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校長のひとり言ブログ

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2008年11月 アーカイブ

2008年11月 3日

相撲

 私が生まれ育ったのは、宮崎市に隣接する本庄町(現在合併して国富町)ですが、ここは、昔から相撲が盛んなところで、夏祭りでは奉納相撲があり、私も子供の頃、商品のノートや鉛筆をもらうのを目的にして出場した思い出があります。また、私が通った本庄小学校の創立記念日は2月25日ですが、この日は、記念行事として男子生徒が全員参加しての相撲大会が行われていました。終戦直後で、娯楽行事がなかった時代にこのように「相撲」が盛んだったのは、おそらく、巡業のため、現役の大相撲の力士が本庄町にやってきて、小学校の運動場に設けられた土俵上で、生の相撲を見せてくれた影響だと思います。毎年、11月か12月ごろには巡業があり、テントを張り巡らした会場には、大勢の人達が有料で入場し、ひいきの力士に大声援を送ったものです。私も父や兄達に連れられて見物をしましたが、今でも脳裏に残っているのは、横綱の照国関、羽黒山関、吉葉山関、プロレスラーになった東富士関や大男の大起「(おおだち)関等ですが、その中でも後に横綱になった千代の山関の相撲振りには、子供ながら憧れたものです。当時、千代の山関はまだ序二段か三段目位でしたが、ひょろっとした身体ながら、強烈な突っ張りと鮮やかな上手投げには目を見張るものがあり、その相撲振りを見て、私は千代の山関の大ファンになったものです。
 さて、その「相撲」の起源ですが、日本書記によりますと、西暦360年ごろ、垂仁天皇の前で、力自慢を自負する野見宿禰(のみのすくね)と当痲蹶速(たいまのけはや)が対決した記事があり、これが「相撲」の始まりだとされています。この時の決闘はデスマッチであり、当痲蹶速(たいまのけはや)は肋骨が折れて死亡し、勝った野見宿禰(のみのすくね)は、土地を与えられその後天皇に仕えたということです。野見宿禰については、こんな逸話があります。それは、当時、貴人、いわゆる偉い人が死去すると、生前付き従っていた人々は殉死する風習があり、それを見かねた野見宿禰は、土で作った人物や馬を生きた人に変えて古墳の周りに立て並べてはどうかと天皇に進言し、これが制度として採用されましたが、この土で作った人や馬が「埴輪」だということです。
 この「相撲」は、日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、沖縄地方を始め日本各地で「祭り」として奉納相撲がその地域の住民により現在もおこなわれていますが、健康と力に恵まれた男性が神前にその力をささげ、神々に敬意と感謝を示す行為です。そのため、礼儀作法が非常に重視され、力士はまわし以外は身につけないとされ、その名残は現在の興行形式である「大相撲」にも見られており、皇室との縁は深いといわれています。天皇陛下が「大相撲」をご覧になられたとき、報道では「天覧相撲」と表現していますが、それはその名残からだということです。
 現在の大相撲の原型は、江戸時代の始め頃に出来た相撲興行組織ですが、その後明治時代を経て、大正14年(1925年)に公益法人の「日本相撲協会」が設立されて現在に至っています。その間、相撲史上では、相撲ブームとしては、栃錦と初代若乃花の栃若時代、大鵬と柏戸の柏鵬時代、若乃花と貴乃花兄弟の若貴ブーム等がありましたが、最近は、横綱朝青龍の言動問題や外国人力士の犯罪等で、ひところのブームが過ぎ去り、やや落ち目の状況にありますが、ここは一つ、力士を始め相撲協会が「相撲」の原点に立ち返り、立合い等礼儀作法を重視した取り組みを行って、再び、「相撲ブーム」が来ることを望んでいます。

