一部に残雪がある程度で、春山の様相なのに、今年は雪が多く、山全体がまだ雪が積もった状態だったそうです。「山楽会」の会員で、今回参加しなかった人が、遭難騒ぎが明るみになったとき「天気予報では、吹雪になるということであり、参加する会員に『中止したほうがいいのではないか』と携帯電話で通話した」とインタビューに答えていましたが、この点について、リーダーは「秋田市内は青空であり、行ける所まで行って見ようと考え、登山口を出発した。」と説明していました。
 登山の専門家は、「少人数だったら中止を決定するのは簡単だが、大勢の参加者があったとき、中止を決定するのは非常に難しい。しかし、気象状況を見て冷静に判断し、危険性があるときは直ちに中止を決定するのが真のリーダーだ。」と説明していましたが、今回のリーダーはその点、出発の時点から甘い判断だったようです。
 さらに、リーダーは、「昼食は山小屋で済ませ、出発しようとしたところ、山小屋付近は猛吹雪となっていたが、この山のことは慣れていたので、引き返すのは簡単だと判断して出発した。途中で吹雪がますます激しくなり、目印となる物はすべて吹き飛ばされ、道に迷ったというより、方角が全くわからなくなってしまった。」と説明していました。このリーダーは若いときから登山の経験があるということでしたので、当然登山する場合に必要な地図、磁石、コンパス等を持っていたはずですが、なぜこれらを活用して方角を確かめなかったかと疑問に思いました。
 おそらく、自尊心が強い、このリーダーのことですから、「俺がこの山のことは一番知っている。心配するな。」と他の会員をリードしたものと考えられますが、それにしても危うく全員遭難となるところでしたから、この問題は後々まで尾を引くものと思われます。
 自分の行うことは絶対間違いないと言い、他の人の意見に全く耳を貸さない人もいますが、人間ですから時には間違うこともあります。自信過剰もほどほどにしないと「過信」となり、失敗につながるようです。

ハイヤー

 4月になった途端、ガソリンが値上がりはじめ、最初は1リットル当たり110円だったレギュラーガソリンが、1週間後には120円まで跳ね上がりました。テレビニュースの解説によりますと、その原因はガソリンの原油の約半分を中国とインドが買い占めたためということで、今後、日本国内のガソリンの値段はさらに上がるということでした。
 テレビでは、ガソリンの値上げに伴い、痛手を受けるタクシー業者に対するインタビューをしていましたが、その中で、経営者の一人が「このハイヤーは1日当たり、約40リットルを消費しますので、当社にとって今回の原油の値上げは大きな痛手です。」と説明していました。見ると、経営者の横には、黒塗りの高級車が写っていましたが、その画面を見て、私のすぐ横でテレビを見ていた妻が「この黒い車はハイヤーとなっているが、ハイヤーとタクシーはどう違うの?」と尋ねたのです。
 テレビの画面を見ていた私は、突然の質問だったので、「うむ」と咄嗟に返答に窮しました。その間、頭の中で「ハイヤーとタクシーの違いは、ずっと前に聞いたようにあるがどうだったのかな」と記憶をたどってみたのです。しかし、どうしてもはっきりした違いを思い出すことが出来ず、残念ながら、その場は「後で違いを調べてみる」と言葉を濁したのです。
 そこで、早速、その違いを調べたところ、その違いがわかりました。まず、その違いをはっきり規定しているのは「タクシー業務適正化特別措置法」という法律です。その第2条には「ハイヤーとは、一般乗用旅客自動車運送事業を経営する者が、その事業の用に供する自動車で、当該自動車による運送の引き受けが営業所のみにおいて行われるものをいう」と規定されています。つまり、わかり易く言えば、「ハイヤーとは、営業所などにいて、お客さんからの申し込みを受けて、お客さんの指定する場所に行き、お客さんを運ぶ自動車」のことです。これに対してタクシーとは「町の中や決められた乗り場などで、注文によって客を乗せ、走った距離と時間にしたがって料金を取る自動車」のことなのです。タクシーは、お客さんを求めて、町中を走ることが出来ますが、ハイヤーはタクシーのような流し営業は禁止されているのだそうです。
 また、ハイヤーは元来「車と人を雇う」という意味で、一般的には「ハイヤード・タクシー」の略だそうですが、私達にとっては、ハイヤーには高級自動車というイメージがあります。それもそのはずです。調べてみると、国土交通省では、ハイヤー・タクシー事業者に対し、「ハイヤーは、デラックス車以上のハイグレードな車両を使用するように」という指導が行われているそうです。それで、ハイヤーと呼ばれている車には、国産車では、セルシオ、シーマ等の大型車、外車 (輸入車)では、キャデラック、ベンツ等が使われているのです。
 このように、ハイヤーとタクシーには確かに違いがありますが、年配の方の中には、ハイヤーとタクシーをごっちゃにして使う人もいますし、「ハイヤード・タクシー」がもともとの言葉であるところからしても、口角泡を飛ばして、「ああだ、こうだ」と議論する必要性は、あまり意味がなさそうに思えます。

新入社員

 毎年4月になると、テレビでは全国各地の各企業の入社式の模様が放送されますので、「今年もまた新年度が始まったな」という実感が湧いてきますが、一方、街のあちこちでも、この時期は「私は新入社員です」と言わんばかりに、男性も女性も黒いスーツに身を包んだ姿を良く見かけますので、新たな気持ちで仕事に邁進することが出来ます。
 そうした中で、私が通勤のため電車に乗るJR宮崎駅でも、今年も新しく採用された女性の新入駅員が改札口に登場しました。JR宮崎駅では、3年位前から女性駅員を採用し始め、今では数名の女性が改札口に立ち、乗降するお客さんの改札をしていますが、これまで男性の、しかもかなり年配の駅員だけだった頃に比べ、お客さんの評判も好評のようです。
 さて、今年新しく採用された女性駅員が事前教養を終え、先日から改札口に立つようになりました。その女性新入社員は、他の女性駅員と同様に黒い制服に身を包んでいますが、胸には「見習い」と大きく書かれたネームプレートを下げていますので、一見して「新入社員」であることがわかります。ある日、その新人の女性駅員と2,3年経験のある先輩女性駅員とどう違うのか、じっくり観察してみることにしました。
 新人の女性駅員の仕事ぶりを見てみますと、まず印象的だったのが、「笑顔が見られない」ということでした。お客さんの前に立つのが初めてだったのかもしれませんが、全く笑顔が見られず、緊張した行動振りがこちらまで伝わってくるようです。おそらく事前教養では、「お客様には笑顔で接しなさい」と教えれれたはずですが、どうしたことでしょう。上り下りの電車が駅に近づくと、モニターを見ながらマイク放送をするわけですが、これも原稿を見ながらの放送ですが、声が小さく、そばで聞いていても何が放送されているのか良くわかりません。
 それに比べて、先輩の女性駅員の仕事振りを見ますと、さすがは経験者だなと感心します。常にどのお客さんに対しても笑顔を絶やさず、自分の方から「おはようございます」と声をかけ、さらに、私が改札口を通るとき、定期券を差し出すと、必ず「行ってらっしゃいませ」と声をかけてくれます。また、自動車学校からの帰り、改札口を通りますと、この女性駅員は必ず「お疲れさんでした」と笑顔と一緒に声をかけてくれるのです。このように声をかけられると、なんだかうれしくなり、途端にやる気が出てきますし、また、帰りのときは疲れが吹き飛んでいくみたいになりますから、不思議なものです。
 新入社員にここまで要求するのは、まだまだ無理かもしれませんが、身近に見本となる先輩駅員がいますから、一日も早く先輩女性駅員のレベルに達してもらいたいと願っているところです。
 ところで、都城自動車学校にもこの春3名の女性社員の入社がありました。現在はまだ教習生と接するする機会は少ないようですが、やがて事務所の窓口で仕事をするようになると、教習生だけでなく、その保護者、さらに高齢者講習で訪れた人等、様々な人が皆さんの仕事振りを注目して見ているはずです。常に笑顔を絶やさず、教習生に対してはもちろん、お客さんに対しては自分の方から積極的に声をかけるようにしましょう。
 その前に、私達職員も新入社員のも見本となるよう、職員同士はもちろんのこと、お客様に対しては常に笑顔を絶やさず、自ら挨拶するように心がけましょう。

カラスの巣

 4月中のある日の昼休み時間、職員室から外に出たところ、赤崎副校長から「校長、今年もカラスの巣作りが始まりましたよ。」という声がかかりました。赤崎副校長が指差す二輪コースの方を見ると、照明柱のてっぺんに巣らしきものがあるのが見えました。二輪コースには6個の照明柱がありますが、カラスの巣らしきものがある照明柱は、四輪コースに近い東側にあり、毎年この時期になるとこの照明柱のてっぺんにカラスが巣を作るのです。
 そこで、今年の巣の作り具合はどんなものかと思い、近づいて見ると、高さ約10メートルの照明柱のてっぺんには、枯れ枝を集めた一見してカラスの作品と思われる巣が出来つつあるのが見えました。なぜ、その巣がカラスの巣かといいますと、他の鳥、例えばスズメや鳩の巣は枯れ草等できれいに作られていますが、カラスの巣は枯れ枝等で大雑把に作られていますから、下から巣を見ると巣の中が丸見えに見えますので、すぐカラスの巣だとわかるのです。
照明柱の下から、そのカラスの巣を眺めていると、北側の方から1羽のカラスが巣をめがけて飛んでくるのが見えました。見ると、カラスの口には枯れ枝が見えましたので、このカラスが巣の持ち主だなとわかり、どんな巣作りをするのかと興味が湧いてきましたので、しばらく観察をすることにしたのです。
 すると、巣をめがけて飛んできたカラスが、照明柱の真下に私がいるのに気づいたのか、急に方向を真東に変え、約50メートル離れた四輪コースの照明柱の方に飛んで行き、やがてその照明柱のてっぺんに止まると、じっと私の方を向いているのです。その様子からどうやら私が巣に何かイタズラをするものと考えたようでしたので、その場所を離れ、近くの二輪コース内にある控え室から観察することにしたのです。
 やがて四輪コース内の照明柱に止まっていたカラスが、巣がある照明柱に飛んでくるとすぐ、くちばしを器用に動かしてくわえてきた枯れ枝を作りかけの巣に追加し、丸くしていかにも巣らしくしたのです。その様子を約10分位じっと見ていましたが、鮮やかな手さばき、いや口さばきには感心させられました。いったい誰が巣の作り方を教えたのでしょうか。親のカラスから習ったのか、それとも動物本来の習性でこのような見事な巣を作ったのかもしれません。さらに、巣の様子をよく見ると、枯れ枝のほか金属みたいなものも見えます。何だろうかと思い、下から見上げてみると、それはハンガーの針金でした。おそらく近くの民家の庭先にあったものを失敬して来たものと思いますが、それを器用に丸め、自分の巣にするわけですから、カラスの頭の良さにはほとほと感心させられた次第です。
 今日の観察はこれで終わりましたが、カラスはとても頭の良い鳥で、子育てをしているときは人間に対しても攻撃してくるそうですから、次回からは、カラスに気付かれないよう双眼鏡を使って観察することにします。
 カラスは、卵を抱き始めてから約3週間で孵化するといわれていますから、やがて5月の連休明け頃には、この巣から雛が育つものと思います。毎年巣はそのままにされ、これが電気のショートの原因になりますので、今年もまた、職員の方が取り除くことになるでしょう。

企業風土

 4月25日に発生した兵庫県尼崎市のJR福知山線の脱線事故では、死者が107人に達したほか、救出されて病院に収容された乗客の中にも、未だ20数人の方が意識不明や重傷のため集中治療室で治療中という大惨事が発生しましたが、その原因がまだ調査中の段階なのに、JR西日本職員の不祥事が次々と明るみになり、収拾がつかない状態となっています。
 まず、明るみになったのは、事故を起こした電車に乗り合わせていたJR西日本の運転士2人が、救助活動をせずにそのまま、自分の職場に向かっていたことです。最初の報道では、2人の運転士とも事故直後逃げるようにして現場を立ち去ったということでしたが、その後の調査では、2人とも携帯電話で上司に報告し、指示を受けて出勤したということです。それにしても救助活動に加わらずに出勤し、通常通りに乗務していたということですから、国民にとっては全く信じられない振る舞いです。また、その後の記者会見では、2人の運転士とも「気が動転していた」と説明していますが、事故直後、現場付近の市場にいた人達が、自分の仕事をほったらかしにして救助活動に加わったことに比べると、その意識には雲泥の差があるようです。
 その問題が片付かないうちに、今度は大阪天王寺車掌区の43人が事故当日、ボウリング大会を開催していたことが報道されました。調査によると、このボウリング大会は、事前に計画され、参加したのは当日休暇の社員だったそうですが、参加した43人全員が車内放送等で事故の発生を知り、そのうち13人は自宅のテレビや同僚からのメールで死傷者多数いる重大事故と認識していたということです。さらに、このボウリング場内にはテレビがあり、事故の模様は放映されていたということですから、むしろ重大な事故であったことを知らなかったというのはどうみても不自然です。
 また、ボウリングを続けることに疑問を持つ社員もいたが、「目上の人に言いづらかった」と上司に中止を進言しなかった理由を説明していましたが、私はその放送を聞いていて単なる弁解のように聞こえました。それは、ボウリング大会が終わった後、27人は当日の夕方、天王寺駅前の居酒屋で開催された懇親会に出席し、その後、何人かは二次会、三次会に参加していたからです。居酒屋の懇親会に出席した社員のうちの一人は「事故のことは知っていたが、30人分の予約をしていたのでキャンセルしづらかった」と弁明しているそうですが、全く開いた口が塞がりません。
 この調査結果は、まさに「安全優先」という鉄道マンの意識が欠如していることを世間に露呈した格好になりましたが、事故現場に献花に来た遺族等の口からは「安全への意識が欠けている」「同じ会社のことなのに、何も感じないのか、腹立たしい」等厳しい意見が出されていました。私も全く同感です。
 JR西日本の社員には、「自分の管轄区域以外で発生したことには関係ない」という考えがあるほか、記者会見において、幹部が「社員のプライベートのことには干渉しない」と発言しているところからみると、どうやらJR内には今も、旧国鉄が持っていた「企業風土」がそのまま残っているようです。
 従って、JR西日本が事故の再発防止を図るためには、全職員が協力し、こうした「企業風土」を払拭する職業教育を行う必要性があるようです。

正夢

 私が宮崎県警察を退職したのは平成12年の8月ですが、その後約2年間はよく夢を見ました。それも楽しい夢ではなく、いつもまだ警察官だった頃の夢で、ほとんどが部下職員の不祥事が露見し、その対策に追われたり、テレビカメラが回る中で謝罪会見をするものです。どの夢も、夢の中で「ああ、オレの警察人生もこれで終わりだな」とつぶやいていると、不思議と、パッと目が覚めるのです。ハッと我に返り、「夢かな、それとも現実かな」とぼんやり考え、どうやらそれが夢だとわかると、「ああ、夢でよかった」とホッと胸をなでおろすのです。
 しかし、最近は自動車学校での勤務が5年目になったからでしょうか、夢の内容も「ゴルフでホールインした」とか、「宝くじに当たった」等に変わりましたが、夢から目が覚め、正気に返ると、いずれもそれは夢だとわかり、いつもガッカリしているところです。
 さて、夢の中には「正夢」というのがあります。これは夢と現実が全く同一になることですが、おそらく皆さん方の中にもこんな経験をした方もあると思います。当校のパート職員の岩満さんも次のような「正夢」の体験があるそうです。
 それは岩満さんが、小学生の頃、転校生の夢を見ましたが、その転校生の名前は「小金沢」だったそうです。その日、学校に行ったところ、岩満さんのクラスに転校生があり、先生がその転校生の名前を黒板に書かれたところ、なんと夢の中に出てきた名前と同じ「小金沢」だったということです。これには岩満さんも、わが耳を疑ったということですが、本当に「正夢」というのはあるものですね。
 実は私も最近、次のような「正夢」を体験しました。それは5月の連休が始まった5月3日の朝見た夢です。夢の中で、全職員に「将来の夢」というアンケートを出したところ、そこには「検定員になりたい」、「外国旅行をしたい」等と書かれていましたが、その中で「教習指導員の妻になりたい」という一寸変わった内容が書かれているのがあったのです。私は一瞬「教習指導員の妻」とはどのような意味かわからず、誰がこのアンケートを書いたのかと思い、氏名欄を見たところ、それは当校の富高里美指導員のものでした。
 そこで、富高指導員にその意味を尋ねたところ、「この学校に好きな男性がいるのです。いつかその人と結婚したいと考えています。」と返事しましたが、相手の名前についてはすぐには答えてくれませんでした。しかし、何回も尋ねていると、富高指導員が少女のように顔を少し赤らめ、恥ずかしそうに「Nさんです」と答えてくれました。その瞬間、夢は終わり目が覚めたので、とうとう「Nさん」とは誰のことか聞きだすことが出来ませんでした。
 ところが、連休が明けた5月6日に出勤したところ、富高指導員と中西職員がニコニコしながら私の所に来て「今年の秋、結婚することになりました」と報告に来てくれたのです。夢の中で、富高指導員が「Nさん」と言っていたのは、実は中西職員のことだったのです。これには私自身が一番驚きましたが、本当に「正夢」というはあるものですね。中西さん、富高さんおめでとうございます。幸せになってください。
 当校にはまだまだ適齢期の職員がいますので、次は誰の夢を見ようかなと「正夢」を期待しているところです。

段差

 つい先日、いつも通勤のため利用しているJR宮崎駅付近の歩行者・自転車兼用道路が新しく出来上がり、自転車も通れるようになりました。その道路は約50メートル位の長さで、道路の両側とも新装されたわけですが、工事が2ヶ月もかかり、工事期間中は回り道しなければならず、とても不便でしたから、開通になったときはとても喜んだのです。
 さらに新しい歩行者・自転車兼用道路は、真ん中は黄色で塗られた点字ブロックとなっており、これだったら眼の不自由な方でも安心して通行できそうです。また、その両側はレンガ色の道路になっていますので、見た目にはとてもおシャレな道路が出来上がったという印象を受けたのです。
 ところが、どっこい、自転車でその道路に差し掛かった途端、自転車の前部タイヤに「ガクン」という強いショックを受けたのです。危うくハンドルが取られそうになる位の衝撃でしたので、サドルもその影響を受け、したたか尻を打ったようでした。
 なぜだろうと思い、すぐ自転車を降りて新しい道路の端を見たところ、そこには意外な光景が見られたのです。なんと、新しい道路の端は、交差している道路の高さより約2センチ位高くなっており、そこには段差が設けられていたのです。さらにその段差は、車道寄りでは5センチ位の違いとなっているのです。これでしたら、もし、夜間、この段差に気付かず新しい道路に入った途端、ハンドルを取られ、場合によっては自転車が転倒し、怪我をしかねないような状態なのです。
 私はいつも自転車を利用していますが、歩行者・自転車兼用道路には、このように段差がある道路は意外と多いのです。そこで、ある日、自宅から、JR宮崎駅までに至る約6キロの間、段差がある箇所は何箇所あるのか調べてみることにしたのです。その結果、驚いたことに80箇所もあったのです。
 中には、他の道路と交差する歩行者・自転車兼用道路には、段差が5センチを超える道路が数箇所ありました。最初の頃はその段差に気付かず、自転車の前輪が「ガクン」という衝撃を受けて初めて気付いた状態でしたが、4年間、いつも通っているとその場所に近づくと、自転車のスピードを落とし、いつの間にかサドルから腰を浮かし、ショックを幾分和らげた状態で段差を通過するようにしています。お陰様で、自転車もショックが少ないのか、タイヤのパンクを修理することもなくなりました。
 こうみてくると、歩行者・自転車兼用道路を作る人、つまり設計する人は、日頃から自転車を利用しているのかなと疑問に思えてきたのです。もし、段差のある道路を自転車で通ってみれば、必ずハンドルに衝撃がきますので、こんな段差のある道路は作らないはずです。
 また、車道と歩行者・自転車兼用道路では、道路そのものの作りが違うのか、歩行者・自転車兼用道路はどんなに良い道路でもガタガタしますし、しかもガス管や水道管等の取替えで道路が掘り返された状態ですから、継ぎはぎだらけのところもあり、余程注意しないとハンドルを取られることもあります。道路を管理する人が早くこの状態に気付いてくれれば、スイスイと自転車に乗れるのですが、こんなことは夢のまた夢でしょうか。

集中力

 都城自動車学校では、毎年5月になると、高城町内のほか、近隣の三股町内や都城市内の幼稚園児に対する交通安全教室が行われるため、校内には園児達の賑やかな声が聞かれます。先日、都城市内の幼稚園児に対する交通安全教室が行われましたので、その模様をのぞいて見ましたが、教室には幼稚園児約90人が座り、揃いの帽子に園児服といったいでたちでしたが、どの子供達も元気そうでした。
 最初は、「ニャンダー仮面の安全教室」というタイトルのアニメのビデオでしたが、園児達は誰一人話をせず、上映時間の約13分間、じっとビデオを見続けているのです。
 さらに、都城地区交通安全協会の女性指導員による腹話術では、約10分間でしたが、人形の「信ちゃん」の口元を瞬きもせず見ているのです。そして、指導員の「道路を横断するときはどんなことに気をつければ良いですか」という問いに対しては、「右、左、そして右を見ます。」と、どの園児も口をそろえて、はっきり答えてくれるのです。それらの様子を見ていますと、女性指導員の話や腹話術が優れていることはもちろんのことですが、園児達に「集中力」があることがわかるのです。
 この「集中力」があるからでしょうか、ビデオや約1年前の出来事を良く覚えているのです。それは、この幼稚園の園児達は約1年前、当校での安全教室に参加していますが、その際、今回と同じように「腹話術の人形『信ちゃん』」の姿を見ているのです。その印象が強かったのか、そのときの帽子の色を覚えており、女性指導員が「今から、警察幼稚園の『信ちゃん』が出てきます。『信ちゃん』が被っていた帽子の色は何色だったですか」と問うたのです。 私も昨年、当校で行われた交通安全教室の際、この人形の「信ちゃん」を見たのですが、この質問に対しては、「はて、何色だったかな」と思うだけで、はっきり思い出すことが出来なかったのです。しかし、園児達は違っていました。すかさず、全員が大きな声で、「赤色です。」と答えたのです。これには、思わず私も脱帽したところでした。
 この園児達に対する交通安全教室を見学した後、当校で学ぶ生徒さん達の授業態度はどんなものかと思い、学科教習の教室をのぞいてみたところ、園児達に比べて「集中力」が全く見られなかったのです。
 さすがに居眠りする生徒さんはいませんでしたが、指導員が話しても、全く反応がありません。話にうなずく生徒さんはいませんし、中には頬杖をついたり、手に持った鉛筆をくるくる回して手遊びする人もいます。このような状態の中で、学科教習するわけですから、教習指導員の苦労も良く分かります。
 当校に入校する生徒さんが全てこのような授業態度かというと、そうでもなく、バラつきがあるようです。2月や3月の繁忙期に入校する生徒さんは、現役の大学生や高校生が多いせいか、熱心にメモを取る姿が見られ、その結果、仮免の学科試験の成績もよさそうです。
 学校を卒業してからある程度年数が経ちますと、どうしても勉強意欲が薄れているのかも知れませんが、女性指導員の幼稚園児に対する例があるように、学科教習指導員の講話内容によっては、生徒さんの目が輝き、「集中力」が増すようですから、学科担当の指導員の皆様には、生徒さんが眠らないよう質問する等講話内容や授業の進め方に工夫を加えていただくようお願いします。

