先日の日曜日の朝、いつものように散歩をしていたところ、約50メートル向こうからジャージー姿の男の人が歩いてくるのが見えました。早朝でまだ夜明け前でしたから、顔つきは良くわかりませんが、体つきから同じ団地に住む知人のYさんではないかと思ったのです。しかし、Yさんだったらいつも愛犬のジョンを連れていますが、その人の傍には犬の姿がありません。人違いだったのかと思いながら、段々その人に近づきますと、やはりその人はYさんでした。
そこで私の方から挨拶をし、「今日はジョン(愛犬)はどうしたのですか」と尋ねたのです。するとYさんは、「10日位前に亡くなりました。15歳でした。」といかにも寂しそうな様子で返事されたのです。それもそのはずです。Yさんが飼っている愛犬のジョンは、子犬の時から知っていますが、Yさんが散歩するときには、その傍には常にジョンの姿があり、まるで自分の子供のように可愛がっておられたからです。しかしながら、ここ数年前からそのジョンの姿を見ていますと、歩く足取りも段々ゆっくりで、今年の夏に見たときは、足元がよろめいており、人間で言えば90歳位の年齢になりますから、寿命が近づいたのだなと感じていたのです。犬や猫等の家畜は、飼えば飼うほど愛情が湧くと言いますが、15年も飼っていれば、それだけ飼い主とすれば、「愛犬」に対する煩悩があったものと思われます。
さて、「愛犬」といえば、私の実家にも、私が子供の時から「ジロー」という名前のオスのシェパード犬がいました。私の実家は、大正時代から続くミカンと茶園を営む農家でしたが、住宅と茶工場の周りには数百本のミカンの木が植えられており、敷地の周りには、当時、柵や有刺鉄線等はなかったため、近くの高校生が勝手にちぎる(盗む)状態でしたので、父が番犬として育てるため、知人からもらってきたものです。私の妹が昭和22年生まれですが、ジローと同じ年でしたから、子犬のときは、妹と同じカゴの中で過ごしましたので、妹とにとっては、いわば兄弟として育てられたわけです。
ジローはシェパード犬で、成長するとともに、身体も大きくなり、耳がぴんと立ち、精悍な番犬の姿になりましたから、放し飼いになったジローが、私方の敷地の周りを徘徊し、高校生がミカンの木に近づくと、眼光鋭い目でにらみますから、さすがの高校生にも怖がられていたようです。その反面、母が自転車で買い物に出かけると、必ずその後を付いて行き、母が買い物をしている間は、じっと自転車の傍で番をする等賢い犬で、私達兄弟等が「ジローおいで」と呼ぶと、目を細め、尻尾を振って近づく等、優しい犬でした。また、当時私が住んでいた町内には、飼い犬はいましたが、シェパード犬は珍しかったのか、弟達がジローを連れて買い物に行くと、子供だけでなく大人達からも「あ、ジローだ」という声が上がり、そのうち、人に噛み付いたり、吠えないことがわかると、ジローに近づき、頭をなぜたりするなどすっかり人気者でしたから、弟達にとっては自慢の「愛犬」だったようです。
そのジローも、弟達の話によると、私が就職のため実家を離れた後の昭和37年、ある日の朝、突然姿が見えなくなり、心配した父や弟達が探したところ、家から少し離れた用水路の中で、まるで眠るようにして死んでいたそうです。昔から私達の地方では、「飼い犬は、死に姿を飼い主に見せないもの」と言われていますが、まさにその通りで、15年の生涯を閉じたわけです。そのジローの元気な頃の姿は、目を閉じれば、すぐ脳裏の中にはっきりと思い浮かべることが出来ますので、私にとって、もし「貴方の愛犬とは」と問われれば、一番先にジローの名前をあげることでしょう。






