校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2007年12月 アーカイブ

2007年12月03日

愛犬

 先日の日曜日の朝、いつものように散歩をしていたところ、約50メートル向こうからジャージー姿の男の人が歩いてくるのが見えました。早朝でまだ夜明け前でしたから、顔つきは良くわかりませんが、体つきから同じ団地に住む知人のYさんではないかと思ったのです。しかし、Yさんだったらいつも愛犬のジョンを連れていますが、その人の傍には犬の姿がありません。人違いだったのかと思いながら、段々その人に近づきますと、やはりその人はYさんでした。
 そこで私の方から挨拶をし、「今日はジョン(愛犬)はどうしたのですか」と尋ねたのです。するとYさんは、「10日位前に亡くなりました。15歳でした。」といかにも寂しそうな様子で返事されたのです。それもそのはずです。Yさんが飼っている愛犬のジョンは、子犬の時から知っていますが、Yさんが散歩するときには、その傍には常にジョンの姿があり、まるで自分の子供のように可愛がっておられたからです。しかしながら、ここ数年前からそのジョンの姿を見ていますと、歩く足取りも段々ゆっくりで、今年の夏に見たときは、足元がよろめいており、人間で言えば90歳位の年齢になりますから、寿命が近づいたのだなと感じていたのです。犬や猫等の家畜は、飼えば飼うほど愛情が湧くと言いますが、15年も飼っていれば、それだけ飼い主とすれば、「愛犬」に対する煩悩があったものと思われます。
 さて、「愛犬」といえば、私の実家にも、私が子供の時から「ジロー」という名前のオスのシェパード犬がいました。私の実家は、大正時代から続くミカンと茶園を営む農家でしたが、住宅と茶工場の周りには数百本のミカンの木が植えられており、敷地の周りには、当時、柵や有刺鉄線等はなかったため、近くの高校生が勝手にちぎる(盗む)状態でしたので、父が番犬として育てるため、知人からもらってきたものです。私の妹が昭和22年生まれですが、ジローと同じ年でしたから、子犬のときは、妹と同じカゴの中で過ごしましたので、妹とにとっては、いわば兄弟として育てられたわけです。
 ジローはシェパード犬で、成長するとともに、身体も大きくなり、耳がぴんと立ち、精悍な番犬の姿になりましたから、放し飼いになったジローが、私方の敷地の周りを徘徊し、高校生がミカンの木に近づくと、眼光鋭い目でにらみますから、さすがの高校生にも怖がられていたようです。その反面、母が自転車で買い物に出かけると、必ずその後を付いて行き、母が買い物をしている間は、じっと自転車の傍で番をする等賢い犬で、私達兄弟等が「ジローおいで」と呼ぶと、目を細め、尻尾を振って近づく等、優しい犬でした。また、当時私が住んでいた町内には、飼い犬はいましたが、シェパード犬は珍しかったのか、弟達がジローを連れて買い物に行くと、子供だけでなく大人達からも「あ、ジローだ」という声が上がり、そのうち、人に噛み付いたり、吠えないことがわかると、ジローに近づき、頭をなぜたりするなどすっかり人気者でしたから、弟達にとっては自慢の「愛犬」だったようです。
 そのジローも、弟達の話によると、私が就職のため実家を離れた後の昭和37年、ある日の朝、突然姿が見えなくなり、心配した父や弟達が探したところ、家から少し離れた用水路の中で、まるで眠るようにして死んでいたそうです。昔から私達の地方では、「飼い犬は、死に姿を飼い主に見せないもの」と言われていますが、まさにその通りで、15年の生涯を閉じたわけです。そのジローの元気な頃の姿は、目を閉じれば、すぐ脳裏の中にはっきりと思い浮かべることが出来ますので、私にとって、もし「貴方の愛犬とは」と問われれば、一番先にジローの名前をあげることでしょう。

