私達は日頃、散歩や買い物をしたり、あるいは車を運転するとき等は、まさか自分の行動を他人から見られているとは思っていませんが、意外と他人はその行動を見ているものです。
先日、JR宮崎駅のトイレでこんなことがありました。その日の朝、宮崎駅に到着し、まだ電車の発車時間に余裕があったので、改札口近くにあるトイレに入ったのです。そのトイレの男性用の便器は4個とも利用者がありましたので、しばらくトイレ入口の所で待つことにしたのです。そのトイレの一番左は、便器の周りに取っ手がついている身障者用となっており、身障者の方が利用しない限り、大体空いていますが、その便器の所も利用者がいましたから、そこで用を足している男性の背中を見て、当然その人も身障者かなと思っていたのです。
ところが、その人が用を足して私の方に振り返ったので、その顔を見て私はビックリしたのです。なんと、その人は現職の県議会議員の先生だったのです。過去数回、県議会議員の選挙に当選していますから、テレビや新聞等で顔や名前を知っており、私が見間違うはずはありません。その県議会議員の先生は、さも当然のようにして身障者用のトイレを使用していたのです。私はその県議の先生とは面識がありませんでしたから、まさか私が見ているとはつゆにも思っていないようで、堂々とした振る舞いで私の横を通り、手を洗ってトイレを出て行かれたようでした。私はそのトイレを良く利用していますが、今まで健常者の方が身障者用のトイレを使うのを見たことがなく、ましてや、県民の模範となるべきはずの現職の県議会議員のこの行動を見て、ガッカリしたわけです。
「見られている」といえば、こんなこともあります。私はJR宮崎駅から自宅までの間、自転車で通っていますので、その途中で、宮崎市内の自動車学校の教習車に出会うことがしばしばありますが、その際は教習車に乗車している指導員の行動を見ています。例えば、赤信号のため待っているとき、直ぐ横に止まった教習車の助手席を見ると、手振り身振りで運転席の教習生に話しかけている指導員があります。このような時は、教習料金がたの指導をしているなと思わずニンマリすることもあります。しかしながら、全ての指導員がこのように熱心に指導しているかと思えばそうでもなく、中には信号待ちしている約1分位の間、ただじっと前方を見ている指導員もあります。その指導員の行動を見ていると、運転席の教習生に話しかけることもなく、全く指導する気配もありません。これでは、路上教習している意味がなく、こんな場合はガッカリさせられます。
また、こんな指導員を見かけることがあります。それは、路上教習中の指導員が、下を向いたまま顔を上げようとしないときです。おそらく教習カードか教科書を見ているのだろうと思いますが、それにしても、もし飛び出しがあったりして教習生が急ブレーキを踏めない場合、どうするのだろうかと他人事ながら心配するときもあります。
まさか、当校の指導員の中には、このような指導をしている方はいないと信じていますが、見られていないだろうと思っていても、意外と皆さん方の行動は見られているのです。従って教習中は、「自分の行動は見られている」ということを常に自覚し、しっかりした教習を行いましょう。






