先日の夕方テレビを見ていたところ、県北の日之影町では、今年も町の中心部を流れる日之影川に、鯉のぼり約200匹が掲げられたニュースが報じられていました。この行事は、子供が成長し、今では使われなくなった鯉のぼりを町民から集め、観光用として掲げるようになったものですが、毎年、この鯉のぼりのニュースを見るたびに、端午の節句が近づいたことを思い知らされます。
我が国では、端午の節句に鯉のぼりを飾る行事がありますが、実はこれは中国から伝わったものだそうです。中国には「鯉が竜門の滝を昇ると竜となって天をかける」という故事がありますが、もともと鯉は、清流だけでなく、池でも生きられる生命力の強い魚です。この登竜門伝説から、鯉のぼりは環境の良し悪しにかかわらず、立派に成長し、立身出世するように願って飾られるようになったと言われています。この行事が日本に伝わったのですが、江戸時代、日本では端午の節句を祝う行事があり、武家では男児の祝日として、子供の出世や健康を祝って、この日には家紋のしるした旗指物などを屋外に立てていたそうです。それが中国から「鯉のぼり」が伝わったことから、町人は、子供の健康や無事を祈り、こぞって鯉のぼりを立てるようになり、江戸時代の後半になると、町人が経済力を強め、端午の節句を華やかに祝うようになったということです。
鯉のぼりと聞けば、誰でも五月晴れの空を元気に泳ぐ吹流し式の姿を連想しますが、中国から日本に伝わったときの鯉のぼりは、文字通り、鯉の絵が描かれたのぼりだったそうです。それが江戸時代、町人の発想で、現在のように青空を泳がせるというものに変わったそうですが、この発想は、世界に類を見ない日本人独特の感性で、改めて日本人の独創性に感心したところです。
さて、鯉のぼりを見るたびに、私にとっては苦い思い出があります。それは長男が誕生し、初めての端午の節句を迎えるときで、丁度4月中旬頃でしたが、私の父や妻の父等からお祝いに鯉のぼりをもらったのです。その頃、私は民家の住宅を借りていて、そこには庭がありましたので、鯉のぼりを立てることにしたのです。そこで、近くの竹屋から長さが約10メートル位の孟宗竹1本を買い、庭の片隅に穴を掘って竹を立てたのです。その作業は全て私一人でしましたが、丸一日の作業でやっと完成し、早速もらっていた鯉のぼりを掲げたところ、青空に元気よく泳ぎ、私も妻もその姿に満足したのです。
ところが、その数日後、私達は、新しく出来た官舎への移転を命じられたのです。折角鯉のぼりを立てたのにと、当初は住居の移転に不満でしたが、上司の命令とあらば仕方がありません。立てたばかりの孟宗竹を引き抜き、鋸で切って処分しましたが、ただ残念なのは、そのときの鯉のぼりの姿を写真に撮っていなかったことです。このように、長男の誕生を祝って掲げられた鯉のぼりは、わずか数日の運命で終わりましたが、40数年経った今でも、そのときの元気よく泳ぐ鯉のぼりの姿は、私の脳裏にはっきり残っています。
少子化の影響で、年を追うごとに鯉のぼりの姿が段々減ってきています。しかしながら、最近では、鯉のぼりのほかに、鯨のぼりの姿も見られるようになったようですから、日本人が発想した吹流し式の鯉のぼりの行事が、永遠になくならないことを願っています。