2007年12月10日

年寄り扱い

 私方は灯油を使用して風呂を沸かしていますので、20日に1回の割で、近くのガソリンスタンドで灯油を購入しています。11月末の夕方でしたが、灯油を購入するため、スーパーから買い物の帰り、ガソリンスタンドに立ち寄ったのです。そのガソリンスタンドはセルフ式になっており、かれこれ1年位前から利用していますから、灯油の購入方法も知っていますので、いつものように、18リットル分の代金1,500円を機械の中に入れ、持参したポリ缶に灯油を入れようとしていたところ、若い男性店員が私の方に走り寄ってきて、「大丈夫ですか」と声をかけてきたのです。これまで何回か灯油を給油していますが、これまで1回も店員の手助けを受けて給油したことはありませんでしたから、この店員の声かけには、一瞬戸惑い、「うむ、俺を年寄り扱いにするのか」と思ったのです。そのときの私の服装はジャージー姿で、頭には白いものが目立ちますから、てっきり、店員が私をセルフ式に慣れていない「年寄り」だと判断したものと考えたのです。
 そこで、私は「いつもここで給油しているから大丈夫だよ。」と返事したのです。すると、店員は私のポリ缶を見て、「新しいビニール袋に変えましょうか」と言い出したのです。店員の手を見ると、新しいビニール袋を持っており、私が持参したポリ缶を包んでいたビニールは、ところどころ破けていましたから、その場は店員の好意に甘え、交換してもらったのです。さらに店員は、「ご自宅には他にポリ缶をお持ちですか」と尋ねてきたのです。私は灯油を給油しながら、何故そのような質問をするのかが理解出来ませんでしたから、黙っていたのです。すると、店員は「12月から灯油のお値段が、1リットル当り10円ほど値上がりしますよ。貯め買いをされませんか」とポリ缶の購入を誘ってきたのです。そこで、わざわざ店員が私の傍に寄ってきた理由が、ようやくわかったのです。店員は、私を「年寄り扱い」したのではなく、ポリ缶を売るためにわざわざ私に近づいたというわけだったのです。
 その様子を妻は車の中から見ていたのでしょう、灯油の給油が終わり、私が車に乗り込むと、すかさず「今日はなぜ店員が出て来たのだろうか。今まで1回もこんなことはなかったのに。ひょっとしたらお父さんを年寄りと思ったのでは?」とニヤニヤしながら聞いてきたのです。そこで私は、「最初は年寄り扱いかなと思ったが、話を聞いてみたらポリ缶を買ってくれということだった」と説明し、かろうじて私の面子を保ったという次第です。私も66歳になりましたが、気持ちとしてはまだ若いつもりでいますから、もし、赤の他人から「おじいちゃん」と呼ばれたり、「年寄り扱い」をされたら、たちまち嫌な気分となることと思います。
 さて、当校では、公安委員会の委託を受けて70歳以上の人に対する高齢者講習を行っていますが、受講者は70歳代から90歳代までと幅が広く、中には、誕生日前の69歳の受講者も見受けられます。そのような人に、もし「おじいちゃん、おばあちゃん」と声をかけたりしたら、相手の方はどういう気持ちになるでしょうか。69歳といえば、見た目にも元気な方もいますし、なんといっても、まだ自分は若いのだという気持ちの人が多いわけですから、たちまち、「何、俺を年寄り扱いするのか」と怒られるに決まっています。毎回の高齢者講習を見ていますと、受講者は多いときで12人位、少ないときは3人位ですから、講習を担当する指導員は、早目に受講者の名前を覚え、適性検査や教習指導する際は、必ず、受講者の名前を呼ぶようにしましょう。また、他の職員も決して「年寄り扱い」をしないよう、細心の注意を払って応対してください。

2007年12月17日

安全確認

 12月初旬の昼間、東京都目黒区内において、父親本人はもちろん、家族にとっても悔やんでも悔やみ切れない事故が発生し、またもや子供の命が失われました。それは医師である父親が、自宅の応接間でライフル銃の手入れをし、銃と弾をそのままにして部屋を離れた隙に、長男(5歳)と次男(2歳)が部屋にはいり、長男がライフル銃をいじっているうちに暴発し、その弾が次男の胸に命中して数時間後に死亡した事故です。
 警視庁の調べでは、医師は東京都公安委員会の許可を得て12丁の銃を所持し、事故の前日にライフ銃や散弾銃を撃ち、その手入れを自宅でしていたということですが、警察の事情聴取に対し、医師である父親は、「ライフル銃1丁と猟銃3丁の手入れをしていたが、弾は前日に打ち切ったと思っていた」と説明しているそうです。しかしながら、事故が現実に発生しているわけですから、実際には、ライフル銃に弾が1発込められたまま手入れをしていたことになります。つまり、今回の事故の最大原因は、銃の手入れをする際、先ずライフル銃の中に弾があるかどうかを確認しなかったことです。
 警察官は、法律上、銃の所持が認められ、その使用や取扱いについては、「警察官けん銃等使用・取扱い規範」という内部規定があり、その中に「安全規則」という条文があります。私も40数年前、宮崎県警察官を拝命して警察学校に入校し、厳しい教育を受けましたが、その中でも、けん銃の使用及び取扱いが、こと命に直接かかわることから、「安全規則」については、1字1句間違いのないように覚えさせられました。その「安全規則」には、先ず「けん銃を手にしたときは、回転式けん銃にあっては弾倉を開き、弾の有無を確かめること。」が定められていますが、これは銃を取り扱う場合の鉄則です。おそらくこの父親も銃を取り扱うに当たっては、この規定と同じようなことを教えてもらったものと思いますが、「弾の有無を確かめる」という鉄則を守らないと、今回のような事故が発生することになり、改めて「安全確認」の大切さを痛感したところです。
 さて、車に乗車する場合の「安全確認」ですが、先日、当校の指導員の数名に質問してみたところ、どの指導員からも「乗車する前に、車の周囲を見回して安全を確かめる」という答えが返ってきました。さすが指定自動車学校の指導員です。実は、母親が車で出かける際、後追いして来た子供に気づかずに発進して死亡させたり、また、自宅の庭で後退した際、作業をしていた母親に気づかずひいて死亡させたりする事故が意外と多いということです。
 この「安全確認」を実行している職員が当校にいました。それは送迎を担当している安楽さんです。私が朝、JR山之口駅に到着したとき、安楽さんの行動を見ていますと、運転席に乗り込む前に、必ず車の周囲をぐるっと周り、場合によっては、身をかがめて車の下をのぞくなどして自分の目で「安全」を確かめ、その後、運転席に乗り込むパターンなのです。その理由について、安楽さんは「かって自衛隊に勤務していたとき、自衛隊車両は車高が高く、子供が車の下にもぐりこむ可能性があったので、その癖がつきました。今でも実行しています」と説明してくれましたが、その通りなのです。実は私も安楽さんの行動を見てからは、車に乗り込む前に車の周囲を回り、自分の目で「安全確認」をしているところです。

