校長のひとり言ブログ|都城自動車学校

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2008年02月 アーカイブ

2008年02月14日

たんかん

 先日、当校の登川麻由美指導員から「郷里のミカンです。食べて見られませんか。」と勧められ、3個のミカンをいただきました。登川指導員の郷里は沖縄県ですが、そのミカンは初めて見るもので、私達が普段食べ慣れている温州ミカンと違い、まだ青味が残っており、一見して酸っぱそうな感じを受けたのです。そこで、「何というミカン?」と尋ねてみたのです。すると、登川指導員は「『たんかん』という名前の沖縄のミカンです。甘くてとってもおいしいですよ。」と勧めてくれましたが、目の前に置かれたミカンは、青味が残っていて皮も厚そうであり、登川指導員には失礼ですが、いかにも肥料不足のミカンという印象を受けたので、しばらくはそのミカンに手をつけなかったのです。しかし、そのまま食べずに捨てるわけにもいかず、どうしょうかなと思っていたところ、ふと浮かんだのが、「たんかん」というミカンはどこの産で、どのような味がするものかということでした。そこで早速調べてみたところ、今まで私が知らなかったことがたくさんありました。
 まず、「たんかん」というミカンの原産地は中国の広東省で、日本に伝わったのは、今から50年前、前沖縄県知事の稲嶺恵一氏の実父、故稲嶺一郎氏が台湾から苗を持ち込んだのが始まりだということでした。「たんかん」は、インドが原産地のポンカンと中国南部のスイートオレンジの自然交配で出来た柑橘系の果物ですが、日本では、沖縄県のほか、屋久島など鹿児島県の一部で栽培されているそうです。最近では品種改良された「たんかん」が、台湾から渡ってきた「たんかん」にとって替わっていますが、台湾産まれの「たんかん」は、見た目は悪いが、非常に香りが高く、ひと皮むけば、柑橘系特有の優しい甘い香りがし、その実を白皮ごと口に入れると、オレンジより水分が少ないので、非常に濃厚な果汁が口いっぱいに広がるということです。しかも甘いだけではなく、酸味と甘みのバランスが良く、こくのある味だとなっていました。
 そうとわかれば、味見する必要があると考え、早速、ミカンの皮むきにかかったのですが、温州ミカンと違い、皮が厚く、なかなかむけません。それでも苦労して皮をむき、実を口に入れると、説明書の通り、濃厚な果汁が口いっぱいに広がり、非常に甘いのです。これまで食べておいしく、そして甘く感じていた温州ミカンやぽんかん等のミカンよりはるかにうまかったのです。
 その日、自宅に持ち帰り、詳しく言わずにその「たんかん」を妻に見せ、「このミカンを食べてみないか。」と言ってみたところ、私の予想通り、「何のミカンね。酸っぱそうね。」と言ったきり、全く手を付けようとしないのです。そこで、「たんかん」の印象について質問すると、しばらく見ていましたが、ニヤリと笑って「宮崎弁で言えば、『ががじゅ』というとこね。」と返事したのです。「ががじゅ」とは、宮崎弁では「見た目が悪く、売り物にならない果実」を意味しますが、その「たんかん」は、まさに「ががじゅ」という言葉がピッタリのミカンでした。しかしながら、包丁で輪切りにして食べやすいようにしてやったところ、「こんなおいしいミカンは初めて」とうまそうに食べていましたから、余程おいしかったのでしょう。
 このように、果物でも見かけは悪くても、いざ食べてみると、意外にもおいしい物があります。お客様と接する機会が多い自動車学校の場合、このことを教訓にし、決してお客様の外見だけで、その人の良し悪しを即断しないよう、十分心しましょう。