痴呆老人

 街の中を自転車で走っていると、電柱に「こんな老人を知りませんか」という貼紙があるのを見かけることが時々あります。ある日、信号待ちのとき、その貼紙を見たところ、86歳の老人が夕方家族に「散歩してくる」と言い残して、そのまま数日経っても自宅に戻らず、所在が不明となっているということでした。その日付を見ますと、約2週間も前のことであり、その老人には痴呆症の初期的症状が見られたということですが、貼紙が残っているということは、まだ見つかっていないのかもしれません。
 私の身辺では痴呆症の人はいないので、これまではこのような貼紙を見ても、他人事のように感じていましたが、最近、痴呆症の初期的症状の老人を見かける機会があってからは、それまでの考えを改めなければいけないと思うようになりました。
 それは先日の朝、いつものように午前6時から私が住んでいる団地の周辺道路を散歩していたところ、約50メートル前方を小柄な、一見して老人と思われる男の人が歩いているのが目に入りました。その人は後姿だけでしたが、私が散歩中に見かけることがなかった人であり、どこの人かなと思いながら近づいていくと、その老人は交差点で立ち止まり、辺りをキョロキョロ見始めたのです。老人は年齢が80歳位と思われ、顔付きや着ているシャツ、ズボン、靴等を見ると、かなり余裕のある生活をしているように感じられましたが、動作を見ていると、どこか緩慢であり、ひょっとしたら痴呆症の老人ではないかと思ったのです。
 そこで、私はその老人に近づき、「おじいちゃん、どこに行かれるんですか?」と尋ねると、不思議そうに私の方を見て、「ここはどこですか」と逆に私に質問したのです。その老人の目を見ると、焦点が合わず、顔に生気が全くありませんでした。私は「ここは平和が丘団地ですよ。おじいちゃんの家は何処ですか」と返事すると、「平和が丘団地ですか。何で私はそんな遠い所にいるんでしょうか。私の家は吉村町です。」と答えられたのです。吉村町は宮崎市内の東部にあり、平和が丘団地とは約10キロ離れていますので、その老人がこんなに朝早く、しかも吉村町の自宅から歩いてきたとは思えませんでした。
 顔付きや返事の仕方等から、痴呆症の初期的症状が見られたので、何か理由があると思い、名前を尋ねると、「○○です」とはっきり自分の名前は言われましたが、まだ自分が平和が丘団地内にいることが不思議でたまらない様子でした。
 私はその老人の様子から、もしかしたらこの平和が丘団地内に身内がいるのではないかと思い、「おじいちゃん、娘さんか誰かが、平和が丘団地に住んでいるのではない?」と聞くと、しばらくぼんやり考えている様子でしたが、やがて「ああ、そうだ。今娘の所に住んでいるんだ」と嬉しそうに答えてくれたのです。
 それから約5分位かけ、老人から娘さんの居所をようやく聞き出すことが出来ましたが、その娘さんの嫁ぎ先は、私方から約100メートル位の近くだったので、そこまで老人を連れて行き、無事引き渡すことが出来ました。
 お陰で、この日の散歩は途中で中止となりましたが、私もこの年代に近づきつつありますので、この老人との出会いは、私にとっては考えさせられる1日でした。

責務

 JR福知山線の脱線事故があって以来、JR等鉄道関係者に対するマスコミや国民の目が厳しくなっていましたが、事故から約1ヶ月経過すると新聞紙上に記事が掲載されることが少なくなり、そのせいでしょうか、JR関係者の気持ちも最近いささか弛緩しており、乗客の安全輸送という「責務」を忘れた行為を見かけることがたびたびあります。
 その一つは、勤務中に車掌が漫画の本を見ていた行為です。私は、JR宮崎駅から乗車していますが、先日こんな光景を見ました。それは、電車が山之口駅に到着しましたので、定期券を最後部車両の車掌室にいる車掌に見せ、ホームに下りたのです。山之口駅は、電車が止まったホームから跨線橋を渡って改札口に出るようになっていますので、跨線橋の階段を2,3歩上ったとき、何の気なしに右側を見たところ、車掌室が見えました。すると、車掌室にページが開かれたままの本があるのに気付いたのです。よく見ると、その本はどうやら漫画のようでしたが、何でそこにあるのか最初は分かりませんでした。しかし、漫画の本が置かれている場所は、車掌室であり、ひょっとしたら勤務中に読んでいるのではないかと考えたのです。
 そこで、階段を上って橋の上に上がり、そこから車掌室の様子を覗き見していたところ、やがて、車掌は前方を指して降車客がないことを確かめると、「ピー」という笛を吹き、車掌室に戻った様子でした。
 すると、車掌室に戻った50歳代の車掌は、早速開いている漫画の前に立ち、その漫画を読み始めたのです。真上の跨線橋から私が覗き見ていることには全く気づかないようでした。このようなことは、これまで1回も見たことがなく、ましてや電車の脱線事故があったばかりでしたから、あきれてものが言えず、しばらくは走り出した電車を見送る状態でした。
 次も同じ車掌の勤務ぶりです。JR宮崎駅を出発した電車は、いつものように乗客は少なく、やがて青井岳駅を出発した直後、私が座っていた席の後ろの長椅子に誰か座ったような感じを受けました。青井岳駅では、誰も乗車しなかったのに、おかしいなと思って後ろを振り返った見ると、そこには帽子を脱いで長椅子に座っている車掌の姿があったのです。いくら乗客が少ないとはいえ、乗客が座る場所に堂々と座るとは、明らかにサボリです。
 さらに座るだけでなら、大目に見ていたい気持ちでしたが、しばらくしてその車掌を見たところ、なんと目をつぶり、コックリ、コックリしているではありませんか。やがて、私が降車する山之口駅が近づいても、その車掌は目を開けず、とうとう、山之口駅に到着してしまったのです。
 すると、電車が止まったのが衝撃で分かったのか、車掌はあわてて帽子を被り、走って車掌室に入り、何事もなかったように「山之口駅です」と放送したのです。これには私も思わず苦笑し、何という名前の車掌かなと思い、車掌室の入り口を見ましたが、なぜか名札は外してありました。
 このように、車掌としての「責務」を忘れた行為を見かけますが、ひょっとしたらこの人達は、誰も見ていないだろうと思っていたのかもしれません。世間は狭いものです。私達も自動車学校の職員という「看板」を背負って仕事をしていることを忘れず、「責務」を果たすよう心がけましょう。

立ち話

 私は、夕方妻を車に乗せて自宅から約1キロのところにあるスーパーに買い物に出かけますが、その際、自宅近くの交差点付近で「立ち話」をしている女子中学生を見かけることが、たびたびあります。 その女子中学生達は、白のヘルメット姿や制服から、一目で近くの中学校の生徒さんであることがわかります。そして、ヘルメットの後ろには名前が書いてありますので、その名前からどうやらそのうちの一人は、近所に住んでいる子供さんのようです。
 二人連れの様子を見ていますと、自転車から降り、まるで自転車を絡み合わせるようにして寄り添い、お互い顔をつき合わせるようにして何か話をしています。ときどき、声を上げて笑いこけていますので、よほど楽しい会話が交わされているものと思います。
 ところが、私達が買い物を済ませ、約30分後に自宅に帰って見ると、なんと二人連れの中学生は、まだそのまま自転車を絡ませた姿勢で「立ち話」をしているのです。それだけなら良いのですが、それから約30分後に再び玄関に出てみたところ、日が暮れて暗くなっているというのに、まだ女子中学生達はそのままの姿勢で「立ち話」を続けていたのです。
 私は自動車学校からの帰り、中学校付近の自転車道で、時々この二人連れを見かけることがありますが、その際、この二人はいつも自転車を並べて話しながらゆっくりと走っています。そして、私がその二人に追いつき、自転車のベルを鳴らすと、後ろを振り返り、「すみません」と謝ってくれるやさしさもあるようです。おそらく、二人は学校だけでなく、学校の帰りや、家の近くでも長時間、話をしているもと思いますが、よほど仲の良い友達だと考えられます。
 さて、「立ち話」と言えば、スーパーの中の通路で「立ち話」に夢中になり、他の客に迷惑をかけている女性達を見かけることがあります。その女性達は、スーパー内の通路のど真ん中で、買い物かごに入った手押し車を並べ、ペチャ、ペチャと「立ち話」をしているのです。通路は広いスペースではありませんので、手押し車が2台も横に並ぶと通路は完全にふさがれた状況になります。
 夕方の時間帯ですから、通路はひっきりなしに買い物客が通りますが、女性達は、他のお客のことは全く考えず、相変わらず「立ち話」に夢中になり、通路を占領しています。そのような場合、他の買い物客も「邪魔な人達だな。通れないが」という顔はしますが、誰も注意しようとはせず、わざわざ遠回りして、次の売り場に足を向けているようです。
 男だったら、例え店の中で久しぶりに友達に会っても「よお、元気か。」と声を交わすだけで、長話はしないものですが、女性の場合はそう簡単にはいかないようです。
 「立ち話」に夢中になっている女性達の姿は、スーパーだけでなく、歩道上、玄関先、電車の中の通路等数多くあるようです。このような大人達の「立ち話」の様子を見ると、どうやらその基礎は、女性達の子供の頃に出来ているようです。

触らぬ神に祟りなし

私は、毎朝JR宮崎駅のトイレを利用していますが、そのトイレは、駅中央部の改札口近くにあります。幅2メートル位の通路を進むと、右側は女性用、そして左側は男性用のトイレになっていますが、いつも女性用のトイレは満員で、通路には順番待ちの女性が待っている状態です。その女性達は、口にこそ出しませんが、顔色から察すると「前の人は早く用を済ませて下さい。」と言っているようです。
 その女性達を横目に見ながら、男性用のトイレに入り用を足すわけですが、何故、女性がこのように並ぶのか不審に思い、ある朝、男性用トイレを出るとき、左側の女性用トイレに目をやったのです。すると、トイレ内には大きな鏡が2面あり、その前では若い女性達がお喋りしながら、口紅を塗ったり、化粧をしたりしているのです。こうした化粧をする人が多いため、女性用トイレは回転率が悪くなっていたわけです。
 私の感覚では、女性は自宅で化粧を行い、それから出かけるものと思っていましたが、最近は、バスの中や電車の中でも堂々と化粧する女性がいますし、公衆トイレの中ではこのように化粧する人も意外と多いところから見ると、どうやらそうでもなさそうです。
先日東京都内の駅のホームで、化粧している若い女性に対し、親切心から注意を促したところ、逆に反感を持たれて突き飛ばされ、怪我を負う事案が発生しました。
 テレビ報道によりますと、事案が発生したのは、東京都内の私鉄のホームで、ベンチに座ってお化粧に夢中になっている若い女性がいたそうです。ベンチの周りにはたくさんの人達もいたのですが、そのとき、たまたまホームでこの様子を見ていた65歳の女性が、若い女性のそばに近づき、「こんな所で化粧するものではないよ。」と軽く注意を促したそうです。年配の女性はほんの親切心からこの言葉を発したもので、決して詰問するような言い方ではなかったということです。
 ところが、注意を受けた22歳のバーテンダーの女性はかっとなり、若い女性に背を向けていた年配の女性の肩部分をいきなり強く押したそうです。そのため、年配の女性をよろめき、たまたまホームに入ってきた電車と衝突し、その場に倒れましたが、打ち所が悪く、そのため頭蓋骨骨折等の負傷を負ったもので、若い女性はその場で傷害の現行犯で逮捕されたということです。
 この事件の感想について、街角で通行人に対するインタビューが行われていましたが、どの人も「人がたくさんいる中での化粧は感心できない。しかし、注意をすると今回のように恨みを買う恐れがある。従って、私だったら、見て見ぬふりをする。」という感想を述べていました。
 解説者は「まさに、諺にある『触らぬ神に祟りなし』ですが、いつからこのような世の中になったのでしょうか。住みにくい日本になったものですね。」とコメントしていましたが、私も同感でした。私達の身の回りでは、このように公衆の面前で、平気で化粧する姿や、ホームにべったり座った若者の姿を見かけることがありますが、見ても注意する気にもなりません。下手に注意するもののなら、今回のように切れてしまい、反撃を受けることになりますので、残念ながら、見てみぬふりをしてやり過ごす状態です。困ったものですね。
 しかしながら、当校に入校中の生徒さんについては、例えば、靴のかかとを踏み潰して歩いていたり、痰やつばを吐いたり、チューインガムを所かまず吐き捨てたりする行為を見かけたときは、見過ごしたりすることなく、躾教育の一環として、その場で注意を促すようにしましょう。

率先垂範

 公安委員会指定の自動車学校の卒業生が、運転免許取得後1年以内に起こした加害事故、すなわち初心運転者事故の原因を分析してみますと、「安全不確認」、「前方不注視」、「一時不停止」が大半を占めているようです。一般運転者による事故でも「安全不確認」による事故は、事故全体のかなりの部分を占めていますので、当校における「安全確認」の教習はどのように行われているか、先日、久方ぶりに教習車に同乗してみました。
 先ず、私が最初に同乗した男子の生徒さんは、第1段階の仮免前の「みきわめ」でしたが、発着所から出発する際、バックミラーやサイドミラーを見たり、右後方を見たりはしていましたが、私が予想していた「右後方ヨーシ」等の声は全く聞こえてきません。その生徒さんは、私が後部座席に乗るとき、「わあ、校長先生が乗るんですか。緊張するな。」と言っていましたので、緊張して確認のための「安全呼称」をたまたま忘れたものとばかり思っていました。
 ところが、外周を回り、真ん中の幹線道路を左折する際も、その生徒さんはチラッと左側のミラーを見ただけで、車の左側にバイクがあるかどうかの「巻き込み防止のための安全呼称」は全く行われないのです。そして、それに対し、同乗している指導員も何も指導しないのです。その光景を見て、「あれ、おかしいな。こんなはずではなかったのに。」と思ったのです。
 それは、2年位前、場内コースの教習車に同乗しましたが、その際は、生徒さんが確実に大きな声で、「右ヨーシ、左ヨーシ」と安全呼称をしていましたし、それを見て指導員も「その調子ですよ。よく確認が出来ていますね。」と言って指導していましたので、その後の教習においても、「安全呼称」は当然行われているものとばかり思い、卒業式の際の交通講話でも「安全呼称」の大切さを話していたのです。
 ひょっとしたら、私が同乗したばかりに、教習生も指導員も緊張し、「安全呼称」を忘れたのではないかと考え、次は別の生徒さんの教習車に同乗してみたのです。結果はやはり同じでした。さらに、教習のはじめに指導員が場内のコースを模範運転しましたが、交差点を通過する際や左折する際、顔を動かして安全確認はしていましたが、肝心の「安全呼称」は全く行われてなく、これにはいささかがっかりしたのです。
 連合艦隊司令長官山本五十六が言った有名な言葉に、「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」という「率先垂範」の重要性を訴えた言葉があります。この言葉は、幹部の心構えとして現在でも使われていますが、生徒さんに運転の基本である「安全呼称」を身につけさせるためには、先ず指導員自ら行うことが肝要ではないかと考えたのです。
そこで、先ず指導員をはじめ全職員が率先して「呼称運転」を行って模範を示すこと、そして、指導員が統一して教習の初期段階から「呼称運転」の大事さを教え、生徒さんに身をつけさせること等を提案したところ、指導員の皆さんの協力を得ましたので、早速先日から実施しているところです。「まるで幼稚園生みたいだ。」と思われる職員の方もいられるかもしれませんが、自動車学校は「初心運転者の教育機関」です。是非皆さん方のご協力をお願いします。

計画性

 民間放送のテレビにはコマーシャルがつきものですが、スポーツ番組で、例えばマラソンレース中、優勝を争っている最もいい場面で、画面がパッとコマーシャルに変わり、長々と続くときはテレビを見ていてうんざりし、すっかり興ざめするときがあります。
 これに比べ、思わず笑い出すような素晴らしいコマーシャルもあります。その代表的なのが、俳優の清水章吾さんが出演する、ある消費者金融会社のコマーシャルです。清水章吾さんは、かってテレビでは、二枚目役や悪役として出演していた人ですが、数年前からある消費者金融のコマーシャルに、犬の「チワワ」と一緒に出演しています。清水章吾という名前は知らなくても、そのコマーシャルを思い出し、「ああ、あの人か」と思われる人も多いはずです。
 清水章吾さんと「くう~ちゃん」という名前の犬の「チワワ」が出演するこのコマーシャルのおかげで、日本国中に「チワワブーム」が起こり、その火付け役となったと言われていますから、いかにこのコマーシャルが優秀作品であるかがわかります。
 また、チワワの「くう~ちゃん」と清水章吾さんの目と耳の形、そして表情がなんとなく似ているところが、このコマーシャルに人気が出ている点だと考えられています。このコマーシャルのお陰で、清水章吾さんが出演するテレビの役も「悪役」から、「優しいお父さん」役に代わったということですから、コマーシャルも馬鹿には出来ないようです。
 さて、最近、清水章吾さんがチワワの「くう~ちゃん」と共演しているコマーシャルで、こんなコマーシャルがあります。清水さん扮する人が、部屋の中の床部分をペンキで塗っていましたが、作業に熱中し、自分の周りを全部塗ってしまい、全く身動きが取れなくなってしまったのです。その瞬間、「どう~する○○○○」というテーマ音楽と消費者金融会社の名前が出、さらに、「くう~ちゃん」が画面に登場しますが、その首には「事前にしっかり計画しましょう。」という意味の看板が書かれているコマーシャルです。
 このコマーシャルが訴えているのは、さしづめ「お金は計画的に借り入れましょう。」という意味だと思われますが、私達が仕事をする上でも、あるいは遊びをする上でも大事なことは、「何事も計画性を持て」ということではないかと考えます。
 例えば、自動車学校に勤務している人で、教習指導員や検定員の資格を得ようと考えている人にとって、最も気になるのは審査のことではないかと思います。
 この審査は、春と秋の2回行われていますが、毎年のことながら、審査が近づいてくると、バタバタと勉強したり、あるいは、休み時間を利用した技能の練習光景がよく見られます。その人達の顔色を見ていると、どの人達も必死のようですが、審査の結果がわかり、たとえ失敗したとしても、あまり悔しそうな素振りは見られず、「また次の機会に受ければよい」といった感じを受けます。
 これでは、本人にとっても、また会社にとってもマイナスになりますので、「1回で合格しよう」という強い気持ち、さらに計画性を持って学科や技能練習を行い、審査に臨めば、必ず「合格」という栄冠を勝ち取ることが出来るものと信じています。何事も「計画性」を持って取り組みましょう。

ホームレス

 ある雨の日の出来事です。その日は朝から雨でしたので、自宅からJR宮崎駅までバスで通勤したところ、自転車通勤時と違って約10分早く到着しました。待合室でしばらく待つことにし、そこに行きますと、約20人位座れる長椅子は、1箇所を残してほぼ一杯の状態でした。椅子の周りを見ると、立っている人も何人か見られ、その人達がどうして空いている席に座らないのかと不思議に思いながら、空いているその席に座ったのです。
 カバンの中から小説を取り出して読み始めたところ、何か変な臭いが漂ってきました。その臭いは汗臭いというより、うまく言葉に表すことが出来ないような嫌な臭いでしたので、臭いのする右隣りを見たところ、50歳代で髪がボサボサ、あごヒゲがのび放題の男性が、背もたれにもたれて眠っていたのです。その男性の横には薄汚れたバッグが置いてあり、一見して「ホームレス」とわかりました。道理で立っている人が空いている席に座らなかったはずです。
 こうした「ホームレス」は、宮崎市内においては冬季は見られませんが、4月ごろになるとよく見られます。私が知っている「ホームレス」が集まる場所は、JR宮崎駅のほか、県立図書館や平和台公園等です。
 私が始めて「ホームレス」の姿をこの目で見たのは約30年前です。東京に出張し、当時の国鉄新宿駅の地下道を通ってみたところ、両側にはダンボールが敷き詰められ、そこには当時社会問題化されていた路上生活者、つまり、「ホームレス」の姿が見られたのです。歩きながら、ダンボールの中をのぞきますと、なべや食器類の姿も見られたほか、背広等がぶら下がっていましたが、その様子を見て、終戦直後でもあるまいし、何だか侘しい思いをした記憶があります。
 その「ホームレス」でも、現代版というか、変わった形態の「ホームレス」を見たことがあります。それは、2,3年前のことですが、私が住む団地に隣接して平和台公園がありますが、散歩中、その公園の駐車場に「鹿児島県ナンバー」の乗用車があるのに気付きました。その車は、朝はもちろんですが、夕方散歩中に通っても駐車しており、しかも車内には犬と男の人がいるようでした。さらに、日曜日にその車のところを通ったところ、その車の持ち主である男の人が、背広や洗濯物をガードレールに干している姿を見たのです。聞けばその男の人は、車の中で寝泊りし、そこから会社に通っているということでしたが、約2ヶ月間、そのような車生活をしているようでした。
 さて、その「ホームレス」のほとんどの人は男性のようですが、その理由は何でしょうか。それだけ男性は女性に比べて、根性がないのかもしれません。それと、「ホームレス」をしている人達は、ほとんどが無気力のように見受けられます。この無気力に見えるところが、少年達のイタズラの対象になっているようです。毎年、全国各地で「ホームレス」に対する暴行事件や傷害致死事件が発生していますが、逮捕された少年達は、異口同音に「汚かったので石を投げたが、何の抵抗もしなかったので、面白半分に殴った。」と供述しています。
 何か寒々とした世の中になったようですが、一日も早くこのような「ホームレス」の人達がいない、世の中になって欲しいものです。

