校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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稲むらの火

 昨年末のスマトラ沖の大地震とその後に発生した大津波では、被害が発生地のインドネシアのほか、インド洋に面した各国、さらに遠くアフリカ等10数カ国にも及び、犠牲者は、日本人も含め、10数万人に達しており、いまだ身元がわからない遺体が多数あるほか、行方不明の人も相当数あると報道されています。
 今回の災害では、地震より津波による犠牲者が多く出ており、その模様を撮影したビデオがテレビを通して数多く見られました。その中で、地震直後に撮影されたビデオで、浜辺の波が見る見るうちに沖合いに引き始め、そのため、浅瀬になった所で魚がピョンピョン跳ね、その魚を取ろうと浅瀬に走る住民の人達が映し出され、数分後、沖合いの波が急に盛り上がり、大津波が押し寄せる場面が映し出されました。
 その場面を見て、ふと小学生のとき習った国語の教科書を思い出しました。何年生の時だったかやその話のタイトルは何だったかはよく覚えていませんが、その話は、地震のあと、急に引き始めた波を見て「津波が来る」と直感した庄屋が、収穫したばかりの稲束に火をつけ、村人を津波から救ったという内容でした。
 私の妻も私と同世代ですからこの話をしましたが、記憶にないということで題名のことはあきらめていたところ、先日の新聞に「小泉八雲著『稲むらの火』が副読本に・・津波の恐ろしさ伝える」という見出しがついた記事が掲載されているのが目に入りました。
 この物語は、江戸時代(1854年)の安政南海地震のときに、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)の庄屋浜口儀兵衛が、地震後の異様な速さの引き波で津波を察知し、収穫したばかりの自分の稲束に火を放ち、火事と思わせて村人を集め、津波から多くの命を救った実話をモデルにしたものです。
 小泉八雲がこの話をもとに短編小説「生ける神」を書き、この小説を読んだ浜口儀兵衛と同郷の教師中井常蔵が「稲むらの火」を教材用として書き上げ、昭和12年から小学国語読本として全国の小学校に登場し、約1,000万人の児童に感銘を与えたということです。その教科書は終戦直後まで使われたということなので、私の記憶にあるこの物語は、この「稲むらの火」だったのです。
 小泉八雲は、ラフカディオ・ハーン人という英国人で、明治時代来日し、日本人を妻にするとともに、名前も「小泉八雲」と改名したほどの親日家で、熊本の第五高校の先生や東京大学の教授を歴任したほか、小説家としても知られ、「怪談」等の著書があり、多くの著書を外国に紹介し、短編小説「生ける神」も当時外国に紹介されたそうです。
 この「稲むらの火」の教科書は、終戦後の学制改革で国語の教科書から外されていましたが、今回のスマトラ沖の大地震及び津波の災害が発生後、小学校の先生から復活の声が上がり、平成17年度から小学校6年生の道徳副教本に掲載されることが決まったということです。
 もし、インドネシアの人達も、この「稲むらの火」のことを知っていたならば、多くの命が救われたはずですから、今回の副読本採用は、日本の人達にとっても地震が発生した場合、きっと役に立つものと確信しています。

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2006年05月15日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

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