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校長のひとり言ブログ

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2010年7月 アーカイブ

2010年7月 5日

ハンカチ

 私は朝出勤する際、「財布」、「携帯電話」等と持っていく物を声に出し、目で確認していますが、その中にはもちろん「ハンカチ」も含まれています。日本人にとって「ハンカチ」は、外出する際の携帯品に欠かせない物の一つですが、外国ではどうでしょうか。「ハンカチ」は、英語のハンケチーフの略ですから、私は当然、アメリカでも、日本と同じように「ハンカチ」を使う習慣があるものと思っていたところ、先日見たテレビでは、「アメリカはハンカチを使う習慣がない」ということを知り、びっくりしたところです。
 そのテレビは、アメリカで生まれ育った日本人の高校生が、洗った手を拭く際、クラスメートに「ハンカチ」の使用をすすめている様子が放映されていました。なぜ、この女子高校生が「ハンカチ」の使用をすすめているかというと、アメリカでは、洗面所で手を洗った時、濡れた手を拭くのは、「ハンカチ」ではなく、使い捨てのペーパータオルだからです。その量は私達が想像している以上に多く、たちまち使い捨てのペーパータオルが満杯になるほどなのです。この光景をいつも見ていたその日本人女子高校生は、資源保護のため、なんとか良い方法はないものかと考えていたところ、たまたま日本に旅行した時、日本人が常に「ハンカチ」を持ち歩いていることを知り、その普及を考え付いたということです。
 さっそく、インターネットで日本のハンカチ製造業者を調べ、アメリカで「ハンカチ」の使用を普及させたい旨を告げると、業者から3、000枚の「ハンカチ」が届き、ハイスクールの友達に無償で配布したということです。しかしながら、当初同級生は手を洗った時、「ハンカチ」を使っていましたが、子供の時からその習慣がないためか、段々使用する人が少なくなったそうです。そこで、この女子高校生は、子供の時から「ハンカチ」の使用を習慣づけるため、近くの小学校に働きかけているということでしたが、はたして功を奏するかは、今後の状況を見なければならないようです。
さて、私達は何気なく「ハンカチ」を持ち歩いていますが、調べてみると、「ハンカチ」の語源は、15世紀頃、フランスの船乗りが日除けのために被っていた麻布を持ち帰ったことが始まりと言われ、百科事典には、主に身だしなみとして用いられるもので、通常は四辺を一にする正方形の布のことと書いてあります。その起源は、紀元前3000年頃のエジプト文明の頃には存在していたということです。この「ハンカチ」は、身分の高い人の持ち物の一つで、その形状は、円形や長方形等様々でしたが、現在のように正方形になったのは、フランスのルイ16世王妃マリー・アントワネットが規格として統一したということです。
 「ハンカチ」の使い方も、日本では濡れた手を拭くだけでなく、汗を拭くときなどにも使われていますが、ヨーロッパでは、鼻をかむときなどにも使われているということですから、国によって使い方もいろいろあるようです。アメリカで「ハンカチ」を使用する習慣がないのは、日本のように湿気がないことと、公共の施設には必ず使い捨てのペーパータオルがあること等が主な理由のようですが、日本人にとっては、「ハンカチ」は常に持ち歩く携帯品の一つですから、日本から「ハンカチ」が無くなることはまずないと思われます。

