広 告
17万台の格安合宿免許!


校長のひとり言ブログ

« 2011年4月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月 アーカイブ

2011年5月 2日

似顔絵

  先日、本棚の整理をしていると、中学校時代の卒業アルバムが目にとまり、久方ぶりだったので、ページをめくっていたところ、懐かしい恩師の写真があり、その写真を見ているうち、I先生の姿が目に入りました。その瞬間、50数年前の出来事が、タイムスリップして私の脳裏によみがえって来たのです。それは、I先生の授業を受けているとき、先生の「似顔絵」を描き、それが先生に見つかってしまい、大目玉を食ったことがあるからです。
 その出来事があったのは、私が中学3年生の1学期のことでした。I先生の担当科目は、「職業・家庭科」の中の「職業」でしたが、この授業科目は、昭和22年に新制中学校制度が発足した時に新しく出来た授業科目で、その授業内容は、実社会に役立つ仕事を教えるもので、私が育った地区は、農業従事者がほとんどでしたから、農業に関するものが主だったと記憶しています。この授業は、週に3~4時間あり、この時間になると、男の生徒は2クラス合同で「職業科」、女の生徒は「家庭科」の授業を受けることになっていました。
 その日は朝から雨が降っており、私は授業を受けながら、ぼんやりと窓の外の景色を眺めているうち、ふっと、「I先生の似顔絵を描いてみよう」という気持ちになったのです。私は絵は不得意な方でしたが、I先生の顔が余りにも特徴があったからです。それは、I先生の風貌が、目がクリクリしていて、まるでタヌキのようであり、また、鼻の下には、チャップリンがしているようなチョビ髭があったからです。そう思ったら、矢も楯もたまらず「似顔絵」を描く気持ちになり、ノートのきれはしに、先生の「似顔」を描き始めたのです。さも、熱心に授業を受けている振りをしながら、先生の顔をじっと観察し、約5分位でI先生の「似顔絵」が出来上がりました。
 その「似顔絵」は我ながら良く出来上がっていたので、つい友達に自慢したくなり、絵が描かれたノートを破り、それを前席に座っていたM君に手渡したのです。すると、M君はクスクス笑いながら、その「似顔絵」を隣りに座っていたS君に見せたのです。その様子が後ろの席にいた私にもわかり、「これはまずい」と思い、小声で「人に見せるな。すぐ返せ。」と言いましたが、時すでに遅く、その様子が授業をしていたI先生に見つかってしまったのです。
 I先生は、私の傑作である「似顔絵」を見つけるなり、「貴様」というや否や私の襟首をつかんで黒板の前まで引きずり出し、そこで、1回拳骨で私の頭を殴られたのです。その瞬間、私は頭に「グアーン」というショックを受けましたが、私が悪いことをしたわけですから、そのままじっと耐えていたのです。すると、再び私の襟首をつかみ、校長室に引きずって行き、校長に「似顔絵」のことを報告されたのです。私はてっきり、校長から怒られると思っていたところ、何と、校長は「うまい似顔絵だね。しかし、授業中は、真面目に勉強しなさいよ」という信じられない言葉があり、この件は一件落着となったという次第です。
 I先生もその場でこの件は水に流され、その後は私に言葉をかけていただきましたので、私としては大変恐縮し、かつ猛反省しているところです。今は亡きI先生ですが、この文面を借り、改めてお詫びを申し上げます。