2008年11月10日

九州一周駅伝

 我が国では「駅伝」と言えば、先ず、伝統がある新春の東京・箱根間を走る大学駅伝のことが頭に浮かびますが、九州のスポーツファンにとっては、やはり「九州一周駅伝」ではないかと思われます。今年の大会は、昨日11月9日、福岡市にゴールしましたが、豊富な選手をそろえた福岡県チームが圧倒的な強さで4連勝、通算23回目の優勝を飾り、我が宮崎県チームは王座を奪回することが出来ず、今年も第2位に終わり、残念な結果に終わってしまいました。
 さて、「九州一周駅伝」と言えば、私にも思い出がありますが、それは私が中学生のとき駅伝部員だったからです。私達が中学生時代は、現在のようなクラブ活動ではなく、例えば、サッカーとか駅伝等の大会が近づくと、先生の指名で急遽、部員が集められ、大会に備えるというシステムでした。私は小学生の時から走ることが得意で、特に長距離競争には自信があり、中学2年生のとき駅伝部員に選ばれましたが、その駅伝部員には、恩典として「九州一周駅伝」を見学することが特別に許されていたのです。私が生まれ育ったのは本庄町ですが、現在と同じように、隣町の高岡町が「九州一周駅伝」第7日目の最終中継地点となっていましたので、その日は授業を早退し、駅伝部顧問の先生の引率で、当時の一流選手達を応援がてら見に行ったものです。今でも強烈に覚えているのは、福岡県チームの圧倒的な強さでした。当時宮崎県チームも旭化成の選手達で構成され、広島庫夫選手とか、宇和選手等のマラソン選手がいましたが、福岡県チームには、八幡製鉄(現新日鉄八幡)の高橋進選手等強力なメンバーが揃っており、宮崎県チームは全く歯が立たず、万年2位という成績だったと記憶しています。
 その「九州一周駅伝」は、今年で第57回になるそうですが、どのような経緯でこの大会が開催されるようになったのか、また、なぜ長崎市がスタート地点なのか等これまで考えたことはありませんでした。先日、ふと疑問になり調べてみたのですが、それによると、1952年(昭和27年)4月26日に、日本国とアメリカ合衆国との間に結ばれたサンフランシスコ平和条約が発効しましたが、これを記念して何か事業をしようということになり、九州各県を走り抜ける駅伝が始まったということです。それでは、なぜスタート地点が長崎市になったかということですが、長崎市は被爆都市であり、大会の趣旨に最も適しているという理由で決まったということです。当初、スタート地点は長崎県庁前でしたが、1955年に長崎市の平和公園に「平和祈念像」が建立されてからは、この地点がスタート地点に変わり、現在に至っています。
 この「九州一周駅伝」は、長崎市の「平和祈念像」前をスタートし、佐世保―佐賀―熊本―水俣―鹿児島―宮崎―延岡―大分―北九州を経て、福岡市の西日本新聞社前をゴールとする日本では最長の駅伝ですが、第1回大会は、「西日本各県対抗九州一周駅伝大会」という名称で、第4回大会から「高松宮杯・西日本各県対抗駅伝競走大会」となったということです。当初出場していたのは、九州の福岡、長崎、佐賀、熊本、大分、宮崎、鹿児島の各県と中国の山口県の合わせて8県でしたが、その後、1972年(昭和47年)に沖縄県が本土復帰してからは、現在9チームで競争が行われています。
 我が宮崎県チームも、かっては第30回大会から、2004年の第53大会まで24連勝を遂げ、各県チームから「宮崎ではなく、旭化成と戦っている」と言われるほど圧倒的な強さを誇っていたわけですから、来年は選手全体の底上げを行い、再び王座を奪回することを期待しているところです。

2008年11月17日

譲り合いの精神

 先日、全指連大会に出席のため上京しましたが、その際、「譲り合いの精神」に関する二つの事案に遭遇し、私にとっては、まさに「目から鱗(うろこ)が落ちる」思いをしました。
 先ず、その一つは、ドライバーの運転マナーです。上京した日、東京に住んでいる長男が車で羽田空港に迎えに来てくれていましたので、私達夫婦はその車に同乗し、首都高速道路を通り、宿泊予定のホテルがある池袋駅近くまでドライブしました。私は助手席に乗車していたのですが、その日の首都高速道路は、ウィークデーの午前中にもかかわらず、比較的交通量が多く、なかなかスムーズには通行出来ない状態でした。おまけに、首都高速道路は他の道路と合流する地点が多く、そのたびにノロノロ運転をせざるを得ない渋滞に巻き込まれたのです。日頃、宮崎で車を運転している私達でしたら、このような渋滞に巻き込まれると、イライラして運転も多少荒くなるのですが、運転席の長男の運転振りを横目で見ても特に変わった様子はありません。そのうち、約100メートル先に本線道路と交わる分岐点が見えてきましたので、「この状態だったら、随分時間がかかるな」と思ったのです。
 ところが、車は停止することなく、ノロノロながら時速5キロ位で進行しているので、どうして進むのかなと疑問に思っていたところ、合流する分岐点に近づいてみて始めてその疑問が解けたのです。それは、支線道路の車が本線道路に合流するためにウインカーを点灯すると、本線道路を通行している車が速度を緩め、本線道路に合流できるよう、さりげなく車間距離をとってくれるのです。すると、本線道路に無事合流できた車は、「ありがとう」の意味を込めたランプを点灯するのです。この状態は、日頃、宮崎で運転している私にとっては信じられないことでした。おそらく、宮崎でしたら、本線道路が優先され、支線道路からの合流に時間がかかり、そうなると、無理に合流しようとしてトラブルが発生する可能性があるからです。3年位前の新聞に「県外から宮崎に転入したドライバーの見た宮崎県内の交通マナー」と題する記事が掲載されたことがありますが、その中で「宮崎県内のドライバーは、進路を譲ってくれない」という意見がありましたが、まさにその通りで、田舎ほど「譲り合いの精神」に欠けたドライバーが多いことを痛感したところです。
 二つ目は、電車を乗り降りする場合の乗客のマナーです。滞在中、何回か電車に乗車しましたが、そのつど感心したのは乗客のマナーでした。電車がホームに到着すると、先ず電車から乗客が降車し、その間、乗車する客は整然と列を作って乗降口で待ち、降車客がなくなってから電車に乗り込むのです。このような乗り降りのマナーは、中国ならいざ知らず、我が国では当然なはずですが、宮崎ではそのマナーが守られていません。私は通勤に電車を利用していますが、帰りの電車はJR宮崎駅に到着すると折り返し都城行きとなりますので、電車が停止して乗降口のドアが開いた途端、降車客を押しのけて高校生が乗り込んでくるのです。それこそ我先といった状態です。近くに駅員がいますが、見て見ぬ振りをしていますから、いつもこの状態です。この子供達が将来東京に行ったら、おそらく自分達の行為がマナーに反したものであることがわかるものと思います。しかし、それでは遅すぎますから、何とか今のうちに駅員が乗り降りのマナーを指導するとか、高校側で「譲り合いの精神」を指導して欲しいものです。