2010年7月12日

風習

  私の父は、太平洋戦争の終戦間際の昭和20年3月、赤紙の召集令状を受け、34歳で出征しましたが、出征先も分からず、終戦の8月15日を過ぎても帰還しないので、近所の人達からは戦死したのではないかとささやかれていたところ、母に言わせると、昭和20年11月23日の深夜、ひょっこり帰ってきたそうです。父の話によると、出征先は韓国の済州島だったということです。その父は、私達子供に対して、戦争の話をしてくれた記憶はありませんが、唯一今でも覚えているのは、日本人と朝鮮人の「風習」の違いです。それは、日本人と朝鮮人は、顔を見ただけでは分からず、ましてや当時朝鮮は日本の統治下にあり、朝鮮人も日本語を使っていた関係で、一見しただけでは区別がつかなかったそうです。しかしながら、顔を洗う時の「風習」で区別がついたということです。その「風習」ですが、日本人だったら顔を洗うときは、それこそ顔だけしか洗いませんが、朝鮮人の場合、顔だけでなく、耳の後ろや首まで洗うのですぐ見分けがついたということでした。
 さて、国によってそれぞれ「風習」は違っているようですが、今回の釜山研修旅行で、改めて日本と韓国の間には、「風習」に違いがあることが分かりました。
 その一つは、座り方です。それは旅行第2日の夜、私達夫婦は宿泊先のパラダイスホテル近くにある食堂に行きましたが、そこは座る所が板敷きになっていましたので、丸い敷物に座り、私はあぐら、妻は正座で座り、料理を待っていたのです。料理が出て来る間、何気なく食事をしている先客2組の人達を見ていたところ、座っている姿が一寸違っているのに気付いたのです。それは男性も女性も左足はあぐらですが、右足は立て膝姿という、私達日本人から見れば何とも行儀の悪い恰好だったのです。そこで、先客2組はいずれも韓国人であることが分かったのですが、なぜそのように座るのか、現地ガイドに聞いてみたところ、韓国人はチマチョゴリという日本でいえば着物を着ますが、その際、片方の膝を立てていた方が、すぐ立てますし、その格好の方が綺麗だということで、この「風習」が今でも残っているということでした。 ちなみに、日本人の正座は、韓国では罪人の座り方だそうです。
 その二つは、食事をするときのマナーです。日本人だったら、小さいときから、ご飯や味噌汁を食べるときは、必ず茶碗を手に持って食べるよう躾られており、それが日本のエチケットですが、ガイドブックによると、韓国ではそれはマナー違反だということです。事実、釜山の食堂で韓国の人達の食事光景を見ていますと、食器を手に持つことはまずなく、スプーンを使って食器の中のご飯等を食べており、さらに左手の肘はテーブルに付いたままといった食事作法が多く見られました。それは何故かということですが、韓国料理は石焼ビビンバやソコギ(牛肉の汁ご飯)のように、ご飯の上にモヤシやニラ等を載せ、それに汁をかける、いわゆる「汁かけ飯」であり、そのために食器も大きく、それにスプーンで食べることが多いので、自然と食器を手に持たない「風習」になったものと思われます。
 そのほか、ガイドさんから聞いたところによると、韓国では、「年上の人がいる前で承諾なしに酒を飲んだり、たばこを吸ったりしてはいけない」、「乾杯の時は、相手よりグラスを下に下げる」、「年上の人から注意を受けるときは、相手の眼を見てはいけない」等の「風習」があるそうですが、日本では考えられないものも含まれているようです。日本と韓国は、よく「近くて遠い国」といわれますが、いまさらながら、今回の研修旅行で、歴史と文化の違いにより、双方の国の「風習」が異なっていることを実感したところです。

2010年7月19日

名前の由来

  先日の日曜日のラジオで、結婚のお祝い返しに引き出物を頂きますが、この引き出物の「名前の由来」は一体何なのでしょうかというクイズ番組が放送されていました。三択形式でしたが、どれも正しいようであり、どれかなと思っていたところ、正解は、結婚のお祝い品として馬をあげたことから、この言葉がつけられたということでした。それによると、引き出物という言葉は、平安時代のしきたりから生まれた言葉で、当時は結婚すると、主人側は、お客に対し、そのご褒美、お祝いとして馬を庭に引き出して相手にあげるというしきたりがあり、それがその後、馬代の代わりに金品をあげるようになり、それが現在のように招待客へのみやげ物を指すようになったということです。この言葉のように、私達が普段何気なく使っている言葉も、調べてみると、いろいろ面白い「名前の由来」があるようです。
 まず、一つは、奥さんがご主人を呼ぶときに使う「あなた」という言葉です。江戸時代、「あなた」はあちらの方、つまり、もともとは方向を指す言葉だったそうです。夫といつも離れた位置にいて、表に出なかった江戸時代の妻たちは、夫を「あちらの人」と表現しており、これが転じて、「あるかた」という尊称になり、さらに「あなた」になったということです。
 その二つは、日本のみならず世界でも有名なカメラのキヤノンの社名の「由来」ですが、これは観音様からきているそうです。 1933年に精機光学研究所が設立され、創立者の吉田五郎が、観音菩薩を熱心に信仰していたことから、同年発売予定の精密小型カメラ「KWANON(カンノン)」と名づけました。その為、当時のロゴには千手観音が描かれ、KWANONの文字がデザインされていたということです。その後、世界で通用するブランド名として、英語で聖典、規範、標準という意味の『Canon』という言葉を商標登録し、現在のように社名を変更したということです。
 その三つは、私達が住んでいる宮崎県の「名前の由来」です。もともと「宮崎」という言葉は、神武天皇がお住まいの場所、または奈古(なこ)神社の前に広がる土地を意味し、宮前(みやさき)が転じて宮崎(みやざき)になったといわれ、古文書の中にも「宮崎」という地名が出ています。その後、 明治維新後の廃藩置県により、宮崎県が誕生しましたが、その際、神武天皇がお住まいであったという伝説の場所「宮崎神宮」付近が「宮崎」と呼ばれていたことから、ここを県庁所在地とし、県名を「宮崎県」に決めたということです。
 その四つは、MDSがある都城市の「名前の由来」です。これは都城島津家2代目の北郷義久(ほんごうよしひさ)が永和元年(1375年)、現在都城市歴史資料館となっている場所に城を建てましたが、この地は当時都島と呼ばれていたことから、「都島」という地名の一字を取り、この城の名前を「都之城」と名づけたそうです。その後、明治維新後の廃藩置県により、宮崎県内には、都城県と美々津県が出来ましたが、このときの県名も、「都之城」の名前を取って「都城県」と名付けられたということです。都城県は約1年で消滅しましたが、1889年の町村制施行の際、当時の宮丸村、下長飯村、上長飯村、西町、上町、中町、下町が合併して町になったとき、町名は都城町と命名され、さらに1924年、町村合併により市制が施行されたときも、すんなりと「都城市」という名前になったということです。
  こうした勉強は、いわゆる「雑学」と言われますが、生徒さんと話す時の話題等に活用できそうですので、時間に余裕のある方は、インターネット等で調べてみませんか。