2011年5月 9日

イソヒヨドリ

  毎年、春になると、宮崎地方では色々な鳥の鳴き声を聞くことが出来ます。その代表的な鳥は何と言ってもウグイスです。この鳥の鳴き声を聞くためには、わざわざ近くの山に行かなくても、私が住んでいる宮崎市内では、早朝散歩の際、住宅地帯で、「ホーホケキョ」という鳴き声が聞こえてくることがあります。春先に聞くウグイスには、まだ練習が満足に出来ていないのか、調子が狂ったというか音程が外れたような鳴き声をするものもいて、思わず噴き出すこともあります。その鳥ですが、なぜ鳴くのか、そして鳴くのはオスかメスかということですが、文献を調べてみますと、鳴くのはオスで、オスがメスを誘うために鳴くのだということです。
 さて、その鳥のうち、先日の夕方、今まで聞いたことのないような綺麗な声で鳴く鳥を見つけました。それは、近くのスーパーに行き、妻が買い物をする間、車の中でラジオを聞いていた時のことです。どこからか「ツツピーコー」というような綺麗な鳥の鳴き声が聞こえて来たのです。その声は初めて聞く鳴き声であり、どんな鳥が鳴いているのかと思い、窓の外を見回したところ、スーパーの建物の一番高い場所から聞こえてきました。私から約30メートル位の距離にいましたので、見た瞬間、「オオルリ」と思ったのです。それは、頭から背中にかけての羽根が青っぽい色だったからです。しかしながら、以前動物園で見た時の「オオルリ」の羽根の色は、もっと鮮やかな青色だったような気がし、さらに、「オオルリ」の胸は白っぽい色でしたが、その鳥は、胸の部位分はレンガ色であり、鳴き声も違っていましたから、明らかに「オオルリ」と違う鳥だということがわかったのです。その鳥は、私達が普段見かけるムクドリ位の大きさですが、鳴き声は素晴らしく綺麗で、私も思わず、うっとりしてその鳴き声に、しばし、聞き惚れてしまったほどでした。その鳥が盛んにさえずる方を見ると、近くの電線に茶褐色の色をした鳥が止まっていましたので、どうやらさえずっていたのは、オスだということがわかったのです。
それから数日して、今度はJR宮崎駅のホームで電車を待っていたところ、頭の上から「ツツピーコー」という鳥の鳴き声が聞こえて来たので、見回したところ、やはり、あの鳥だったのです。すぐ近くにいた駅員さんもその鳥の方を見ていたので、鳥の名前を聞いてみたのですが、やはり知らないということでした。
 そこで、その鳥の名前を調べてみようと思っていた矢先、先日、ゴルフ仲間でバードウォッチングを趣味にしているMさんと同伴となり、この鳥のことを話したところ、「それはイソヒヨドリだ」と教えてもらったのです。Mさんの説明によると、「イソヒヨドリ」はヒヨドリ科ではなく、ツグミ科に属し、海岸の磯に多く生息しており、ヒヨドリに似ていることからこの和名がついたそうです。日本では磯や港など海岸周辺が主な生息地域だったのですが、最近は、街中でも見かけるようになり、住宅地やビルの間を飛んでいる姿を見かけることもあるということです。MDSがある都城地方は、海岸から約40キロ位離れていますから、「イソヒヨドリ」が飛来することはまずないので、この鳥を見たり、声を聞くことは出来ませんが、アイパッドで検索すると、綺麗な声を聞くことが出来ますので、是非試してみてください。