汚名返上

 私には、小・中学校を通して、今でも想い出に残っている先生が二人います。二人とも私が小学生のとき担任だった川越敏彦先生と奥さんの寿(とし)子先生です。
 私が育ったのは、宮崎市の隣町にある国富町ですが、私が入学したのは本庄小学校です。小学校に入学したのは、終戦間もない昭和22年4月でしたが、その当時、全ての物資が不足し、教科書はカタカナ交じりのもので、紙の質も悪く、また、子供達が着ている服も、父親が戦地から持ち帰ってきた軍服を改造したものだったりの状態でした。それらに加えて男の先生は戦地帰りの先生が多く、従って気性も荒く、平気で生徒の顔をたたいたり、大きな声で怒られますので、私達にとっては、先生、特に男の先生は「怖い」という印象があったのです。
 そのような中で、私が小学校4年生のとき、担当となったのが、当時独身の「土持寿(とし)子」先生でした。寿子先生は、若くて、きれい、そしてなりよりもやさしかったので、子供達からは慕われていましたが、なぜか体育の授業時間になると、男の先生が教えに来られるのです。その先生は「川越敏彦」という先生で、体育が専門ということでしたが、いかにもスポーツマンという感じでした。私は算数や理科といった科目は苦手でしたが、走ったり、投げたりする方は得意でしたから、川越先生が担当される体育の時間はことのほか楽しみでした。
 また、女の先生が担当するクラスの授業に、男の先生が来られたので、私は「ひょっとしたら、二人は恋人では、将来結婚されるのでは・・」と考えていましたが、今から考えると、一寸おマセな小学生だったようです。
 そして、私が小学6年生になったとき、クラス換えがありましたが、担任となられたのが「川越敏彦先生」だったのです。そして私の予想通り二人は結婚されましたが、私がもっとも得意とする体育の先生が担当となられたわけですから、毎日学校に行くのが楽しみでした。
 さて、私が6年生になってから間もない頃、その川越先生から大目玉を食らったのです。それは、午前中の授業を受けていたとき、終了を知らせる鐘(当時はチャイムでなく鐘)が鳴ったのです。そのとき、私の隣りに座っていたY子さんが、まだ授業は終わっていないのに教科書や筆入れを机の中にコッソリ入れだしたのです。それを見て、私も同じように教科書を机の中に入れようとしましたが、運悪く、大きな音を出したものですから、たちまち川越先生の目に止まり、私とY子さんは先生から大きな声で叱られ、罰として廊下に約1時間立たされたのです。私が悪さをしたわけですから、先生が怒られるのは当然なことですが、私としては大好きな先生に叱られたことがとてもショックだったのです。
 ところが、その日の授業が終わり、掃除をして帰ろうとしていたとき、先生から呼ばれ、「武夫君、これから先生方のバレーの試合があるので、加勢をしてくれないか」と頼まれたのです。先生としては、怒られてしょげ返っている私の姿を見て、「汚名返上」のチャンスを与えられたものと思います。この先生の声かけは、私にとっては夢のような言葉でした。お断りするはずはありません。私はすぐさま「ハイ、やります」と大きな声で返事し、日が暮れるまでボール拾いをしたことは言うまでもありません。
 おかげで、私はすっかり再び先生が大好きになり、その後、益々運動に励むようになったのですが、その後、校長先生を勤められた川越敏彦先生も先日、80歳で生涯を閉じられました。お通夜の日、先生のデスマスクを拝見したところ、まるで眠っていられるようで、今にも「武夫君元気か」というあの元気な声が聞かれそうでした。私が大好きだった川越敏彦先生、さようなら。ゆっくりお眠り下さい。

徳目

 先日、会長から「教育勅語」についてお話がありましたが、私を含め殆んどの職員が戦後の教育を受けたものばかりであり、ましてや若い人達にとっては、「教育勅語」という言葉そのものを初めて聞いた人も多く、おそらく内容まで理解出来なかったものと思います。
 その「教育勅語」とは、我が国の教育方針を明らかにするため、明治23年に発表され、第二次大戦終了時まで日本の教育の根幹とされていましたが、戦後、当然ながら悪の象徴とされ、昭和23年には、国会で失効決議が確認されましたので、以後は「教育勅語」という言葉を口にすること自体、「右翼視」とみなされ、タブーとされていました。しかしながら戦後60年を経て、日本は近代国家になりましたが、動機なしの殺人の多発や学級崩壊等が社会問題となってからは、中央教育審議会でも「教育勅語」の復活が話題となる等、にわかにクローアップされてきたのです。
 ところで、「教育勅語」は、日本の憲法の精神にそぐわないものとして、戦後排除されたものですが、本当にそうなのかと考え、内容を紐解いて見ますと、全部が全部、そうでもないように思えます。「教育勅語」には、十二の徳目がありますが、それは「孝行」(親に孝養をつくしましょう)、「友愛」(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)、「夫婦の和」(夫婦はいつも仲むつまじくしましょう)、「朋友の和」(友達はお互いに信じあって付き合いましょう)、「謙遜」(自分の言動をつつしみましょう)、「博愛」(広く全ての人に愛の手をさしのべましょう)、「修学習業」(勉学に励み職業を身に付けましょう)、「智能啓発」(知識を養い才能を伸ばしましょう)、「徳器成就」(人格の向上につとめましょう)、「公益世務」(広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)、「遵法」(法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)、「義勇」(正しい勇気を持って国のため真心を尽くしましょう)となっています。
 どれを見ても立派に現代社会に通じる徳目です。軍国主義につながるような言葉はどこにも見当たりません。それもそのはずです。実は「教育勅語」には「儒教」の思想が取り入れられているからです。
 「儒教」は、紀元前、中国で興り、その後東南アジア各国に影響力をもつ思考・信仰の体系ですが、その始祖は「孔子」です。我が国には概ね5世紀頃、朝鮮を経て伝わったといわれ、その後、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、そして江戸時代へと受け継がれ、特に江戸時代には武士や一部の町民の間に普及したとされています。
 その「儒教」の思想は、現在の日本では教育としては教えられていませんが、実は韓国では子供の時から教えられているそうです。昨年、88歳の母と弟の3人でチェジュ島に旅行した時のことです。空港に到着し、入管手続きをしようとしたところ、すでに約100名近くの人達が並んでいました。これでは約1時間位かかるかなと思っていると、端っこのゲートにいた職員が、私達3人を手招きしたのです。私達はその瞬間、何かやばいことをしたのかと思いながら、その職員の所に行くと、日本語で、母と私達を見比べながら「お母さんですか」と質問したのです。私が「そうだ」と答えると、私達3人のパスポートの提出を求め、2,3分で入管手続きをしてくれたのです。これには私達もびっくりし、あわてて感謝を込めた御礼を言いましたが、現地の観光ガイドに聞きますと、韓国では当然なことだそうです。
 それは、韓国では、小さい頃から「親には孝行を尽くせ」「年長者は尊敬せよ」といった「儒教」の教えが徹底しているからだそうです。そのせいでしょうか、旅行中、母の姿を見ると、ホテルや店の人等どの人からも親切にしていただきました。
 このように「教育勅語」そのものには、多少抵抗がありますが、徳目自体は「儒教」の思想が取り入れられているわけですから、何とか工夫して我が国のしつけ教育等に取り入れてほしいと願っているところです。

利便性

 今年、佐賀県唐津市で開催された九州指定自動車学校協会の通常総会では、全指連の金澤会長の「指定自動車学校を取り巻く最近の情勢」と題する特別講話がありましたが、その中で、金澤会長は「今後、自動車学校が生き延びていくためのキーワードは『国民からの信頼と国民の利便性を図ること。』です。」と力説されました。そして、警察庁と全指連では、現在、各都道府県の運転免許センターで実施している「本免学科試験」を指定自動車学校に委託する作業を推進していますが、この考え方は、まさに「国民の利便性」から出た発想だということでした。そう言われてみれば、運転免許を取得したい人にとっては、自動車学校を卒業したら即座に運転免許証が交付されるようになれば、何よりもそれが手っ取り早いし、国民にとっても利便性があるからです。
この「国民の利便性」という考え方は、数年前から各業界で取り入れられ、例えば、バス・タクシー業界では「公共交通機関の利便性向上に関する調査研究」が行われ、この研究に基づき、すでに、低床バスの導入、バス接近表示システム等が導入されているようです。
また、「利便性」は民間業界だけでなく、最近では官庁にも普及しているらしく、先日のテレビでは、横浜市の道路工事における「利便性」の様子が放映されていました。
それによりますと、従来、歩道工事現場では、歩行者や自転車が通れるように、約70センチ幅の通路を設ければよかったのですが、これでは大人1人しか通れません。そこで横浜市では、この通路幅を約2倍の1,5メートルに広げたところ、大人でも楽に交差出来るようになったということです。
さらに、段差をなくすため、つなぎ目の所を簡易舗装したり、また、鉄板だと転んだりしますので、板を敷き、その上をゴムマットで覆い、さらに、ゴムの端がめくり上がらないよう釘を打つ等の作業が行われていました。これらの作業は、道路を通行する人にとっても好評のようで、インタビューを受けた歩行者からは「お陰で安心して通行出来ます。」という感想が聞かれましたが、今後、このような「国民の利便性」を考慮した工事が増えてくるものと思います。
さて、この「利便性」については、私なりに考えていることがあります。それは、高齢者講習の際に使用する教習車のことです。現在、当校では、70歳以上の人達に対し、「高齢者講習」を実施していますが、中には90歳を超えた方の受講もあります。講習に来られる人達の多くは農家の方で、これらの人達は若い時代に「普通免許」を取得されたわけですが、いつも乗っている車は軽自動車か軽トラックです。従って、教習車による教習では、余り乗り慣れていない普通自動車の教習車に乗りますので、見ていましても、かなり苦労されていることがわかります。
もし、軽自動車や軽トラックの教習車があれば、受講者は安心して講習を受けられることが出来るものと思います。そのためには、これらの車に補助ブレーキを付けなければならない等金銭面の問題がありますが、「利便性」を考えた場合、近いうち、県内の指定自動車学校でも実施する所が出てくるかも知れません。高齢者の立場を考えた場合、そうなることを期待しています。

森林浴

 私は毎朝自宅周辺を散歩していますが、そのコースも、1時間コース、2時間コースを自分で決め、さらに、夏と冬では場所を変えています。その中で、私が最も気に入っているのは、「平和台公園池巡りコース」です。
 平和台公園は、宮崎市の北部にある公園ですが、私が住んでいる平和が丘団地に隣接していますので、自宅から歩いて約10分もしますと、その公園にたどり着きます。特に夏は、もっぱら朝の散歩は、この「平和台公園池巡りコース」と決めています。
 平和台公園は、私が住んでいる団地から入ると、運動場やアスレチック等の施設がありますが、そこまで来ると、もうすでに十数人の方が思い思いの服装でジョギングやウォーキングをしている姿が見られます。見ると、私よりはるかに年配の方もいますが、中には若い夫婦と思われる方の姿もあります。
 それらの姿を横目で見ながら進みますと、やがて平和台の「新池」が見えてきますが、この「新池」は、周囲が約2キロあります。数年前に道路が整備されましたが、道路はコンクリート舗装でなく、土を固めたものですから、散歩するには最適の場所です。従って、池巡りをしますと、数多くの方に出会います。
さて、このコースが何故気に入っているのかと言いますと、池の周りには、ブナ、樫等の大きな常緑樹が植えられており、その木が通路を覆いかぶさっていますので、1日中、完全に日陰になっているからです。従って、緑あふれる森林の中にある通路に入りますと、一瞬ひんやりとし、何か匂いらしきものがしますので、鼻をクンクンさせながら匂いを捜してみますと、どうやらその匂いは木の香りのようです。この木の香りの正体は「フィトンチッド」で、樹木が作り出して発散し、森林に漂っている揮発性の物質だそうですが、このような木の香りをかぐと、なんだかゆったりとした気持ちになります。
 通常「森林浴」というと、人里離れた奥山の、うっそうとした見上げるような巨木に覆われた森林の散策を連想しがちですが、そのような所にわざわざ遠出しなくても、こんな近くでも「森林浴」が出来る場所があるのです。
 鼻歌混じりのルンルン気分で通路を歩きながら、ふと池の方を見ると、何か動くものが見えます。目を凝らしてよく見ると、それはブルーギルとブラックバスという魚です。数年前にはこの池にはいなかったのですが、これらの外来の魚が入ってきた途端、フナやハエ等の在来の魚はたちまち駆逐されてしまったようです。
 また、この池には毎年11月になると、約1,000羽の鴨が飛来し、湖面がそれこそ真っ黒になる位泳ぎ回る姿を見ることが出来ますので、それらの姿を見る楽しみもまたあります。
 さらに、1年を通してこの公園では、春先のウグイスに始まって、初夏のホトトギス等野鳥のさえずる声が聞くことが出来ますが、このような「森林浴」は、「思考力を集中させる」「ストレスの解消になる」「疲れた心を癒す」等様々な効果があり、ストレス社会に生きる現代人にとっては欠かせないということですから、今後も身体の続く限り、行っていきたいと考えています。

お袋の味

 先日の日曜日の朝、テレビを見ていたところ、「郷土料理」という番組の中で、ジャガイモの収穫の様子が放映されていました。収穫作業は機械を使うとはいえ、思ったより重労働のようでしたが、その後でジャガイモを使った郷土料理があり、紹介されたのは「肉ジャガ」でした。とれたてのジャガイモを使った「肉ジャガ」はいかにもうまそうで、それを試食したゲストの俳優が「ううん、これぞまさしく『お袋の味』だ。子供の時食べた味と同じだ。」と盛んに懐かしがっていました。その映像を見て、私はふと、「お袋の味」を思い出しました。誰でも「お袋の味」はあると思いますが、私の場合、それは「すし」、それも「バラすし」なのです。
 私が育ったのは、終戦直後でしたから、食べ物が不足し、何処の家庭でも満足の行く食事が取れない状態でしたが、私の場合、まだ恵まれた方だったと思います。それは、私の実家は、当時ミカンと茶園の農家であり、家族が食べる位の田んぼがあったからです。それでも、男5人と女1人の子沢山の大家族でしたから、3度の食事の準備は大変で、今から考えると、母はその献立には、何を作るか相当苦労したのではないかと思います。
 そんな苦労を知らない私達子供達は、夕方になり、母が「今夜は何にしようか。」という言葉を楽しみにし、母がその言葉を口にするや、「カレーがいい。」とか「煮しめをつくって。」等と、口々に自分の好物を言い、母はその中から選んで夕食を作ってくれていたのです。私の場合、大好物は「バラすし」でしたから、いつも決まっていましたが、母が作る「バラすし」は、酢の加減が丁度良く、他におかずは全くいらないほどだったのです。夕食が「バラすし」と決まったときは、うれしくて待ちどおしく、おなか一杯食べた記憶が残っていますが、母は私の好物を知っているのか、今でも私が実家に帰省すると、母は「すしをつけようか」と言い、すぐ作ってくれます。
 ところが、私には子供のときから嫌いというか、苦手な食べ物があったのです。それは、ニンジン、大根、サトイモ、昆布等を使った「煮しめ料理」ですが、その料理をよりにもよって大好きな兄弟がいたのです。それは、私の直ぐ下の弟で、母が「今夜は何にしようかな。」とつぶやくのを聞くや、「煮しめがいい。」と大きな声で母に訴えるのです。その弟の希望がかなった日の夕食は、私にとっては地獄でした。「煮しめ」のあの匂いをかいだだけで、今にも吐き出しそうになりますから、仕方なく、その晩は梅干と味噌で我慢という有様でした。今では、その「煮しめ」はなんともなく食べれるようになりましたが、それでも、たまに「煮しめ料理」が出ると、子供のときのあの嫌な光景を思い出します。
 さらに私には、もう一つ嫌いな料理がありました。それは「ずし」です。今の若い人達はおそらく食べたことはないと思いますが、サトイモ、大根、昆布等の入ったいわば「雑炊」ですが、米が少なく、昆布が入っているためか、ドロドロした料理で、決して美味しいものとはいえませんでした。その「ずし」も弟が大好きな料理でしたから、夕食が「煮しめ」とか「ずし」のときは、弟とけんかしたことはいうまでもありません。しかし、今ではそれがかえって良い思い出になっているから不思議なものです。
 「お袋の味は、どんなものか」と聞かれ、言葉ですぐ表現できなくても、私の舌は、決して忘れたりはせず、すぐ「バラすし」だと返事するはずです。

愛のムチ

 夏の全国高校野球大会は、南北海道代表の駒大付属苫小牧高校が昨年に続き、2年連続優勝という快挙を成し遂げましたが、晴れの優勝旗を北海道に持ち帰った翌日には、同校の野球部長が部員に暴行を働いていたことが明るみになり、折角の快挙もケチがつき、手放しで喜べない状態となってしまいした。
 報道によりますと、同校の教師である27歳の野球部長が、本年の6月と今大会期間中の8月7日の2回にわたり、同じ野球部員に暴行を加えたということです。最初の学校側の発表では、平手で3、4回殴ったということでしたが、翌日には「10回位は殴ったようにある。」と訂正がなされ、双方の言い分に食い違いが出てきたのです。高野連で協議の結果、今回の不祥事は「部長個人の問題であり、部員に責任を負わせることは出来ない」ということで、問題となっていた優勝旗の返還については、そのまま認めるという「大岡裁き」で目出度く終止符が打たれましたが、どうも若い教師には「愛のムチと暴力の違い」が理解出来ていなかったように思われます。
 さて、今回の野球部長の場合、同じ野球部員に暴行が加えられており、どちらかと言えば「イジメ」的な暴行で、とても「愛のムチ」とはいえませんが、私も子供のとき「愛のムチ」を体験したことがあります。それは、私が中学校3年生になった6月の時のことです。授業を受けていましたが、私は前日の夕方、近くの川に仕掛けたウナギかごが、増水のためその日の朝、見つからなかったことの方が気になり、授業に集中していなかったのです。
 そこで、授業をしている先生の似顔絵を描くことにし、先生の顔を見ながらノートに描き始めたのです。私は絵を描くことは余り得意な方ではありませんでしたが、その時描いた先生の顔は、白目の多いところ、チョビ髭の状態、ほくろの位置等、我ながらうまく描くことが出来たのです。そのままにしておけばよかったのですが、余りにもうまく描けたので、その似顔絵を前の席に座っていたM君に渡して見せたのです。
 すると、M君がその似顔絵を見て思わず笑い出したのです。私は先生に見つかるとまずいと思い、M君の背中をつつきましたが間に合わず、「そこの二人、何をしているのか」という先生の声が聞こえ、先生が私の方に近づいてきたのです。しまったと思いましたが、もうどうすることも出来ません。先生はM君の手から似顔絵を取り上げると、じっとその絵を見ていましたが、見ているうちに顔色が真っ赤になってきたのです。そして、私の襟首をつかんで教壇の前に連れて行き、「谷口、この絵は何か」と言われるや、平手で私の左頬を1回殴られたのです。「パーン」という乾いた音がするとともに、痛さを感じましたが、抵抗することが出来ず、そのまま立っていたのです。
 先生は、生徒が見ている前だったのか、それ以上私を殴ろうとはせず、私を校長室に連れて行き、「校長先生、授業中、この子が私の似顔絵を描いたのですよ。見てください。」と言って私が描いた似顔絵を差し出されたのです。校長先生は、しばらく、その絵と先生の顔を見比べていましたが、私の方に向き直り、ニッコリされながら、「うまく描けているね。しかし、図工の時間ではないのだから、しっかり授業を受けなさいよ。」と優しく諭されたのです。私はてっきり、大目玉を食らうと思っていましたから、校長先生のこの一言に「ハイ、もう絶対しません。」とはっきり誓ったのです。そして、なりよりも感激したのは、教室に帰りしな、先生が言われた「痛かっただろう。ごめんな。」という言葉でした。その言葉を聞いた途端、思わず涙が出ましたが、まさにこの出来事は、私にとって「愛のムチ」でした。

二次災害

 日本では大型台風14号が勢力を強め、本土をめがけて北上していますが、先週アメリカ南部を襲ったハリケーンの「カトリーナ」は、中心気圧が910へクトパスカル、最大風速が80メートルという超大型であったので、死者が1万人に達することが予想され、さらに経済的にも被害が甚大に及びそうです。
 今回、ハリケーンが襲ったアメリカ南部の街ルイジアナ州のニューオーリンズは、日本ではジャズの発祥地として知られていますが、この地はミシシッピー川の河口にあり、大半が海抜0メートル以下の低地で、張り巡らされた堤防によって、街はかろうじて守られているという地形なのです。この街はハリケーンの通り道となっていますが、堤防は風速50メートル前後のハリケーンに耐える強さしかなく、そのため、今回のように風速80メートルという超ハリケーンにはひとたまりもなかったということです。
 超大型のハリケーンがこの街に近づいていることは、事前に住民に知らされていましたから、ニューオーリンズ市民約48万5000人の大半は自動車を使って避難したのですが、自動車を持たない人やお年寄り等数万人がこの地に残されたのです。テレビ画面に映し出された人達は殆んどが黒人のようですが、この地には15期世紀から19世紀にかけ、アフリカから奴隷として売られてきた人達が多く住んでおり、現在でもアフリカからの移住民が多い土地だということです。そのため、低所得層の人達が多く、避難したくても避難出来なかった人達が犠牲者となったのです。
 そして、なりより残念なことは、避難して空家となった家に忍び込んで衣類やお金を盗んだり、さらには店舗等に押し入り、略奪したり、放火する行為が横行し、さながら無法地帯となっており、超大国アメリカも新たな「二次災害」に悩んでいるようです。
 「二次災害」と言えば、こんな逸話があります。それは、平成7年に阪神・淡路大震災がありましたが、その際、地震発生地の神戸市では、役所に応召した職員が市内のコンビニ店に電話し、店を開けてくれるよう頼み込んだのだそうです。頼まれた店側も、停電や品物は倒れたままになっており、とても店を開ける状態ではなかったのですが、役所の職員の熱意にほだされ、地震直後から多くのコンビニ店が開店したそうです。さらに、ある清涼飲料水の大手メーカーが、自社の自動販売機を無料にして、被災者に提供したということです。
 その結果、神戸市内では、店に押し入ったり、略奪したりする行為は全くなく、食料品や毛布等の配布の際も整然と並んで受け取り、今回のアメリカのような「二次災害」はなかったそうです。それにしても、災害発生後にコンビニ店を開店させるという機転の効いた神戸市役所のやり方や、これに応じたコンビニ店の行為はまさに「お見事」と言ってよいでしょう。
 災害時において、我が国で「二次災害」が発生しなかったのは、日本が単一民族であることもその理由の一つですが、なによりも9月1日を「防災の日」と定めて毎年訓練を行う等、日頃の備えを怠りなく実施していることが原因ではではないかと考えています。自然災害は仕方ありませんが、我が国において、災害発生直後に、このような略奪等の「二次災害」が発生しないことを願っています。

