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校長のひとり言ブログ

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2009年2月 アーカイブ

2009年2月 2日

当て逃げ

 私の運転経歴は約50年近くありますが、その間、加害事故を起こしたことはなく、逆に追突されたことが1回あります。それは昭和39年頃のことで、横断 者を通すため一時停止したところ、後続車両の運転者がわき見したため追突され、脊椎軟骨損傷で長期入院を余儀なくされた経験があります。その後は、交通事 故の当事者となった経験はありませんが、もし、追突され、相手車両がそのまま逃げる、いわゆる「当て逃げ」に遭遇した場合は、もちろん許すことが出来ませ んし、どこまでも追っかけていく気持ちは今でも持っています。
 先日の朝、そのような「当て逃げ」現場を目撃したことがありますが、それは、私が住んでいる団地の近くの道路で発生した事故です。その日は朝から雨が 降っていたので、私は自転車での通勤をやめ、バスで通勤することにし、団地入り口バス停で待っていたのです。すると、右側の方から「ドーン」という鈍い音 が聞こえて来たのです。交通事故だと直感し、音の方を見たところ、私が立っている所から約50メートル位離れた、信号機のある交差点近くの道路に、軽自動 車が停止し、その後ろに白い色の乗用車が間隔をおかずに停止している姿が目に入りました。その道路は、信号機に従わずに左折出来る誘導路で、2台の車の様 子からして、先頭の軽自動車が左折しようとしてスタートしたが、何らかの事情で一旦停止し、それに気づくのが遅れた後続車両が追突した事故のようでした。 追突したと思われる普通乗車はすぐバックし始め、軽自動車との間が約1メートル位になった所で停止しましたが、普通だったら、あの衝突音からして間違いな く追突事故でしたから、追突された運転者かまたは追突した運転者が、車から降りて来て車の傷の具合を見るはずですが、双方の車の運転者もそれらしき様子は ありません。
 やがて車の流れが途切れたのか、軽自動車はスタートし、すぐ5メール位先の空き地に入ったので、そこで事故の話をするものと思い、後続の乗用車の動きを 見ていたのですが、乗用車はその空き地には入らず、そのまま北進してしまったのです。それを見て私は「あっ、当て逃げだ。逃げる気だな」と思ったのです。 一旦、空き地に入った軽自動車もそれに気づき、乗用車を追いかけ始めたのですが、乗用車はそれに気づいたのか、合図もせずにいきなりハンドルを切って右折 し、スピードを上げ東進し出したのです。追っていた軽自動車も追っかけようとしましたが、対向車が続いていたため、なかなか右折できず、やっと右折した時 には、乗用車の姿は見当たらず、追っかけるのをあきらめたようでした。
 それから先は、バスが来ましたので残念ながら見届けることが出来ませんでしたが、おそらく軽自動車の運転者は、追突され、おまけに当て逃げされて頭に来 たものと思われます。このような時、どうするか、先日当校の指導員の何名かに聞いてみたところ、男性指導員は圧倒的に「追いかけます。」という意見が多 かったのですが、女性指導員からの答えは「怖いから追っかけません。ナンバーを控えておき、警察に届けます。」というものでした。この答えからすると、女 声の方がより冷静のようですが、職員の皆さんも、いざ自分がその立場になったときはおそらく迷うのではないかと思いますので、逃げた相手の車のナンバーを メモできるよう、運転席にはメモ帳等を備えておきましょう。

