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校長のひとり言ブログ

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2007年1月 アーカイブ

2007年1月 4日

脳梗塞

 60歳を過ぎると、身体のあちこちにガタが出てきたようで、年に数回は体調を崩し、病院にお世話になるようになりました。そこで、3年~5年に1回は、胃腸検査、大腸がん検査、脳検査をそれぞれ受けていますが、先日、その脳のCT検査のため、自宅近くの脳神経外科病院に行ったところ、私が思っていた以上に「脳梗塞」の患者が多いことがわかりました。
 その病院は、県内では有名な脳神経外科病院のせいか、午前9時頃病院に行ったときには、診察を待っている人が多く、待合室は満杯の状態でしたので、受付を済ませ、しばらく待合室で立って待っていると、奥のリハビリ室から奥さんらしき女性に手を引かれ、びっこを引きながら杖をついて出て来た初老の男性が私の目の前を通り過ぎたのです。
 私は何気なくその男性を見たところ、なんとその人は約10年位前、私と一緒に仕事をしていた先輩のSさんだったのです。目の前のSさんは、かっての元気だった頃の姿ではなく、奥さんの話によると、2年前に「脳梗塞」を患い、現在リハビリに通っているということでした。Sさんは、歩行もままならず、おまけに失語症のためか、うまく口がまめらず、見ていてとても気の毒になり、話をそこそこに打ち切りましたが、意外と「脳梗塞」を患っている人が多いことを知ったのです。
 さて、その「脳梗塞」とは、動脈硬化で脳の動脈が狭くなったり、心臓などから血栓がはがれて流れて来たりして、脳の血管が詰まる病気ですが、脳細胞に栄養や酸素が送られないと細胞が死に、半身まひなどの後遺症や死亡につながるといわれています。その脳梗塞には、従来、血栓を溶かす効果的な方法がなく、脳梗塞が広がるのを防ぐ薬などが投与されてきましたが、先日テレビで放映された「最先端医療の奇跡」によると、最近、「脳梗塞」の新治療薬として「t-PA」が開発され、熊本市内の病院では、早期にこの薬により、患者が一命を取り留めた状況が放映されていました。
 この「t-PA」は、血栓に吸着して効率よく血栓を溶かし、脳の血流を速やかに再開させるものですが、この新薬を使う場合には制約があり、脳梗塞の発症後3時間以内に「t-PA」治療を行うと、3か月後には、後遺症もなく社会復帰出来ますが、発症から長時間たった後にこの薬を使うと、逆に、脳出血の恐れが高まり、効果も乏しくなるということです。
 そこで、「脳梗塞」の症状といわれる
   ○片方の手足など半身の動きが急に悪くなる。
   ○突然ろれつが回らなくなる、言葉が出にくくなる。
   ○片方の目が見えにくくなる、視野が狭くなる。
   ○突然ふらつき、歩けなくなる。
という状態が、もし自分自身や家族に見られたときは、いち早く119番し、3時間以内に専門病院の治療を受けることが何よりも肝心なようです。
 テレビでは、熊本県内の専門病院のことしか放映されていませんでしたが、この「t-PA」という新薬の効果が広がれば、やがて数年以内には、全国で専門病院などの体制が確立されるものと信じています。そうなれば、我が国から「脳梗塞」という恐ろしい病気がなくなるわけですから、是非、そのような世の中になって欲しいと願っているところです。