2011年5月16日

生肉

 私の最近の食生活を振り返ってみますと、魚料理が主となっていますが、若い頃は焼肉料理が大好きで、週に4回位は食べていた記憶があります。このように大好きだった焼肉料理ですが、30歳代の頃、肉の食べ過ぎで「痛風」という病気を罹い、それ以後、肉料理を食べるのは、年に数回といった程度に減り、ましてや焼肉店に行くことはまず皆無の状態になりました。私が大好きだったのは、ロース、カルビ、タン、レバーといった高級な肉ではなく、値段が安いホルモン料理でしたが、食べるときは、ほとんど焼いて食べていました。唯一、生で食べていたのは、「サクラ」と呼ばれる馬刺しですが、この馬刺しは馬の肉を薄く切り分けて生で食べる馬肉の刺身で、おろしショウガやニンニクを薬味にして醤油で食べると、とろけるようなうま味がしたものです。したがって、私の食の感覚では、焼肉料理と言ったら、先ず例外である「馬刺し」を除いては、焼肉料理という名前のごとく、牛、馬、豚、ニワトリ等を問わず、全て肉は焼いて食べるものだと思っていたのです。
 ところが、4月末ごろ、妻から「友人がレバーを食べて食中毒になり、ひどい目にあった」ということを聞いたのです。よく聞いてみると、その友人は今年75歳になる女性ですが、孫にせがまれて焼き肉店に行き、そこで、孫が注文していた生のレバー(肝臓)を一口食べたところ、数時間後に下痢やおう吐の状態が続き、救急車で運ばれ、診断の結果、食中毒と診断されたそうです。
その話があってから2,3日後、焼肉チェーン店で集団食中毒が起こり、富山、福井両県で6歳から70歳までの男女4人の死者が出たことが報道されたのです。原因は牛の肉を用いたユッケだということですが、発生地の富山県の調査によると、調査対象の約半分の人はユッケ等の「生肉」を食べた経験があり、特に、20歳代と30歳代の人には、ユッケを注文する人が多いということです。それを聞き、試しに当校の若い職員に尋ねてみたところ、ほとんどの職員が、ユッケやレバー等の「生肉」を好んで食べており、びっくりした次第です。
 さて、「生肉」については、1996年、岡山県内において、学校給食による「O(オー)157」菌の食中毒が発生したことから、1998年、肉類を生食用に販売する際の国の衛生基準が決められましたが、今回の食中毒を見ると、この衛生基準が有名無実になっている実態が明らかになっています。特に、衛生基準では、「トリミング」と呼ばれる表面処理を行うとされている作業が、肉卸業者と焼肉店の双方とも実施されてなく、いかに杜撰だったかが、次々と明らかになっているようです。
 衛生基準によると、対象となっているのは、牛と馬の肉、肝臓(レバー)ですが、これらの肉には、病原性大腸菌の「O(オー)111」や「O(オー)157」を含む糞便系大腸菌群が存在し、これらの菌は肉を焼かない限り、死滅しないそうです。したがって、菌への抵抗力に乏しい幼児や子供、お年寄りは「生肉」を控えるとか、食べたい人は、焼肉店が安全性をチェックしているかどうかを尋ねる等の最低限の自衛策が必要です。それ以上に、有名無実となっている衛生基準を早期に見直し、ユッケの本場韓国のように、基準に罰則を付加するとか、関係機関の立ち入りを強化する等の措置を早期に講じて欲しいとものです。

2011年5月23日

タケノコ

 私達が小学6年生の時の県外修学旅行先は鹿児島県でしたが、約60年位前のことですから、今でも記憶に残っているのは、桜島や城山公園、それに磯御殿ぐらいです。その中でも、今でもはっきり覚えているのは、磯御殿の「モウソウチク」です。磯御殿と言えば、薩摩藩の藩主である島津家の別邸で、その時、ガイドさんが御殿の中の建物や庭園のことを説明してくれましたが、今ではそれらのことはすっかり忘れてしまいました。しかしながら、御殿の裏山にあったうっそうとした「モウソウチク」のことは、今でもはっきり覚えているのです。それは、ガイドさんが、「モウソウチクは、江戸時代、中国から薩摩藩に伝わり、最初に植えられたのがこの磯御殿です。」とその由来を説明してくれたからです。宮崎地方では、「モウソウチク」のことを「唐孟宗竹」と呼んでいますが、よく見かけている竹が中国から渡来し、しかも目の前でその竹を見たということが、子供心に、私の脳裏に強烈に印象されたものと思われます。
 さて、春の山菜の一つに「タケノコ」がありますが、宮崎地方で見られる「タケノコ」と言えば、「モウソウチク」、「マダケ」、「コサンダケ」等という竹の「タケノコ」がありますが、最初に芽を出すのは「モウソウチク」です。この竹の名前の由来ですが、文献によると、中国で昔、病弱の母のために真冬に雪をかき分けて「タケノコ」を掘り、それを食べさせた「孟宗」という人の故事に因み、この名前が付けられたということです。
 九州の生産地では、福岡県北九州市の「合馬タケノコ」が有名ですが、先日その収穫の模様をテレビで見ました。宮崎地方と違って、竹林が間引きによりきれいに整理されて肥料が施され、びっくりしたのは、宮崎地方では、「タケノコ」は、芽が表面に出て約20センチ位の大きさになったとき、掘り起こして収穫していますが、合馬地区の「タケノコ」掘りは、まだ地中にあるとき掘り起こしていました。これは「モウソウチク」は、成長し始めてから早く収穫するほど苦みやアクが少なく、美味しいそうです。合馬地区の「タケノコ」は、関西、特に京都に高値で出荷され、料亭では、春の山菜として珍重されているということです。
 このほか、「タケノコ」では、宮崎や鹿児島地方でコサンダケと呼ばれている竹がありますが、この竹は、川岸や山の至る所で見られ、私達は、この竹を使って竹竿として利用したものです。この竹の「タケノコ」は、「モウソウチク」と違ってスコップなどを使う必要もないので簡単に収穫することが出来、また、苦みもアクもありませんから、そのままマヨネーズを付けて食べることができますし、みそ汁の具にも利用されています。このコサンダケの収穫は、例年5月の連休時期ですが、今年は少雨の影響でしょうか、例年より約10日から2週間ほど遅れ、ようやく最近になって収穫している状況です。
 そして、コサンダケの収穫が終わり、枇杷の実が黄色く熟れる6月になると、「タケノコ」では、最もおいしいといわれる「ダイミョウダケ」の収穫が始まります。この「ダイミョウダケ」は、あくが少なく、収穫後皮をむいてそのまま食べることが出来ますし、また、このみそ汁がまたおいしいので、今年もまた、食べてみたいと考えており、今から楽しみにしているところです。