2007年12月25日

意欲

 私が毎朝、通勤で利用しているのはJR宮崎駅から鹿児島中央駅方面に向かう2両編成の下りの電車ですが、都城方面から宮崎市内に向かう上りの通勤電車と異なり、乗客は少なく、下車する山之口駅までは、二人席に一人のことがほとんどのようです。先日の火曜日、いつものように宮崎駅から乗車し、小説を読んでいたところ、途中の加納駅を過ぎた付近で「この席に座っていいでしょうか」という男の声が聞こえて来ました。私は目を上げ、声のする方を見たところ、そこには長身の外国人男性の姿があり、その瞬間、「もし話しかけたりしたら困るな」という考えが浮かんだのです。しかしながら、よく考えてみると、ちゃんと日本語でしゃべっているし、その外人の左胸に「末日聖徒イエス・キリスト教会」のプレートがあり、一見してモルモン教会の宣教師だとわかったので、「どうぞ」と返事をしたわけです。
 その外人は、「失礼します」と日本語で挨拶をし、私の左横の席に座るなり、「今朝は寒いですね」と私に声をかけてきたのです。私は小説の続きを読もうと思っていたのですが、その呼びかけを無視するわけにもいかず、「ええ、一寸冷えますね」と会釈の返事をしたのです。すると、左胸のネームプレートを私の方に見せ、「私はモルモン教の宣教師です。いつもは宮崎市内の教会で仕事をしていますが、今日は火曜日ですので、都城の教会に行くところです。」と自己紹介したあと、「どこまで行かれるのですか」「お仕事ですか」など矢継ぎ早に私に話しかけてくるのです。その日本語はたどたどしいのですが、私にはその意味が解りましたので、「いつ日本に来られたのですか」と質問すると、今年の9月に日本に来たということでした。その外人は、アメリカのマサチューセッツ州出身で、現在ユタ州にある大学2年生ですが、父はイングランド人、母がスペイン人であり、父がモルモン教を信仰していたため、現在は家族全員がモルモン教を信仰していることなどを話してくれたのです。さらに、モルモン教では、イエス・キリストの代表として2年間、家族から離れ、大学を休学して神様からの喜び・希望などのメッセージを伝えるため、外国に行くのが慣わしとなっており、そのため宣教師として日本に来ているということでしたが、それにしても流暢な日本語でした。
 そこで、どうして日本語がそんなに早くマスター出来たのかを質問してみると、そのアメリカの青年は、大学にはいってから日本語を習ったと前置きして、「先ず、日本語をマスターするため、平仮名を覚え、自分の方から積極的に日本人に話しかけ、日本の言葉を覚えました。」とそのコツを教えてくれ、ポケットからメモ帳を取り出し、それを私に見せてくれましたが、そこには、平仮名と英文字がびっしり書き込まれていました。さらに、日本の漢字を覚えるため、毎日1字を覚える努力をし、今では80字位をマスターしたと笑顔で話してくれたのです。さらに、宮崎の言葉を教えてくれという申し出があったので、今年の流行語大賞を取った「どげんかせんといかん」という東国原知事の宮崎弁を教えたところ、最初はその言葉が理解できないのか、首をひねっていましたが、発音する私の口元をじっと見ながら、メモ帳に「どげんとせんといかん」という平仮名を書き、それを何回か呟き、必死に覚えているようでした。その姿を見て、どうやら他の国の言葉を覚える最大の秘訣は、「覚えよう」という「意欲」にあることを垣間見たところでした。

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