2008年02月14日

イケメン

 私の妻の母は、今年89歳になりましたが、5年前に義父が亡くなりましたから、現在一人で郷里の国富町に住んでいます。そのため、私は週末になると、妻を車に乗せて郷里に送り届け、翌日また妻を迎えに行くパターンを続けていますが、義母と話をしていると、時々ビックリさせられることがあります。
 その一つの例として、今年1月の大相撲初場所の千秋楽日でしたが、テレビのチャンネルを変えたところ、丁度、十両の優勝決定戦が行われており、やがて優勝者が決定したようでした。私は子供の時から大相撲が大好きですが、昨年11月、朝青龍問題が起きてからは、大相撲には嫌気がさして興味がなくなり、最近はテレビで見ることは殆どありませんでしたから、新しい力士は殆ど知らない状態だったのです。したがって、テレビに写し出されている力士を見ても初めて見る顔であり、何と言う名前の力士であるかわかりませんでした。それでも一見して外人、それもヨーロッパ系の人のようでしたが、インタビューに答える言葉は、日本人と見間違える位、よどみなく出てくるのです。さらに、その顔を見た瞬間、ちょんまげ姿が良く似合う力士でしたので、「おお、この力士の顔はいいな。サムライだな。何という力士だろうか?」と口にしたのです。
 すると、コタツの中で私と一緒にテレビを見ていた義母が、「『イケメン』ね。」とつぶやいたのです。その声を聴いた瞬間、私は思わず自分の耳を疑ったのです。まさか、90歳近くになる義母の口から「イケメン」という若者の言葉が出ようとは思いもしなかったからです。私は思わず、ビックリして義母の方に顔を向けると、義母は、「こんな人を『イケメン』と言うのじゃろ。」と、さもそれ位は知っている、と言わんばかりの口調で返事したのです。
 「イケメン」とは、もともとは、ゲイの間で隠語として使われていましたが、約7,8年位前から普及した若者言葉で、一般的には美形で、顔が「格好いい男性」のことを指しますが、テレビに映し出されている力士は、まさに「イケメン」という言葉がピッタリだったのです。何という力士かなと思っていると、やがて画面に名前が出ましたが、その力士は春日野部屋の「栃ノ心」で、新十両ながら12勝3敗で見事優勝したということです。
 早速「栃ノ心」のプロフィルを調べてみると、グルジア出身で、世界ジュニア相撲選手権大会で準優勝する等の実績を残し、同じグルジア出身の黒海関にあこがれて角界に入ったということでした。身長190センチの身長と優れた身体能力から、入門時から将来の大相撲を担う力士として期待されているそうですが、事実その通り、入門は平成18年の初場所ですが、2年後の今年1月の初場所では、早くも新十両で優勝したわけですから、実力も大したものです。おそらく今年中には幕内に上がり、テレビの画面に登場するものと思われますから、是非皆さんもこの「イケメン力士」を応援してください。
 義母は、骨粗鬆症と胃下垂のため、腰が曲がっており、手押し車の加勢を受けながらの歩行ですが、庭にある畑の草取りや近所の方との会話のほか、新聞は丹念に読みますし、テレビはニュースだけでなく、お笑い番組、スポーツ番組等を幅広く見ているようですから、おそらく「イケメン」という若者言葉を覚えたものと思われます。まだまだ首から上の方は健在ですから、義母の口から、また、ビックリするような言葉が出るものと期待しています。

2008年02月18日

万一

 広辞苑によれば、殆どないが、稀にあるさまのことを「万一(まんいち)または万が一(まんがいち)」というそうですが、先日、まさにその「万一」を体験し、冷や汗をかきました。
 それは、先週の土曜日にゴルフをしていたときのことです。パー4のミドルコースで、同じ組の4人がそれぞれ第2打を打ったところ、二人のボールはグリーンにオンしましたが、私の打ったボールはグリーンをオーバーして奥のバンカーに、そしてTさんのボールはグリーン左手前のバンカーに入ったのです。私はバンカー用のサンドウェッジを握り、ボールがある奥のバンカーに近づき、グリーンの方を振り返ったところ、既にグリーンにオンした二人は、パターを持ち、私から見て左側のグリーン近くに立っており、Tさんは私の方から見て向かって右側のバンカーの中に入り、第3打を打つ準備をしているところでした。私はTさんが打った後に第3打を打つことにし、バンカー内に入り、Tさんのプレーを見ていたのです。
 やがて、Tさんが第3打を打ち終え、レーキで砂をならす動作が見えましたので、私はボールを打つ準備に入ったのです。バンカーショットは、シャンクやホームランになったりし、思わぬ方向にボールが飛び危険ですから、このような場合、「打ちますよ。」とパートナーに声を掛け、その位置を確認してからバンカーショットを打つのがマナーとなっています。しかし、Tさんの位置は、私から見て右45度の場所で、しかも約30メートルも離れていましたし、さらに、これまで約20年のゴルフの経験がありますが、バンカー内のショットがホームランになったことはあるものの、シャンクしたことは一度もなかったので、Tさんにに声を掛けることもなく第3打を打ったのです。
 ところが、サンドウェッジのフェースがバンカー内のボールに直接当たってしまい、そのためボールは、私の期待に反して右斜めの方向に飛び出して行ったのです。その瞬間、私は、「しまった。」と思い、顔を上げてボールの飛んで行った先を見たところ、なんとTさんがいるバンカーめがけて飛んでいたのです。シャンクしたボールはハーフライナーでしたから、私は思わず「ファー」という大きな声を出し、Tさんに知らせたのですが、間に合わず、ボールは、私の方に背を向け砂を直していたTさんの足元付近に落ちたように見えたのです。私は思わず「Tさんの頭に当たらず良かった。」とほっと胸をなでおろしたのですが、Tさんは崩れるようにバンカー内に倒れたのです。その様子から、ボールは私の見間違いで、てっきりTさんの頭に当たったものと思い、急いで倒れているTさんの所に走り寄ったところ、右足を手で抑え、砂の上に倒れているTさんの姿が目に入ったのです。そこで、「ごめん、ごめん。大丈夫?」と声を掛けたのですが、Tさんからは何の返事がありません。心配になってTさんの傍に近づき、もう一度「大丈夫?」と声をかけたところ、ようやく顔を上げ、苦しそうにして、「ボールが痛めていた右足のくるぶしに当たったらしい。」と返事をしたのです。すぐさまTさんの右足の靴下を下ろし、くるぶし付近を見たのですが、傷らしい所はなく、やがてTさんは立ち上がり、2,3回ひざの屈伸運動をしていましたが、痛さが取れたらしく、次のプレーに移ったのです。しかしながら、私の心中は穏やかというわけにはいかず、パターをしていても、バンカー内に倒れたTさんの姿が目に浮かぶ状態で、集中力に欠けてしまい、スリーパットをするなど、その後のプレーは散々な結果となってしまったのです。
 今でもその時のプレーを思い出すと、もしボールがTさんの頭に当たっていたら大変なことになっていたはずだとゾッとすることがしばしばです。今回のことは、宝くじにも当たったことのない私でさえ、やはり「万一」ということはあり得るということを立証したものであり、猛省しているところです。

