校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

« 山菜 | メイン | 確認の大切さ »

中年の星

 数年前までは、「中年の星」と言えば、2004年のアテネオリンピック大会で、41歳ながら見事銀メダルを獲得した山本博選手(アーチェリー)の代名詞でもありました。山本博選手は、1984年に開催されたロサンゼルスオリンピック大会において若干21歳で銅メダルを獲得し、その後高校教師をしながら現役選手を続け、銅メダルを獲得してから20年後のアテネオリンピックで、今度は銅メダルより上の銀メダルを獲得した選手ですが、表彰式後のインタビューで、自ら「中年の星」と言い、マスコミもこぞってこれを取り上げたことから、「中年の星」と言えば、アーチェリーの山本博選手を指すようになったわけです。
 現在スポーツ界で「『中年の星』とは誰のことを指すか」と問われれば、色々候補者の名前が挙がるかと思われますが、もし私にその質問があれば、即座に「それは、2000本安打を達成した日本ハムファイターズの田中幸雄選手です。」と答えるでしょう。
 それは、田中選手は宮崎県出身者ですし、何といっても当校の卒業生だからです。田中選手は、都城高校生だった1985年(昭和61年)に運転免許を取得するため当校に入校しましたが、当時の担当指導員の話によると、教習態度は真面目でとても指導しやすかったということです。
 田中選手は、都城高校時代は春と夏の2回甲子園大会に選手として出場し、当時、超高校級といわれた清原選手や桑田選手がいたPL学園高校と戦い、敗れはしたものの堂々とした試合振りは、今でも高校球界では語り草になっているほどです。田中選手は高校卒業後、日本ハムにドラフト第3位で入団しましたが、当時の高田監督に認められ、入団1年目から1軍の選手として登場したのです。その後、現在まで一筋に日本ハムファイターズに在籍し、ファンの間からは「ミスターファイターズ」と呼ばれていますが、22年間に獲得したタイトルは打点王1回のほか、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞5回等数々ありますし、シドニーオリンピックにも出場しています。
 その田中選手が今回達成した2000本安打というのは、実はすごい記録なのです。大リーグのヤンキースに所属する松井秀喜選手も、今年、日米両リーグを通じてその記録を達成しましたが、日本のプロ野球界だけでこの記録を達成したのは、田中選手が35番目なのです。その35人の選手を見ると、張本、王、長嶋、川上、清原等日本プロ野球を代表する人達ばかりです。戦前戦後を通じ、これまで日本プロ野球でバッターとして活躍した選手はおそらく1万人を超えると思います。その中で、この記録を達成した選手は35人と少なく、プロ野球選手にとっては価値のある記録ですが、これでプロ野球選手にとっては最高の名誉である「名球会」入りが決定したわけです。
 一口に22年と言いますが、調子の良い時もあればスランプの時もあり、特に、2004年には肩や膝等の故障があり、一時2000本安打をあきらめた時期もあったほどですから、田中選手にとっては今回の記録達成の喜びもひとしお大きかったことと思います。又、田中選手は、22年間の間に1度も3割を打ったことはありませんが、これは過去の記録達成者の中では、巨人に在籍していた柴田勲選手と二人だけです。如何に、田中選手がコツコツとヒットを重ね、努力したかが分かります。
 この大記録達成に対し、東国原宮崎県知事は、「県民栄誉賞を検討しています。」というコメントを発表していますが、私も大賛成です。田中選手は今年39歳ですから、後何年選手生活が続くか分かりませんが、横浜ベイスターズの工藤公康投手だって44歳ながらまだ現役選手ですから、気持ちを切らさず「中年の星」として益々頑張って欲しいと願っています。

About

2007年05月21日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「山菜」です。

次の投稿は「確認の大切さ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。