防衛運転

 私は車を40数年間運転していますが、その間、1回だけ交通事故に遭遇したことがあります。それも脇見をしていた車に追突され、ひどい目にあったのです。
 それは、私が21歳のときの昭和37年12月のクリスマスイブの頃でした。その日の昼ごろ、私は同僚が運転する車に同乗し、現在のJR宮崎駅前に差し掛かったところ、前方の横断歩道を渡ろうとする老人の姿が見えました。
 そこで、当然私達が乗った車は横断歩道の手前で停車し、私が老人に向って横断するよう手で合図したのです。やがて、老人は頭を下げながら私達の目の前を横断しましたので、発進しようとした瞬間でした。「ドーン」という音が後ろの方でしたと同時に、私の身体は強いショックを受けて前のめりになり、頭が前面フロントにぶつかったのです。一瞬何事が起こったのかわかりませんでしたが、やがて、横の運転者の姿を見たところ、ハンドルで胸を打ったらしく、痛そうにしながら「追突された」と口走ったのです。 そのとき、初めて追突されたことがわかったのですが、何しろ昼間、しかも公衆の見ているところでの事故だったので、恥ずかしさの方が先行し、痛さも忘れて外に出て、私達の車の後ろを見たのです。そこには、ボンネットがめくれ上がった乗用車が停車しており、やがて運転席から50歳代の男性が降りてきて、「すみません。私がよそ見をしていました。怪我はありませんでしたか。」と恐縮しながら謝られたのです。その方も怪我がなかったようでしたが、警察に連絡して事故処理を済ませたのです。
 その場は、外傷もなく、身体の何処も痛くなかったのですが、翌朝起きたところ、首や肩の辺りがなんだか重く感じるようになり出したのです。今だったら、即座にその原因は「むち打ち症」だと判断できますが、その当時は、「むち打ち症」という言葉はなかったので、まさか、その原因が追突であることなど全く考えず、おかしいなと思いながらそのまま仕事を続けていたのです。
 ところが、2,3日するとますます痛みがひどくなり、病院に行き診察を受けたところ、「過労による筋肉の痛み」という診断で、仕方なく痛みをこらえながら、約1週間経過しました。
 それでも痛みは減らないどころか、ますますひどくなり、下半身に痺れが来る状態になりましたので、今度は大きな病院に行きレントゲン検査をしたところ、即入院となりましたが、なんと、脊椎の5番目と6番目の間にある軟骨が折れ、その破片が脊髄に傷をつけていたのです。その原因は、現在でしたら「交通事故によるむち打ち症」と診断されますが、その当時、宮崎県内の病院ではその知識がなかったのか、病名は「変形脊椎症」と診断され、公務中の怪我とはみなされなかったのです。
 このときの事故以来、私は自分が運転中、信号待ちや交通渋滞のため停車するときは、必ず、バックミラーで後続の車の動きを確かめ、停車を確認してから、目を前方にやる、いわゆる「防衛運転」を心がけています。そのお陰でしょうか、それ以来、1回も追突されたことがありません。あのときの痛みと苦しみを再び味わいたくありませんので、これからも「防衛運転」は続けていくつもりです。

想定外

 「想定外」という言葉は、フジテレビの経営権を巡り、ホリエモンことライブドアの堀江社長とフジテレビの日枝会長が争った際、堀江社長がインタビューでよく口にした言葉ですが、この言葉は今年の「流行語大賞」にノミネートされそうです。そのホリエモンこと堀江社長は、今回の総選挙では、小泉首相が掲げる郵政民営化に反対したリーダーである亀井静香氏の「刺客」として広島6区から立候補し、「小泉劇場」の主演者としてテレビや新聞紙上を賑わしましたが、残念がら、後一歩亀井氏に及ばず落選しました。どうやらこの落選は、「想定内」だったようです。
さて、今回の台風14号は、九州のすぐ西側を北上したので、宮崎県内においては、降雨量が2日間で約1,300ミリにも達した所があり、このため、各地で河川が氾濫し、亡くなられた方も10数名に及び、また水没した家屋も多く、未だに断水が続いている地域もあるようです。今回の災害では、JR日豊線や幹線道路が崖崩れのため通行止めとなり、私はやむなく迂回路を通って学校に通勤しましたが、運転時間が通常の3倍の3時間もかかり、ようやく学校にたどり着くといった有様でした。
 その迂回路で目立ったのは、対向して来る車の中に「災害復旧」という垂れ幕を付けた九州電力の作業車で、車のナンバーを見ると、福岡、佐賀、熊本等県外の車でした。その作業車は、宮崎県内において災害が発生し、各地で停電箇所が多いことから、その応援で駆けつけたものですが、それにしても九州電力の対応の早さには感心させられました。普段から災害が発生するたびに出動したり、応援するのは「想定内」だからでしょうが、素早い立ち上がりであり、また、ラジオでも停電のお詫びを繰り返し放送しており、県民としては安心させられました。
 これに反し、浄水場が水没した宮崎市の水道局幹部の対応のまずさには驚かされました。2箇所の浄水場のうち1箇所が水没し、市民が不安を感じている状態なのに、幹部の口からは「大量の水は想定外でした。浄水場は水没しましたが、断水の心配はありません。」という言葉が飛び出したのです。この浄水場は、堤防より低い所にある危険地帯なのに、浄水場を囲んでいる塀が低く、水没が心配されていたからです。従って、大雨に対する対策はとられたはずですが、これを「想定外」というのはおかしく、責任逃れのための言い訳に過ぎず、なんとなく後味の悪い記者会見でした。皮肉にも、その夜から、宮崎市内は一部の地区で断水になりましたが、これが官と民の違うところでしょうか。
 今回の台風では、県内の指定自動車学校のうち、2校の建物が水没しましたが、先日の設置者・管理者会議の際、被害にあった学校から状況が説明されました。その中で、教訓となったのは、あるオーナーの「災害が予想されるときは、先ず教習車を避難させること」という言葉でした。考えてみれば、教習車は自動車学校にとってはいわば商売道具ですから、この言葉は私達にとって今後の貴重な教訓となりました。
 また、台風が接近直前、当校では、社長から「最悪の場合を考え、教習車を高台に移す対策を取るように」という指示で、役場と事前の打ち合わせをしました。結果的にその対策は杞憂に終わりましたが、雨や風等の自然災害にはとても勝てませんので、今後、危機感を持ち、最悪場面を「想定内」において対策を取るよう心がけたいものです。

耳学

 私の妻の母は、大正8年の生まれですから、今年86歳になりました。現在日本人女性の平均寿命は85歳といわれていますから、今年、その年を越えたわけですが、骨粗相症のため腰が曲がり、歩行するのに多少不自由はしていますが、目や耳等はまだまだ健常ですし、ボケ等の症状は全くありません。一昨年、義父が亡くなり、現在一人暮らしをしているため、私達夫婦は、毎週、土曜には郷里の国富町に帰っていますが、その際、義母と話をしていますと、義母の「耳学」には驚かされることが度々あります。
 それは、義母は新聞を1日も欠かさず見ているそうですが、私達の場合と違い、時間をかけてゆっくりと隅々まで目を通しているからだと思われます。また、テレビもニュース番組のほか、歌謡番組等の芸能番組も見ているせいか、私達が知らないことでも、よく知っています。
 先日、台風14号が九州に接近していたときのことです。私達夫婦と義母の3人でテレビを見ていたところ、画面は台風が沖縄県を直撃している模様を放映されていました。すると、義母は「今度の台風は、アメリカを襲ったハリケーンと同じ位の勢力らしいよ。大雨にならなければいいがね。」とつぶやいたのです。これには私達夫婦も思わず、顔を見合わせたのです。それもそのはずです。まさか、80歳を過ぎた義母の口から「ハリケーン」という言葉が出るとは思っていなかったからです。
 また、義父が存命中は、テレビのチャンネル権は義父にあったため、テレビは義父の好きなニュースだとか、スポーツ番組が多かったようです。そのせいでしょうか、私がゴルフ番組を見ていますと、義母もじっと画面を見つめているときがあります。そして、長い距離のパットがカップに入りますと、「わあ、入ったが」と言いながら手をパチパチとたたくのです。ゴルフの経験もなく、ましてやルールも知らないはずの義母がなぜ手をたたくのか聞いてみますと、義父と一緒にゴルフ番組を見ているうち自然にルールを覚えたらしく、ボールがカップに入ったときの、あの「スコーン」という音が何ともいえないそうです。 
 さらに、こんなこともありました。それは今年の春、義母を連れて野尻町の「萩の茶屋」に花見に行ったときのことです。私達3人は、見渡す限り咲きそろった「ツツジ」と「桜」の花を見ながら弁当を食べていますと、義母が「ツツジの真っ赤な色とピンクの桜、それに緑色の木々のコントラストがいいね。」と言い出したのです。これには私もびっくりしました。目の前に見えるツツジと桜等の色は、まさに、「コントラスト」という言葉を使った表現の仕方がピッタリするほどのすばらしい光景だったからです。これがもし、日本語の「対比」だったとしたら、何とも味気ない表現になっていたことでしょう。
 義母が育った時代は、一部の生徒を除いては、机上の学問と言えば、高等小学校を卒業するまででしたから、その後の知識は、新聞や、ラジオ、そして終戦後はテレビ等から得ることしか出来なかったわけですが、それにしても義母は「耳学」でいろんな知識を得ていたことになります。おそらくその裏では「覚えてやろう」という意欲があったほか、何ごとにも興味を持つ義母の性格がそうさせたものと思っています。
 現在は情報化時代で、覚えようという意識さえあれば、知識を増加することは簡単ですので、ボケ防止のため、私も「耳学」を心がけたいと考えているところです。

運動会

 今日(平成17年9月25日)は、朝早くから花火の打ち上がる音があちこちから聞こえて来ます。宮崎市内の小学校では一斉に「運動会」が行われるということでしたから、おそらく、その開催を知らせる合図だろうと思います。やがて朝食をしていると、道路の方から登校する子供達の声が聞こえて来ましたが、なんだか普段聞いている子供達の声と違い、今朝の子供達の声は甲高く、少し興奮しているようです。このように興奮する子供達の気持ちが私には良くわかります。そうです。私も小・中学校時代、一番得意だったのは「運動会」だったからです。
 現在の運動会は、「鯉のぼり運動会」といって、学校行事の都合で、5月頃に開催する小学校があったり、9月中に開催しているようですが、私達が子供の頃の「運動会」は、10月の中頃と決まっていました。
 さて、私がなぜ「運動会」が大好きなのかと言えば、勉強の方はあまり芳しくありませんでしたが、子供の時から我ながら運動神経の方は優れており、特に、走ることが得意だったからです。そのため、「運動会」のときは、走るたびに第1位になり、ノートや鉛筆等の賞品をたくさん貰えたからです。親からは勉強の方では誉められたことはありませんが、こと「運動会」のときだけは、親の見ている前での文句なしの第1位ですから、親としても誉めざるを得なかったわけですが、それでも昼食時間に親から「お前は速いね。」と誉められると、飛び上がらんばかりにうれしかったことを今でも記憶しています。
 そんな私も小学校1年生から、飛び抜けて走ることが速かったわけではなく、その陰には、猛練習という努力があったのです。それは、私には二人の兄がおりますが、特に4歳上の長兄はスポーツに優れ、小学生のときから野球、サッカーの中心選手で、私達弟にとっては、憧れの的でもあり、また、自慢の兄でした。「運動会」が近づくと、夕方、私達弟は近くの高校のグランドに連れて行かされ、「スタート」の練習を徹底的にさせられました。なぜ「スタート」の練習ばかりさせるかといいますと、その当時の徒歩競走は、1周200メートルの狭い運動場でしたから、スタートするとすぐカーブになり、スタートダッシュが遅れると、途中で追い越すことが困難だったからです。
 従って、スタートでトップに立ちさえすれば、容易に第1位で走ることが出来たからです。そのような運動場の状態を兄は見抜き、私達に徹底的に「スタート」の練習をさせたわけですが、おかげで、小・中学校を通じ、こと徒歩競走は9年連続第1位となることが出来、多くの賞品をもらうことが出来たのです。
 その「運動会」ですが、我が家の2階から近くの小学校のグランドが見え、子供達の歓声が聞こえますので、散歩がてら私の息子達が通った「池内小学校」の「運動会」を見学に行ってみたのです。徒歩競走やボール入れ等「運動会」の種目そのものは、私達の頃とそれほど変わっていませんが、全く違っていたのは、「賞品」がなかったことでした。
 従って、今の子供達は、私達が経験した、校長先生から賞品をもらう、あの感激を味わうことが出来ないのです。勉強が不得意であっても、運動が得意な子供だってあるはずです。そのような子供が徒歩競争で第1位となり、先生や親から誉められると、きっと勉強の方も頑張れるはずです。
 しかし、いくら努力しても、生まれつき運動神経が鈍く、他人の背中を見て走る人もいるわけですから、「運動会」から賞品がなくなったのも、時代の流れかも知れません。

もったいない

 先日の土曜日の朝テレビを見ていたところ、85歳のおばあちゃんが古切手を使った貼り絵をしている様子が放映されていました。このおばあちゃんは石川県に住む笠原さんという女性ですが、貼り絵を始めた動機について、「30年前、娘が勤めていた会社が使用済みの切手をゴミとして捨てていることを知り、もったいないと思い、切手を使った貼り絵をするようになりました。」と語っていました。画面を見ていますと、笠原さんはまず、ダンボールに鉛筆で絵を描き、その上に、スタンプが押された使用済みの切手を1枚、1枚丁寧に貼り付けられて行く作業をされるのです。なかなか、根気のいる作業ですが、出来上がった絵を見ると、日頃私達が見慣れている水彩画や油絵と一寸違った絵で、古切手の色合いが見事に生かされていました。この笠原さんの古切手を使った貼り絵は、ヨーロッパでは高く評価され、今年、パリの美術館に収納されることが決定したということです。
 さて、久方振りに聞いた「もったいない」という言葉は、現在では死語化しつつありますが、私達が子供のときは、よく使われていた言葉です。「もったいない」で思い出すのは、昼食の弁当です。私が育ったのは、終戦後の物のない時期でしたから、給食といったものはなく、アルミ製の弁当を持参しての登校でした。そして昼どきになると弁当箱を開けますが、どの子供達も、ご飯を食べる前にまず行うのは、アルミ弁当の蓋の内側に付いているご飯粒を一つ一つ丁寧に箸で取る作業でした。これは、温かいご飯を弁当に詰めると、熱さのため、ご飯粒が裏蓋に付くからです。今の若い人だったら、例え裏蓋にご飯粒が付いていたとしても、これを箸で取ることはありませんが、当時、コメは貴重な食べ物の一つでしたから、どの子供達も日頃家庭において、親達から「物を大切にする。」という「もったいない」精神を植え付けられていたので、当然このような作業をしていたわけです。「食」への感謝の気持ちが薄まっている現状では、食べ残しや廃棄等が数多く見られますので、この「もったいない」という言葉は、一つの警鐘になるのか知れません。
 そのほか、今でも、私の頭の中には、「もったいない」という精神が生きているのか、こんなこともしています。それは、メモ帳には、新聞の折込に入っている裏側が白紙のチラシを使っていることです。毎朝、新聞の折込に入ってチラシの量は相当なものですが、その中でも裏側が白いチラシがあると、「しめた」という気持ちになります。そのチラシを鋏で四つ切にしてメモ帳に使うわけですが、テレビを見ながら参考になる部分をメモしたり、この「校長のひとり言」のテーマを思いついたりしたときにメモをするわけですが、市販のメモ帳と違って使いやすく、私にとっては今や、欠かすこの出来ない貴重品となっています。
 しかしながら、全ての物を「もったいない」からといって再利用すると、とんだ失敗をすることがあります。それは、今年の4月から「個人情報保護法」が施行されましたが、自動車学校で作成される書類の中には、個人の名前や住所、そして電話番号が記載されたものがたくさんあります。従って、もし、これらの個人情報が書かれた紙の裏紙を「もったいない」からといって使いますと、これが「個人情報の漏洩」につながるわけですから、十分注意する必要があるわけです。お互い注意したいものです。

応急措置

 先日、昼休みの時間、職員の人達と雑談中、話が法定講習の際の特別講師のことになりましたが、その際、元吉副校長から「都城保健所の職員の方が話した『マムシ』が面白かった。」ということが話題になりました。特別講師として招かれた都城保健所の職員が「マムシから急所を噛み付かれた」という話をされたそうです。それも都城弁で面白、おかしく、身振り手振りの話だったので、受講者は腹を抱えて笑ったそうです。
 さて、話に出て来た「マムシ」ですが、今から約50数年前、私が小学6年生の頃、私のすぐ上の兄がマムシに噛まれ、その血を吸い出したことがあります。私の実家は、宮崎市の隣りにある国富町ですが、すぐ近くには大淀川の支流の本庄川が流れており、毎年私達は、秋になるとカニを採るため、夕方、カニかごをつけに行くのが遊びの慣わしとなっていました。
 その日も、餌となる魚の切れ端をかごに入れ、近所の遊び友達4,5人で川に通じる道路を歩いていましたが、道路といっても川に行く人達が利用する幅約1メートル位の細い通路で、周りの竹やぶが追いかぶさっている状態です。夕日が沈む頃で、まだ明るさが残るその通路を兄が先頭に立ち、その後ろを私、そしてその後ろを近所の友達が川に向って歩いていたのです。あともう少しで川に出る所に来たとき、先頭を歩いていた兄が「あ、痛い」という悲鳴にも似た大きな声を出したのです。
 そして、兄はすぐ「マムシにかまれた」と叫んだので、すぐ私は兄の足元を見たところ、丁度、銭形模様をしたあの恐ろしい毒蛇のマムシが、竹やぶめがけて逃げるところでした。私はそのマムシの姿を見た瞬間、すっかり恐ろしくなり、「マムシじゃ」と叫ぶや、Uターンしてもと来た方に逃げようとしたのです。
 すると、後ろの方から「武夫、待たんか」という兄が叫ぶ大きな声が聞こえてきたのです。その声を聞いた瞬間、思わず足がすくみ、その場に立ち竦んだところ、今度は、兄が「マムシが噛んだ所の血を吸え。」と命じたのです。私は逃げるわけにもいかず、兄が手で押さえている左足の甲を見ると、そこにはマムシが噛んだと思われる二つの歯形がつき、少し血がにじんでいたのです。兄はポケットからナイフを取り出すと、ナイフで噛まれた箇所に×印に傷をつけると、そこから血が少し滲み出しましたが、それを見届けると、兄は「この血を吸え」と再び命じたのです。
 私は、子供心に「マムシは毒蛇」であることは知っており、その血を吸ったら恐ろしいことになるのではないかと一瞬躊躇しましたが、兄から促されて仕方なく、ナイフで傷つけた部分の血を夢中で数回吸い出し、吸い込んだ血は素早く、吐き出したのです。それでも兄は痛がり、とても歩けそうになかったので、私が背中に負ぶって実家に帰り、父が病院に運んで行ったのです。
 すぐ病院で治療を受けましたので、幸い命は取り留めましたが、それでも3日間位は左足がパンパンに腫上がり、兄は痛そうにウン、ウン唸っていた光景を今でも思い出します。
 当時、兄は中学2年生でしたが、マムシに噛まれたときの「応急措置」を良く知っていたものです。おそらく、父達から教えてもらったものと思いますが、あのパニック状態のとき、それが良く出来たものだと、今でも感心しているところです。

準備の大切さ

 今年の日本シリーズは、パリーグの覇者である千葉ロッテ・オリオンズが、セリーグの覇者阪神タイガースを4勝0敗のストレートで破り、31年振りに見事チャンピオンに返り咲きました。今から31年前といえば、昭和49年ですが、当時千葉ロッテ・オリオンズは、前身の「ロッテ・オリオンズ」と呼ばれ、500勝投手の金田監督が率いていたチームですが、マサカリ投法の村田兆治投手や木樽投手、そしてバッターとしては、有藤選手、弘田選手等そうそうたる選手達がチームにいました。私も昭和50年と51年の2年間、福岡市内に住んでいたことがありますが、何回か当時の太平洋ライオンズのホーム球場である平和台球場に足を運び、この目でその当時の選手達を見たことがありますが、それは強いチームでした。
 今回は、大リーグのメッツで監督経験のある「ボビー・バレンタイン」さんが9年ぶりに千葉ロッテ・オリオンズに復帰しての優勝でありますが、あの強い「阪神タイガース」を文句なしに破ったわけですから、監督自身、そのうれしさも格別だったと思われます。千葉ロッテ・オリオンズには、阪神タイガースのようなスタープレー選手はいないし、殆どの選手が生え抜きであり、プロ野球をよく見ている私でさえ、とっさに選手の名前を言えないほど、地味な選手がそろっているチームです。従って、その勝因については、「阪神タイガースが日本シリーズまでに数日間の空間があった。」等色々取り正されていますが、私が見たところでは、千葉ロッテオリオンズの方が「日本シリーズに備え、数々の準備をしていた。」ということです。
 その一つは、今年の2月、日本のプロ野球が一斉にキャンプインしましたが、その際、千葉ロッテ・オリオンズのスカウトは、パリーグの各チームのほか、セリーグの阪神チームを偵察していたということです。その当時から、千葉ロッテ・オリオンズでは、セリーグの優勝チームは、前年優勝の中日ドラゴンズではなく、阪神タイガースと睨んでいたようです。この点でも監督以下各スタッフの日本シリーズに備えての「準備」が、着々と進んでいたかがわかります。
 その二つは、バレンタイン監督が、今年の阪神タイガースの全試合のビデオを見て、それぞれの選手の特徴点を把握し、それを選手達に確実に伝えていたということです。
このように監督以下チームの全員で相手チームの長所、短所を把握し、それを実行したせいでしょうか、今回の日本シリーズでは、阪神タイガースの主軸を完全に封じました。その中でも4番の金本選手はたった1本のヒットしか打てず、チャンスをことごとくつぶしてしまったようです。
 現在、どのスポーツでも「データの時代」といわれるほど、事前の情報収集活動が盛んに行われていますが、今回の日本シリーズほど「準備の大切さ」を痛感したことはありませんでした。
 私達の身の回りでも、例えば、指導員や検定員の審査等がありますが、これらを受験する場合には、ある程度の「準備」をしておかないと、なかなか合格しないことは、皆さんがご承知の通りです。何事に対処する場合にも「準備」を怠りないようにしましょう。