2010年7月26日

熱中症

 気象用語では、日中の気温が30℃以上になる日を「真夏日」、35℃以上になる日を「猛暑日」というのだそうですが、今年は、梅雨が明けた途端、日本国内に猛暑が押し寄せ、特に関東の群馬県や岐阜県等では、連日のように最高気温が38度以上になっているようです。この影響で、農作業中に死亡したお年寄りや、救急車で搬送された患者のことがニュースになっていますが、その原因は「熱中症」のようです。テレビを見たり、ラジオを聴いていますと、必ず,「熱中症」のことが話題になっていますが、先日の朝、散歩中にラジオで聞いた「年代別の熱中症」は、内容も分かりやすく、大変参考になりましたので、皆さん方に紹介します。
 そのラジオは、NHK「健康ライフ」で放送されたものですが、年齢によって[熱中症]が発生する原因は違っており、従ってその対策も変わって来るということでした。まず、幼児の場合で、人間は体内の温度が高くなると、熱を体外に汗として出す機能がありますが、幼児の時期はその機能がまだ未発達だそうです。従って、水が飲みたいときは、泣いたり、ぐずったりするわけですが、母親が幼児の表現をうまくキャッチしないと、「熱中症」になり手遅れになってしまうことがあるそうです。特に、幼児は小さいので、地表からの照り返しが強く、大人と幼児では気温が3度も違うそうですから、この時期、幼児の手をひいたり、乳母車などで散歩する場合は、帽子を被せたり、傘をさしたりし、さらに、途中で休憩したり、水分を与えることが必要だということです。
 次は若い人、つまり10代後半から20代の年代の人達ですが、この年代はスポーツ関係者の人が「熱中症」に罹っているそうです。高校野球のように炎天下でスポーツするわけですから、「熱中症」に罹るのは当然ですが、しかし、専門家によると、熱を体外に出す新陳代謝機能が発達し、例え[熱中症]に罹っても80%は軽症だということです。しかしながら、命かかわることですから、スポーツ関係者は、練習時間を短くしたり、途中で休憩を取ったり、水分を取らせる等の配慮が必要ということでした。
 次は高齢者ですが、若者が[熱中症]に罹っても軽症なの比べ、65代以上の高齢者では、半分以上が重症になるということです。その原因は三つあるそうです。まず一つは、身体の中の熱を汗として体外に出す機能が衰えて来る、つまり年を取ると、下手になって来るということです。その二つは、のどが渇いても、それを脳に伝える中枢神経が衰えて来るということです。その三つは、いろいろな病気で薬を服用するため、自然と体が汗をかかない体質になってしまうということです。
 最後は、「日中症」に罹る時間帯ですが、若者が罹るのは日中炎天下の時間が多いのに比べ、高齢者では自宅居室、しかも10%は夜間だそうです。なぜかということですが、その原因は二つあるそうです。一つは、高齢者は暑いのに、クーラーや扇風機を使うのを嫌がるということと、二つは、トイレに行くのを嫌がって水分を取らないため、就寝中にけいれんを起こして意識障害になるということです。高齢者が[熱中症]に罹った場合、重症になることが多いので、クーラーは除湿にしてやるとか、扇風機は直接身体に充てず、部屋の空気の流れをよくしてやる等、周りの人達が細心の注意を払うことが大切だということです。