2007年1月 9日

指導員冥利

 「冥利」とは、目に見えないご利益(りやく)という意味ですが、「冥加(みょうが)」、「冥益(みょうやく)」も同じことです。この言葉は、元々仏教用語で、仏様が知らず知らずの間に与えるご利益のことだったそうですが、それがいつのまにか、自分が受けた恩恵のことを意味するようになったということです。「冥利」という言葉は、「男冥利」、「役者冥利」、「教師冥利」等、いろいろなところで使われていますが、このうち「男冥利に尽きる」とは、男に生まれたという幸せ(幸福)を意味し、「教師冥利に尽きる」とは、いい生徒を持ったりして教師になった幸せをしみじみ味わうことを意味しています。
 この「冥利」という言葉については、自動車学校の指導員の場合も同じことが言えると思います。例えば、MDSの場合、仮免試験や卒業試験の合格発表は、昼休み時間に行われることが多いようですが、発表が終わった直後、合格した生徒さんが職員室に押しかけ、担当した指導員の姿を見ると、その傍に駈け寄り、「先生合格したよ。」と大きな声で報告する姿をよく見かけます。中には、合格した喜びに感激し、目に嬉し涙を浮かべた生徒さんもあるようです。それに対し、指導員も「おめでとう」と答えていますが、その顔を見ていると、まるで自分が合格したかのような笑みを浮かべています。このような光景を見るたびに、私は、「指導員冥利に尽きる」という言葉をしみじみ味わっているところです。
 さて、その中でも、先日卒業したAさんの場合、「指導員冥利に尽きる」という言葉がまさにピッタリでした。Aさんが当校に入所したのは、昨年の10月ですから、卒業するまでには約3ヶ月かかったことになります。もちろん、高校に通いながらの教習ですから、ある程度の時間はかかりますが、彼の場合、同じ高校生よりも3倍の時間を要しました。それは、Aさんは、いわゆる勉強嫌いというか、学科教本を見て内容を理解することが苦手な方で、なかなか仮免学科試験に合格することが出来なかったのです。
 そこで、担当の指導員や学科担当部長等が相談し、職員室の中でAさんを座らせ、問題を与えて採点し、間違った所はAさんが納得するまで指導する方法をとったのです。勉強の苦手なAさんは、最初は嫌がっていましたが、担当部長等が根気よく丁寧に教え、いい点数を取ると、「よく出来るようになったね」と誉められたりしているうちに段々成績も上がり、12月中旬には、待望の仮免学科試験に合格したのです。そのときのAさんの喜びようは、まさに身体中で表わしているという表現がピッタリで、担当部長や指導員のところに駆けつけるや、「先生、僕は合格したよ」と何度も何度も同じ言葉を連発していました。
 そのAさんも、年が明けた先日の卒業検定試験では、見事に1回で合格することが出来ましたが、その喜びは、今まで見せた以上の喜び様でした。職員室に入ってくるなり、「先生、合格したよ。これも先生のお蔭です。」と担当指導員のほか、学科教習を担当した指導員等に、何度も同じ言葉を発して喜びを表していました。そこには、身体が大きく、見た目にはとても素直ではないという印象を持っていたAさんの姿は全くなく、無垢というか、純真な子供のような輝く顔があったのです。それに応えるかのように、指導員が「よく頑張ったね。おめでとう」と声をかけると、しっかりと指導員の手を握りしめていました。
 このように私達は、知らないうちに誰かのために役に立っているわけですから、「指導員冥利」という言葉を忘れず、常に初心の気持ちで初心運転者の育成に努めましょう。