2008年11月24日

万歩計

 先日、日本政府が閣議決定した平成20年版「食育白書」が発表されましたが、それによると、「都市部の人は良く歩き、肥満も少ない」ということで、1日の歩行数を都道府県別で見ると、2千歩以上の開きがあることが分かったそうです。1日の歩行数は、全国平均で成人男性が7、525歩、成人女性が6、662歩で、都道府県別に見ると、男性が多い順に第1位が神奈川県の8,371歩、第2位が兵庫県の8,281歩、第3位が東京都の8,237歩で、女性の第1位は、高知県の7,777歩、第2位が兵庫県の7,4499歩、第3位が神奈川県の7,371歩の順だということです。逆に歩行数が少ないのは、男性の第1位が、高知県の6,173歩、第2位が山形県の6,270歩、第3位が徳島県の6,217歩で、女性は、第1位が山形県の5,214歩、第2位が和歌山県の5,842歩、そして第3位が岩手県の6,005歩となっているそうです。この歩行数について、調査をした内閣府は「都市部では電車やバスを利用するため歩行数が多く、逆に地方は、車を利用する機会が多いからではないか」と分析しています。
 そう言われてみれば、会議等で東京に出張したとき先ず驚くことは、都市部の人の歩く速さです。地下鉄のホームからエスカレーターで地上に上がるとき、私達地方人は、エスカレーターの階段に乗ったら到着するまで、そのままじっと動きませんが、都市部の人は、何をあんなに急ぐのかと思う位、階段を急ぎ足で上って行きます。それも男性だけかと思っていたら、女性も同じで、とにかく都市部の人は歩くようです。それに比べ、地方に住んでいる私達はと周りを見ると、買い物や病院などに出かけるときは、大部分の方が車を利用しているようです。これも、バスや電車等の交通機関が少ないことが原因かもしれませんが、それだけ、地方に住んでいる人ほど、歩く機会が少なく、歩行数も少ないものと思われます。また、歩行数が多い都道府県では、肥満の人が全国平均を下回っていますが、歩行数が少ないところでは、逆に平均を上回る傾向が見られるということです。
 さて、私も約10年位前の定期診断で、「中性脂肪の値が高いので、ウォーキングをしなさい」と勧められ、毎日、1万歩を目指してウォーキングを続けていますが、最初はなかなか長続きしませんでした。そこで、友人のアドバイスを受けて「万歩計」を購入し、毎日の歩行数を記録するようになってからは、どうにかウォーキングをするのが日課になったようです。私の1日を振り返って見ますと、まず起床した後、午前6時から約30分をかけて散歩するのが始まりとなっていますが、その間の歩行数は、約3,000歩です。その後、自宅で乾布摩擦や腕立て伏せ、腹筋運動などをした後、出勤前の5分間を利用して、自宅の階段の上り下りをしています。この階段は往復で32段ありますので、これを10回しますと、「万歩計」の歩行数も4,000歩を超えています。この後、自宅からJR宮崎駅まで約30分かけて自転車で通っています。さらに。JR宮崎駅では、2階が電車の乗り場になっていますから、1階から2階に通じる43段の階段を数回往復しています。さらに、電車が山之口駅に到着しますと、階段を上り下りして改札口に出ますから、学校に到着したときには、「万歩計」の数字を見ると、6,000歩を超えている状態となっているようです。
 この「万歩計」は、数個を変えながら愛用していましたが、このほど買い換えた携帯電話には、「万歩計」の機能がついていますので、最近はもっぱら携帯電話を利用しているところです。これまでの「万歩計」では、その場歩きや自転車での歩行数はカウント出来ませんでしたが、携帯電話をズボンのポケットに入れて置くと、カウント数が刻まれることがわかりましたから、最近は携帯電話の「万歩計」を大いに活用しているところです。