魔法のペン
私が育ったのは太平洋戦争が終わった直後の昭和20年代でしたから、まず食べるものに苦労し、それが一段落すると、今度は娯楽、特に映画が流行(はやり)出し、私達の町にも映画館が2館出来る程の賑わいでした。それでも、まだ満足せず、夏の夜、小学校の校庭を会場として行われていた巡回映画には、兄達に連れられて欠かさず観覧したものです。巡回映画には、「岸壁の母」や三益愛子主演の「瞼の母」などのほか、漫画映画もありましたが、60年近くたった今でも覚えているのは、「魔法のペン」という短編のアニメ漫画でした。
そのアニメ漫画は、自分の欲しい物を頭に描いてペンを執ると、たちまちその現物が目の前に現れるというものです。例えば、リンゴが食べたいと考え、リンゴの姿を頭に描きながらペンを執ると、目の前にリンゴが出てくるという具合です。もちろんその当時は、カラーではなく白黒の映画でしたが、それでも、頭に描いた果物や車などが次々に出てくるシーンでは、観客は一斉に拍手をしたものでした。おそらく今の子供達がこの映画を見たとしたら、「ペンで描いただけで、果物や車などが出てくるはずがない。そんなことはあり得ない」と一笑するに違いありませんが、当時の私達にとっては、夢と希望を与えてくれた素晴らしい作品でした。
その映画は、巡回映画のたびに放映されていましたが、何回見ても飽きることなく、おそらく数十回は見たものと思います。また、その巡回映画には子供だけでなく、多くの父兄も参加するほどの盛況でしたので、観客が多いときは、スクリーンの裏側で見たこともありましたが、この特別席は寝転びながら眺めることが出来ましたので、私にとっては今でも若き日の良い思いでの一コマとなっています。
さて、「魔法のペン」といえば、世の中には、漫画や絵を上手に書いたりする人がいますが、このような人に出会うと、うらやましくなります。それは、私には全く絵に関する才能がないからです。小学生や中学生のときの成績簿を見ても、社会や国語、体育などはまあまあとしても、図工に至っては、いつも2か3という評価でした。そのような私でしたから、ミニ広報紙の作成というものは、からっきし駄目で、世の中がパソコン時代になっても、それに乗り遅れた感覚を持っていたのです。
ところが、今年の2月に事務員として入社した神山さんのパソコン操作を見て、私のこれまで持っていた劣等感が払拭出来たのです。それは、当校の赤崎副校長が企業研修で使う資料を神山さんが創っているのを見ましたが、パソコンのマウスを器用に使って次々と創り上げていくのです。それを見て、本年4月に社長から「交通安全ニュースを創って欲しい」という依頼があったとき、今までの私でしたら、きっと「駄目です」と返事したはずなのに、その際は二つ返事で引き受けたわけです。早速。安全ニュースの作成に入ったわけですが、私の頭の中には大体の案は出来ており、それをメモ書きにして神山さんに渡すと、数日後には完成しましたが、その出来栄えは私が考えていた以上に素晴らしいものでした。神山さんが手にしたマウスは、まさに、私が子供のとき見た漫画の「魔法のペン」そのものだったのです。これで私にも少し自信がつき、その後は順調に交通安全ニュースが出来ていますので、まずは神山さんに感謝しなくてはいけないようです。