2009年2月 9日

泣いて馬謖を斬る

 「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という故事がありますが、この意味は、規律や秩序を保つためには、たとえ、愛する者であっても、違反した者は厳しく処 分するということです。その由来は、中国の三国時代、蜀(しょく)の武将・馬謖が、街亭の戦いで諸葛孔明(しょかつこうめい)の指示に背いて敗戦を招きま した。その責任を取り馬謖は処刑されることになりましたが、馬謖は諸葛孔明の愛弟子であり、他の武将の一部からも「馬謖ほどの有能な将を処刑しなくても」 と慰留の声が上がったということです。しかし、諸葛孔明は「軍律の遵守が優先」と涙ながらも処刑に踏み切ったということですが、私達が若い頃受験した就職 試験には、この故事はよく出題されていました。
 さて、最近、この故事を知らないというか、国民の目から見ると、実に不可解な処分をした事案がありました。それは、大相撲の十両若麒麟が大麻取締法違反 (所持)で逮捕された事案に対する相撲協会の処分です。日本国内においては、大麻取締法違反で逮捕される若者が急増し、ラグビーの名門・関東学院大学を始 め、早稲田大学、慶応大学等の学生にその汚染が広がり、さらに、相撲界にも波及したのです。昨年8月、抜き打ちの尿検査の結果、大麻を吸引していたロシア 出身の若ノ鵬、露鵬、白露山が「解雇」という処分を受け、日本の相撲界から追放されました。相撲協会では、外部有識者からの支援を受けながら再発防止対策 を講じていたわけですが、その最中の今回の大麻所持事案でしたから、若麒麟の師匠である尾車親方が引退届けを協会に提出し、それを武蔵川理事長が受理では なく、預かって理事会にかけるというニュースを聞いた時、相撲協会は、若麒麟を「除名」する気だなと思っていたのです。それは、若ノ鵬等の処分は「解雇」 でしたが、「解雇」という処分だったら、請求を受ければ協会は、養老金名目の退職金を支払わなければならず、現に若ノ鵬の請求に対し、退職金580万円が 支払われていたからです。
 ところが、2月2日の理事会で決定した結果は、若ノ鵬等と同じく「解雇」という処分だったのです。この処分の発表に際し、武蔵川理事長は「若麒麟は25 歳と若い。第2の人生を考えると、除名するのはかわいそうだということになった。」と理事会での協議の内容を弁解していましたが、この理事会では、師匠の 尾車親方の降格処分を決めたものの、自らの監督責任はバッサリと切り捨て、減俸もけん責もないという処分でした。これでは、昨年の若ノ鵬と同じく、請求が あれば協会は退職金を支払わざるを得ない状況ですから、マスコミはこの処分に対し、「早すぎ、甘すぎ、バカすぎ、相撲協会」と批判したのです。さらに、相 撲協会を指導する立場にある文部科学省のトップ塩谷大臣も「(不祥事が)度重なる中、軽すぎるとの印象は否めない。」と発言し、さらに「理事会では除名が 決められなかったが、今後、協会の(上部)機関で再検討される可能性はあると思う」という強い非難の意を表したのです。
 この問題は、若麒麟本人から「養老金(退職金)は、いただく気はない」という手紙が協会に提出され、一応解決しました。しかしながら、協会の対応のまず さを世間に暴露したわけで、もし、理事会を構成している理事の人達が、「泣いて馬謖を斬る」というこの故事を知っておれば、おそらく全員一致で「除名」と いう処分を下していたことでしょう。そうなれば、相撲協会に対する国民の信頼度も高まったことと思いますが、誠に残念な処分結果でした。

2009年2月18日

桜島

私は夕方、妻を乗せて近くのスーパーに買い物に行くのが日課となっており、妻が買い物をする間、駐車場に車を止め、ラジオを聴いていますが、先日、NHKFMを聴いていたところ、鹿児島県出身の女性演歌歌手がゲストとして出演し、担当の吉川アナウンサーと歌手になるまでの苦労話をしていました。その歌手は始めて聞く名前でしたから、今では覚えていませんが、「さくら」というタイトルを歌うことになった時、丁度、妻が買い物を終えて車に乗り込んできたのです。ラジオでは曲の前奏が流れ始め、吉川アナウンサーが「それでは、○○さんに郷里の桜島を思い浮かべ、『さくら』を歌っていただきます。」と紹介し、歌声が流れ始めたのです。「さくら」という曲は、森山直太郎やコブクロなどいろいろな歌手が歌っていますが、流れ始めたメロディは、初めて聞くもので、余り興味もなかったので、自然と私達夫婦の会話の内容も、歌とは別の話になったのです。
 その話というのは、妻が「桜島には、桜の木はなかったようだったが、何で『桜島』というのだろうか。」と言い出したのです。運転中に、いきなりの質問でしたから、私の頭の中はパニック状態になりましたが、いくら考えてみても、どうしても答えが出てきません。それもそのはずです。鹿児島市にある「桜島」は、私が小学6年生の時に修学旅行で訪れたのを始め、これまで十数回、空高く噴煙を上げる雄姿を眺めたことがありますが、「何故、桜島というのか」ということは考えても見たことがなかったからです。その場は、運転に専念するふりをして黙っていたところ、妻はそれ以上「桜島」の話はしませんでしたが、私の頭の中には、「何故、桜島というのだろうか」という疑問が残ったのです。そこで、夕食を済ませた後、「桜島の名前の由来」について調べてみたのです。
 「桜島」の名前の由来については、「三国名勝図会下巻」、「桜島町郷土史」、「日本歴史地名大系47鹿児島県の地名」などによると諸説がありますが、どうやら次の4つに絞られるようです。その一つは、平安時代の中ごろ、桜島忠信が大隅国(現在の鹿児島県)の守(かみ)として赴任中、郡司の詠んだ歌が桜島忠信の名とともに広まったため、「桜島」と呼ぶようになったという説です。その二つは、島の五社大明神社の祭神が「木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)」であるため、この島を「咲夜島」と読んでいたのが、訛って「桜島」と呼ぶようになった説です。その三つは、海底火山により島が湧出した時、周辺の海に桜の花が浮かんでいたので、「桜島」と呼ぶようになったという説です。そしてその四つは、島には桜の木があり、それが一夜にして突出して山になったので、「桜島」と名付けられたという説です。
 現在の「桜島」が誕生したのは2万5000年前ですが、この島を「桜島」と呼ぶようになったのは、文献によると、文明8年(1476年)頃からです。その頃は、「桜島」のほか、鹿児島市から見て向うにあることから「向島」とも呼ばれ、併用されていたそうです。それが「桜島」という名前に統一されたのは元禄11年(1698 年)ということですから、どうやら4つの説のうち、1,3,4の説は、由来となった事柄と「桜島」と呼ばれるようになった時期が、時間的に遠く隔たっており、信憑性は低く感じられますが、ロマン的な「桜島」という名前からして、あえてどの説が正しいと決め付ける必要性はないようです。

