「お節介」とは、辞書で調べてみると、「かえって迷惑になるような余計な世話をやくこと」だそうですが、現在のような殺伐とした世の中では、「危険とわかっていても誰も親身となって注意しない。他人様にはうっかり声もかけられない。ましてや子供に声をかけようものなら、奇異な目で見られかねない。」というような実に悲しむべき現実があります。しかし、場合にとっては、思い切って「お節介」をする勇気も持つことも必要のようです。
その一例として、先日の新聞にこんな投書が掲載されていました。それは60歳代の女性からの投書で、その女性はご主人の運転する車に同乗し、高速道路を進行して途中サービスエリアに立ち寄り、再び出発しようとしたところ、ワイパーになにやら紙らしき物がはさんであるのに気づいたそうです。サービスエリア内の駐車場であるし、まさか駐車違反の警告書ではなかろうとは思い、車から降りてその紙を手にしたところ、「先ほどあなたの車の後方を進行していたところ、左のブレーキランプが切れていました。まことに『お節介』とは思いますが、書かせて貰いました。安全運転をお続けください。」という内容の手紙が書かれていたそうです。早速その手紙をご主人に見せ、ブレーキランプの点検をしたところ、やはり指摘通り、左のブレーキランプが切れていたということです。幸い、そのサービスエリア内に修理場があり、ランプの交換を済ませることが出来ましたが、もし、気づかずにそのまま運転していたら、後続車両に追突される危険性もあり、ご主人と共に、ほっと胸をなでおろしたということです。その手紙はいかにも女性らしい文字で、その思いやりに感激し、その後は、車の中にメモ帳とボールペンを備え置き、自分もその機会があったら「お節介」かもしれないが、書いてみたいということでした。この投書を見て、私も手紙を書いた女性?の勇気ある行為に感激したところですが、いざ自分がそのような場面に遭遇したときは、なかなか直ぐには実行できないものです。
それは、先日の朝、電車で出勤中の出来事です。私は二両編成の先頭車両のほぼ中央部に座り、いつものように小説を読んでいたところ、後ろの方から複数の子供の声が聞こえてきましたので、目を上げたところ、そこには、帽子を被った保育園児らしき子供6名と先生らしき3名の女性の姿がありました。園児達は、それぞれリュックサックを背負っていましたから、どうやら遠足に行く途中のようでした。
園児と先生達は、空いていた私の左斜め前の席に座りましたが、座ると直ぐ園児の一人がダダをこね始めたのです。それは、電車の座席は、背もたれが前後に移動できるシステムになっているのですが、その日の座席は全て進行方向に向かっており、そのシステムを知らない先生が、園児の一人を前の席に座らせたため、園児が後ろの方の席に行こうとしてむずかっていたわけです。その様子を見て、前の席の背もたれを反対側に移動すれば、4人とも真向かいに座ることが出来ますから、私はその席のシステムを教えようと思ったのですが、「待てよ。お節介になるかもしれない。」という考えも浮かび、なかなか言い出す踏ん切りがつかなかったのです。そのうち約20分後に青井岳駅に到着したとき、その一行は下車してしまい、私の折角の「お節介」は失敗に終わったわけです。頭の中では考えていても、いざ実行に移すとなると難しいようです。「お節介」だとは思いますが、次回からは勇気を持って実行したいと考えています。