オクラ

 私は、毎朝朝食は、ご飯と味噌汁と決めていますが、その際、5月から10月までの約6ヶ月間、欠かさず食べている食べ物があります。その食べ物は「オクラ」です。「オクラ」の料理方法には、テンプラ、煮物等数多くありますが、私が好んで行っている料理方法は、生の「オクラ」を刻み、それを納豆と混ぜたり、あるいは鰹節と混ぜ、熱いご飯の上に乗せて食べる方法です。特に「オクラ」と納豆はどちらもネバネバしていますので、食欲がない夏の時期に食べると、なんだか元気が出るようで、いまや、私にとっては欠かせない食べ物となっています。
 この「オクラ」は、最近こそ何処の店に行っても、5月ごろから10ごろまでの期間は見ることが出来ますし、畑にも植えられている野菜ですが、私が子供のときは見たことがなく、ましてや食べた経験もありません。私の経験では、数年前から食べるようになった野菜だと思いますが、その原産地も知りませんし、いつごろからこの日本に輸入されたものかわかりませんでしたので、早速調べてみることにしたのです
 それによりますと、「オクラ」の原産地は、アフリカのエチオピア付近だそうですが、エジプトでは2,000年前から栽培されていたそうです。その「オクラ」は奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人がアメリカに持ち込んだものですが、今年ハリケーンが襲来して街全体が水没した「ニューオーリンズ」がアメリカにおける発祥の地だということです。
 明治時代来日し、日本名の小泉八雲で知られているラフカディオ・ハーンは、来日する前、ニューオーリンズで新聞記者をしており、その際、土地の料理を調べてレシピ集を出しましたが、その中には「オクラ」を食材に使った料理があるそうです。
 日本にこの野菜が伝わったのは、江戸時代の末期ですが、ヌメッとした青臭い食感が日本人には好まれなかったようです。それが本格的に日本で普及し出したのは、1970年代からです。
 さて、その「オクラ」は、スーパー等で買い求めていましたが、本年4月中ごろ、「道の駅山之口」に立ち寄ったところ、たまたま「オクラ」の苗を販売しているのを見つけ、その苗4本を買い求めたのです。当初自宅の庭で育ててみようと考えたのですが、プランターではとても無理な気がしましたので、妻の実家に持って行き、義母に育ててもらうことにしたのです。実家には畑がありますので、早速買ってきた苗を植えましたが、その後の水やりや肥料等は全て義母に任せたのです。私は毎週土曜日に妻と一緒に帰省したとき、「オクラ」の育ち具合を観察するだけでしたが、腰が曲がっていながら毎日手入れをしてくれた義母のお陰で、5月の中頃になると、急に成長し、やがて黄色い花が咲くようになり、そして待望の「オクラ」の実が生りだしたのです。実は次から次へと生り、それを毎日義母が収穫し、冷蔵庫に入れてくれましたので、10月中頃までは、殆ど自家製の「オクラ」で済ますことが出来ました。
 「オクラ」は、糖尿病の予防に役立ち、夏バテ解消には持ってこいの野菜だということですが、今年の夏は、「オクラ」を食べたお陰で、食欲が減退するということは全くありませんでした。来年も引き続き、「オクラ」の栽培をやってみようと計画しているところです。

パートナー

 私の趣味にゴルフがありますが、このゴルフ競技はご存知のように個人プレーのスポーツです。しかしながら、1人でプレーすることはなく、3人あるいは4人が同じ組に入ってプレーすることになりますが、自分だけのプレーに徹することは難しく、「パートナー」に左右されることが数多くあります。ゴルフはメンタルなスポーツと言われますが、まさにその通りで、「パートナー」の一寸した言動で、せっかく調子がよかったプレーがメチャメチャになることがあるのです。
 ゴルフコンペの表彰式で、優勝者が「パートナーに恵まれ、お陰さまで優勝することが出来ました。」とコメントをすることがありますが、まさにその通りなのです。私が今まで経験した中で、こんな「パートナー」と一緒になった時は、その日のゴルフが面白くなく、「ああ、今日はゴルフをしなければよかった。」と後悔するときがあります。
 その一つは「プレーが極端に遅い人」です。ゴルフは「リズムのスポーツ」といわれていますが、「パートナー」の中には、ドライバーやアイアンを打つとき、1,2回の素振りならわかりますが、4回も5回も素振りを繰り返し、おまけにクラブを構えたまま、じっと動かない人がいます。私の経験では、30秒もこの状態を続けた人がいます。このようなプレーヤーは、フェアウェーやグリーン上でも動作が遅く、パターを打つときなど、プロのプレーヤーを真似してなのか、グリーン上を反対側や横から見たり、さらには、パターを立てて、じっと芝の状況を見たりして、なかなか打とうとしないのです。同伴者としてはイライラしますが、一寸でもイラつくと、途端に自分のリズムが狂いますので、このような人と一緒にプレーするときは、その人のプレーは見ないで、反対側を向き、無関心を装うように心がけているところです。
 その二つは「自分のプレーにぼやいたり、愚痴を言う人」です。ぼやいたり、愚痴を言う癖のある人は、私の友達には何名かいますが、このような人と一緒に回ったときは大変です。とにかく、自分のどのプレーに対しても、必ず「何で、ボールの頭をたたくんだろうか」とか「おかしいな、このラインは曲がるはずなのに」等、とにかくよく愚痴が出るなと思うくらいブツブツひとり言を言うのです。それが同伴者に聞こえなければよいのですが、はっきりと聞こえるのです。このようなとき、うっかり口を出し、「パートナー」を慰めようものなら、たちまちこちらのペースが乱されますので、意識してぐっとこらえ、その人のプレーはなるべく見ないようにしています。
 その三つは「同伴者がプレー中なのにお喋りをする人」です。ゴルフコンペでは、第1打のドライバーを打つときは、他のプレーヤーも固唾を呑んで見ていますし、打つ本人も心臓が飛び出す位緊張しています。そのような時、ほかの人がペチャぺチャお喋りをしていると、どうしても集中心に欠け、OBをたたいたりするものです。このような人は、グリーン上でも「パートナー」がプレー中にかかわらず、お喋りをしているようです。
 以上のような「パートナー」は、一緒に回っていましても嫌ですし、例え遊びであっても楽しいものにしたいと考えていますので、自分自身がこのようなプレーをしないよう、日頃から心がけているところです。

心はひとつに

 最近のテレビは、見ていても、感動する場面に遭遇することは滅多にありませんでしたが、先日の日曜日の午後放映された、NHKの「心はひとつに」という番組には、思わず私もグッとくるところがあり、久々に感動しました。
 その番組は、宮崎県高崎町立江平小学校の吹奏楽部が、全国大会に進むまでの半年間を追う様子をドラマ風に描いたものでした。高崎町立江平小学校は、全校生徒数が100名をわずかに超える位の小規模校で、もちろん1学年1クラスです。そのうち、吹奏楽部に入部出来るのは3年生以上ですが、現在の部員は30名だということです。
 番組は、本年4月の新学期に新しく入部した3年生が、楽器の練習になかなかなじめず、サボる場面から始まりましたが、それもそのはずです。小学校3年生といえば、勉強より遊びの方に夢中になる年頃ですから無理のないことと思います。しかも、小さい時からピアノ等を習い、多少なりとも音楽に関心があれば良いのですが、兄や姉、両親等から入部を勧められ、仕方なく入部した子供達にとっては、当初楽器になじめず、練習もなかなかはかどらなかったようです。
 5月頃から、吹奏楽部の子供達の目つきが変わり、猛練習を始まりました。それは8月には、吹奏楽の九州大会が行われるので、その大会を目指し、6年生が中心となり、放課後の時間を利用しての練習が始まりましたが、どの子供達も額からは汗が滴り落ちているようでした。子供達は、トロンボーン、ホルン、ドラム、コントラバス、ピッコロ等の楽器ごとに分かれて練習していましたが、中には、入部してして3ヶ月過ぎたにもかかわらず、楽器から全く音が出ない子供もいるようでした。そんな子供達も6年生が中心になって指導したおかげで、音らしきものが出るようになり、段々腕が上がってきました。
 ところが、楽器全体の練習になると、うまくいかず、タクトを振る顧問の先生の声が厳しくなってきましたが、それでも先生が求めている音にはなっていなかったのです。すると先生は、トロンボーンを担当する子供に「君は、確かにうまい。しかし、自分だけうまくなっても全体の良い音は出ない。他の楽器のことを考えて演奏し、下級生も指導しなさい。」と諭したのです。確かにトロンボーンを担当する子供はうまいのですが、どちらかといえば、自分だけの練習に明け暮れ、他の楽器を担当する子供達との会話もなかったようです。その子供は、先生から諭され、他の楽器を担当する子供達との会話も多くなり、お互い楽器の音合わせを積極的にするようになったのです。
 さらに、顧問の先生は、「いくらうまく演奏しても、聴く人に感動を与えなければならない。そのためには、心をひとつにして聴いた人に元気と感動を与える演奏をしなさい。」と口が酸っぱくなるほど、くりかえし、くりかえし指導したところ、見る見るうちに部員の結束が固まり、宮崎県代表に選ばれ、8月の九州大会に出場したのです。
 残念ながら、九州大会では代表に選ばれませんでしたが、10月のバンドフェスティバル九州大会では優勝し、見事全国大会への出場権を勝ち取ることが出来たのです。この結果について子供達も「心をひとつにして感動を与えるられる演奏をしたい。」と大舞台への意気込みを語っていましたが、この気持ちを演奏だけでなく、今後の人生にも活かして欲しいと願っているところです。

覇気

 先週の土曜日、福岡県久留米市に住む実弟の招待で、90歳になる実母を連れ、大相撲九州場所14日目を観戦しました。私が大相撲の本場所を観戦するのは、今回が2度目ですが、最初観戦したときは、力士の態度は巡業のときと全く違い、真剣そのものでしたから、今回も力士同士が頭からガツンとぶっつかる、あの雰囲気を期待して観戦したのです。観戦した席は向こう正面で、土俵から約10メートル位しか離れていませんでしたから、テレビで見るときと違い、力士の動きや顔の表情等は手にとるようにわかり、一緒に観戦した母も「冥土への土産になる」と言いながら、大好きな千代大海関が土俵に上がると、手をたたいて一生懸命応援しているようでした。
 この日の相撲で、横綱の朝青龍が大関の魁皇を破り、7場所連続15回目の優勝を果たしましたが、7場所連続と年6場所完全制覇は前人未到の記録であり、さらに年間勝ち数も、1978年に北の湖が作った82勝の最多記録を27年ぶりに更新する大記録を達成したのです。私達は、普段はテレビでも見たことがない幕下の取り組みから観戦したのですが、出てくる力士の中に数多くの外国人力士が見られたのにはびっくりしました。一番多かったのは、モンゴルで、次はロシア、グルジア、ブルガリア、韓国等で、まさに国際色豊かといった感じでした。
 さて、取り組みが幕下から、十両、そして中入り後と段々進んで行き、関脇や大関等、テレビで見慣れている力士が登場したのに、私が期待していたようには、なぜか会場が盛り上がらないのです。なぜだろうかなと思いながら、昭和51年に見た大相撲の頃と目の前で繰り広げられる大相撲を見比べて見たのです。そして、思いついたのが、仕切りに対する力士の態度に全く「覇気」が見られなかったことです。私が見た昭和51年代の力士は、どの関取も仕切りは全精力を集中し、仕切りが進むごとに、身体全体が段々赤みを帯び、時間一杯になると、お互いの力士が目を合わせ、仕切りが終わってもしばらくそのまま睨み合う状態が続いたものです。ところがどうでしょう。幕下、十両、幕内と続きましたが、どの力士もそれこそ淡々と仕切り、、私が期待していた「覇気」は全く感じられませんでした。
 しかしながら、結びの一番で横綱の朝青龍が登場して、私の考えが変わったのです。それは、朝青龍は、先ず土俵入りするときの態度から他の力士とは変わっていました。表情が引き締まり、すぐ近くで見ていても、ニコリともせず、ビリビリする位の緊張感があるのです。そして、最初の仕切りから、相手の魁皇を怖い位の顔で睨みますので、さすがの魁皇も蛇に睨まれた蛙のように節目がちだったのです。その姿を見て、私は「勝負あった」と判断しましたが、勝負の結果は予想通りでした。
 そして、なりより圧巻だったのが、制限時間一杯で朝青龍が最後の塩を取りに行ったとき、いつもの癖で右手で口のあたりを拭き、口を真一文字に閉め、顔を左に向け、厳しい目つきで睨む光景です。テレビでは、その光景がしばしば見られ、その意味がわかりませんでしたが、本場所を見てその意味がわかりました。それは、朝青龍が余りにも強いので、どうしても相手力士に対する声援が多く、どうやらその声援に対する「睨み」だったようですが、見ていても「負けてたまるか」という気迫が観衆に伝わり、感動しました。最近の朝青龍には、「覇気」というより「殺気」だった行動が見られますが、むしろ相撲ファンには、これがたまらない魅力のようです。後世に残る大横綱を目指し、益々頑張って欲しいものです。
 このような「覇気」は、スポーツだけでなく、検定員や教習指導員の審査を目指す受験者にも必要です。来年春の審査では、「絶対合格したい」という覇気が試験官に伝わるよう、気迫を持って臨みましょう。

練習の虫

 平成17年度の女子プロゴルフ大会の最後を飾るリコーカップ杯ゴルフは、先週宮崎市内の宮崎カントリークラブで開催され、地元宮崎市出身の大山志保選手が見事優勝の栄冠に輝きました。同選手の活躍もさることながら、逆転で賞金女王になった不動裕里選手は6年連続ですから、まさに「アッパレ」と言っても過言ではありません。このリコーカップ杯に参加出来るのは、前週の大会までに、今年の国内ツアーで優勝した選手と賞金ランキングの第20位までに入った選手のみが参加資格がある、いわば日本の大会では最も実力が接近した選手が集まった大会でしたから、その大会での優勝は価値のある優勝でした。
 リコーカップ杯が宮崎カントリークラブで始まったのは3年前ですが、この大会には毎年観戦に出かけていましたが、今年は他の用件のため残念ながらテレビでの観戦になりました。しかしながら、テレビ観戦のお陰で、解説者の樋口久子さんからは、「不動裕理選手は女子プロの中でも最も練習をする選手として知られていますが、現在、その不動選手以上に練習しているのが大山選手で、今や女子プロの仲間から、二人は『練習の虫』と言われています。」というエピソードが紹介される等、テレビを見ていて非常に参考になりました。
 大山志保選手は、中学3年まで宮崎市内で育ちましたが、プロゴルファーを目指して高校は、熊本女子中央高校に進学し、在学中に清元登子プロの門下生となりましたが、そのとき1年先輩だったのが、不動裕理選手だったのです。大山選手は、さらにゴルフの腕を磨くため、日本大学に進学しましたが、その間、不動選手は一足先にプロテストに合格したのです。プロ選手になった不動選手については、こんなエピソードがあるそうです。それは、師匠の清元プロから不動選手に対し、「サラリーマンの人達は、朝8時から夕方5時まで9時間働いている。あなたもプロで飯を食いたいと思ったら、それだけの練習をしなさい。」とハッパをかけたそうです。不動選手は、師匠の指示通り、その後猛練習を重ね、現在の地位を築いたということです。
 その不動選手を追ってプロ入りしたのが大山選手ですが、久方ぶりに見た不動選手の練習振りを見てびっくりしたのです。高校生のとき一緒に練習する頃は、不動選手の背中は見えていましたが、プロになった不動選手の実力は、背中が見えないほどはるかに先を行っており、その実力の差に驚いたということです。それからは、大山選手が言うには「不動さんより、多く練習をしよう。不動産が8時から練習するのだったら、私は7時から練習をしよう。又、不動さんが5時に練習が終わるのだったら、私は6時まで延長して練習をしよう。」と決意し、その通り練習した結果が、今年の好成績につながったということです。
 大山選手の今年のバーディー獲得数は300を越えましたが、その裏には、「パターの練習をしていたら夢中になり、気がついたら5時間を過ぎていた。」という猛練習振りも明らかにされましたが、これにはビックリさせられました。私もゴルフが好きで、朝と夕方は必ず、練習機を使ってパターの練習をしていますが、最高30分が関の山で、とても5時間連続練習は出来ません。ここがプロとアマチュアの違いのようです。二人には、切磋琢磨して、今以上に猛練習を重ね、来年も活躍してもらいたいと願っていますが、二人のことですから、きっとやり遂げてくれるものと期待しています。

性善説と性悪説

 最近のテレビや新聞紙上では、マンションやホテルの耐震強度偽装問題が毎日のように放送・掲載され、さらに国会で、参考人に対する質疑が行われる等、いまや社会問題となっています。この問題は、当初、千葉県市川市の1級建築士による構造計算書の偽造と報道されていましたが、その後の国土交通省による当該建築士に対する事情聴取や国会の参考人質疑の状況等を見ていますと、一建築士の問題ではなく、偽造を見抜けなかった民間の検査機関、そして、企業主、建築主等に問題があることがわかり、事実を明らかにするためには、どうやら警察の強制捜査が必要になってきたようです。
 私が、この問題をテレビや新聞で見ていて、どうも腑に落ちないところがありました。それは、民間の検査機関の検査内容でした。この検査機関制度は、平成7年に発生した「阪神・淡路大震災」を教訓にし、これまで構造計算書の検査等は、全て国や市町村等の公の機関が実施していたのを改め、平成11年からは全国47の民間機関が実施することになったものです。当然、検査は民間に委託されたとしても、検査は的確に行われ、さらに検査機関に対する国土交通省の監査も厳格に行われているものと思っていましたが、今回の問題が明るみになってから、報道される内容を見ていますとビックリすることばかりです。
 その中で、最も驚いたのは、検査を担当する職員が、インタビューを受け、「1級建築士の設計された構造計算書ですから、間違いのないものと思っていました。」と発言したことです。さらに、この検査機関の幹部も「まさか構造計算書が偽造されているとは、夢にも思いませんでした。」と発言し、自らの責任を否定したのです。新聞やテレビの報道を見ると、この検査を担当する職員の中には、1級建築士の資格は持っているが、国や県を退職した人が多かったということですが、人の生命、財産を担当する職員がこのような考えで仕事をしていたことには、全くあきれてしまいました。
 このような職員の考え方は、いわゆる「性善説」に立ったものといえますが、国から委託を受けた検査機関ですから、国民の立場からすれば、むしろ「性悪説」の立場に立ち、「構造計算書は、ひょっとしたら偽造されているかもしれない。」という考えで、構造計算書を検査していれば、あるいはもっと早く偽造が見抜けたものではないかと思います。
 こうした「性善説」の考えを持った人は、まだ他にもいました。それは、先日、東京都内で医師の免許を持たず医療行為を行っていた33歳の男が警視庁に医師法違反で逮捕されましたが、この男は、病院に就職する際、実在する医師の免許証を偽造して提出したということです.しかしながら、面接を担当したこの病院の事務長は、本人が説明する「慶応大学医学部卒業」の言葉を信じていたということです。提出されたのは、医師免許のコピーですから、この事務長が「性悪説」に立ち、慶応大学に照会するとか、医師免許の原本の提出を求めていれば、すぐ偽造がばれていたものと考えられます。
 私達が仕事や書類をチェックするときは、むしろ「性悪説」の立場に立ち、「ひょっとしたら、ミスがあるかもしれない。」とか「きっと間違いがあるはずだ。」という考えで行えば、きっと今まで以上にミスや失敗が少なくなるものと思いますが、職員の皆さんの考えはいかがでしょうか。

指差し呼称

 私は、毎朝JR宮崎駅始発の電車で通勤していますが、その回送電車が到着するまでの間、ホームで電車の運転士や車掌の動きを見ることにしています。それは、運転士等が愚直なまでに「指差し呼称」をしているからです。例えば、電車が出発する際の運転士の動きを見ていますと、前方にある信号機をじっと見ていますが、やがて信号が「青」に変わると、右手を信号機の方に向け、何か呼称しているようです。窓が締め切ってあるので、運転士の声は私には聞こえませんが、口の動きから察すると「信号青ヨーシ」と言っているようです。次に目の前の計器を右手で指差し、これも何か言っているようです。そして、さらに前方の信号機を右手で指差して確かめ、それから出発するのです。この一連の動きは、どの運転士や車掌もハンで押したように正確です。これは現在のJRが昔、国鉄と呼ばれていた頃からの伝統ある「指差し呼称」ですが、この動作のお陰で、日本では外国に比べ、鉄道事故が少ないと言われています。
 この「指差し呼称」は、何もJR等の鉄道だけでなく、現在では、事故防止上いろいろな職場で使われています。その中で、私がいつも利用しているガソリンスタンドも従業員教育が徹底しており、「指差し呼称」が行われています。しかしながら、先日、そのガソリンスタンドで給油したところ、なんと燃料タンクのコックを従業員がうっかりして閉め忘れてしまい、冷や汗を掻いたことがあります。
 それは、先週の土曜日のことでした。夕方妻を実家に送るため、自宅を出発しましたが、車の燃料計器を見ると、残量がわずかでしたので、いつも利用しているガソリンスタンドで給油することにしたのです。そのガソリンスタンドは、従業員は5名位ですが、どの従業員も若くて動作がきびきびしており、給油が終わると、必ず燃料コックの方を指差し、「安全呼称」をする等、好感の持てるスタンドなのです。その日は夕方だったせいか、いつもより給油する車も多く、しばらく待った後、ガソリン満タンをお願いしたのですが、そのとき対応してくれたのは、いつもの従業員ではなく、若い男の子で、アルバイトのような感じを受けました。
 私は以前、息子が日向市内のガソリンスタンドで給油した際、従業員が燃料タンクのコックを閉め忘れ、後日小包で送ってもらったことがありましたので、そのガソリンスタンドで従業員が「指差し呼称」をしていても、いつもバックミラーでコックの状況を見ることにし、それが癖になっていたのです。ところが、そのときは急いでいたこともあってコックが確実にしまっているかどうかを確認せず、給油が終わり、代金を支払うとすぐ出発してしまったのです。
 コックの閉め忘れに気づいたのは翌日で、朝、車に乗ろうとしたところ、燃料コックの蓋が開いており、もしかして「コックの閉め忘れでは」と思い、蓋の中を見た結果、やはり燃料タンクのコックが見当たりませんでした。早速そのガソリンスタンドの電話したところ、店長は、「従業員には『指差し呼称』をするように、口やかましく指導しているのですが、誠に申し訳ありません。」と平謝りされましたが、もし、タバコの火でも投げ込まれていたり、交通事故に遭遇していたら、大変なことになっていたわけですから、今でもそのときのことを思いますと、ゾッとします。このように、従業員の「うっかりミス」もあることですから、ミラーで確実にコックが閉まったかどうかを確認することが必要のようです。