2009年2月23日

戦国武将ブーム

 昨年のNHKの大河ドラマの「篤姫」は、主人公が旧薩摩藩の姫君であったことから、毎回、日曜日の夜にこの番組を見るのが楽しみでしたが、今年の大河ドラマ「天地人」も、これまで数回テレビを見たところでは、大いに期待が出来そうです。私は歴史ものが大好きで、小説を数多く読んだり、映画やテレビで見ていますが、正直言って、今回のドラマの主人公である「直江兼続」については、全く知識がなく、初めて名前を聞く人物でした。文献によると、「直江兼続」は、戦国時代、越後の上杉景勝に仕えた武将で、日本を統一した豊臣秀吉から「わしの家来にならないか」と誘われましたが「私の主君は上杉景勝ただ一人です。」ときっぱり断ったほか、後に天下を統一した徳川家康が上杉景勝を攻めなかったのは、家臣に「直江兼続」がいたからだと言われているほどの人物だということです。
 さて、先日の朝、出勤前にNHKテレビを見ていたところ、最近、「直江兼続」のような戦国武将が若者、その中でも若い女性の間でブームになっている様子が放映されていました。私もその番組を見た瞬間、戦国武将=若い女性という結びつきがどうしても理解出来ませんでしたが、インタビューを聞いてみると、なるほどと同意出来ました。それは、若い女性が「今の世の中で、命がけで上司に仕えるタイプの人は先ず存在しません。その点、戦国時代の武将の中には、自分の命を主君にささげるタイプの人が多く、それに惹かれるようになった。」と説明していました。このような女性が、戦国武将を題材にした小説を読むようになったということで、特別に戦国武将コーナーを設けた本屋さんも出てきているということです。
 また、このような戦国武将ブームに乗って、最近、戦国武将グッズも大人気だそうです。そのグッズでは、戦国武将の家紋が最も人気があり、その武将でも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下を統一した武将ではなく、明智光秀、真田幸村、石田三成といったどちらかと言えば、英雄になれなかった武将の家紋に人気があり、一番人気があるのは、石田三成だそうです。その家紋のグッズは、携帯電話や持ち物などに貼り付ける方法がとられているということですから、何がブームになるか全く予想も出来ないところです。
 番組では、今後ブームになりそうな戦国武将が紹介されていましたが、その名前は、伊達政宗の家臣の「片倉小十郎」という人物です。「片倉小十郎」は戦国時代から江戸時代前期にかけ伊達政宗の軍師として活躍した戦国武将ですが、上杉景勝の家臣「直江兼続」と似たところがあります。それは、豊臣秀吉から「5万石の大名を与えるからわしの家臣にならないか」と誘われましたが、「私の生涯の主君は伊達政宗ただ一人です。」と忠義を選んで断ったと伝えられています。「片倉小十郎」は、伊達家の中では剣術に長けたほか、笛の名手としても知られ、現在風に言えばイケメンの武士だったということです。
 その「片倉小十郎」を主人公にしたテレビアニメが、近いうちに発売されるそうです。現在発売されている伊達政宗が主人公のテレビアニメも、主人公より脇役の「片倉小十郎」の方が人気があるということですから、きっと発売と同時に、爆発的な売れ行きがあるものと予想されます。