2007年1月15日

110番

 警察では、毎年1月10日を「110番の日」と定め、イベント等を通じて「110番制度の仕組み」「110番の正しい利用方法」等、「110番」の正しいかけ方を呼びかけています。「110番」は、警察への緊急通報用電話番号で、交通事故や泥棒、ケンカなど警察に通報する場合に利用するもので、今や日本国中、子供から大人まで知っている電話番号です。反面、イタズラや無言電話が多く、緊急事案の処理や救急車の手配が遅くなる等の影響が出たため、イタズラ電話を防止し、有効かつ適切な利用を呼びかけるため、1985年(昭和60年)警察庁が記念日と定め、翌1986年1月10日から全国的に行われるようになったものです。
 さて、この「110番」は、戦後、日本を占領していたGHQの勧告により、1948年(昭和23年)10月1日に開設されましたが、これは、ヨーロッパやアメリカの緊急通報制度を取り入れたものです。当初は、東京都内の23区、大阪、名古屋、福岡、京都、神戸の六大都市のみのスタートでしたが、東京と名古屋だけが「110番」で、他の都市は「1110番」という4ケタの番号だったそうです。それが全国的に統一され「110番」になったのは、昭和35年5月からです。
 また、警察への緊急電話は「110番」というのは、子供でも知っていますが、それは何故そうなったのかと言いますと、終戦直後の電話は、現在のようなプッシュ式でなく、ダイヤル式でした。警察にかけるときは急いでいるので、一番ストッパーに近く、シャツシャツとかけられる1を2回、そして最後の1つは「でもとりあえず冷静になってみよう」ということで、ストッパーから一番遠い0が採用され「110番」になったということです。
 自動車学校では、学科教習「交通事故のとき]の中で、運転者の義務として「警察への報告」を教習するわけですが、「110番」する場合、その仕組みやかけ方の要領を知っておくと、大変参考になります。
 先ず、「110番」は、宮崎県の場合、県内のどこの地域からかけても、宮崎市にある警察本部の通信司令室につながり、直ちに、無線指令で最寄の警察署のパトカーや交番、駐在所の警察官が現場に急行する仕組みになっています。
 また、交通事故を起こした場合、気が動転していて事故の現場がどこがわからない時があります。その際は落ち着いて近くの九州電力の電柱を探してください。宮崎県警では、九州電力とタイアップし、高さ3メートル位の所に設置してある電柱番号が全て「110番受理システム」の中に組み込まれていますので、田んぼの中の道路で事故が発生しても、電柱に書いてある番号、例えば「348テ928」という電柱番号を通報すると、たちまち通報場所がわかるようになっているのです。
 さらに、現在、「110番」の約6割は、携帯電話からの通報となっているそうですが、その場合、警察では、現場の状況、場所を説明するため「現場を離れないこと」、電波状態により会話が途中で切れてしまうので、「移動しながら話さないこと」、警察から電話をかけなおすことがあるので、「電源を切らないこと」等の注意事項を呼びかけています。
 一般ドライバーの場合、「110番」する機会は滅多にありませんが、もしかけるときは、上記のことを参考にし、落ち着いて通報するよう指導してください。

2007年1月29日

当たり前

 マルチタレントの「みのもんた」が司会のワイドショー番組で、発生した事件・事故等について、自らコメントする場面がありますが、先日の朝、その中で、プロ野球オリックスの前川投手が、無免許運転で女性をひき逃げしたとして、警察に逮捕された事故が取り上げられていました。
 その事故は、平成19年1月6日の午後2時ごろ、大阪市中央区心斎橋2丁目の交差点で、前川投手が無免許で車を運転して通行中、自転車で横断歩道を通行していた女性をはねて怪我を負わせたが、そのまま逃走したものです。この事故について、コメントを求められた「みのもんた」は、開口一番、「無免許運転をしたらいけないことは誰でも知っているでしょう。ましてやひき逃げするとは、言語道断です。このような『当たり前』のことが出来ない人間はプロ野球選手として失格ですね。」と切り捨てました。 その「みのもんた」らしい、スパッとしたコメントを聞き、私も全く同感でした。というのは、テレビや新聞の報道等によりますと、前川投手は、運転免許を取得していましたが、平成14年にスピード違反や駐車違反等の累積により、免許を取り消されたそうです。しかしながら、その直後に、ジープ型のベンツを購入し、球団の広報誌にも「愛車はベンツ」と記載していたばかりか、堂々と無免許で運転して球場通いしたり、買い物に行ったりしていたということです。さらに、警察の調べによりますと、今回の事故も、前川投手が運転していた方向の信号は「赤」だったということですから、事故の非は、全て前川投手にあったわけです。それにもかかわらず、事故直後、車から降りてきた前川投手は、自転車乗りの被害者に対し、文句を言い、その事故の様子を見ていた警察官から運転免許証の提示を求められると、「免許証は車の中に入れています」と答え、そのまま逃走したということです。
 前川投手が取ったこれらの行為を検証してみると、普通の人だったら、「免許を取って車を運転する」、「信号に従って車を運転する」、「交通事故を起こしたら、負傷者を救護する等の措置を取り、ひき逃げしない」という行為をとるのが「当たり前」ですから、これに反した今回の前川投手の行為は、情状酌量の余地は全くないといっても過言ではないようです。
 前川投手は、PL学園高校のとき、春夏の甲子園大会に3回出場する等、速球派左腕投手として注目され、ドラフト1位で当時の近鉄バッファローズに入団し、5年目にはチームでは最多の12勝を挙げて近鉄のリーグ優勝に貢献するなど、将来を期待された投手だったのです。しかしながら、その後は振るわず、平成15年には阪神タイガースにトレードされましたが、膝などの故障で平成16年末には、阪神も首になったのです。幸い、近鉄当時の監督だった仰木氏に救われてオリックス球団に移籍し、昨年は3年ぶりに1勝しましたが、その後は左手指の故障等で出場する機会がありませんでした。
 事故後、オリックス球団は記者会見をし、前川投手を無期限の謹慎とする処分を発表しましたが、その後、「当たり前」のことが出来ない選手を今後、試合に出場させることは、イメージダウンにつながるということで、先日、前川投手を解雇処分にしています。
 今回の事故は、前川投手自身の資質だけでなく、プロ野球全体に関わることですので、今後、「当たり前」のことが出来る選手を育成することが、各球団に望まれています。