駄洒落

 どの職場においても、下手な洒落つまり、「駄洒落」を言って人を笑わせ、職場の雰囲気を和らげる人が必ずいるものですが、「駄洒落」も使う場所等を誤ると、とんでもないことになり、大失敗につながることがあります。その顕著な例が最近ありました。それは、近畿地区の県庁所在地の市長が、市議会の答弁で「駄洒落」を言ってしまったのです。先日、広島県や栃木県内では、学校から下校途中の小学校1年生の女児を狙った殺人事件が相次いで発生しましたが、この事件に関連し、議員から「小学校の児童に対する安全対策」の質疑があり、答弁に立った市長が、「報道によりますと、広島市内で発生した場所は郊外ですし、又、今回発生した栃木県の今市市の現場も『いまいち』のようです。」と答弁したのです。おそらく、この市長としては、二つの事件の現場は、いずれも街の中心地から離れた郊外で発生しており、それに比べて自分達の住んでいる街は、県庁所在地の街であるから、その心配は要らない。万全の対策はとってあると言うつもりで、「駄洒落」を使ったものと思われます。
 ところが、二つの事件とも、ことが殺人事件であり、被害者感情を全く無視した答弁であったことから、テレビや新聞等のマスコミが一斉にこの答弁を報道したのです。新聞報道によりますと、これに驚いた市長は、あわてて謝罪会見をしたり、又、今市市の市長に電話して謝ったり、さらには、市役所の職員に謝罪文を持たせて謝罪する等、ドタバタの対応がなされたようです。市長としては、その反応の大きさにビックリしたようですが、市民の立場からすれば、選挙で選ばれた市長が、公の場である市議会において、まさかこんな見識のない「駄洒落」を使おうとは思っていなかったわけですから、報道されて市民の方が恥ずかしい思いをしたものと思われます。
 これに対して、こんなトンチの効いた「駄洒落」もあります。それは、先日、友達とゴルフをした際、聞いた話です。その友達は以前、西都市で勤務したことがありますが、あるとき、管内の西米良村の猟友会の会合に招かれたところ、お膳の上には、「鹿の刺身」と「馬肉の刺身」が置かれていたそうです。馬肉があったのは、西米良村は熊本県と接している関係上、馬肉の産地である熊本県からの仕入れが簡単に出来るからだということです。
 さて、宴会が始まり、友達が膳に並べられた料理を食べようとしたところ、猟友会の会長が、「膳の上には、馬刺しと鹿刺しがありますが、どちらを先に食べられますか。当地では食べる順序が決まっております。」と質問があったそうです。友達は咄嗟のことで、答えに詰まっていたところ、すかさず会長が、「当地では、馬刺しを先に食べ、それから鹿刺しを食べると、『馬鹿』になると言われていますので、鹿の方から食べるようになっています。」と真面目な顔で返事されたそうです。それを聞き、友達は本当にそんな風習があるものと思ったところ、実はそれは、会長の「駄洒落」であることがわかり、出席していた全員から笑いが湧き上がり、それからは宴が大いに盛り上がったということです。
 友達は、今でも「馬の肉」や「鹿の肉」を見るたびに、そのときの猟友会長が言われた「駄洒落」を思い出し、思わず笑みが出るということです。こんな「駄洒落」はいつ聞いても思わず笑いが出ますが、時と場所を選ばずに使うととんだことになりますので、お互い気をつけましょう。

午睡タイム

 私は、毎朝JR宮崎駅から電車に乗って通勤していますが、改札口の前で、電車から降車して来る人達の姿を見ていると、こんな光景をたびたび目にすることがあります。それは、朝から大きな口をあけ「あくび」をしながら改札口を通る人が多いということです。その殆どは、高校生か専門学校に通っていると思われる若者達ですが、ときたま、年配の方の姿を見ることもあります。さすがに、年配の方は、例え「あくび」が出そうになっても、すぐ、口を押さえますので、見苦しくありませんが、若者の場合、全く手で口を押さえようとはせず、口を大きく開けたままですから、傍で見ていると、口の中の奥まで見えそうです。その姿をじっと見ていますが、「恥ずかしい」という羞恥心は全くないようで、そのままの姿で、改札口を通っていきます。朝から、こんなだらしない姿ですから、おそらく授業を受けたとしても、身が入らないものと思いますが、このように朝から「あくび」が出るのは、テレビを遅くまで見たり、夜遊び等をする、いわゆる夜型の若者が多くなったのが、原因だろうと考えられます。
 私も、自動車学校からの帰り、電車の中で小説を読むことにしていますが、文字が小さいので、読んでいくうちに段々眠くなることがあります。最初の頃は、気分転換に小説を読むのをやめ、しばらく外の景色を眺めたりしていましたが、眠気をこらえると、余計に眠くなりますので、最近は、眠気を催してきたら、そのまま、眠ることにしています。それは、私がいつも乗車する電車は、終点が宮崎駅となっていますので、万が一眠っていたとしても乗り過ごしがないからです。
 さて、その「眠気」ですが、先日テレビを見ていたところ、「眠気防止対策」が放映されていましたが、その一つは、「睡眠個室」の設置でした。設置されている場所は福岡市内の中心部で、カーテンで仕切られた個室のベッドには布団が敷かれ、そこでサラリーマンが「午睡」していましたが、利用時間は約15分で、利用した人も「昼から元気で働けそうです。」と感想を述べていましたので、今後このような「睡眠個室」の設置が増えそうです。
 その二つは、福岡県立明善高校が取り入れている「午睡タイム」です。明善高校では、昼からの第1時限目に居眠りする生徒が多いことから、その対策として、食事を済ませた後、昼休みの時間帯を利用し、「午後の授業に備えて充電するため、これから午睡タイムに入ります。」というマイク放送があります。すると、先生も生徒も一斉に机の上にうつ伏せになり、やがて15分経過後に、再びマイク放送があり、「午睡タイム」が終了することになります。この「午睡タイム」は施行されてからまだ間がありませんが、生徒からも「午後の授業は、今までと違って眠気が来ません。」と上々の評判のようですから、これからも学校では、この「午睡タイム」を続けていくそうです。
 自動車学校でも、午後の時間になると、指導員だって人間ですので、教習中に眠気を催すこともあるかと思います。しかし、それは絶対許されないことですから、それぞれ、教習開始前に顔を洗ったり、柔軟体操をしたりして眠気防止の対策を講じているようです。「午睡タイム」もその対策の一つですから、どなたか、試みてみようとする方はいませんか。

2006年5月16日

流言飛語

 1年前の平成16年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖で大地震が発生し、その後の大津波等で20万人を越える犠牲者が出ましたが、先日のテレビでは、被害から1周年を迎える現地スリランカの様子が放映されていました。スリランカの人達にとっては、始めての「津波」だったことや津波警報の伝達が未だに日本のように整備されていないため、地震があるたびに、「津波が来る」という偽りの情報が度々流れているということです。そのたびごとに、預金通帳や貴重品等を素早くまとめて家族が避難するわけですが、この1年間の間に、なんと20回以上も高台に避難したということです。そんなに大きくない地震の場合、まさか津波は来ないだろうと思っていても、いざ、「津波が来る」という噂が口づてに流れてくると、真実を確かめる余裕はなく、必死になって避難するのだそうです。
 さて、このように口づてに伝わる根拠のない情報を「流言飛語」と言いますが、私もその体験をしたことがあります。それは、今から約20年前の昭和58年頃で、その当時宮崎県内の高校野球では、都城高校の力が抜きん出ており、夏の甲子園大会には宮崎県代表として出場しました。当時のメンバーには、現在プロ野球の日本ハムファイターズで活躍している田中幸雄選手等そうそうたる選手達がそろっていました。都城高校は1回戦、2回戦を勝ち進み、確か準々決勝だったと記憶していますが、大阪府代表のPL学園高校と対戦することになったのです。当時のPL高校には、現在読売ジャイアンツで活躍している桑田投手や去年まで読売ジャイアンツに所属し、今年オリックスに移籍することになった清原選手等、超高校級の選手がそろっており、殆どの者が、都城高校が大差で負けるものと思っていたのです。
 いざ試合が始まると、都城高校が善戦し、1点差を争う好ゲームが続き、遂に延長戦となり、運命の11回裏がやってきました。PLの攻撃はツーアウト、ランナー1塁となり、次のバッターがライトにフライを打ち上げたのです。その打球は、ライトが簡単に捕球出来る当たりだったので、当然チェンジになるものとばかり思っていたところ、ライトのK選手がボールをグラブに当ててしまい、落球してしまったのです。玉が転々と外野の奥深く転がっている間に、ランナーが一気にホームインし、あっけなく、サヨナラゲームとなってしまい、都城高校の暑い夏は終わってしまったのです。
 夏の大会が終わり、2,3ヶ月たったころ、都城地方では、「K選手が落球を苦にして自殺したらしい。」という噂が広がりました。それも首吊りだったとか、遺書もあったとか、といった実(まこと)しやかな話だったので、私もその話を聞き、20年たった現在でもすっかり信じ切っていたのです。
 ところが、先日、元吉副校長と雑談していたとき、話がK選手のことになったところ、元吉副校長から「Kさんは運転免許所得のため当校に入校されたが、私が担当した。あの噂はデマだった。」ということを聞き、ビックリしたところです。まんまと20年間も騙されていた私も間抜けでしたが、それ以上に、本人は、この「流言飛語」には悩まされ続けたことと思います。冗談のつもりで言った「噂」が一人歩きすると、このように、とんでもないことになりますので、例え、雑談であっても、きつい冗談にならないようお互い注意したいものです。

見取り稽古

 私は若い頃、柔道を習った経験がありますが、その際、足を負傷して練習が出来ないときに、先生から「見取り稽古」の必要性を教えてもらったことがあります。それは、柔道を習い始めてから約2ヶ月位経った頃でした。道路を歩いていたとき、後ろから私の名前を呼ぶ声がしたので、何の気なしに後ろを振り返ったところ、道路のくぼみに足を取られ、左足首を捻挫してしまったのです。左足に激痛が走り、思わず「痛い」と叫ぶほどの痛みを覚えましたが、もう取り返しがつきません。その頃、柔道の時間では、「背負い投げ」を練習中でしたが、そのコツを覚えたばかりでしたから、練習が出来ないのにはがっかりし、柔道の時間は、道場の片隅で同級生が練習するのをボンヤリ眺めていたのです。
 すると、柔道の先生が私の所にやってきて、「何をしているのか。」と尋ねられたのです。私は足を捻挫したため、練習が出来ず同級生の練習を見ていたことを説明すると、「乱取りするだけが柔道の練習ではないぞ。君のように、ただ練習をボヤッと見ているだけは『見学』だが、練習を見ながらでも出来る稽古がある。それは『見取り稽古』というものだ。」と「見取り稽古」についてわかりやすく説明されました。それによると、自分が攻撃する立場に立ち、技をかけるときのタイミングはどうして取るかとか、また、反対に守備する立場に立ち、自分だったら、相手の攻撃を防ぐためにどうすればよいかを考えながら練習を見ていると、自分が練習しているより、むしろその要領がよく判るということです。事実、それからはこのような目で練習を見ていますと、なるほど、今までよく理解できなかった技のかけ方の要領がよく判るようになったのです。
 このような「見取り稽古」は、柔道のほか、剣道や野球、ゴルフ等あらゆるスポーツでも行われていますが、自動車学校でも使えないかなと考えていたところ、一つ見つけることが出来ました。それは、経験の浅い教習指導員をベテランの教習指導員の車に同乗させ、模範的な教習状況を観察させることです。
 当校においては、教習指導水準の維持・向上のため、技能研修会を実施していますが、先日その研修結果が報告されました。その内容を見てみると、教習指導員経験が3年未満の指導員が教習する車に検定員が同乗し、アドバイスするやり方です。しかしながら、この方法では、指導上の不足点は是正できますが、もっと高い水準の指導方法を会得することは望めないのです。何か良い方法はないものかと考え、思いついたのが、「見取り稽古」だったのです。
 それは、指導員の経験が3年未満の指導員を自分が希望する検定員やベテランが教習する車に同乗させ、指導上の良いところを盗ませるやり方です。経験の浅い指導員は、新任教習指導員の資格を取る際、ある程度の指導方法は習得していますが、審査に合格して、いざ自分が教習指導員になると、なかなか先輩の指導員が教習する車に同乗する機会はなく、後は自分の努力でないと、教習水準を向上させることが出来ないからです。
 昨年、新人ながら200本安打を打ったヤクルトの青木選手は、現在大リーグで活躍中のイチロー選手の打撃フォームを真似て成功したそうですから、当校が実施している「見取り稽古」もきっと教習水準の向上にはつながるものと確信をしているところです。

パニック

 交通事故を起こしたときの「運転者の義務」については、学科教習第2段階の「項目14」で学びますので、卒業式の際、「交通講話」の中で質問してみますと、ほとんどの生徒さんが「事故の続発防止措置」「負傷者の救護」「警察官への報告」と即座に回答してくれます。どの生徒さんもまさか自分が交通事故を起こそうとは考えていませんので、このように平素のときは、スラスラと答えることが出来るのですが、不幸にして事故を起こし、それも死亡事故等重大事故であった場合、誰でも気が動転し、何をどうしてよいかわからず、頭の中が真っ白になってパニック状態になり、とっさに逃げ出したくなる心境になるそうです。従って私達が最も心配なのは、そのような状態になったとき、冷静さを失い、ひき逃げをしないかということです。
 それを裏付けるような事故が先日、某県で発生しました。それは、現職の町議が歩行者を跳ねる交通事故を起こした後、必要な措置を取らず、そのまま、現場を立ち去るひき逃げ事件を起こしてしまったのです。
新聞報道によりますと、その町議は、議長も経験したことのある60代の男性ですが、市町村合併関係の仕事を終え、午前1時ごろ、自分の車を運転して自宅に帰る途中、青色の信号になっている交差点を通過したところ、横断歩道から約10メートル位先の道路を左側から右側に横断中の歩行者を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、その歩行者をはねてしまったそうです。
 町議は、すぐ車を停車させ、路上に倒れた歩行者を見たところ、路上に血が流れ出た状態であり、その姿を見て、てっきり跳ねた歩行者は死亡したものと思い、頭の中が真っ白になり、パニック状態になったのです。その際、すぐ110番すればよかったのですが、自分が町議であることから、テレビや新聞に報道されることが頭に浮かび、深夜で、しかも現場が交通量の少ない市道であったこと等から逃げる気になり、そのまま車を運転して自宅に帰ったそうです。
 ところが、自宅に帰った夫の姿が普段と違うことに気付いた奥さんから問いただされ、「ひき逃げをした」ことを認め、奥さんから説得を受けて現場に戻りましたが、現場には、既にパトカーや警察官の姿があり、その警察官に「ひき逃げした」ことを認めたため、その町議は現場で逮捕されたそうですが、残念ながら、跳ねられた歩行者は既に死亡されていたということです。
 そして、跳ねられた歩行者は、ボケ老人として家出捜索願が出ていた老女だったそうですが、もし、事故直後、直ちに救護措置をとっていれば、あるいは命が助かっていたかもしれないということでした。おそらく、本人自身、逮捕された後、「何故あの時逃げたのか」と悔やんだかと思いますが、後の祭りでした。
 このように、交通事故を起こし、それも重大事故の場合、10人中10人が瞬間、頭の中が真っ白になり、パニック状態になるそうですが、そこで我を取り返し、「運転者の義務」を思い出せば、罪を重ねることにはなりません。平素から交通事故を起こした場合の「運転者の義務」については、教習生にはしっかり教えると共に、自らもこの事案を教訓にして同じ徹を踏まないようにしましょう。

心理

 私は、こと遊びになると、妙に凝り性になるところがあります。若い頃パチンコ遊びをしましたが、その頃のパチンコ機は、現在のような機械でなく、片手の指で玉を入れ、反対の手の指で機械をはじく方法でしたから、そのため、左手の人差し指には、いわゆる「パチンコタコ」が出来るほど熱中したものです。
 それほど熱中したパチンコ遊びでしたが、昭和59年ごろゴルフを覚えたため、それこそピッタリやめ、現在まで全くしていません。それでも、今でもパチンコ遊びをする人の心理状態はよく理解出来ます。例えば、チューリップが開いたままなのに、肝心の玉がなくなり、おまけに所持金がスッカラカンになったとき、どのような行動をとるかということですが、おそらくパチンコ遊びの経験がある人だったら、とてもそのままにして帰るわけにはいかないはずです。先ず、知っている人がいないかと捜すか、それでも見つからないときは、フロアに玉が落ちていないかと捜すのではないかと思います。
 しかしながら、このように最大の努力をしても、パチンコに負けた場合は、誰でも無性に腹が立つと同時に、「パチンコしなければよかったのに」と反省するはずです。中には負けた腹いせにパチンコ台をたたき、そのため、店員と大喧嘩する人もあるようです。
このようにパチンコに負けた人の心理状態が、私には手に取るようにわかりますので、パチンコ店の駐車場付近を通るときは、駐車場内から出て来る車には特に注意をしています。それは、パチンコに負けて帰る人の運転は荒くなるからです。
 先日の夕方、自転車で帰る途中でした。私は道路東側の歩道兼自転車道を北進していますと、右側のパチンコ店の駐車場の中から、1台の普通自動車が道路の方に向けて進行して来るのが見えました。その車はスピードを出し、徐行する様子もなく進んで来たのです。その車の運転席を見ると、若い男性が乗っているようでしたが、私の方には全く目もくれず、その男にとっては右側、つまり南進してくる車の方ばかり見ながら私の前方に差し掛かってきたのです。
 私は危険を感じ、その場で急ブレーキをかけ、その場に停車しましたが、駐車場から出て来た乗用車は、停止した私の自転車の2メートル位先に、自転車道を塞ぐ形で止まったのです。私は自転車にまたがったまま、その車の動きを見ていたところ、運転席の男は相変わらず右側の方の動きを見ており、やがて、右側の方の車の流れが切れ、車を出発させようとしたとき、初めて私の姿に気付き、ビックリした様子ですが、それでも知らぬ顔をし、会釈等はせず、そのまま、私の目の前を通り過ぎて行ったのです。そのとき運転者の顔をチラッと見ましたが、イライラしている様子でしたので、「パチンコに負けたんだな」と感じ取ったのです。
 当校の職員の中にも、休みのとき、パチンコ遊びをしている人が見受けられますが、熱中し過ぎると、「ギャンブル依存症」になり、借金を重ねることになります。人間が機械に勝つ可能性は極めて低いわけですから、そこのところをいち早く理解され、ほどほどにしていただくよう願っています。また、例え、パチンコに負けたとしても、帰る時はイライラの状態のままでなく、冷静な運転をするよう心がけて下さい。

継続

 私は前の職場では、40数年勤務する間に、20数回転居しましたので、あれほど大事にしていた小・中学校のときの「通知票」はいつの間にか紛失してしまい、今では手元に残っていませんが、その内容、特に担任の先生が書かれた私に関する「評価」は覚えています。中でも小学生のときの先生は、どの先生も見事に私の性格を見抜かれていたようです。
 先ず、小学校1年と2年の評価では、「人とよく衝突する。」「あわてんぼうである。」となっていましたが、これが3年から6年までの評価では、「得意な学科(体育)では、熱中するが、嫌いな学科(算数)になると、すぐ飽きが来るようです。」、「集中力に欠けるようです。」等と変わり、中には「ヤカンたぎりな所が見られます。」と書かれていた先生もありました。「ヤカンたぎり」とはよく表現されたものですが、要するに、私の性格は「継続性に欠けている」ということです。
 さて、仕事上で失敗しないため、MDSの職場の皆さんに、是非「継続して欲しい」ことが二つあります。
 その一つは、「率先して呼称運転をしてもらいたい」ということです。呼称運転については、当校を卒業した初心運転者の交通事故を防止するため、先ず、MDSの職員自ら率先して「呼称運転」を行いましょうと提案し、昨年から実施しているものです。職員室にも「呼称運転の励行」の額を掲示したり、教習生の皆さんにも理解していただくため、標語を壁等に掲示しました。当初は、職員の皆さんにもこの趣旨が徹底し、送迎車に乗ったり、たまに教習車に乗っても必ず、元気のよい「右ヨーシ、左ヨーシ」という声が職員の皆さんの口から出ていました。
 ところが、1ヶ月、そして2ヶ月過ぎると、段々呼称運転する職員の数が減り、たまに職員が運転する車に乗ると、全く「呼称運転」が行われなくなったのです。さすがに、私が乗る送迎車を運転する職員の方は、今でも愚直なまでに「呼称運転」をしていますが、初心運転者の交通事故を減らすためには、絶対必要な対策ですから、原点に返り、率先して職員自ら「呼称運転」をしてもらいようお願いします。
 その二つは、「消臭スプレーの活用」ということです。私は、タバコを吸った経験は全くありませんので、他人の車に乗ったとき、タバコの臭いがすると、すぐわかりますが、余りいい感じはしません。おそらく、タバコを吸ったことのない人は私と同じ感じを受けるものと思います。教習時間と教習時間の間のインターバル時間帯の当校の指導員の様子を見ていますと、意外とタバコを吸う指導員が多く、教習が始まると、タバコの火を消してそのまま教習車に乗り込んでいる状態です。当然指導員の被服に臭いが付着しているはずですから、もし、タバコを吸ったことがない教習生だったら、車に乗り込んだだけで、あの嫌なタバコの臭いが鼻につくはずです。そうなると、とても教習どころではありませんので、「消臭スプレーを使い、教習生に嫌な思いをさせないようにしましょう。」と提案し、全職員の賛同を経て「消臭スプレーの使用」は始まったのです。
 しかし、こちらも最初の1年間位は、タバコを吸った後、教習に入る場合は、確実に消臭スプレーを被服に振り掛ける光景が見られましたが、最近はどうでしょう。全く見られません。こちらも原点に立ち返り、再び消臭スプレーの活用が行われ、二つとも「継続」することを願っています。

めまい

 人間60歳を過ぎると、いろんな病気になるものです。3年前の夏には、腹部の周りが赤く腫れ、病院に行ったところ、「帯状疱疹」と判断されました。原因は暑いさなかにゴルフに行き、それも27ホールも回り、全コース歩き通したためでした。つまり、ほどほどに遊べばいいものを、気持ちだけは若いと思って必要以上に身体に無理をかけたためということで、お医者さんからそのことを聞いて納得したわけです。
 それからは、食事や運動等健康に関しては、これまで以上に気を使っていましたが、先日の朝、突然起きた「めまい」にはビックリさせられました。その朝、散歩するため、午前6時ごろ、ベッドから起き上がったところ、突然頭がフラフラし、天井がグルグル回り始めたのです。こんな経験は全く初めてでしたので、「もしかしたら、脳梗塞では?」と思ったのです。しかし、しばらく、ベッドの上でじっとしていたところ、めまいが少し治まったので、「単なるめまいだったのか」と安心し、いつもの通り、散歩に出かけたのです。
 ところが、自宅を出てから、いつものコースを散歩していたのですが、真っ直ぐ歩くことが出来ず、しかも今にも吐きそうな感じがし出したので、あわてて散歩を打ち切り、自宅に舞い戻ったのです。すぐ布団にもぐりこみましたが,目を開けると、天井がグルグル回り始め、今にも地獄に落ちるのではないかと思ったほどです。今思い出すと、その状態は、運動会等で棒を額に当て、目を閉じてグルグル回る競技がありますが、目を開けると、周りがグルグル回り、今にも吐きそうな気分になる、丁度そのときと同じ状態だったのです。寝ている間に、「脳梗塞かな」、「メニエール病かな」と不安感は募りましたが、その日は日曜日で、脳外科、耳鼻科の当番医がなく、どうすることも出来なかったのです。
 翌日、耳鼻科で診察を受けましたが、聴覚に異常はなく、「メニエール病」ではないということでした。それでは何という病気かなと不安感を抱きながら、次の検査を待っていたところ、別の検査室に連れて行かれ、スキーのモーグルの選手が着けるような大きなメガネを着けさせられたのです。横向きに寝かされた状態で、先生から「今からめまいの状態を起こします。めまいが止まったら、合図をして下さい。」という声と同時にめまいが起きましたが、約10秒位でめまいは止まりましたので、手で合図したのです。
 すると、先生が「40秒このままの状態を続けます。」という声が聞こえ、その40秒が過ぎると、私の身体は、看護師達により、ベッドに腰掛けた状態に戻らされたのです。その瞬間、あれほどまでに吐き気があったのが全くなくなり、通常の状態になったのです。先生の診断は、「良性発作性頭位めまい症」ということでした。「良性とは、脳梗塞ではないこと」、「発作性とは、前触れもなく突然起こること」、「頭位めまいとは、寝ている頭の位置によってめまいが起こること」という説明を受け、ほっとしたわけです。この病気の原因は、耳の奥にある「耳石」が動き、そのため、めまいが発生するもので、最近、この病気で病院を訪れる患者が多く、その大部分が中高年だということでした。
 その後は、寝返りを打つ場合もゆっくりする等気をつけていますので、発作は今のところ起きていません。幸い、私の場合、悪性の病気ではありませんでしたが、このようにいろんな病気がありますので、職員の皆さんも健康管理には、十分気をつけましょう。