2011年5月30日

五月病

  私は毎朝、ラジオを聴きながら散歩していますが、その内容を聴いていると、約7割は健康に関するものです。例えば、今年の4月から5月初めにかけ、焼肉店で生肉のユッケを食べた人が食中毒症にかかったときは、連日のように食中毒に関する放送がなされていましたが、5月のゴールデンウィークが終わった途端、「5月病」に関するものが多くなってきました。それは、我が国においては、例年、入学や入社等により、大きく生活環境が変化した人の中に、新しい生活や環境に適応できないまま、ゴールデンウィーク中に疲れが一気に噴き出し、ゴールデンウィーク明け頃から、理由不明の身体や心の不調を訴える人が多くなるからです。この「五月病」は、正式な病名ではなく、医学的な診断名は「適応障害」だそうです。
 もともと、この言葉は、東京大学の駒場キャンパスで使われていたもので、例年、厳しい受験競争を勝ち抜き入学を果たした新入生が、5月のゴールデンウィーク明け頃から、目標を失って無気力に陥り、登校拒否の状態になったり、退学に追い込まれる学生が急増し、その時期が5月であることから、いつしか、学生や教職員の間にこの言葉が生まれたものだそうです。現在では、学生だけでなく、この時期、新入社員の中にも不安や憂鬱症状を訴える人が多く見られることから、一般的には、新しい環境になった人が、少し時間が経った時点で、新しい環境に馴染めなかったり、夢と現実のギャップにショックを受けたり、入学や入社等大きな目標を達成したことによる燃え尽き症候群の結果、無気力・無関心・無感動・うつ・めまい等の症状に陥ることを「五月病」というのだそうです。
 さて、当校でも今年の4月、6名の新入社員がありました。18歳から21歳までの女性ですが、職種は事務員、指導員見習いと異なっており、各種の研修等を終え、現在はそれぞれ与えられた仕事を懸命に覚えているといった状態です。その彼女達の仕事の様子を毎日見ていますが、今のところ、研修で会得した笑顔は絶えませんし、お客さんとの応対や電話応対はまずまずのようであり、心配していた「五月病」の症状は見当たりませんので、少しほっとしているところです。
 しかしながら、当校を訪れる人は、運転免許を取りたい人ばかりではなく、高齢者講習の受講者もいる等応対する相手の年齢層はさまざまです。そのほか、電話による入校等の問い合わせ、各証明書の作成準備、運転免許課に対する報告等さまざまな事務がありますが、新入社員が一番緊張するのは、やはり、電話の応対のようです。電話のベルが鳴ると、一瞬びっくりした顔つきになり、電話を取ろうかどうしようかと躊躇している様子が垣間見られますが、この状態も後しばらくすると見られなくなると思います。それは例年の新入社員を見ていると、毎年同じ状態だからです。新入社員の中には、「自分は、他の人と同じように出来るだろうか」と心配する人がいると思いますが、その点は全く必要ありません。新入社員ですから最初からうまくいくはずがなく、電話の応対や書類の作成でミスをすることは、どの先輩社員も経験していることです。したがって、一度失敗したからといって、クヨクヨしせず、そのような時は、「気持ちや気分を切り替えれリフレッシュすること」と「一人で悩まずに、友達や先輩にグチをこぼしたり、相談をすること」をお勧めします。「五月病」は一過性のものですから、さわやかな笑顔で、全員力を合わせて乗り切りましょう。