2008年02月25日

再発防止策

 先日、北海道の新千歳空港で発生したトラブルは、日本航空の飛行機が関連していただけに、「またも日本航空か」と一瞬感じた人も多かったことと思います。そのトラブルとはテレビや新聞等の報道によりますと、2月16日の午前10時半頃発生したもので、当日、新千歳空港付近は、降雪の影響で離着陸が遅れ、管制も目視ではなく、全てレーダーで行われていたということです。管制からは、定刻より約50分遅れて滑走路に進入していた日本航空の502便に対し、英語で「間もなく離陸できる見込み。前方に着陸機あり。」という指示がなされたのですが、これに対し機長は、その指示が「直ぐに離陸せよ。」という指示だと勘違いして「了解」と答え、直ちに離陸滑走を始めたのです。その滑走路にはまだ着陸したばかりの同じ日本航空の2503便がおり、レーダーを見ていた管制官が素早く502便に対し、離陸中止を指示したため、危うく衝突を免れたそうですが、もし、そのまま滑走を続けていれば、間違いなく大惨事になるところだったということです。
 今回の管制の許可がないのに離陸を開始したトラブルについては、国土交通省事故調査官の調べによると、どうやら502便の機長が、トラブル防止策として求められていた管制からの指示内容を復唱していなかった可能性が高くなったということです。実は日本航空では平成5年1月に、今回と全く同じく管制の許可なく離陸を開始したトラブルが発生したため、日本航空では、その再発防止策として「管制からの指示内容は復唱する」と定められていたということです。
 それでは、何故、今回管制の指示を復唱しなかったかということですが、その後の調査によると、当時機長は操縦桿を握っており、管制との交信を担当していたのは研修中の副操縦士候補生ですが、その研修生が管制からの指示を聞き違えたからです。日本航空の内部規程では、管制指示に対しては、聞き間違い防止のため、必ず復唱することになっていますので、今回も管制からの指示を確実に復唱していれば、管制官も日本航空機便の聞き間違いに直ぐ気づき、今回のようなトラブルには至らなかったものと思われます。
 さて、「再発防止策」といえば、当校においても事務処理や教習関係でミスを起こし、その度に「再発防止対策」を講じてきましたが、その一つの例として、数年前に「3連続教習」という失敗がありました。普通車教習の第2段階では、道路交通法施行規則第33条の規定により「3連続教習」が禁じられていますが、当校でのミスは、指導員があらかじめ決められていた配車を無断で変更したために生じたもので、幸い、卒業証明書発行前の再点検でミスがわかり、大きな失敗とはならなかったのです。この失敗を教訓にし、当校では「再発防止策」として、コンピュータ配車システムの「携たっち」を購入したほか、教習原簿の点検等様々の対策を講じましたので、その再び同じミスは発生しておりません。
 しかしながら、今回の日本航空のトラブルのように、いくら立派な「再発防止策」を講じていても、一人一人の職員が予め定められた規程通りのことをキチンとやっていないと、再び同じようなミスが発生するわけです。仕事に慣れが生じてくると、いつの間にか仕事の内容が省略され、それが再発につながるようですから、当校においても、全職員が常に緊張感を持ち、ミスのない仕事を推進していきましょう。

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