好奇心

 エイズ病のため、アフリカでは、平均寿命が35歳位いう国があるのに、我が国は11年連続、平均寿命が82歳の世界一長寿国ですが、これに手放しで喜んでいる状況ではなさそうです。それは、例え長生きしたとしても、「寝たきり」や「ボケ=認知症」の人達が数多くいるということです。その年数は約6年位といわれますが、この状態にならないためには、若い時からそれなりの措置を講じておかなければならいということです。
 私の実母は現在90歳ですが、実家に弟夫婦達と暮らしており、腰が少し曲がり、やや耳が遠くなったものの、毎年、町主催の県外旅行には欠かさず参加したり、温泉旅行に行ったりする等人と話をしたりすることが大好きです。さらに、私が毎週届ける小説を読むのが趣味で、現在のところ、「ボケ=認知症」の症状は出ていません。実母がこのように元気なのは、何事をするにも「好奇心」があるのではないかと思っておりますが、その「好奇心」を持っている方が宮崎県内にいました。
 先日の日曜日の朝、ラジオを聞きながら散歩していますと、宮崎市内に住む今年90歳になる小川さんのことが放送されていました。小川さんは、宮崎市内の近郊の綾町で生まれましたが、娘時代、宮崎市内の裁縫学校の寄宿舎に住み、土曜日になると、郷里に帰っていたそうです。その当時、宮崎市と綾町間にはバスがなかったので、約5時間かけて歩いて帰り、翌日は、再び宮崎市を目指して出発することを繰り返していたということです。このときの鍛錬の成果かもしれませんが、現在でも小川さんは、足腰はしゃんとしており、腰も曲がってなくて、現在でも1人で電車に乗り、娘さん達が住んでいる県北まで出かけているそうです。ラジオから流れてくる小川さんの声は、元気で若々しく、アナウンサーが「小川さんは70歳位に見えますよ。」と言っていましたが、聞いている私もその通りに受け取るほどでした。何故、小川さんがこのように若々しいのか、その秘訣をアナウンサーが小川さんや小川さんの娘さん達にインタビューしていましたが、それは小川さんが何事をするにも「好奇心」を持っているということでした。
 小川さんは6人の子供を育てられたそうですが、66歳になったとき、市主催のソフトテニス教室が開催されることを知り、娘時代テニスをした経験がある小川さんはこの教室に参加したということです。テニス教室に参加したのは、若い人ばかりで、小川さんのように60歳を超えた人は誰もいなかったのですが、いざ練習が始まると、経験のある小川さんの方がうまく、たちどころに腕が上がり、小川さんはすっかりソフトテニスの魅力に取り付かれたということです。
 現在でも小川さんは、毎週1回テニスを楽しんでいるほか、卓球や、若い時に学んだ裁縫の技術を活かしての人形教室の指導、そして仲間との温泉巡り等、スケジュールがぎっしり詰まっているそうです。又、娘さんの話によると、このほか友達や家族と外国旅行することが大好きで、今まで行ったところでは、中国の「敦煌」の遺跡めぐりが一番のお気に入りだそうで、とにかく何事にも「好奇心」を持って臨んでいるということでした。結果的には、この「好奇心」が、小川さんのボケ防止につながっているようです。私達も是非、この「好奇心」を見習いたいものです。

幹事役

 私達はこれまで5年に1回位、中学校時代の同窓会を開催していましたが、中学校は町内にある二つの小学校から進学する者が集まるため、3年間ではとても全部の同級生の名前や顔を覚えることが出来ず、したがって、折角同窓会を開催しても、話が合わない等の声がありました。そこで、今年は、小学校時代の同窓会を開催しようということになり、先日、その同窓会がありました。
 私達が小学校に入学したのは、昭和22年の4月ですが、終戦後の物資の乏しい時であり、食べる物もなく、又、着る服もないという状態でしたが、それでも幼稚園や保育所がなかった時代で、小学校は生まれて始めての団体生活でしたから、喧嘩したことや先生から叱られたこと等思い出が一杯あり、わずか数時間でしたが、お互い話が尽きず、お陰で楽しい1日を過ごすことが出来ました。その同窓会で、県北の日向市からわざわざ駆けつけてきたK君が「小学生校時代の同窓会の案内を受け、喜んで出席しました。私も仕事やプライベートなことで幹事役を仰せつかった経験がありますが、幹事役は大変な仕事です。出席すると返事しておきながら、当日になってドタキャンする人を数多く見てきました。とにかく勝手な人が多い。そのような中で、本日の同窓会の開催までにこぎつけていただいた幹事役の皆さんにお礼を申し上げます。」と「幹事役」を労う挨拶をしましたが、それを聞きながら私も思わず、同感しました。
 それは、今回の同窓会の開催に当たり、現在郷里に住み、幹事役を自ら引き受けたT君が、約半年前から同窓会を開催するため、会場場所の選定、会費の交渉、卒業名簿の作成、出席の有無を確かめる往復はがきの送付等、自分の仕事をしながらその片手間に準備をしていることを知っていたからです。私達の小学生時代の同級生は約250名近くいましたが、郷里に残っている人は、その約3分の1ですから、現在の住所を探す苦労も大変な作業だと思っていたからです。
 私もこうした裏方を務めるゴルフの「幹事役」を何度かしたことがあり、その苦労の大変さは経験しています。ゴルフの場合、会場の選定や会費の交渉、メンバー組み合わせ表の送付、賞品の準備等は特に苦労はありませんが、問題は当日になって急に「今日は体調が悪い。」とドタキャンする人です。ゴルフの場合、当日になってキャンセルしますと、キャンセル料を請求されますので、その際は、キャンセルした人がその料金を支払えばよいわけですが、キャンセルした人と同じ組になっていた人は、その人の分のキャディ・フィを負担しなければならないからです。そして、「幹事役」としていつもハラハラさせられるのは、予定している全員がゴルフ場に集まってくれるかということです。中には、予定時間が過ぎても姿が見えず、携帯電話で電話してみると、「忘れていた。」「今日は都合が悪い。」といった返事が返ってくる場合があります。こうしたときは、頭に来ますが、いまさらどうすることも出来ず、ブツブツ言いながらプレーしますので、このような日に限ってOBを打ったり、スリーパットをしたりと散々な結果が出ているようです。
 こうした同窓会、ゴルフコンペのほか、宴会、忘年会等は、全て裏方を務める「幹事役」がいないと開催出来ませんので、参加する人達は、この「幹事役」の苦労を理解し、協力するようにしましょう。

信頼失墜行為

 全国の指定自動車教習所の職員の愛読書として「講習ハンドブック」という教科書がありますが、この中の70頁から72頁にかけては、「指定教習所職員の使命と心構え」という項目があり、その第1項の「良識ある社会人」には、「どんなに自動車の運転に関する知識、技能が優れていても、良識を欠くような言動や応接があっては、教習生はその指導員に対しては失望し、かつ、信頼を失うであろうし、又、指定自動車教習所の権威は失墜し、これが教習効果ひいては教習所全体にも大きく影響することになる。」と記載されています。私達指定自動車教習所に勤務する者は、常にこの教科書を手元に置いて読んでいますし、毎年行われる教習指導員及び検定員審査には、この項目が出題されることが多いため、審査を受ける人はその内容を全部暗記しています。さらに、このほかの心構えについても、それぞれ実践しているところですが、先日某県で発生した事件にはビックリするとともに、わが目を疑いました。
 それは、先日の朝、インターネットの速報ニュースを何気なく見ていたところ、画面に「女性教習指導員を道交法違反で逮捕」というみだしが映し出されていたからです。思わず、「エエッ、ウソー」と叫ぶほど驚き、そのみだしをクリックしてみると、次のような内容になっていました。それは「速度制限を大幅に上回って危険な走行をしていたとして、27歳の女性教習指導員と28歳の男性が道路交通法違反(共同危険行為)で逮捕」というもので、さらに「調べでは、2人は昨年11月未明、制限速度40キロの国道上をそれぞれ平均時速100キロ以上で走行し、しかも車線変更を繰り返すなど危険な運転をしていた疑い」という記事でした。
 現在、全国には指定自動車教習所は約1,500校あり、その自動車教習所には、それぞれ教習指導員や検定員及び職員が働いているわけですから、全部の職員が、「講習ハンドブック」に書いてあるような内容を全て実践しているとは思っていませんでしたが、それにしても、今回の教習指導員の行為は、まさに、その女性教習指導員が勤務している教習所だけでなく、全国の指定教習所に大きな影響を与える「信頼失墜」の行為でした。
 「信頼失墜行為」といえば、平成15年に奈良県で発生した指定自動車教習所の設置者等が暴力団員と共謀し、虚偽の卒業証明書を発行した事件がありますが、今回の女性教習指導員の行為は、このときの事案と異なり、いわば私的な行為になりますが、それにしてもとんでもない教習指導員がいたものです。新聞記事では、一緒に共同危険行為をした共犯者がいるということですから、おそらく、この教習指導員は、今回が初めてでなく、数年前から暴走行為を繰り返していたものと思われます。
 今回の事件について、全国で真面目に働いている指定自動車教習所の職員並びに家族の方は、どんな思いでこのニュースを見られたでしょうか。どの職員も、仕事については「誇り」を持って仕事をしているわけですから、きっと残念がっておられることと思います。
 失われた信頼を回復するためには、これまでの2倍あるいは3倍の努力を重ねることが必要です。当校の職員も他人事とせず、生徒さんから信頼を得られるような行動を取りたいものです。

育てる

 毎朝、散歩中に聞くラジオで、「おはよう一直線」という番組がありますが、その中で、時々出演する作家の堂門冬二さんが話す「歴史上の人物」はとても面白く、又現在社会にも通じる事柄が多いので、興味深く聞いています。
 先日の朝聞いた歴史上の人物は、「蒲生氏郷(がもううじさと)」で、タイトルは「育てる」でした。蒲生氏郷は、戦国時代に活躍した人物ですが、近江の国、今の滋賀県に生まれ、幼少の頃、織田信長に人質に取られて育ちました。氏郷は持って生まれた聡明さを信長に気に入られ、信長の娘冬姫と婚姻し、信長の天下統一のため、粉骨砕身の活躍を見せ、さらに信長亡き後は、豊臣秀吉方の有力な武将として活躍し、松阪藩の藩主になった人物です。氏郷は、その後豊臣秀吉の九州征伐や東北地方の平定にも参加して、大活躍をしたことから、天正14年(1590年)、秀吉から禄高42万石の会津黒川藩(福島県、後の会津若松藩)の藩主を命ぜられたのです。松阪藩は禄高20万石位だったわけですから、倍近い会津藩の禄高に氏郷の家来達は、「新しい藩では、倍近い収入があるだろう。」と口々に喜びを表したということです。やがて、この噂が氏郷の耳にも届き、氏郷は藩の重役、つまり家老や老中の人達を集め、今風に言えば、「自分がもらえると思う給料額を示せ。」と命じたそうです。殿様の命令でしたから、家臣はここぞとばかり、これまでもらっていた給料の倍近い額を書き、提出したということです。
 ところが、家老達からその報告を受けた氏郷は、その合計額を調べさせたところ、会津黒川藩の収入をはるかに上回る額だったということです。そこで、氏郷は、「家臣達は、藩の歳入がどの位あるかとか、城の補修等にどの位かかるかとといった経済状態がわからないので、今までの給料を考えて書いたものだろう。家臣達を責めるわけにはいかない。むしろ、家老等、重役の皆さんが、常々、家臣に藩の経済状態を知らしめておけば、こんな結果にはなっていなかっただろう。」と諭し、家臣達はこの殿様の言葉を聞き、藩の財政状態を知らず、給料アップを望んだ自分達を恥じたそうです。
 このように、氏郷は、幹部特に中間職にある者の育成に努め、数々の施策を講じたそうですが、この結果、会津黒川藩では、中間職の立場にある者が期待通りに育ち、藩の立場が奥州の伊達藩と直接対峙するという極めて難しい状態でありましたが、伊達藩の進出を封じ、藩主を命じた豊臣秀吉の期待に見事応えたということです。
 氏郷の「育てる」ということは、現在でも通用する施策です。団塊の世代と呼ばれた人達が次々に退職する時代になり、どの職場においても「後継者を育てる」ことに躍起となっていますが、当校もその例外ではありません。MDSには、毎年、若い人が指導員及び事務員として入社しますので、当校の平均年齢も随分若返りました。これらの若い人達は、一生懸命仕事をしていますが、幹部の人達から見れば、まだまだ未熟に見えるはずです。
 従って、幹部の人達が仕事を指示し、若い人達がそれが出来なかった場合、うまく指導すればいいのですが、指導するのが面倒だからという理由で、自分でやってしまう傾向があるのではないかと危惧しております。そうすると、折角伸びようとする芽を摘むことになりますから、そこのところはグッと我慢をして「後継者を育てる」ため、暖かく見守っていただくようお願いします。

愛国心

 先日行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)大会では、日本チームが強敵のキューバチームを10対6で破り、見事、初代チャンピオンに輝きましたが、予選リーグで韓国チームに負けたときは、これで、この大会も終わりかなと国民の大半は思っていましたから、その喜びはなおさら大きかったようです。テレビの視聴率は、準決勝の韓国戦が約38%、決勝のキューバ戦ではなんと42%ということでしたから、日頃、野球に関心のない人達までがテレビにくぎ付けになっていたということになります。
 残念ながら、宮崎県内では、決勝戦の模様がテレビ放映されず、私は優勝の瞬間の喜びを共有することが出来ませんでしたが、その日の夜のテレビでインタビューに応じる国民の喜びの声を聞いていたところ、こんな声がありました。それは若い女性でしたが、「今日ほど日本人に生まれてきてよかったと思ったことはありません。日本人であることを誇りに思います。」というものです。殆んどの人の感想が、「最後までドキドキしました。勝ててよかったですね。」とか「感動しました。王監督や選手の皆さん、ありがとう。」という内容が多かっただけに、余計「日本人であることを誇りに思います」という言葉が印象的でした。
 この言葉を聞きながら、はてどこかで聞いたような言葉だがなと思っていたところ、思い出すことが出来ました。それはアメリカの大リーグで活躍しているイチロー選手が、今大会の日本チームの一員に選ばれたとき、語っていた言葉と同じ内容だったからです。イチロー選手は今大会に出場を決めた理由を「5年間アメリカにいて、日本はすごい国だと思う。日本にいるときは感じなかったものが見えてきました。私の心の中に『愛国心』みたいなものが芽生えてきたので、王監督に恥をかかせてはいけないと考え、出場を決意しました。私は日本人に生まれてきたことを誇りに思っています。」と述べていたからです。
 それまでイチロー選手について、日本のマスコミは、ベースボールの本場アメリカで活躍していますので、スタープレヤーであることは認めていましたが、インタビューに応じる態度などから、どちらかというと、「孤高」、「クール」の感があり、個人主義のプレーヤーだと報じていましたから、このイチロー選手の発言には私もびっくりさせられました。事実、その後のイチロー選手のこの1ヶ月間の行動振りを見ていますと、後輩の選手達には自ら声をかけたり、大きな声を出して他の選手を引っ張る等、それまで報じられていたイチロー選手のイメージと全く違った行動が次々と報道されました。このイチロー選手の良い意味でのイメージチェンジが、今回、国民の共感を呼んだものと思います。
 さて、イチロー選手等が発言していた「愛国心」とは、辞典によりますと、「人が自分の帰属する親密な共同体、地域、社会に対して抱く愛情や忠誠の意識と行動である。」となっていますが、日本では、かって太平洋戦争中、誤った「愛国心」教育が行われていたため、戦後、外国特に近隣の中国や韓国からは、日本人が「愛国心」を口にすると、国家主義的な意味合いに取られましたので、この言葉はタブーとされていました。
 たしかに「愛国心」は、サッカー等国際的な競技や戦争等を契機にして喚起されることが多いわけですが、今回のイチロー選手が発言した「愛国心」は、どの国の人も持っている純粋な気持ちであり、この発言によって日本中の人達の心が一つにまとまったわけですから、その意味でも、今回のWBC大会は大成功だったと考えているところです。

声の質

 私は、テレビやラジオのニュース番組を見たり、聞いたりするのが好きですが、NHKと民間放送のアナウンサーとでは、大きな違いがあります。それは、「声の質」が全く違うからです。NHKのアナウンサーの声は、落ち着いた低い声で聞きやすく、何時間聞いていても少しも疲れません。一方、民間放送のアナウンサー、特に女性のアナウンサーの中には、キーが高くて、非常に聞きづらい人も見受けられるようです。おそらく、NHKでは、アナウンサーとして採用する時点で、「声の質」をチェックしているものと思われます。その裏付けとして、かってNHKの宮崎放送局に新人アナウンサーとして赴任し、現在、中央で活躍している男性の葛西アナウンサー、松尾アナウンサーや女性の鹿島アナウンサーの声は、聞いている人を和ませる、いわゆる良い声です。この3人は、新人の時から「声の質」が優れており、将来は東京で活躍するアナウンサーであろうと予想していましたが、そのとおりになっています。
 その点、当校にも「声の質」では、NHKのアナウンサーと引けを取らない職員がいます。それは、濱畑真紀検定員で、彼女がマイク放送で生徒さんを呼び出している声を聞きますと、間の取り方や声の大きさ等、マイクを聞いていてとてもわかりやすい「声の質」です。私はどちらかと言えば声帯が弱く、大きな声を出したりすると、すぐ声がかすれますので、このような「声の質」の優れた人を見るとうらやましい限りです。
 さて、「声の質」と言えば、私が通勤に利用しているJRの車掌さんで、声が大きいばかりで、いわゆるうるさいアナウンスをする人がいます。私がJRの電車を利用するようになってから5年が過ぎましたが、その車掌さんに出会ったのは、私が電車を利用するようになってから間もなくの頃でした。
 私が乗車する電車は、JR宮崎駅が始発の電車ですが、乗車するお客さんが少ないので、いつも座席に座ることが出来ます。その日も3両編成の最後尾の電車の席に座ると、すぐ読みかけの小説を広げ、読み始めたのです。すると、いきなり、私の座っている座席のすぐ上のマイクから大きな声が聞こえて来ましたが、その声が余りにも大きかったので、ビックリして思わずマイクを見上げたほどです。その声は、野太い声で、しかも口をマイクに近づけ過ぎているのか、まるで叫び声のようで、全く内容がわかりません。なんと言っているのか最初はわかりませんでしたが、何回か聞いているうちに、どうやら「この電車は、鹿児島中央駅行きの普通電車です。」とアナウンスしているようでした。
 アナウンスが終わったので、引き続き小説を読んでいたところ、再び、あの野太い声がマイクから流れて来たのです。近くに座っていた年配の女性も眉をひそめ、「うるさいアナウンスね。」とブツブツ言っていましたので、うるさく感じたのは、どうやら私だけではなかったようです。これではとても読書どころでなく、すぐ席を別の場所に変わりましたが、やはり同じ状態でした。そこで、ひょっとしたらマイクのせいかも知れないと考え、別の車両に移ってみましたが、やはりマイクから流れてくる声は、あの「野太い声」でした。
 その車掌さんは、50代の男性で、普段話す声を聞いていると、低い声で、唄を歌わせたらきっとうまいなあと思いますが、なぜかマイクを通すと、アナウンサーのような聞きやすい「声の質」にはならないようです。世の中はうまくいかないものです。

メモ

 先日アメリカの大リーグが始まりましたが、今年最も注目される選手は、なんと言っても日本人として初めて捕手としてデビューした「城島健司選手」ではないかと思います。その城島選手は、日本のプロ野球では、パリーグのソフトバンク球団に所属し、日本を代表する捕手でしたが、城島選手の素晴らしいところは、捕手として最も大事な投手をリードするインサイドワークに優れているほか、肩は強いし、さらにチャンスに強いバッティング等、プロ野球選手としては三拍子そろった選手です。
 その城島選手が、イチロー選手がいるマリナーズに入団するにあたり、最も心配されたのは、投手とコミュニケーションを図るために必要な言葉の問題でしたが、城島選手は、日本にいるときから、専属の先生に付いて英語の会話の勉強をした結果、オープン戦の状況を見ても、通訳なしにピッチャーとの会話は出来るほどまでに上達したようです。
 オープン戦が終わり、いよいよ今年の大リーグが始まるにあたり、城島選手がインタビューに応じていましたが、アナウンサーが「投手とのコミュニケーションはどのようにとりますか」という質問に対し、「アメリカに来てから週3回、英会話のレッスンを受けていますので、会話のことについては心配していません。また、オープン戦でマリナーズの投手の球を数多く受け、投手の癖等については、そのつどメモをしています。」と答えていました。それによりますと、そのメモには、マリナーズの投手の得意球のほか、性格、家族構成等が事細かにメモされているということですが、テレビで第1戦の模様を見た結果では、城島選手の出すサインに対し、マイヤー投手は1回も首を横に振りませんでしたから、このメモが早速役に立っているものと思われます。
 さて、いくら記憶力の良い人でも、時間の経過とともに忘れがちになるものですが、私は約20年前ごろから、常に手元にメモ帳を置き、そのつどメモするように心かげています。それはある先輩がやっていたのを見習ってはじめたものですが、良い点は、まず仕事上の失敗が少なくなりましたし、また、アイディアが浮かんだときすぐメモをしておきますと、後でそのメモを見ながらさらに見直すことが出来る等、数多くあります。
 私のメモ帳は、市販の物でなく、新聞の折込に入っている裏が白いチラシを四つ切りにしたもので、金銭的には全く負担はかかりません。このメモ帳を数冊作っておき、普段食事をする食卓やベッドの枕元に置き、思いついたつどメモするようにしています。また、散歩するときは、チラシの裏紙とボールペンをポケットには入れておき、ラジオを聴きながら、この「校長のひとり言」のテーマとなるようなことを思いつきますと、すぐメモるように心がけています。
 毎朝、朝食を終わったあと、その日自動車学校で行う仕事や連絡事項等を裏紙いっぱいに書きますが、学校に着いたらそれを机の上に置き、その事項が終わったつど、消し込むようにしています。このようにし始めてから、ミスや忘れが少なくなりましたから、この方法は私にとっては効果的な対策のようです。他の人から見ると、煩わしいと思えるかもしれませんが、今ではこの習慣が私にはすっかり身に付きましたから、メモをしたりすることは少しも苦になりませんので、これからも続ける予定にしています。