納豆

 「納豆」のダイエット効果をうたった関西テレビの生活情報番組「発掘!あるある大辞典Ⅱ」が放映された直後は、スーパーの「納豆」売り場は、品切れの状態でしたが、その後データの捏造が発覚してからは、売り場には、以前のように「納豆」が並べられているようです。
 さて、このように注目を浴びた「納豆」ですが、今や私にとって朝食には欠かせない食べ物の一つとなっています。「納豆」をこのように毎朝食べるようになったのは、実は10年位前からです。それまでは、どちらかといえば、「納豆」は嫌いな方の食べ物で、子供の頃を振り返ってもあまり良い印象を持っていませんでした。
 それは、私が子供の頃は、「納豆」という食べ物が食卓に出されることはほとんどありませんでしたし、漫画に出てくる「納豆」と言えば、主人公の父が病気で亡くなり、母も病気がちなので、主人公である小学生が、朝早くから「納豆、納豆」といって歩く姿が掲載されていましたので、その姿が貧相であったのと、それに、なによりも腐ったような匂いがし、おまけにベトベトしていましたから、食べてみたい食べ物ではなかったのです。
 それが、現在のように毎朝食べるようになったのは、私が55歳になった頃、盛んにテレビや新聞などで、「納豆が身体に良い食べ物」と報道されるようになってからです。そこで、最初は嫌々ながら、半分は目をつぶり、身体に良いと思いつつ仕方なしに食べていたところ、今では大好きな食べ物となってしまったわけです。私にとって、「納豆」と言えば、大豆を納豆菌によって醗酵させた食べ物という知識しかありませんでしたが、これを調べてみると、意外に私が知らないことがたくさん出てきました。
 それによると、先ず「納豆」のような食べ物は、日本だけかと思っていましたが、実はヒマラヤや中国の雲南省から日本までの照葉樹林地帯に見られる食べ物だそうで、いつどのようにして日本に伝わったかは不明だということです。日本国内では、これまで関東地方以北と南九州で好まれていましたが、特有の匂いのためか、その他の地方、特に関西・四国地方ではあまり消費されていなかったそうです。そこで、「納豆」を製造する業界では、製法や菌の改良などで臭いを少なくしたり、含まれる成分のうち「ナットウキナーゼ」の健康増進効果がテレビなどのメディアで伝えられるようになった結果、1990年代後半にはほぼ日本中で消費されるようになったということです。
 外国人にとって、「納豆」は、日本食の中の苦手とする代表的食べ物の一つといわれていましたが、これは、納豆菌が炭そ菌の仲間で、「不用意に食べると感染症に掛かる」という大きな誤解をしていたからで、最近では、メディアの報道により誤解が解け、「納豆」を食べる外人が増えてきたそうです。
 また、「納豆」という語源についてはいろいろ説があるようですが、平凡社の世界大百科事典によると、「昔、動物性タンパク質を食べることができなかった僧が、タンパク質の豊富な大豆を,おいしく、消化よく食べるために研究をした所産が納豆であり、僧房の納所(なつしょ)でつくられ普及したものであるから,その場所名を冠して広義の納豆という語が生まれた。」となっています。
 「納豆」は、ビタミンKのほか、大豆由来のタンパク質も豊富であり、現在でも重要なタンパク質源となっているということですので、毎朝食べていますが、季節によっては、オクラやピーマン等を刻み、あるいは大根を摺って「納豆」に混ぜると、おいしく食べることが出来ますので、職員の皆さんも是非試してみてください。