男女の脳

 先日の朝、いつものようにラジオを聞きながら散歩をしていたところ、私にとっては、興味のある話が飛び込んで来ました。それはある女医さんが「女はなぜ急に怒り出すのか」というテーマで話をされていたからです。その女医さんは、「人間の脳は、男と女では差があります。まず、その違いからお話します。」と前置きしてから、次のような話をされたのです。
 それによりますと、人間の脳には、男と女では大きな違いがあるそうですが、それは「脳梁(のうりょう)」という右脳と左脳をつなぐ神経があり、その神経の数は、女性の方が一般的に多いという結果が出ているそうです。この「脳梁」は、左右の脳の連絡網の役割を果たしていますので、女性の方が「脳梁」が太いということは、左右の脳が連絡を良く取り合っているということになります。つまり、女性は、「脳梁」を通して左右の脳が活発に動きますので、頭の回転が早い割りに、その気持ちが相手に通じないときには、感情が急に高まり「「怒り出す」ということになるそうです。その点、男は「脳梁」が細いので、割と淡白に受け止めますので、急に「怒り出す」ということは少ないそうです。
 その例として、夕方帰宅した主人に、その日にあった出来事を奥さんが話し出すと、最初は主人も「ああ、そうか」と相槌を打っていますが、奥さんの話が微にいり細にわたり延々と続きますので、遂には「結論を先に話せ。」ということになります。奥さんとしては、あれも話したい、これも話したいのにと思っていたのに、ご主人から話の腰を折られ、「私の言うことがぜんぜん解っていない」ということになり、感情が高ぶって「怒り出す」ということになるのだそうです。その例を聞き、私もたびたびそのような経験がありましたので、思わず苦笑したところです。このような場合、男としては、女性の「脳梁」が太いということを考え、気長に奥さんの話を聞いてやることが肝要だそうです。
 さらに、女性は「おしゃべりをする」と言われますが、それも脳の違いだそうです。女医さんの話によりますと、男は話をするとき、左脳だけを使いますが、これに比べ、女性は左右の脳を巧みに使って話しますので、会話が次々に出来るということです。その例がいわゆる「立ち話」で、スーパーの店内では、女性同士が延々と「立ち話」をしている姿を必ず見かけますが、それは、男女の脳の違いからだということです。「おしゃべり」と言えば、女の子は男の子に比べ、ペチャペチャよくしゃべりますが、これは男の子は、女の子よりも左脳の発達が少し遅れるからで、うまくしゃべれないからといってけっして悲観することはないそうです。
 また、男の脳はワンパターンなので、一度に二つのことをするのが苦手で、例えば、テレビを見ているとき、奥さんから何か言われてもそれが耳に入らず、たとえ耳に入ったとしても「うるさい、今テレビを見ているから。」ということで夫婦けんかになることがありますが、それは男女の脳の違いが原因だということでした。
 このように、男女の脳に違いがあることを初めて知りましたが、もちろん例外の人もいますから、全てこのようにうまくいくとは限りません。しかしながら、この話は、自動車学校における教習に当たっては、大変参考になりますので、是非活用してみてください。

人間性

 長く付き合っている友達でも、その人が持っている本性、つまり「人間性」を見抜くことは困難ですが、それが出来る方法が私の体験では二つあります。
 まず、その一つは「マージャン」です。私は今から30年前、マージャンを覚えましたが、テーブルを囲んで何回かマージャンをするうちに、平素は温和で、尊敬出来る人物だった人が、プレー中で意外な面を見せ、それが相次ぎましたので、すっかり嫌気が差し、友達関係を私の方から切ったことがあります。
 マージャンでは、初歩的段階のときはプレーがゆっくりしていますが、ある程度慣れてくると、段々そのスピードが速くなります。そうなりますと、麻雀稗を順序良く並べなくても、自分の目の前にある牌は大体解るようになり、自分の番が来なくても牌を取る、いわゆる「先ヅモ」という行為が行われのですが、ベテランの人になると、裏返しになっている牌を握っただけで、親指の感触からその牌が何であるかすぐわかるのだそうです。しかし、それでも他の人が「チィー」とか「ポン」と言って鳴いた場合は、「先ヅモ」した牌は元の所に返さないといけないようになっているのです。
 ところが、私の体験した中で、隣りに座っている人が、「先ヅモ」した牌と自分の面前に並べられている牌をあたかも手品師がするように、素早く入れ替え、何食わぬ顔で面前の牌を返してしまったのを見たことがあるのです。その人は平素は、性格的に温和で、教養もある人でしたので、友達として付き合ってきたのですが、その不正行為を眼にしてからは、その人の「人間性」がわかり、その後はその人と麻雀をすることはなくなったのです。
 その二つは「ゴルフ」です。「ゴルフは紳士のスポーツである。」と言われていますが、私の体験した中では、こんな不正行為をするプレーヤがいました。その人がドライバーを打ったところ、私が見た限りではボールはスライスしてOBゾーンを超えたのですが、その人は「ひょっとしたら木に当って跳ね返ったも知れない。」とブツブツ呟きながら、ボールの落ちた付近に歩いて行きだしたのです。その人は、日頃から、OBゾーンを超えたボールを足で蹴飛ばしてセーフにする等不正な行為を度々すると聞いていましたので、私はその人の行動振りをそれとなく見守っていたのです。その人は、ボールの落下地点付近をしばらく捜すフリをしていましたが、しばらくすると「あった。やはり木に当って跳ね返っていたのだ。」と大きな声で私達に伝えたのです。そんな馬鹿なはずがありません。私が見た限りでは、明らかにOBゾーンをはるかに越えましたし、木に当った音はしませんでしたから、ボールがフェアウェイにあるはずがないのです。私は、その人の行為にあきれてしまい、注意しようと考えましたが、クラブ杯でもなかったので、そのまま見逃し、プレーを続けたのです。
 私はそのとき、絶対この人とは同じ組ではプレーしたくないと思っていましたが、その後この人は、同じような不正行為をしてしまい、ゴルフ仲間から除名されたことを人伝えに聞きました。やはり、本性をあらわしてしまったのです。このように、いくら聖人君子のように表面を繕っていたとしても、何気ない行為でその人の「人間性」は出て来ます。私にとっては良い体験になりましたので、心して行動したいと考えているところです。

認知症ドライバー

 平成14年の道路交通法の一部改正で、更新期間が満了する日における年齢が70歳以上の者は、高齢者講習を受講しないと運転免許が更新できなくなりましたが、当校においても年々その受講者も増えているようです。さらに、警察庁発表の統計をみますと、高齢者ドライバーの増加に伴い、高齢者が関係する事故も毎年毎年大幅に増えてきているそうですが、その中でも最も心配されているのが「認知症ドライバー」です。その数は30万人とも40万人とも言われていますが、まだ認知症と認定されていないドライバーを含めると、膨大な数になるそうです。
 さて、その「認知症ドライバー」に関する特集が、先日NHKのテレビで放映されていましたが、高齢者講習を行っている当校でも参考になる内容でしたので、紹介します。それによりますと、まず、今年69歳になる女性が、5年前に医者から認知症と認定されましたが、ご主人が眼が悪く病院通いをしなければならない状態だったので、奥さんは引き続き車を運転していた様子が紹介されました。
 ところが、お母さんが認知症と認定され、そのまま運転していることが心配になった娘さんが、久方ぶりに実家に帰ってみたところ、車のあちこちに傷がついており、お母さんに聞いてもいつ車をぶつけたかわからないということでした。ある日、こっそりお母さんの運転する車の後を追ってみたそうです。すると、お母さんが運転する車は、ふらついたり、車間距離が短くなったりし、さらには一時停止の所では、停止せずそのまま通過する状態だったので、娘さんはびっくりして、お母さんに対し運転をやめるように強く訴えたそうです。しかし、お母さんはお父さんを病院に連れて行かなければならないということで、そのまま運転を続行していましたが、遂に2年前に交通事故を起こしてしまい、娘さんはお母さんを強制的に施設に入れ、車は廃棄処分してしまったということです。
 最近、このような「認知症ドライバー」による交通事故が増えているそうですが、「認知症ドライバー」を専門的に研究している愛媛大学医学部の研究チームが、これら認知症と診断されたドライバーに対し、シュミレータ実験を行ったところ、ほとんどの方がハンドルがふらつき、飛び出しがあっても全く反応がなく、また、信号無視や一時不停止が随所に見られたということです。これは認知症になると、社会的な基本ルールがわからなくなっているからで、高齢者ドライバーに、一方通行違反や高速道路における逆行が多いのはそのためだそうです。
 警察庁でも、「認知症ドライバー」が交通事故の大きな原因になっていることを把握しており、運転免許更新の際、運転者が認知症かどうかを検査する方法を導入予定で、今年の秋ごろにはその結果を出し、道路交通法を一部改正する構想を持っているということです。
 愛媛大学医学部の研究チームの調査研究結果では、認知症あるいはその予備軍の人達の運転振りを見ると、「センターラインを超える」、「路側帯に乗り上げる」、車間距離が短い」、「右折や一時停止の際、注意が散漫になる」が共通点になっているということでした。当校で高齢者講習を担当する指導員は、上記のような「認知ドライバー」の特徴点をしっかり把握し、兆候があると認められたときは、早目の治療をしていただくよう、家族と連絡を取るようにしましょう。

先生

 「あなたは、どんな職業の人を先生と呼びますか」と問われた場合、すぐ私の頭に浮かぶのは、小学校や中学校、さらに高校のとき教えを受けた先生、つまり教師の姿です。そのほか、「先生」と呼ばれている職業は、医師、弁護士、国会議員等がありますが、先日テレビで見た、今年77歳になる競走馬の蹄(ひづめ)を削る「削蹄師」の資格を持つ人も、弟子達からは「先生」と呼ばれていましたので、世の中には「先生」と呼ばれている職業の人は意外と多いようです。
 MDS (都城自動車学校)では、入校してくる生徒さんに対し、特に、「指導員の呼び名をどのように呼んでください。」と指示していませんが、大半の生徒さんは、教習指導員を「○○先生」と呼んでいるようです。中には、年配の指導員が自分の子供と同じ年頃の女子高校生から「おじちゃん」と呼ばれ、目を細めながら満更でないという感じで会話している様子も見ることもあります。また、教習と教習の間の10分間のインターバル時間や昼食時間ともなると、職員室には生徒さんが出入り姿が数多く見られ、口々に「○○先生、卒業検定試験に合格したよ。」とか「教科書のここのところが良くわからないけど、どういう意味ですか。」等と言いながら、指導員と話し合っています。1月から3月までの間の繁忙期に入校した生徒さんの中には、制服姿の高校生の姿が目立ちますが、特に、この人達が指導員と親しそうに話しているようです。
 生徒さんが指導員を呼ぶときの方法については、宮崎県内では「先生」が圧倒的に多いようですが、中には県外のある自動車学校のように、「インストラクター」と呼ばせている学校もあるようです。その理由について、先日その学校に電話で問い合わせをしたところ、「生徒さんはお客さんですから、そのお客さんに指導員のことを先生と呼ばせるのはおこがましい。従って、生徒さんと一緒に勉強するという考えから、当校では『○○インストラクター』と呼んでもらっています。」ということでした。
 このように、自動車学校によって教習指導員を呼ぶ方法は異なっていますが、私が最も危惧していることは、当校の教習指導員が「先生」と呼ばれているうち、慣れっこになってしまい、自分の立場を見失わないかということです。それは、公安委員会の審査試験に合格し、新しく教習指導員になった当校の職員の様子を見ていますと、早速、生徒さんからは「○○先生」と呼ばれ、最初は照れているようですが、それが1年、2年と経過するうちに、段々、生徒さんと話す口ぶりも変化してきます。どのように変わるかと言いますと、最初の頃は、生徒さんと話す口ぶりも丁寧ですが、生徒さんが、「卒検に合格したよ。」と報告に来ると、「おお、合格したか、それは良かったね。」という具合に変化してくるのです。本人はその認識は全くないようですが、端から見ているとその変化が良くわかります。
 確かに教習指導員は、運転免許を取得するために必要な技能や学科の指導はしますが、本来の「先生」ではありません。従って、生徒さんから例え「先生」と呼ばれたとしても、生徒さんから教習料金をいただいて教育をしているという自分の立場を忘れず、いつまでも教習指導員になったときの新鮮な気持ちを保持し、驕ることなく、日々研鑽してほしいと願っています。

プロの指導

 ここ数年、私方には毎年2月頃になると、掛かりつけの歯科医院から「歯の調子はいかがですか。」という葉書が届きます。その便りがあると不思議なことに、それまで痛みも全くなかったのが、葉書を見た途端、被せていた歯がはずれて取れてしまったり、また、虫歯が痛み出したりする等、たちまち歯医者に通う状態となっています。
 私がその歯科医院を利用するようになってから、もうかれこれ10年になりますが、利用するきっかけは、それまで通っていた歯科医院の歯科衛生士の態度が気に食わなかったからです。それは歯が痛み出して歯科医院に行ったところ、女性の歯科衛生士から「歯磨きの仕方が悪い。これだったら虫歯になるのは当然です。」と言われたからです。私としては、歯が痛いわけですから、早く治療してもらいたいと考えていたのに、お節介な歯科衛生士のこの一言で完全に切れてしまい、治療途中で現在の歯科医院に転院したわけです。
 転院した歯科医院ですが、その医院の良いところは、治療に当たっては痛みがあまりないこと、先生を始めスタッフの人達が明るく挨拶をしてくれること等がありますが、私が最も気に入っているのは、歯科衛生士に対するしつけが行き届いているからです。例えば、虫歯の治療に行きますと、先ず先生からレントゲンに撮られた虫歯の模様と今後の治療方法の説明があり、その後、歯科衛生士が治療をするわけですが、その歯科医院では、治療が終わると、いつも歯科衛生士が歯の磨き方等を懇切丁寧に教えてくれるようになっています。その教え方は、「食後、いつも磨いていらっしゃるので、道理で、歯がきれいなのですね。」と患者の気持ちをいったん持ち上げた後、私に手鏡を持たせ、歯の裏側の方を見させてから、「歯の裏のこの部分に歯垢がたまりやすいので、歯ブラシをこのように使って歯垢を取り除いてください。」という具合に手取り足取りで指導してくれるのです。私としては、歯の磨きをほめられたわけですから、悪い気分はせず、すんなり歯科衛生士の指導に従ってみようという気持ちが自然に湧いて来るので、この医院の「プロの指導」には感心しているところです。
 さて、「プロの指導」といえば、自動車学校における教習も、同じことが言えるのではないかと思われます。それは入校してくる生徒さんの年齢は、18歳から70歳位までと幅が広く、それに器用な人もいれば反対に何をやらせても不器用な人がいますので、どの人に対しても同じ方法で指導していたのでは、運転技術を向上させることは困難です。例えば、いくら教えても同じような失敗を繰り返す生徒さんに対して、「何回言ったらわかるんですか。」とか「下手だな。」等と言ったり、舌打ちしたらどうでしょう。生徒さんとしては、自分の不甲斐なさにガッカリしているところに、追い討ちをかけるような指導員の言動にあい、完全に切れる場合もあるかと思われます。逆にほめるだけだったり、あるいは教習時間中、指導員から次から次に指導の言葉が浴びせられても、技術の向上は期待出来ないはずです。
 そこで、私が教習指導員に望みたいのは、教習指導員はプロですから、50分の教習時間のうち、初めの10分位で生徒さんの技量や運転の癖は見抜き、それに合った指導をしてもらいたいということです。つまり「プロの指導」をしてもらいたいわけですが、そのためには、指導員自ら「如何にしたら生徒さんに理解できるか」を研究し、わからないときは先輩の指導員の指導方法を盗んで自分のものにする等の努力が必要だと思います。その努力が、結果的にはMDSへの信頼につながるものと信じています。

2006年5月22日

スライドドア

 最近の自動車を見ていますと、毎年毎年、車のスタイルはもちろんですが、機能面でも消費者にとっては使いやすいように改善されていますが、反面、危険が伴う部位があるようです。それはミニバンなどに多く採用されている「スライドドア」ですが、私も実際、その危険な現場に遭遇したことがあります。
 先日の夕方、妻を乗せて近くのスーパーに出かけ、妻が買い物をする間、駐車場の車の中で待っていますと、やがて私の車のすぐ右横に1台のミニバンが停止し、運転席から主婦らしき女性が降りて来ました。すると、助手席側のドアが開きましたので、そのドアを見ると、最近流行の「スライドドア」で、車の中から小学低学年と思われる男の子が降りて来ました。男の子は車から降りるとすぐ、自分でドアの取っ手を掴み、ドアを閉めようとしたのです。私は何の気なしにそのミニバンの中を見たところ、車の中には男の子より小さいと思われる女の子の姿が見え、その女の子は、兄に続いて車から降りようとしていたのです。私はその光景を見て思わず、「危ない」と叫んだのです。それは、男の子は、妹が続いて降りてくるのに気づかず、「スライドドア」を閉めようとしていたからです。女の子は私の声にびっくりしたのか、車から降りるのを中断して頭を引っ込めた瞬間、男の子が引いた「スライドドア」が「バタン」という大きな音を立て、閉まったのです。これまで何回か、「スライドドア」の閉まる速さを見たことがありますが、このとき見たドアの閉まる速さはあっというほど早かったのです。もし、妹がそのまま、車から降りようとしていれば、間違いなくドアにはさまれ、大怪我をするところでした。
 さて、この「スライドドア」ですが、国民生活センターの調べでは、2000年度以降2005年10月末までに、子供が自動車のドアに挟まれた事故が755件も発生しているそうです。そのうち「スライドドア」による事故が40件もあり、年々その数が増加しているということです。その「スライドドア」を閉める衝撃力は、通常のドアに比べて約 2倍の92キロから231キロ重がかかるという実験結果も出ているということですから、場合によっては手指を切断するという事態にも発展する可能性があるようです。
 ドアに手足をはさまれる年齢は、圧倒的に10歳未満が多いそうですが、これは保護者の不注意で起こることが多いようなので、特に小さい子供を自動車に乗せてドアを閉めるときは、子供が手や足などをドア部分に出していないかどうかを確認することが大切です。更に子供がいたずらをしてドアを開閉することが考えられますから、車内からドアを開けられないチャイルドロックを装置することが、事故を未然に防ぐ対策のようです。
 また、病院側から見ると、万一ドアに指を挟まれる事故が発生した場合、出血しているなら患部をハンカチなどで軽く押さえて止血することが大切で、輪ゴムや紐等できつく縛ると血が流れなくなり、切断という結果になりかねないので、早目に病院で治療を受けるように勧めているようです。
 当校の駐車場においてある職員の車を見ますと、「スライドドア」を装置している車が何台かあるようですので、子供さんを降車させる場合は、くれぐれも怪我のないよう、細心の注意を払ってください。

2006年5月29日

七癖

 今年のプロ野球のオープン戦で、「エイッー」という掛け声をかけながら投球する新人のピッチャーがいましたが、最初の登板では、スピードがあってなかなか相手チームの打者が打てず、新人としては有力なピッチャーという評価でした。しかしながら、次に登板した試合では、投げても投げても次から次に打たれ、あえなく1回も持たずKOされましたが、打たれた原因を聞いて、さすがはプロだなと感心したところです。
 その原因とは、この新人ピッチャーは、ストレート(直球)を投げるときは、必ず「エイッー」という掛け声を出していたそうです。つまり、掛け声が出た時は、ストレートですが、逆に声がないときは、カーブ等の変化球ということですから、打者としてはその見極めが瞬時に出来ますから、楽に決め打ちできるということです。このように相手ピッチャーの癖を早期に見抜くのは、各チームが雇用しているスコアラーの活躍によるものだそうですが、さすがにプロです。たいしたものです。
 さて、自分には癖はないと思っている方があるかも知れませんが、「無くて七癖」という言葉があるように、人には誰でも「癖」を持っているそうです。例えば、「コロッケ」という物まねをするコメディアンがいますが、この人の十八番は、「淡谷のり子」「ちあきなおみ」等の物まねです。20数年前になりますが、あるテレビ番組で、その淡谷のり子がゲストのとき、その目の前で、売り出したばかりのコロッケが淡谷のり子の物まねをしたのを見たことがあります。その仕草の特徴が「淡谷のり子」とあまりにもそっくりだったので、会場は爆笑に包まれ、テレビを見ていた私も思わず大笑いしたことがあります。すると、「淡谷のり子」が「私は、そんな歌い方はしていない。」と本気で怒ったことことがあります。「淡谷のり子」本人は自分の癖を全く気づかないようでしたが、コロッケが演じる唇を突き出す仕草等は「淡谷のり子」そっくりで、良くこれほどまでに特徴を掴んだものと感心したのものでした。
 そのほか、目下売り出し中の女子プロゴルファー「宮里藍」選手にも、話す時に「癖」があります。それは、「宮里藍」選手といえば、いつもはきはきとインタビューに答えてくれますので、さわやかな印象を受けていますが、その「癖」は、話の後に必ず自分で「ハーイ」と返事することです。本人はその「癖」には全く気づいていないようで、その後のインタビューを見ていても、相変わらず会話の後には「ハーイ」という返事が聞かれます。
 そのインタビューを見て、私にも「癖」があるのではないかと考え、先日、当校の事務職員に聞いてみたところ、「ええっ、私が言うんですか」と言いながら何か口ごもっていましたが、具体的には答えてくれませんでした。その様子から察すると、私にも何か「癖」があるなと思い、いろいろ思い巡らせて見ましたが、どうしてもわかりませんでした。
 そこで、当校の職員にも「自分の『癖』を知っていますか」と尋ねてみましたが、誰も自分の「癖」についてはっきり答えた人はありませんでした。それが「無くて七癖」ですが、そうは言っても、私が持っている「癖」が、周りの人に迷惑をかけているといけませんので、職員の人で私の「癖」に気づいた人がいましたら、メモで結構ですから、そっと教えて下さい。